第7話 夜明けまで切れない糸
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
夜明けを縫う、あなたの隣で〜記憶を失う星織りと、忘れないと誓った風渡りの旅〜 - 第7話 夜明けまで切れない糸
本文
三つ目の星杭は、地図から消えた森にあった。
白嶺の北側には、かつて星織りたちが学んだ書庫がある。麓の老司祭はそう教えてくれた。
「教会が王都へ移るより前の話だ。今では道も雪に埋もれている」
「そこに、記憶を失わずに天裂を縫う方法が残っているかもしれないんですね?」
身を乗り出したミアに、老司祭は渋い顔をした。
「あるとは言っておらん。昔の星織りは、今より多くいた。それだけだ」
「一人で全部縫わなくてよかったなら、手がかりになります」
「期待を持たせるな、という顔をしていますね」
エルナが静かに言うと、老司祭は目を伏せた。
「期待は、叶わなかったとき人を傷つける」
「それでも、何も知らずに諦めるよりはいいです」
穏やかな声に、譲る気配はない。
老司祭は長く息を吐き、古い地図を差し出した。
「星杭を起こしたら、すぐ戻れ。三日後には吹雪になる」
「二日で戻ります」
ミアが請け合う。
「あなたは道に迷います」
エルナが横から付け加えた。
「三日で戻ります」
書庫へ続く森は、音を失っていた。
樹齢数百年の針葉樹が雪を抱き、日の光を遮っている。道らしい道はなく、幹に刻まれた星の印だけが頼りだった。
ミアは何度も風を送り、雪の下に隠れた石段を探した。
「こっちです」
「今度は合っていますか?」
「たぶん」
「たぶん」
「疑うなら、手を離しますよ」
つないだ手を持ち上げると、エルナは指を絡め直した。
「それは困ります」
忘れた朝から、二人はよく手をつなぐようになった。
雪道で転ばないため。人混みではぐれないため。夜獣の気配がないか互いに確かめるため。
理由なら、いくらでも見つかった。
本当は離したくないだけだと、ミアは知っていた。エルナがどう思っているかは、まだ聞けずにいる。
眠る彼女へ好きだと告げた夜から、三日が過ぎていた。
起きているときには言えないままだった。
「着きました」
木々の向こうに、半ば雪へ沈んだ建物が現れた。
石造りの小さな塔と、円い屋根。扉には七つの星が刻まれている。中央の窪みにエルナが手を当てると、重い扉が内側へ開いた。
埃の匂いがする。
壁一面に書棚が並び、革表紙の本や巻物が詰まっていた。天井の一部は崩れているが、古い保存魔法がまだ働いているらしく、本に湿り気はない。
「これを全部読むんですか?」
ミアが見回す。
「三日では無理ですね」
「三年でも怪しいです」
「まず星杭を探しましょう」
杭は、塔の最上階にあった。
エルナが三つ目の光を受け取ると、床の星図が青く輝いた。五つの点のうち三つが結ばれ、その先に王都が浮かび上がる。
王都の上には、黒い染みが広がっていた。
「大裂……」
「こんなに大きくなっているなんて」
二人が旅立つ前は、細い三日月ほどだった。それが今は王都を覆う雲のように育っている。
床に、新しい文字が浮かんだ。
満ちるまで、十一日。
「残り二つを取って戻るだけで、七日はかかります」
「書庫を調べる時間は、ほとんどない」
ミアは拳を握った。
エルナがその手に触れる。
「分かれて探しましょう。星織りの儀式、記憶、天裂。関係しそうなものを集めます」
「吹雪が来る前に出ないと」
「今夜までです。それで見つからなければ、諦めます」
諦める。
静かな言葉だった。
ミアは頷き、書棚の反対側へ走った。
本を開き、違うとわかれば次へ移る。古い文字は読めないものも多く、焦りばかりが募った。
歴代の星織りの名。
星杭を建てた王の記録。
天裂から落ちた鉱石の分類。
求めるものが見つからないまま、窓の外が暗くなっていく。
雪が降り始めた。
「ミア、こちらへ」
奥の部屋から呼ばれた。
エルナは壁にかかった大きな織物の前に立っていた。色褪せた布に、夜空と人々の姿が刺繍されている。
空の裂け目を縫う、一人の星織り。
その周りを、多くの人が囲んでいた。誰も一人ではない。二人ずつ手を取り合い、重なった手のひらから伸びる二本の糸が、撚り合わされている。
無数の糸は、星織りの手元で一本に束ねられていた。
「これ……」
「今の儀式とは違います」
織物の下に、古い銘板があった。
文字を指でなぞり、エルナが読み上げる。
「一人の記憶を燃やせば、糸は強く、短く輝く。多くの心を結べば、糸は細くとも、夜明けまで切れない」
ミアは織物へ近づいた。
「みんなで少しずつ記憶を出せば、エルナ一人が失わずに済む?」
「わかりません。これだけでは、方法が」
「探しましょう。どこかに記録があるはずです」
二人は周囲の棚を片端から調べた。
夜が更け、雪は激しくなった。扉の外には腰の高さまで積もり、今夜の出発はもうできない。
それでも本を開き続けた。
ようやく、織物と同じ印のついた薄い冊子を見つけたのは、暖炉の火が小さくなったころだった。
頁の大半は破られている。
残っていたのは、糸を結ぶためには同じ未来を願うこと、中心となる星織りへ記憶を預けること。そして、結び目には星杭の光が必要だという記述だけだった。
「五つの星杭を集めるのは、どちらの儀式でも同じなんですね」
「あとは、この先があれば」
最後の頁は、根元から切り取られていた。
ミアは唇を噛んだ。
「どうして、こんな大事なところだけ」
「誰かが持ち出したのでしょう」
「王都の教会に?」
「おそらく」
希望と呼ぶには、頼りない手がかりだった。
それでもエルナは冊子を丁寧に包み、荷袋へ入れた。
「帰りましょう。残りの杭を起こして、王都で続きを探します」
「うん」
吹雪が収まるまで、二人は暖炉の前で休むことにした。
毛布は一枚しかない。肩を寄せて包まり、消えかけた火に最後の薪を入れた。
「寒くない?」
「ミアが温かいので」
「それ、私が大きいみたいに聞こえます」
「二人とも、あまり変わりません」
「私のほうが少し高いです」
「髪の分では?」
「測ります?」
立ち上がろうとすると、エルナが毛布を引いた。身体が傾き、その肩へ頬が当たる。
「今は、このままで」
耳元で囁かれ、ミアは動けなくなった。
暖炉の薪が、ぱちりと爆ぜる。
「手帳を読みました」
エルナが言った。
「これまでの旅のこと?」
「それだけではなくて。書いた日の気持ちも、少し」
胸元から手帳を取り出し、ある頁を開く。
そこには、花灯り祭のことが書かれていた。
蜂蜜焼きがおいしかった。
青い花をもらった。
踊りは二人とも下手だった。
ミアの腕のなかは、安心した。
「最後の一行を読んだとき、怖くなりました」
「怖い?」
「私は、この気持ちを覚えていません。それなのに、あなたは覚えている。過去の私と同じようにしなければ、あなたを傷つけるような気がして」