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第六十五話:記憶の所有者

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/9/14 📚 シリーズ: 継承される百の違和感 ~お前に渡す百物語~ 📝 2,589文字 ✅ 全年齢

あらすじ

日常に潜む小さな違和感を記録し続けると、100個集めたとき、何かが起きるらしい。 逆行する時計、誰もいない部屋の足音、鏡の中の自分…… でも、最後に待っているのは「終わり」ではなく、君へのバトンだ。 7人の語り部が紡ぐ、永遠に終わらない百物語。 次はお前が観測者になるのか?

本文

これは私が記録した、六十五本目の違和感である。

今回も、語り部は、いない。

記録するのは、私自身の、記憶のことだ。

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夜、机の前に、座っていた。

六十三本目の夜から、ノートを開くたびに、あの二つの筆跡のことを、考えていた。

かけた記憶と、受けた記憶。どちらも、私の記憶として、まだ、残っている。

最近、自分が誰なのか、確かめたくなることがある。

その夜も、そうだった。

確かめる方法として、記憶の棚卸しを、することにした。

思い出せる場面を、古い順に、ノートへ書き出していく。それだけの、作業だ。

部屋には、ペンの音だけが、あった。

一つ書くたびに、その場面を、映像として、思い出していった。

十いくつ目で、手が、止まった。

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どの記憶も、途中から、始まっていた。

ドアを開ける記憶は、開けた後から、始まる。誰かと話す記憶は、二言目から、始まる。歩いている記憶は、すでに、歩いている。

入る前が、ない。

最初の一秒が、どの記憶にも、なかった。

古い記憶だから、擦り切れたのだと、思った。

昨日の記憶で、試した。昨日の夕食。箸を持つところからではなく、すでに、噛んでいるところから、始まった。

今朝の記憶も、同じだった。目が覚める瞬間はなく、天井を見ているところから、始まっていた。

巻き戻そうとすると、同じ位置で、また、始まった。

手前には、進めなかった。

壁がある感じでは、なかった。そこより手前が、最初から、ない感じだった。

欠けているのは、終わりでは、なかった。どの記憶も、終わりまでは、ある。

どこへ続く記憶かは、分かる。どこから来た記憶かだけが、分からない。

書き出した記憶は、そのとき、三十を、超えていた。

全部、同じ欠け方だった。

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出処を、確かめることにした。

いつ、どこで、手に入れた記憶なのか。最初の一秒の、その手前まで遡れば、分かるはずだった。

一つ目の記憶を、選んだ。

夜の病棟の廊下を、歩いている。消毒液の匂いがして、靴の底が、床に、小さく鳴っている。廊下の先の、非常灯の緑まで、見えている。

私は、病院で、働いたことがない。

これは、由香の話として、記録した場面のはずだった。

ノートを、確かめた。記録は、あった。由香の語りとして、由香の言葉で、書いてあった。

三人称の、記録だった。

だが、思い出せる映像は、聞いた話の形を、していなかった。

廊下は、私の目の高さから、見えていた。靴の音は、私の足から、鳴っていた。消毒液の匂いは、由香の言葉としてではなく、鼻の奥に、残っていた。

記録と、記憶の、形が、合っていなかった。

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別の記憶を、選んだ。

放課後の教室。低い西陽。古い、木の匂い。机の木目の、ひんやりとした感触が、手のひらに、残っている。

私は、その教室に、入ったことがない。

凛が、語った場所だった。

もう一つ、選んだ。

雨の山道。祠の前。湿った土の匂いと、雨具の肩の重さ。石の表面の、彫られた文字の凹凸が、指先に、残っている。

桐生が、二十五年、通い続けた場所だった。

三つの記録を、読み比べた。

由香は、非常灯の色を、語っていない。凛は、机の木目の感触を、語っていない。桐生は、雨具の重さを、語っていない。

語られていない細部を、私は、覚えていた。

聞いて、覚えた記憶では、なかった。

どれも、途中から、始まっていた。

どれも、私の目の高さから、見えていた。

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自分の記憶と、預かった記憶を、分ける方法を、探した。

匂いで、分けようとした。分からなかった。どの匂いも、同じ濃さで、残っていた。

日付で、分けようとした。分からなかった。最初の一秒がない記憶には、始まった日が、なかった。

体の感触で、分けようとした。歩幅も、手の大きさも、思い出の中では、全て、私のものだった。

五十一本目の夜に作った、年表を、棚から、出した。

照合するまでも、なかった。

どの記憶も、あの一本の線の上に、隙間なく、載った。

年表の上では、分ける必要そのものが、なかった。

四つ試して、やめた。

分ける方法が、ないのでは、なかった。

分ける、という言葉のほうが、先に、意味を失っていた。

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欠けている一秒の場所を、何度も、見た。

映像は、なかった。

ただ、色の印象だけが、あった。

薄い、黄色だった。

夕方の色でも、朝方の色でもない、薄い黄色が、欠けの手前に、あった。

蝋燭の炎の色とは、違った。もっと、平たい色だった。

どの記憶でも、同じ色だった。

それが何の色なのか、分からなかった。

見覚えだけは、あった。

どこで見た色なのかを、遡ろうとすると——その記憶も、途中から、始まった。

分からないまま、ノートに、色の名前だけを、書いた。

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「所有者」という欄を、作ろうとした。

書き出した記憶の一つ一つに、誰のものかを、書き添えるつもりだった。

一行目で、ペンが、止まった。

書ける名前が、なかった。

欄の名前だけが、空欄の上に、残った。

由香の記憶、と書けば、噛み合わない。私の記憶、と書いても、噛み合わない。

記憶に、名前を、つけられない。

そのことに、今は、気づけている。

気づけているのは、今のうちだけかもしれない、という考えが、来た。

その考えを、そのまま、今日の欄の最後に、書き写した。

書けるうちに、書いておくべきだと、思った。

書き終えて、読み返した。今の、自分の字だった。

明日も、そうであるかは、分からなかった。

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六十五本目の蝋燭に、火を、灯した。

炎が、右に、揺れた。

二十八話、連続だった。

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その夜、桐生から、電話が、あった。

「俺の記憶も、同じことが起きている」

前置きは、なかった。

「思い出そうとすると、途中から、始まる。全部だ」

私が今夜、何を調べていたか、桐生には、話していない。

ノートも、まだ、閉じたままだった。

「会って話したい。できれば、早急に」

電話の向こうで、紙をめくる音が、していた。桐生も、何かを、書き出していたのかもしれなかった。

早急に、という言い方を、桐生がしたのは、初めてだった。

二日後に、会う約束をして、電話を、切った。

受話器を置いた手が、しばらく、そのままだった。

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残り、三十五本。

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作者について

闇工房

闇工房

"正常"と"異常"の境界を、一話ずつ削り取る。 心理ホラー小説・TRPGシナリオを制作するソロクリエイター。 代表作は連作怪談「継承される百の違和感」—— 読み進めるうちに、あなたの"普通"...

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