ビルオーナー(二)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
長編&連作 作品集
本文
王都の中心部にそびえる「魔導マルチテナントビル」。そこは部屋ごとに独自の空間結界が施された、奇妙な賃貸物件。
大家は佐藤純。戦闘力は普通の人と大差ないが、ビルの中でだけは話が別で、広さも気温も重力も、権限一つで自在に操れる。とはいえ本人が気にしているのは、そんな力よりも、家賃がきちんと入るかどうかと、テナントたちが穏やかに商売を続けられているかどうか、その二つだけだ。
そんな日常を特等席から眺める管理ギルドの担当者は、大の物語好き。今日もビルで織りなされるドラマに、一人密かに胸を熱くしている。
【10席の宮廷料理】
ビルの3階、空き店舗だった場所に、小さな明かりが灯ったのはつい先月のことだった。
入居したのは、かつて何百人もの貴族を唸らせた元宮廷料理長のエルフ。カウンター6席、テーブル1つの計10席という、身の丈に合った小さな店を選んだのには理由があった。
「小さいですけど、居心地はいいですね」
内見のとき、彼女はそう言って厨房を見渡していた。純はその横で、契約書にサインをもらいながら頷く。
「静かに商売したいなら、うちのビルは向いてると思うよ。テナント同士のトラブルさえなければ、大家は基本口出ししないから」
「それは助かります。前の職場は、宮廷でしたから。毎晩何百人分もの料理を出して、味なんて二の次で、量と見栄えばかり求められて」
「それで辞めたのかな」
「はい。もう一度、自分の目が届く範囲で、一皿一皿ちゃんと向き合いたくなったんです。10席くらいが、ちょうどいい」
そう語る横顔は、宮廷にいた頃より、ずっと生き生きして見えた。純はそれ以上何も聞かず、鍵を渡した。
そんな穏やかな始まりから、まさか一ヶ月後にビルが戦場になるとは、純も想像していなかった。
「大家さん! 3階です!3階が大変なことになってます!」
管理ギルドの担当者が、真っ青な顔で駆け込んでくる。
「また掘ってるのか」
「掘ってません!並んでるんです、廊下に!」
「並ぶくらい、いいことなんじゃないか。繁盛してる証拠だし」
「その並んでる人たちが、ちょっと普通じゃなくて……とにかく、来てください!」
純が3階に上がると、廊下には長い行列ができていた。先頭には見覚えのある顔、王都の騎士団長。鎧は着ていないが、体格と佇まいで一発で分かる。その後ろには、フードを目深に被り変装しているつもりらしい大公爵。さらに奥には、人間の姿に化けているが纏う気配がどう見ても普通ではない一団が続いている。行列は階段の踊り場まで伸びていた。
「これ、全員10席狙いなんだな」
「そうなんです! あのシェフの料理があまりに美味しすぎて、口コミが爆発して……!一昨日なんて、隣国の使者まで並んでたんですよ」
「隣国の使者か……それは、ちょっとした問題になりそうだ」
「今はそれどころじゃなくて、あそこ見てください」
担当者が指差した行列の後方で、剣を携えた聖騎士と、優雅な佇まいの上位悪魔らしき人物が、じりじりと睨み合っていた。周りの客たちが、そっと距離を取っている。
「私の方が先に並んでいた」
「いいえ、私です。人間の作法では、列に割り込む者は罰せられるはずでは」
「割り込んでなどいない。貴様こそ、幻術で気配を消して順番を誤魔化しただろう」
「証拠もないのに、随分な言いがかりですね」
聖騎士の手が剣の柄にかかる。悪魔の指先には、青白い炎がちらついていた。
「大家さん、あれ、まずいです!ビルが吹き飛びます!せっかくのお店も、行列のお客さんも、巻き込まれます!」
担当者が悲鳴を上げた。純はため息をつきながら、二人の間に割って入る。
「二人とも、少し落ち着いてくれないか」
「邪魔をするな、人間」
「邪魔してるつもりはないんだ。ただ、ここは俺のビルでね。二人が本気でぶつかったら、あの店ごと吹き飛んでしまう。そうなったら、二人が楽しみにしてる料理も、二度と食べられなくなってしまうよ」
その一言に、聖騎士と悪魔の動きがぴたりと止まった。
「……それは、困る」
「困りますね。あの一皿を食べるためだけに、こうして並んでいるというのに」
「だよな。だから、頼むよ。順番は守ってほしい。ここじゃ誰もがただの『客』だ。ルールを守れないなら、俺も困るし、後ろで並んでる人たちにも迷惑がかかる」
純は右手をかざし、廊下全体の魔法とスキルの使用を一時的に制限。カチ、と結界が切り替わる音がした。
「今、この廊下では魔法もスキルも使えないようにさせてもらった。オーナー権限でね。喧嘩したいなら、外でやってほしい。ただ、その場合、うちのテナントの料理は、二度と口にできなくなると思っておいてくれ」
行列の空気が一変する。大公爵も、化けている一団も、居住まいを正すように背筋を伸ばした。誰も、あの一皿を諦めたくはないらしい。
「並びます。きちんと、順番に」
「私も、それで構いません」
「ありがとう。それと、これからも割り込みが続くようなら、店側の判断で出禁にすることもあると思う。そこは了承しておいてほしい」
騎士団長が笑って呟く。
「大家殿、噂には聞いていたが、大した御仁だ。この行列を前に、一歩も引かないとはな」
「褒めてもらえるのは嬉しいけど、割り込みだけは許せない。並んだ順に案内する、それだけだから」
その夜、無事に行列を捌き終えた店で、純と担当者は特等席に案内されていた。カウンターの向こうで、シェフが最後の一皿を仕上げていた。
「今日は本当に助かりました。おかげで、お店を続けられます。正直、あの二人が暴れ出したら、もう店を畳むしかないと思ってました」
「畳ませたりしないよ。せっかくいい店なんだから」
シェフが差し出したのは、裏メニューの一皿。湯気の向こうに、繊細な香りが立ち上っている。
「これは、ビルオーナー特権ってことでいいのかな」
「もちろんです。いつでも、お待ちしてます。大家さんがいなかったら、今日は本当にどうなっていたか」
担当者は早くも涙ぐみながら手帳を開いていた。
「いやあ、今日のドラマも最高でした……大家さんの機転、しっかり記録しておきます。今度、本にまとめてもいいですか」
「記録より先に、その皿、冷めるから食べたほうがいいと思うよ」
純はそう言いながら、フォークを手に取る。一口食べて、思わず目を見張った。宮廷料理長の腕は伊達ではない。
ビルには、また一つ、賑やかで温かい灯りが増えていた。