第2話 お嬢様の内緒の贈り物
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あらすじ
貴族フェルン家に仕える住み込みメイド、セラ・ミルト。飛び抜けて器用ではないけれど面倒見が良く、頼まれごとには何でも即答してしまう性分。主人一家に振り回され、時にはドジも重ねながら、新人指導や屋敷の困りごとを人と人の繋がりでほどいていく。小妖精の噂も囁かれるこの屋敷で、セラは今日も手一杯の一日を駆け回る、心温まる日常物語。
本文
洗濯場には、まだ朝の湯気が残っていた。
「先輩、これで合っていますか」
「うん、上手。角をもう少しだけ、こう」
セラはエルシーの手に自分の手を重ね、シーツの端を軽く引いた。皺が一本、すっと伸びる。
「こんな感じですか」
「そうそう。筋が通ると、畳んだ時に綺麗に重なるから」
昨日の疲れは、まだ肩の奥に薄く残っている。三本の鍵を握ったまま館中を走り回った感覚が、ふとした拍子に足の裏へ蘇る。それでも今朝は、鍵束を見るたび、少しだけ気が軽くなった。刻印を打ち直してもらう手はずも整い、あとは頼んだ職人を待つだけだ。
「セラ、力を抜きすぎ。そっちの角、垂れてるよ」
ノーラの声に、セラは我に返って布を持ち直した。
「見てなかった」
「見なさすぎ」
軽口に笑い返したところで、洗濯場の扉が控えめに叩かれた。
「セラ、いる?」
ミレイユだった。
戸口から半分だけ顔を覗かせている。エルシーとノーラの姿を確かめてから、もう一歩、敷居の内側へ入ってくる。
「はい、おります」
セラは濡れた手を前掛けで拭い、扉のそばへ寄った。
「あの、相談したいことがあるの」
「はい」
「今、いい?」
ミレイユの声は、いつもより少し低かった。周りを気にしている声だ。セラはノーラとエルシーへ目をやり、二人がそれぞれの作業へ視線を戻したのを確かめてから、扉の外へ半歩出た。
「お父様の誕生日に、内緒で贈り物を作りたいの」
言葉にした途端、ミレイユの頬がわずかに赤くなった。
「いつも、お誕生日ってお母様が用意した立派な贈り物ばかりでしょう。今年は、わたしが自分で考えたものを渡したくて」
「素敵だと思います」
「でも、どうやって作ればいいのか分からなくて。裁縫も、まだ下手だし」
「大丈夫です。あたしが手伝いますから」
セラは考える前に頷いていた。
「本当に? 忙しいのに」
「平気です。誕生日まで、まだ日はありますよね」
「ええ、少し」
「それだけあれば十分です」
十分かどうかは、実のところ数えてもいなかった。
エルシーの指導も残っている。洗濯も、繕い物も、いつもの仕事は減らない。それでも「贈り物」と「お嬢様の頼み」を並べた瞬間、セラの中では既に「できる」の方へ天秤が傾いていた。
ミレイユの顔が、ぱっと明るくなる。
「ありがとう、セラ! 誰にも言わないでね」
「もちろんです」
洗濯場へ戻ると、ノーラがシーツの山越しにちらりとこちらを見た。
「また何か抱えた?」
「ちょっとだけ」
「ちょっとって顔じゃないけど」
セラは曖昧に笑って、次のシーツへ手を伸ばした。
エルシーは何も言わなかったが、畳みかけのシーツを見つめる横顔に、わずかな戸惑いがよぎった気がした。セラは気づかなかった。
その日から、セラの一日には見えない荷物がひとつ増えた。
昼の合間、繕い物の手を止めては裁縫箱の中身を数える。木の糸巻き、余り布、あちこちから集めた小さな材料。
学校室の隅で、ミレイユが考えを話した。
「小さな贈り物を、ちゃんと形にしたいの。お父様が、いつも大事に使ってくれるようなものを」
いい思いつきだと、セラは思う。
けれど頭の中の予定表は、静かに軋んだ。慣れない作業には手間がかかる。道具を探すところから始めなければならない。
それでも「難しいですね」とは言わなかった。
「じゃあ、まず材料を探しましょう。誰かに聞けば、余りがあるかもしれません」
「聞いていいの?」
「大丈夫です。理由は伏せてお願いします」
こうして、隙間時間はひとつ、またひとつと埋まっていった。
朝はエルシーへ洗い方の順番を教え、昼はミレイユと相談し、夜は自分の当番仕事を片づけてから、裁縫箱を抱えて厨房の隅の灯りを借りる。
疲れは、確かにあった。
だが「疲れている」と口にする暇より先に、次にやるべきことが浮かんでくる。それがセラのいつものやり方だった。
二日目の午後、繕い物を教えていたエルシーが、ふと手を止めた。
「先輩、これ、どちらの手順が先でしたっけ」
「あ、それは――」
答えかけて、セラは言葉に詰まった。順番はよく分かっているはずなのに、頭の別の場所で贈り物の作業を考えていて、うまく出てこなかった。
「ごめん、もう一度言うね」
エルシーは黙って頷いたが、その日は同じような聞き返しが二度、三度とあった。
ある夜、灯りの下で作業をしていたセラの手が、ふと止まった。
「……あ」
小さな声が漏れる。
厨房の戸棚の陰から、ノーラが顔を出した。
「どうしたの、今の声」
「今日、トーマさんに頼まれてた薬草の仕分け、忘れかけてた」
「え、いつの話」
「数日前に頼まれてたの。明日の朝までにって言われてて」
セラの手から、材料の切れ端がすべり落ちた。
拾い上げながら、頭の中で今日と明日の予定を並べ直す。エルシーの指導、繕い物、贈り物の仕上げ、そして薬草の仕分け。どれも「明日」に集まっていた。
「一人で全部やるの、また?」
「今度はちゃんと分けてやるから」
「分けるって、時間は増えないよ」
ノーラの声は呆れながらも、責める色はなかった。セラはそれ以上何も言わず、材料を布で包んで裁縫箱へ戻した。今のうちに気づけてよかった、と思いながら。
翌日の午後、洗濯物を干し終えたセラは、裏庭の井戸端でひとり手を止めていた。
贈り物の仕上がりは、思っていたよりも歪んでいる。慣れない材料は扱いにくく、手を動かすたびに指の腹が赤くなった。時間がない。薬草の仕分けもまだ終わっていない。エルシーに教えるはずだった繕い物の見本も、作らずじまいだった。
「セラ」
呼ばれて顔を上げると、ミレイユが立っていた。手には、途中まで手をつけた贈り物がある。
「お父様に渡す分、進んでる?」
「はい、あと少しです」
答えながら、セラは自分の声がわずかに掠れているのに気づかなかった。
ミレイユは、しばらく黙ってセラの手元を見ていた。
指先の絆創膏。目の下の薄い影。いつもより早口な受け答え。
「……セラ、無理してる?」
その一言に、セラの手が止まった。
「いえ、そんな」
「昨日も、一昨日も、夜遅くまで灯りがついてたの、知ってるのよ。厨房の窓から見えたから」
セラは何か言い返そうとして、言葉が出てこなかった。
いつもなら「大丈夫です」の一言が真っ先に出る。今もそう言おうとした。けれど喉の途中で、その言葉がなぜか止まった。
井戸のそばで、水音だけが続いた。
ミレイユはしゃがみ込み、セラの膝の上の贈り物を覗き込んだ。
「これ、わたしがお願いしたから、こんなに大変になってるんでしょう」
「お嬢様のせいじゃないです。あたしが」
「セラのせいでもないと思う」
ミレイユは贈り物に指を這わせた。
「これ、わたしも手伝っていい?」
「え」
「下手でもいいから。わたしのための贈り物なんだから、わたしも手を動かしたい。それに――」
ミレイユは、セラの絆創膏を見た。
「セラの手、これ以上増やしたくないもの」
その言葉が、セラの胸の奥に、思ったよりもまっすぐ届いた。
すぐには何も言えなかった。
助けを申し出られること自体に、慣れていなかった。いつも申し出るのは自分の役目で、ミレイユのような小さな相手から支え返される経験は、これまでほとんどなかった気がする。
胸の内側で、驚きと戸惑いがゆっくり形を変えていく。守る側だと思っていた小さな手が、今、こちらへ差し伸べられている。
「……いいんですか」
「いいも何も、決めたの」
セラは小さく笑った。目の奥が少し熱くなったが、それを深く考える前に、道具を差し出していた。
「じゃあ、まず、ここを手伝ってもらえますか。上手でなくて大丈夫です。多少歪んでても、お父様は気にしません」
「本当に?」
「はい。お嬢様が手を動かしたってだけで、旦那様には十分な贈り物です」
ミレイユは道具を受け取り、慎重に手を動かした。
不格好な出来が、少しずつ増えていく。
その日の夕方、セラは薬草籠を抱えてトーマの元へ走った。
「すみません、遅くなりました」
「ああ、それか。心配してたんだよ」
「申し訳ありません。抱えてたことが重なって、後回しにしてしまって」
「怪我でもしたのかと思った」
トーマは苦笑しながら籠を受け取った。
「まあ、無事ならいいさ。次からは、遅れそうなら先に言ってくれ」
「はい……気をつけます」
答えながら、セラは自分の口が、思ったよりすんなりと「はい」と言えたことに少し驚いた。
誕生日当日の朝。
贈り物は完成していた。
継ぎ目は歪み、一部は形が整いすぎていない。仕上げの跡は、セラの分は細かく几帳面で、ミレイユの分は大きくばらつきがあった。ふたつの手つきがそのまま形になったような、不揃いな仕上がりだった。
「これで、いいのかしら」
ミレイユは不安そうに贈り物を掲げた。
「十分だと思います」
「本当に? 歪んでるところだらけよ」
「お嬢様が手を動かしたところだって、ちゃんと分かります。それが一番いいところです」
ミレイユは贈り物を胸に抱き、書斎へ向かった。
セラはその背中を、廊下の角から見送った。
夕刻、書斎から笑い声が漏れ聞こえた。
「これは、お前が?」
「わたしが作ったの。セラにも手伝ってもらったけど」
「そうか。……ずいぶん熱心に作ったんだね」
エドガーの声は、いつもよりずっと柔らかかった。
「不格好だなんて言わせないぞ。父さんの宝物になった」
「本当?」
「本当さ」
セラは廊下の陰で、その声を聞きながら小さく息をついた。
肩の力が、ゆっくりと抜けていく。
安堵が胸の底からじわりと広がり、それから少し遅れて、目の奥がつんと熱くなった。誰にも見られていないことを確かめてから、セラは袖口で目元を軽く押さえた。
「セラ」
書斎から出てきたエドガーに呼び止められたのは、その少し後だった。
「お前にも世話をかけたそうだね」
「いえ、あたしはお手伝いしただけです」
「娘があんなに嬉しそうな顔をしたのは久しぶりだ。……近々、何か埋め合わせをしないといけないな」
セラは首を傾げた。
「埋め合わせ、ですか」
「いや、なに。父親として、何かせねばと思っただけだ」
エドガーはそう言って、どこか浮かれた足取りで書斎へ戻っていった。
廊下を戻る途中、洗濯場の前でミレイユが待っていた。
「セラ、ありがとう」
「あたしは、少しお手伝いしただけです」
「ううん」
ミレイユは首を振った。
「セラが無理してるの、今度はちゃんと気づけた気がする」
セラは何と返せばいいか分からず、曖昧に微笑んだ。
「あたしは、大丈夫ですよ」
「またそう言う」
ミレイユは少し呆れたように笑い、それから小さく手を振って自室へ戻っていった。
その夜、洗濯場の片づけを終えたセラは、裁縫箱の蓋を閉じながら、小さく息を吐いた。
窓の外はすっかり暗い。
「疲れた?」
ノーラが隣で腰を伸ばしながら聞いた。
「うん、少し」
「言うようになったじゃない、それくらい」
「まだ少しだけどね」
セラは笑って、鍵束に触れた。今日も、ちゃんと元の場所に戻っている。
エルシーの指導、贈り物、忘れかけた薬草の仕分け。全部、綱渡りのように繋がって、なんとか終わった。次に同じことが起きても、きっとまた同じように予定も確かめずに引き受けてしまうのだろうと、セラは薄々分かっていた。
それでも今日は、井戸端で聞いた「無理してる?」の一言だけが、胸のどこかに柔らかく残っていた。
窓の外で、夜番の鈴がひとつ鳴った。
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