5
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
私は、鬼の里へすてられた…。
本文
「……おい」
彼は歩みを止めないまま、繋いだ手にもう少しだけ力を込める。
相変わらず彼の背中は大きくて、まるで赤黒い壁が目の前を歩いているみたいだ。
「お前さ、ちっこくて、ちょっと突っついたらすぐ死んじまいそうじゃねえか。……雛鳥みてえによ」 厳牙はそこで一度言葉を区切ると、恥ずかしさを誤魔化すようにフンと鼻息を荒くした。
「だから……『ヒナ』だ。それがお前の新しい名前だ。文句ねえな!?」 そう言って振り返った厳牙の顔は、夜の暗闇の中でもはっきり分かるくらい、やっぱりトマトみたいに真っ赤だった。
でも、その瞳はちっとも逸らされることなく、まっすぐに私を見つめている。 人間の村では誰も呼んでくれなかった、私だけの名前。「ヒナ」と頭の中でその響きを繰り返した瞬間、胸の奥の冷え切っていた塊が、すとんと綺麗に溶けていくような気がした。
「ヒナ」 そう呼ばれて、繋がれた手を思わずギュッと握り返してしまった。
人間の村ではゴミのように扱われ、名前すら呼んでもらえなかった私が、鬼の里の、こんなに大きな男の人に名前をもらえるなんて。 私の小さな手が厳牙のごつごつした大きな掌に包まれている。 そのあまりの温かさに、胸の奥がじんわりと熱くなって、視界が少しだけ潤んでいくのが分かった。
「お、おい……? 急に手を強く握って、どうしたんだよ?」 厳牙は私の突然の反応に驚いたのか、繋いだ手をピクッと震わせた。
そのままのたのたと私の顔を覗き込んできて、涙で少し潤んだ私の瞳を見るなり、今度はハトが豆鉄砲を食ったような顔になる。
「な、泣いてんのか!? やっぱり『ヒナ』って名前、気に入らなかったか!? あーもう、だから名付けなんてガラじゃねえんだよ! 悪かった、別の名前考えるから! 泣くなって!」 またしても大慌てで大きな手をワタワタと動かし始めた。
この人は本当に見た目に反して心配性というか、私のちょっとした仕草一つでどんだけパニックになるんだろう。
でも、その慌てぶりが嬉しくて 「ううん、違うの。すごく……すごく嬉しい」
私は涙を滲ませたまま、ぶんぶんと首を横に振った。繋いだ手にさらにきゅっと力を込めて、今度は逃げないように、まっすぐに厳牙の大きな瞳を見上げる。
「人間の村ではね、私の名前を誰も呼んでくれなかったの。いつも『災いの子』とか『生贄』って言われて……。だから、厳牙が私に『ヒナ』って名前をくれたのが、本当に嬉しかったんだよ」
私が一気に素直な気持ちを打ち明けると、厳牙はワタワタと動かしていた手をピタッと止めた。
「あ……」 彼は大きな身体を硬直させて、言葉を失ったように私を見つめている。
夜風が二人の間を通り抜けていく中、厳牙の一本角が月光を浴びて静かにきらめいた。
私の事を知って、何を言えばいいのか分からないのかもしれない。けれど、彼の大きな掌から伝わってくる熱が、まるで「もう大丈夫だ」と言ってくれているように、優しく、そして力強く私の小さな手を包み込んでいた。、私は涙を引っ込めて、思わずクスッと笑ってしまった。