第4話 花灯りの夜

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/9/12 📚 シリーズ: 夜明けを縫う、あなたの隣で〜記憶を失う星織りと、忘れないと誓った風渡りの旅〜 📝 2,842文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

夜明けを縫う、あなたの隣で〜記憶を失う星織りと、忘れないと誓った風渡りの旅〜 - 第4話 花灯りの夜

本文

宿の女主人が、エルナに薄青の服を貸してくれた。娘が若いころに着たものだという。旅装より柔らかな布地で、袖口には白い小花の刺繍がある。

 着替えて現れたエルナを前に、ミアはしばらく何も言えなかった。

「似合いませんか?」

「逆です」

「逆?」

「すごく似合っていて、言葉が出ませんでした」

 正直に言うと、エルナは少し目を伏せた。耳の先が赤くなっている。

「ミアさんは、そういうことをすぐ口にするんですね」

「思ったことは伝えないと、ないのと同じですから」

「では、私も」

 エルナの指が、ミアの外套の襟に触れる。雨の日に縫い直してくれたところを、丁寧になぞった。

「その赤い外套、よく似合っています。あなたを見失わずに済みます」

 今度はミアが言葉を失う番だった。

「……行きましょうか」

「はい」

 広場には甘い香りが満ちていた。

 蜂蜜焼きを二つ買い、花蜜を溶かした温かい飲み物を分ける。エルナは一口ごとに驚いたような顔をした。甘いものを食べ慣れていないらしい。

「おいしいですか?」

「はい。蜂蜜は、お茶に入れるものだと思っていました」

「人生の半分を損しています」

「教会では、甘いものは慎みを失わせると」

「残り半分も損しています」

 ミアはもう一つ買い、半分に割って差し出した。

「食べすぎでは?」

「今日はお祭りです。祭りの日に食べたものは、女神様も数えません」

「教会でそんな教えを聞いたことはありません」

「今、風渡りのあいだで決まりました」

 笑いながら受け取るエルナの唇に、蜂蜜がついた。

 ミアは自分の指を伸ばしかけ、慌てて止めた。代わりに、自分の口元を指す。

「ここ」

「え?」

「蜂蜜が」

 エルナが舌先で舐め取る。

 見てはいけないものを見た気がして、ミアは川のほうを向いた。

「顔が赤いですよ」

「花灯りのせいです」

「黄色い灯りなのに?」

「いろいろ混ざるんです」

 露店で、青い組紐を見つけた。

 細い糸の先に、硝子の花が一輪ついている。中庭でエルナが拾った花と同じ色だった。

「少し、かがんでもらえますか」

 代金を払い、ミアはエルナの髪に組紐を結んだ。淡い金色に青が映える。

「贈ってくださるんですか?」

「旅の記念、二つ目です」

「一つ目の花は、もう枯れてしまいました」

「栞になったでしょう」

 エルナは髪に触れ、それから大切そうに手を下ろした。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

「手帳に書いておきます」

 胸が小さく痛んだ。

 嬉しい出来事さえ、忘れることを前提に残さなければならない。けれど今は、その痛みをエルナの笑顔に重ねたくなかった。

 川辺で、輪になった人々が踊っていた。

 恋人も、夫婦も、子どもも老人もいる。決まった相手と踊るものではなく、音楽が一巡するたび隣の人と手を取り合うらしい。

「行きましょう」

「私、踊れません」

「大丈夫。私も得意じゃありません」

「それは、大丈夫なのでしょうか」

 答える前に手を取った。

 人の輪へ飛び込み、音に合わせて一歩、二歩。エルナは慎重に足を運び、ミアは勢いでごまかす。三歩目で靴先がぶつかり、同時に笑った。

「右です」

「エルナ様の右? 私の右?」

「同じです」

「向かい合っているから逆ですよ」

「あ……」

 また足がもつれた。

 倒れそうになったエルナの腰を、ミアは咄嗟に抱いた。

 楽団の音が遠ざかった気がした。

 腕のなかで、若葉色の瞳が見開かれている。髪につけた硝子の花が、灯りを受けて揺れた。

「すみません」

「いえ」

 離さなければと思うのに、エルナの手がミアの肩へ置かれたまま動かない。

「ミアさん」

「はい」

「旅が終わったら、またここへ来たいです」

 初めて見つけた願いだった。

「来ましょう」

「次は、もう少し上手に踊れるように」

「それまでに練習しておきます」

「二人で練習しないと、同じところで間違えそうです」

「じゃあ、旅の途中でも」

 約束、と言いかけたときだった。

 花灯りの一つが消えた。

 次に、その隣も。

 川上から黒い霧が流れてくる。水面が凍りつき、花の小舟が端から灰に変わっていった。

 音楽が止まる。

 夜空に黒い亀裂が開いていた。

「みんな、川から離れて!」

 ミアは杖を抜いた。

 人々が我先にと広場へ逃げる。泣き声と怒号のなか、岸辺に小さな女の子が取り残されていた。凍った川へ落ちた花灯りを拾おうとしている。

「お母さんにあげるの!」

 黒霧が子どもの足元へ迫る。

 ミアが風を放った。霧を押し戻すが、天裂から次々に溢れてくる。大勢を逃がしながら子どもまで助けるには、距離がある。

「エルナ様、待って!」

 薄青の影が、もう走り出していた。

 エルナは子どもを抱き上げ、自分の外套で包んだ。黒霧が二人を取り囲む。

 胸元に、白い光が灯る。

「まだだめ! 私が道を開けるから!」

「間に合いません」

 エルナはミアを見た。

 祭りを楽しんでいたときと同じ、穏やかな顔だった。けれど瞳の奥に、はっきりと恐怖があった。

「ごめんなさい」

 白い糸が、夜空へ伸びる。

 今まで見たものより太く、眩しい糸だった。

 エルナの指が動く。

 一針。

 川を覆った黒霧が割れる。

 二針。

 凍りついた水が、音を立てて流れ始める。

 三針。

 亀裂が光に縫い合わされ、夜の闇が戻ってきた。

 花灯りが、再び水面を照らす。

 歓声のなか、エルナは膝をついた。

 ミアは駆け寄り、子どもごと抱きしめた。

「何を忘れたんですか」

「……わかりません」

「手帳を。確かめましょう」

 エルナの手が、胸元に触れる。けれど手帳を取り出さず、震える指で空を掴んだ。

「母の顔が」

 声がかすれた。

「思い出せません」

 ミアは何も言えなかった。

「髪は、私より少し濃い色で。目尻に小さなほくろがあって。笑うと、とてもきれいな人だったんです」

 言葉は出てくるのに、エルナは迷子のような顔をしていた。

「わかっているのに、見えないんです。どこにも」

 助けられた子どもの母親が駆けつける。泣きながら娘を抱き、エルナへ頭を下げた。

 エルナはいつものように、大丈夫ですよ、と微笑んだ。

 その笑顔があまりに優しくて、ミアは腹が立った。

 誰に向けた怒りなのか、自分でもわからない。幼い子どもにではない。助けたエルナにも怒れない。記憶を糸に変えなければ人ひとり守れない、この世界そのものに手を上げたかった。

 騒ぎが収まってから、二人は川下へ歩いた。

 祭りの灯りは半分ほど消えていたが、残った小舟は静かに流れ続けている。

 エルナは泣かなかった。

「泣いていいですよ」

 ミアが言うと、彼女は首を振った。

「あの子が無事でしたから」

「それと、つらいのは別でしょう」

「でも」

「笑わなくても、誰もエルナ様を責めません」

 エルナの足が止まった。

 暗い川を見つめる横顔が歪む。

「忘れたくなかった」

 ようやく、声が震えた。

「母の顔だけは、最後まで」

 ミアは彼女を抱き寄せた。

 祭りの広場で触れたときより、ずっと強く。細い肩が壊れないように、それでも腕のなかからこぼれてしまわないように。

「忘れたく、なかったです」

「うん」

「もう一度、会いたい」

「うん」

 胸元に、温かい涙が染みた。

 ミアは何度も背を撫でた。大丈夫とは言わなかった。元に戻らないものを前に、そんな言葉は使えなかった。

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