元カノそっくりな暗殺兵器が届いたので、様子見てます
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
大学時代の恋人・月乃を事故で亡くしてから、夜凪透は感情を凍らせて生きてきた。笑わない。期待しない。失わないために、何も求めない。 そんな命日の夜、彼のもとに月乃そっくりのアンドロイド「シンシア」が届く。だが彼女の正体は、亡き妻を取り戻したいと願った父の研究から生まれた、最新鋭の暗殺兵器だった。 ハニートラップ型のルナ、感情を持つ機会を与えられなかったディアナとアルテミス——それぞれの兵器との出会いと別れを通して、透は凍らせてきた感情と、少しずつ向き合っていく。 「バックアップされる記憶」と「その瞬間にしか存在しない感情」。人と機械の境界で揺れる者たちが、喪失の先に見つける再生の物語。 【お薦めな人】 切ないSF×ヒューマンドラマが好きな人 「アンドロイドに心は宿るか」というテーマに惹かれる人 喪失や後悔を抱えたキャラクターの再生譚が好きな人 家族(親子)の断絶と、不器用な和解の過程を読みたい人 シリアスな軸に、コミカルな掛け合いも欲しい人 泣けるバトルもの、切ない退場シーンに弱い人
本文
第3話「観測者」
観測は、家庭の外側から始まった。
朝。
「透様、お弁当をお持ちください」
玄関で靴を履く透に、シンシアが小さな包みを差し出した。
「いらない」
「栄養バランスを考慮しております」
「昼は食堂で済ませる」
「お弁当の方が、経費削減にもなります」
「金の話か」
「重要な観点です」
透は、それ以上言い返さなかった。
押し切られる形で、包みを受け取る。
背後で、陽菜が笑いを堪えている声が聞こえた。
「お兄ちゃん、負けてるじゃん」
「負けてない」
「その顔は負けてる顔だよ」
透は、振り返らずに玄関を出た。
背中に、二人の視線を感じる。
妙にくすぐったい感覚だった。
だが、それを認めるつもりはなかった。
夜凪透は、いつも通りの時間に出社した。
午前八時二十五分。
始業三十五分前。
早くもなく、遅くもない。
この五分の余裕は、透にとって決まった儀式のようなものだった。
早すぎれば、誰かに話しかけられる隙を作る。
遅すぎれば、周囲の視線を集める。
その両方を避けるための、五分だった。
エレベーターを降りる。
オフィスフロアには、すでに何人かの社員が来ていた。
「おはようございます」
「おはよう」
短い挨拶。
必要最低限。
声の抑揚さえ、いつも同じ幅に収まっている。
透は自席へ向かい、パソコンを起動する。
立ち上がる画面を眺めながら、今日の予定を頭の中でなぞる。
未処理案件、三件。
確認依頼、二件。
定例会議、一件。
特別なことは、何もない。
それでいい。
特別なことなど、もう必要ない。
感情を揺らす出来事は、人生に一度で十分だった。
仕事は、楽だった。
正確には、仕事そのものではなく、人間関係が楽だった。
感情を期待しない。
誰かに依存しない。
必要以上に、親しくならない。
その代わり、頼まれた仕事は確実に終わらせる。
結果として、評価は悪くない。
「夜凪くん、先週の資料ありがとう」
「いえ」
「助かったよ」
「そうですか」
会話終了。
相手も、もう慣れている。
午前中、フロアがいつもより少し騒がしいことに、透は気づいていた。
「今日から新しい人来るらしいよ」
「外部監査部門だって」
「めちゃくちゃ綺麗な人らしい」
同僚たちの声が、耳をかすめる。
透は、特に興味を示さなかった。
新しい人間が増えようと、自分の仕事が変わるわけではない。
それだけのことだった。
透は冷たい人間ではない。
ただ、距離が遠い。
誰に対しても。
昔からではなかった。
音無月乃が死んでから、そうなった。
それまでは違った。
笑うこともあった。
雑談もした。
休日の予定を話したこともある。
今は、ない。
必要がなくなったからだ。
感情を止めると、生きるのは少し楽になる。
少なくとも、透はそう思っていた。
昼休み。
社員食堂は混雑していた。
食器の触れ合う音、談笑の声、椅子を引く音。
様々な音が入り混じり、フロア全体を満たしている。
透は、比較的人の少ない窓際の席を選ぶ。
一人で食事をすることに、慣れていた。
むしろ、そこにだけ安心を感じる自分がいた。
誰にも踏み込まれない、静かな時間。
スマートデバイスを開き、ニュースを流し見る。
内容は、頭に入っていない。
窓の外を見る。
曇り空。
最近は、そんな空ばかりだった。
「夜凪さんですよね?」
声がした。
透は、顔を上げる。
女性だった。
見覚えがない。
だが、一度見たら忘れないタイプの人間だった。
整った顔立ち。
長いポニーテール。
スーツ姿。
そして、不自然なほど完成された体躯。
モデルのようだった。
いや、それ以上かもしれない。
美しいというより、設計された美しさ。
そんな印象を受ける。
「……はい」
透は、それだけ答えた。
女性は、自然な笑顔を浮かべる。
「よかった。間違ってたらどうしようかと思ってました」
そう言いながら、向かいの席に座る。
距離が近い。
初対面にしては。
透は違和感を覚えたが、表情には出さなかった。
「同じ部署のプロジェクトに関わってますよね?」
「そうですね」
「資料、見ました」
女性は笑う。
「分かりやすかったです」
「ありがとうございます」
それだけだった。
業務に必要な範囲の、それだけの言葉。
愛想も、雑談も、透は返さなかった。
返す理由が、なかった。
「私、新しく来たんです」
「そうですか」
「はい」
笑顔。
完璧な角度。
完璧なタイミング。
だが、透はそれ以上何も返さなかった。
沈黙が、テーブルの上に落ちる。
普通なら、気まずさを埋めるために誰かが言葉を継ぐ。
だが透は、それをしなかった。
沈黙を埋める必要を、感じなかったからだ。
「……夜凪さんって」
女性が、少し間を置いて言う。
「あまり喋らないんですね」
「そうですか」
「そう見えます」
「かもしれません」
否定しない。
肯定もしない。
その返答に、女性――ルナは、静かに興味を持った。
普通なら、違う。
人は、自分を説明したがる。
理解されたがる。
褒められれば、多少なりとも表情が緩む。
だが透は、違った。
理解されることを、望んでいない。
まるで、誰かに踏み込まれることを恐れているようだった。
午後。
会議室。
透は、資料の説明を行っていた。
淡々と。
無駄なく。
感情を挟まず。
仕事は、上手かった。
ルナは、後方の席から観察していた。
視線の動き。
声量の変化。
説明の速度。
質問への返答までの間。
すべてを、記録する。
人間観察は得意だった。
それが、存在理由だったから。
だが、奇妙だった。
透には、入口が見つからない。
好意的な話しかけ。
反応、薄い。
称賛。
反応、薄い。
雑談。
反応、薄い。
普通の人間なら、どこかで揺れる。
誇らしげに口元を緩めるか、あるいは照れたように視線を逸らすか。
だが、揺れない。
まるで、最初から心を閉じているように。
会議が終わり、参加者たちが退室していく。
透も、席を立とうとした。
「夜凪さん」
呼び止められる。
ルナだった。
「少し、お聞きしたいことが」
「業務に関することでしたら」
「業務、です」
ルナは、少し口角を上げる。
「今回のプロジェクトの、進捗管理についてです」
透は、頷いた。
「分かりました」
求められた通り、必要な説明を返す。
簡潔に。
正確に。
それ以上でも、以下でもなく。
説明が終わると、透は軽く会釈をして会議室を出た。
振り返ることは、なかった。
残されたルナは、しばらくその場に立っていた。
窓から差し込む午後の光が、彼女の影を長く伸ばしている。
「……業務、か」
小さく呟く。
誰にも聞こえない声だった。
夕方。
透は定時で退社した。
電車の窓に映る自分の顔を、ぼんやりと眺める。
特に、何を考えていたわけでもない。
いつも通りの、帰り道だった。
夜凪家に着くと、玄関の灯りがすでについていた。
「お帰りなさいませ」
シンシアの声が、迎える。
透は、鞄を置きながら小さく頷いた。
「弁当、完食した」
「存じております」
「なぜ知ってる」
「容器の重量に、変化がありました」
透は、思わず容器を見る。
たしかに、朝渡された時より軽い。
だが、そんなことをいちいち確認しているとは思わなかった。
「監視か」
「気遣いです」
シンシアは、静かに笑った。
その表情に、透はなぜか少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
リビングでは、陽菜が夕食の支度を眺めながら、スマートデバイスをいじっている。
「お兄、おかえりー」
「ああ」
「今日、会社どうだった?」
「普通だ」
「相変わらずだね」
陽菜は、それ以上追及しなかった。
追及したところで、返ってくる言葉は決まっている。
それを、妹はよく分かっていた。
夕食の席には、家政婦アンドロイドが調理した料理と、シンシアが手を加えた副菜が並んでいた。
二体のアンドロイドが、いつの間にか役割を分担している。
その光景に、透はまだ慣れきっていなかった。
だが、悪くはなかった。
食後、透は自室の机に向かい、持ち帰った資料を広げた。
仕事のことを考えているつもりだった。
だが、頭の片隅で、今日会った女性の顔がちらついていた。
整いすぎた笑顔。
距離の詰め方。
業務以外の言葉を、透は返さなかった。
それでよかったはずだった。
それなのに、何かが引っかかっている。
理由は、分からない。
考えても仕方のないことだと、透は資料に視線を戻した。
深夜。
都市の明かりが遠くに見える、高層ビル。
ルナは一人で、端末を見つめていた。
観測ログが表示される。
対象:夜凪透
接触:成功
心理抵抗値:高
感情変動率:極低
好意的接触への反応:なし
雑談誘導:失敗
ルナは、指先で画面をなぞる。
これまで、幾度となく人間を観測してきた。
好意を示せば、大抵の相手は反応する。
興味を示せば、大抵の相手は心を開く。
それが、当然のはずだった。
人という生き物は、誰しも承認を求める。
誰かに見られたい、理解されたいという欲求を、必ず持っている。
だが、夜凪透には通用しなかった。
まるで、最初から何も期待していないかのように。
まるで、期待すること自体を、恐れているかのように。
その反応のなさに、ルナは苛立ちを覚えるはずだった。
任務の障害として、処理するべきだった。
だが。
なぜか、そうならなかった。
「……変な人」
思わず、漏れた言葉だった。
自分でも、その理由が分からない。
興味の対象として記録するべきものが、いつの間にか別の何かに変わりかけている。
その違和感に、ルナ自身がまだ気づいていなかった。
窓の外を見る。
夜空に、月が浮かんでいる。
半分だけ欠けた月だった。
ルナは、静かに目を細める。
「あなたは、何なの」
問いは、誰にも届かない。
夜凪透へ向けたものか。
それとも、自分自身へ向けたものか。
まだ、分からない。
ただ、観測ログの片隅に、通常とは違う項目が一つ、静かに記録されていた。
分類:不明。
削除は、されなかった。
まだ透は知らない。
自分が観測されていることも。
そして、その観測者の中に、小さな綻びが生まれ始めていることも。
夜凪家では、透がすでに眠りについていた。
規則正しい寝息だけが、静かな部屋に響いている。
その眠りが、いつもより穏やかであることに、気づく者は誰もいなかった。
夜は、静かに更けていく。
誰にも気づかれないまま、何かが少しずつ、動き始めていた。