第8話 雪の夜に名前を呼ぶ

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/9/12 📚 シリーズ: 夜明けを縫う、あなたの隣で〜記憶を失う星織りと、忘れないと誓った風渡りの旅〜 📝 2,491文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

夜明けを縫う、あなたの隣で〜記憶を失う星織りと、忘れないと誓った風渡りの旅〜 - 第8話 雪の夜に名前を呼ぶ

本文

ミアは、自分の指先を見た。

「しなくていいよ」

「ミア」

「手をつなぐのも、名前で呼ぶのも。嫌なら、全部やめていい。前のエルナがどう思っていたかは、今のエルナを縛るものじゃないから」

 言葉にすると、胸が痛んだ。

 それでも、ここだけは間違えたくなかった。

「私は、忘れる前のエルナが好きだった」

 とうとう口にした。

「笑うときに少し首を傾けるところも、誰かを助けるとき、自分の怖さを後回しにするところも。頑固で、甘いものを食べるたび目を丸くするところも」

 エルナは何も言わない。

「でも今のエルナも好き。思い出してほしいからじゃない。ここ数日で、また好きになった。だから、私の気持ちは私のもの。返してもらえなくても、エルナのせいじゃないよ」

 最後まで言ってから、息を吐いた。

 怖かった。

 どんな天裂を前にしたときより、返事を待つ時間が長い。

「それは、少し困ります」

 エルナが言った。

「……困る?」

「私も、あなたを好きになってしまったので」

 ミアは顔を上げた。

 エルナの頬が、暖炉の火より赤い。

「手帳を読んだからではありません。雪道で手を取ってくれたこと。私が以前と同じように振る舞えなくても、急かさず待っていてくれたこと。眠る前に母の歌を歌ってくれたこと」

 毛布の下で、エルナの手がミアの手を探した。

「あなたを忘れたのに、会って数日でまた好きになるなんて。少し悔しいです」

 ミアの目から、涙が一粒落ちた。

「笑うところじゃないかもしれないけど、嬉しい」

「泣いています」

「嬉しいときも出るんです」

 エルナの指が、頬の涙を拭う。

「触れてもいいですか?」

「もう触れてる」

「そうではなくて」

 視線が、ミアの唇へ落ちる。

 心臓が大きく鳴った。

「……うん」

 エルナが近づく。

 最初の口づけは、確かめるように短かった。

 柔らかな唇が離れる。すぐそばで若葉色の瞳が揺れていた。

「これで、合っていますか?」

「たぶん」

「たぶん?」

「私も初めてだから」

 二人で笑った。

 今度はミアから顔を寄せた。二度目は少しだけ長く、触れた手の温かさまで覚えていられるように、ゆっくりと唇を重ねた。

 離れたあとも額を寄せたまま、エルナが囁く。

「忘れたくありません」

「うん」

「怖いです。また朝になって、あなたを知らない人に戻っていたら」

「そのときは、また好きになってもらえるように頑張る」

「簡単に言わないでください」

「簡単じゃないよ」

 ミアは、つないだ手に力を込めた。

「忘れられるのは怖い。すごく怖い。もう一度あの朝が来たら、また泣くと思う。それでも、エルナを好きになったことを後悔したくない」

 しばらくして、エルナの腕が背中へ回る。

「私も、あなたを好きになったことは、渡しません」

「糸にしない?」

「しません」

「絶対?」

「絶対です」

 抱き合ったまま、小指を絡めた。

 窓の外では、吹雪が森を白く閉ざしていた。

 けれど毛布の内側には、確かな温もりがあった。

 翌朝、先に目を覚ましたミアは、息を詰めて待った。

 隣でエルナが瞼を開く。

 若葉色の瞳がミアを映し、ゆっくり細められた。

「おはよう、ミア」

 たった一晩を越えただけなのに、長い旅から帰ってきたような安堵が押し寄せた。

「おはよう、エルナ」

「朝は不機嫌ではなかったんですか?」

「今日は特別」

「では、もう少しだけ」

 エルナは目を閉じ、ミアの胸元へ額を寄せた。

 ミアは淡い髪を撫でる。

 書庫を出れば、残された時間は少ない。

 それでも二人は、あと少しだけ同じ毛布にくるまっていた。

     ◇

 四つ目と五つ目の星杭を起こす旅は、時間との競走になった。

 森を出た二人は馬を乗り継ぎ、凍った湖を渡り、夜も交代で手綱を握った。

 大裂が満ちるまで、あと六日。

 宿が見つからず、廃屋で肩を寄せた夜もある。固いパンを温める暇もなく、ククの背で齧った朝もある。

 それでも、つらいばかりではなかった。

 四つ目の星杭がある湖畔で、ミアはエルナへ風の乗り方を教えた。

「目を閉じないで。怖いなら、私の手だけ見て」

「目を閉じたほうが怖くないのでは?」

「着地できなくなります」

「先に言ってください」

 二人の身体を風が持ち上げる。

 湖面を覆う薄氷の上を滑り、対岸へ渡った。途中でエルナが均衡を崩し、ミアの胸へしがみつく。着地したあとも、しばらく離れなかった。

「もう着きましたよ」

「知っています」

「怖かった?」

「少し。もう少しだけ、このままでいたいです」

 誰もいない湖畔で口づけた。

 冷えた頬に触れる唇は温かく、二人の吐息が白く混じった。

 五つ目の星杭へ向かう草原では、野宿の火を囲んで踊りの練習をした。

「右、左、回って」

「ミア、逆です」

「エルナが逆なんだって」

「向かい合っているから、同じ右ではないと前にも」

 足がぶつかり、二人で草の上へ倒れた。

 星空の下、目が合う。

「上手くなりませんね」

「次にリノアへ行くまでには」

「いつになりますか?」

「春。無理なら夏。遅くても、次の花灯り祭」

「ずいぶん先です」

「何度だって行けばいいよ」

 そう言うと、エルナは眩しそうに微笑んだ。

 未来を話すたび、胸の奥には恐れがあった。

 けれど二人とも、口にするのをやめなかった。

 最後の星杭が光ったのは、大裂が満ちると告げられた日の三日前だった。

 五つの光がエルナの胸で一つになり、白い星の形を作る。

「これで、準備は整いました」

 エルナが言う。

「うん。あとは王都の教会にある頁を見つける」

「もし、見つからなかったら」

 ミアは彼女の唇へ人差し指を当てた。

「帰ってから考えよう」

「言わせてもくれないんですか?」

「今は聞きたくない」

 エルナは、その指をそっと握った。

「では、帰りましょう。一緒に」

「うん」

 王都が見えたのは、翌日の夕刻だった。

 城壁の向こうに、夜が浮かんでいる。

 空を覆う大裂は、巨大な黒い瞳のようだった。真昼の光を呑み込み、周囲では稲妻に似た白い筋が走っている。

 街道には、都から逃げる人々が列を作っていた。

「星織り様だ!」

 誰かがエルナに気づき、声を上げた。

「もう大丈夫だ。星織り様がお戻りになった」

「女神は我々をお見捨てにならなかった」

 安堵が波のように広がる。

 エルナは人々へ微笑み、励ましの言葉をかけた。その手がミアの外套を掴んでいることには、誰も気づかなかった。

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