第9話 忘れ物は、先に言うべき
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
貴族フェルン家に仕える住み込みメイド、セラ・ミルト。飛び抜けて器用ではないけれど面倒見が良く、頼まれごとには何でも即答してしまう性分。主人一家に振り回され、時にはドジも重ねながら、新人指導や屋敷の困りごとを人と人の繋がりでほどいていく。小妖精の噂も囁かれるこの屋敷で、セラは今日も手一杯の一日を駆け回る、心温まる日常物語。
本文
収穫祭の朝は、屋敷全体が早くから動いていた。
領地から集められた野菜や穀物が中庭へ次々と運ばれてくる。ノーラと並んで、セラはそれらを飾り付けの位置に応じて分類していた。エルシーは庭から切ってきた秋の枝を、水を張った桶へ挿している。
昨日、洗濯場でノーラに「考え直したことがあります」と告げた時のことが、まだ胸の底にほのかな熱を残していた。
「助けを求めるのは、無能の証明なんかじゃないんだ」
マルタのその言葉を、セラは自分の口で言い直せた。だが、確信と呼ぶには、まだ足りない。
中庭の向こうで、エドガーが領民の大工と話し込んでいるのが見えた。両手を大きく広げたり、狭めたりしている。何か思いついた時の癖だ。セラはその様子を横目に見ながら、野菜の山を数え続けた。
「セラ、ちょっと」
エドガーが、こちらへ手招きした。
「飾り付けのあれ、もう運んできた?」
「あれ、と言いますと」
セラが野菜を置いて向き直ると、エドガーは少し考えるように腕を組んだ。
「昨年の祭りで使った、あの布地一式だ。今年も使うつもりだったんだが……マルタに『新しく用意しておく』と言われてな」
セラの手が、一瞬止まった。
そういえば昨日の昼、マルタから「飾り付けの材料は、物置に入れておいた」という指示を受けた記憶がある。だが、そのすぐ後、エルシーが繕い物の相談に来て、続けて別の準備も重なって――セラは、その『物置』がどこであるかを確かめないまま、「かしこまりました」とだけ答えていた。
「その一式、どちらの物置にあるか、旦那様はご存知ですか」
「いや。マルタに聞かないと分からんな。昨年のものと違う場所にしまったと言っていたし」
エドガーは、そう言うと、少し申し訳なさそうな顔になった。
限界に達する前に。
セラの頭に、休養から戻った日のことがよぎった。実家で母に問われたこと。マルタの部屋で聞いた言葉。ノーラの「結構、回っちゃったよ」という声。
祭りの開始まで、あと四時間ほどだ。飾り付けを一から探して回れば、間に合わない恐れがある。
いつもなら、セラはここで「大丈夫です、あたしが確認してきます」と即答して、一人で物置を巡り始めていただろう。
だが今日は、その前に、一つだけ違うことをした。
「分かりました。あたし、マルタさんに確認してきます」
セラはそう言うと、手にしていた野菜を置いて、ノーラを振り返った。
「ノーラ、すみません。この分類、続けていただけますか」
「ん、了解」
ノーラは、二つ返事で作業を引き継いだ。その軽さに、セラの足取りも少し軽くなった。
廊下でマルタを見つけた。紙の束を抱えて、何かを確認している最中だった。
「マルタさん」
セラは、距離を詰めながら声をかけた。
「飾り付けの布地の一式について伺いたいのですが。旦那様が『新しく用意した』とおっしゃるので、あたしが把握していない場所に置かれているかもしれません」
マルタは紙を整えると、セラの顔をじっと見た。
その視線が、ほんの一瞬、いつもよりやわらかく見えた気がした。
「東側の物置だ。去年のものの上に、新しく仕立てた布を重ねてある。紐は、これだ」
マルタは、紙の一枚を指して示した。
「この紙に品目を書いてある。あんたは、それを見て確認するだけでいい」
「かしこまりました」
セラは紙を受け取った。
「では、今から確認して、すぐ中庭へ運びます」
「待て」
マルタが呼び止めた。
「これは、あんた一人でするな。ノーラと、それからエルシーも呼べ。運搬は力仕事だ。トーマも、薪小屋の方にいるはずだから、探して連れてこい」
セラの胸の中で、何かがふっと軽くなった。
「かしこまりました」
「それから」
マルタが続けた。
「祭りの段取りで迷ったら、その場で一人で決めるな。あたしかノーラに聞け。いいな」
「はい」
セラは、小さく頭を下げた。
物置の確認には、ノーラとエルシーを連れて行った。
紙に書かれた品目を突き合わせながら、三人で布地と紐をくくり直す。梱包はすでに整っていたが、セラは念のため中身を確かめてから外へ出した。
トーマを見つけるのに、さほど時間はかからなかった。事情を簡単に説明すると、トーマは無言のまま手袋をはめ、荷を担いだ。
四人で、布と紐を中庭へ運んだ。
「あ、これだ。これで、あとは配置の調整だけだな」
運び込まれた一式を見て、エドガーがほっとした顔になった。
セラは、そこで一度、マルタへ目を向けた。配置の細部を自分だけの判断で進めず、確認を取ってから動くつもりだった。
マルタが、小さく頷いた。
その後の数時間は、セラが思っていたよりも、ずっと滑らかに流れていった。
エドガーが「もう少し、あの配置を左へ」と言えば、セラはそれをノーラへ伝え、ノーラとエルシーがすぐに調整する。曇り始めた空を見て、トーマが屋外の荷物の位置を先回りして確認する。
「客人の到着時間を確認したいのですが」
セラが尋ねると、マルタは即座に「あと二時間だ」と返した。
かつてのセラなら、こうした判断を一つひとつ、自分の頭の中だけで抱え込み、完璧に整えようとしていただろう。だが今は、それぞれの持ち場を任せながら、自分は間に立って伝える役に徹することができた。
午後二時を過ぎた頃には、飾り付けはほぼ仕上がっていた。
「後は明かりの調整くらいだな」
ノーラが言い、エルシーは「先輩、お疲れさまでした」と小さく手を合わせた。
祭りの開始まで、あと一時間。
その時、マルタがセラを呼び止めた。
「セラ」
セラは、手にしていた布の端をどこかへ置いて、マルタの方を向いた。
「ここまで、お疲れさんだった」
それだけの言葉に、セラの中で何かが波立った。
「あんたがいたから、みんな繋がってすぐ動けた」
マルタは、セラの顔をまっすぐ見ていた。
「トーマは、あんたの一言で動いた。ノーラは、あんたの相談を聞いて、すぐに人を割り振った。あたしは、あんたからの報告で、次の指示を出せた。……あんたが、全員を繋いだんだ」
セラは、言葉を返せなかった。
「あんたは『何でも一人でやれる人』じゃない。あんたは『みんなを繋げられる人』だ。その違いが、分かるか」
沈黙が、二人の間に落ちた。
セラは、その静けさの中で、これまでの日々を思い返していた。
鍵を三本取り違えた日。苗を枯らしかけた日。客間で物が消えた日。洗濯場でノーラに弱音をこぼした日。実家で母に「役に立つためだけに生きてるのか」と問われた夜。
それらのどこにも、はっきりとした答えはなかった。
けれど今、目の前でマルタが口にした言葉には、これまでのどれとも違う重みがあった。
「……はい。分かります」
セラの声は、思ったより小さかった。だがその小ささの中に、噛みしめるような響きがあった。
マルタは、それ以上何も言わず、ただ小さく頷いて背を向けた。
祭りは、静かな盛況のうちに始まった。
領地の人々が、飾り付けられた野菜と穀物の周りに集い、揺れる布と紐の下で笑い声をあげている。
セラは、その光景を、少し離れた物置の脇から見ていた。
大きな疲労が身体に残っていた。もし今日、飾り付けの一式が見つからないまま一人で探し回っていたら、この光景は、もっと遅く、もっと不安げに始まっていたかもしれない。
だが今、セラを包んでいる疲労は、失敗の後の重さではなかった。
「お疲れ。よく動いたな」
通りかかったノーラが、セラの肩を軽く叩いた。
「ありがとうございます」
セラは、その言葉を受け止めた。
自分は、無能ではなかった。役に立つためだけに生きているわけでもない。
ただ、誰かの役に立つことができる。そのためには、誰かに頼る必要がある。
その認識は、まだ「確信」とは言い切れない。明日また別の頼みごとが重なれば、同じように焦る自分がいるかもしれない。
けれど今夜は、その手前にある「確信に近い実感」を、セラは初めて手にしていた。
祭りの後片付けは、翌朝に持ち越された。
セラは自室に戻ると、編みかけのリボンを取り出した。
窓の外には、まだ祭りの余韻が漂う領地の夜が広がっている。どこかで、誰かの笑い声が聞こえた。
針を進めながら、セラは思った。
マルタの「あんたは『みんなを繋げられる人』だ」という言葉は、まだ完全には腑に落ちていない。
母の「役に立つためだけに生きてるのか」という問いにも、まだ答えは出ていない。
だが少なくとも今、自分はその答えを探す途中にいる。そして、その途中にいることが、悪いことだとは思えなかった。
廊下から、マルタの足音が近づいてきた。
今夜は、セラの部屋の前で止まることなく、そのまま通り過ぎていった。
その足音の余韻を聞きながら、セラは編みかけのリボンに、また一針を通した。