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旅行代理店(四)

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/10/28 📚 シリーズ: 明日のラブレター 📝 2,663文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

長編&連作 作品集

本文

旅行代理店(四)

【二度目のバス】

集合場所に立つバスは、前回とまったく同じ型式に見えた。

純はステップに足をかけながら、妙に据わりのいい安心感を覚えている自分に気づく。本来なら恐れるはずの感覚が、今はただ心地よい。あの日から、この安心感の正体を何度も考えてきたはずだった。それでも今、実際にバスへ乗り込む段になると、思考はあっけなく後回しにされていく。

車内に乗り込んだ参加者たちの顔ぶれは違う。だが、その空気だけは、前回とそっくりだった。誰もが朝から浮き立ち、ホテルについて詳しく語り合っている。

「純さん」

隣に座った婚約者が、小さな声で呼びかけてくる。今回も、彼女と純の二人がこのツアーの担当だった。

「そういえば、この前、また実家の話になったんですけど」

彼女がふと、そんな話を切り出す。

「あの居間の写真、お母様、本当に綺麗でしたよね。あんな花嫁姿、そうそう見られないです」

純は、少し照れながら頷く。父と母の馴れ初めは、家族の中でも度々語られる自慢話のひとつだった。末っ子として生まれた純は、その写真を物心つく前から、居間の壁で見て育っている。ただ、式場については今も何も分からないままだった。特別なことでも、驚くようなことでもない。ただの、いつもの思い出話だった。

バスが山道に入る。カーブを曲がるたび、純の中で何かが呼応するように疼いた。まだ着いてもいないのに、庭の噴水の音が、耳の奥でかすかに響いている気がした。

【式場の壁】

昼食を終え、庭園やロビーの見学も一通り済ませ、あとは出発を待つだけという時間になっていた。参加者たちは思い思いに土産物を選んだり、最後の写真を撮ったりしている。純と婚約者も、そろそろ乗車の呼びかけをする頃合いだった。

そのとき、純の足が、ふと迷いなく動いた。

ロビーを抜け、そのまま廊下へ向かう。 案内表示を見ることもなく、まっすぐに歩いていく。

まるで、この建物の間取りを最初から知っていたかのように。

「純さん、待って」

婚約者の声が、後ろから追いかけてきた。 だが純の耳には、その声が、ひどく遠いところから聞こえてくるように感じられた。

やがて、純の足が止まった。

そこにあったのは、結婚式場だった。

扉は開け放たれ、中には白い椅子が並んでいる。 純はその光景を見つめることもなく、まるで知っていた場所へ帰ってきたかのように、その中へ迷いなく歩を進めていった。

花の匂いが濃く、どこからか、ヴェールの擦れる音が聞こえてくる気がした。誰かが、自分の名を呼んでいる。今の婚約者ではない、もっと昔の、誰かの声。

——ここに、ずっといたかった。

そんな想いが、純の胸の奥から、確かな輪郭を持って湧き上がってきた。それは恐怖ではなく、むしろ深い安堵に近かった。

式場の壁には、何組もの結婚式の写真が額装されて掛けられている。

純が白い椅子の間を歩いていると、後ろからついてきた婚約者が、ふと足を止めた。

「純さん……」

呼ばれて、純も振り返った。

婚約者の視線の先には、色鮮やかな一枚の写真があった。

庭園を背に立つ、花嫁と花婿。

その瞬間、婚約者の顔から、みるみる血の気が引いていった。

「これ、純さんのご実家の……居間に飾ってあった写真と、同じです」

純も、その写真に目を向けた。若い日の父の姿。そして、白無垢に身を包んだ、美しい母の姿。何度も見てきたはずの、あの居間の額とまったく同じ構図。同じ表情。同じ場所。

添えられた小さな銘板には、四十年以上前の日付が刻まれていた。

「見間違いなんかじゃ、ないですよね」

婚約者の声が、震えている。純自身も、頭の中が急速に冷えていくのを感じた。実家の壁に、何十年も飾られてきたあの写真。それが、今ここに、同じ姿で掛かっている。理由を考えることが、もう恐ろしかった。

——自分もまた、あの日、ここで式を挙げた者たちの血を継いでいる。

その事実に思い至った瞬間、純の中で、何かが引き裂かれるように分かれていく感覚があった。懐かしさに浸っていたい自分と、それを恐ろしいと感じる自分。

【湖への道】

「戻りましょう」

婚約者が、純の腕を強く引いた。その声には、迷いがなかった。

「純さんは、今日、ここに来た人間です。ここに残ってきた人間じゃない」

短い言葉だったが、それは純の中に、まっすぐ届いた。振り払おうとしていた薄い膜が、その一言で、少しずつ剥がれていく感覚があった。

純は、もう一度式場を見渡す。並んだ白い椅子も、壁に掛かった写真も、変わらずそこにある。だが、さっきまで感じていた懐かしさは、もう戻ってこなかった。代わりにあるのは、この場所がどれほど美しくても、自分の居場所ではないという、静かな確信だった。

「行こう」

純は、自分の声で、そう答えた。婚約者の手を借りながら、式場を後にした。

外に出ると、参加者たちはすでにバスの前に集まり始めていた。土産物袋を手にした人、記念写真を撮り終えた人。誰もが、いつも通りの帰り支度を済ませている。純は乗車人数を数え、忘れ物がないか、最後にもう一度確認する。いつもと変わらない、添乗員としての当たり前の仕事。その動作をこなすことで、自分の輪郭が少しずつ戻ってくるような感覚があった。

他の参加者たちは、今日も変わらぬ様子で帰り支度をしている。運転手も、バスガイドも、変わらぬ様子で案内を続けている。彼らを引き戻す術は、純にはない。それでも、自分だけは、こちら側へ帰ってきた。

全員の乗車を確認し、純は運転手に合図を送る。バスが走り出す。窓の外に、ホテルが小さくなっていく。

純はスマートフォンを取り出し、あのとき撮った記念写真を、もう一度開いてみた。今日は、消えてはいなかった。ただし、そこに写るホテルの輪郭は、心なしか薄く、写真の端からわずかに滲んでいるように見える。

隣で、婚約者が息をつく。

「純さん、戻ってこられてよかったです」

その声に、純はようやく笑みを返すことができた。

窓の外を、見慣れた田園風景が流れていく。木々も、電柱も、遠くの屋根も、輪郭のはっきりした、確かな今日の景色だった。けれど純の胸の奥には、まだ小さな残り火が灯っている。あの庭の匂い、あの噴水の音、あの懐かしさ——写真の端が滲んでいたように、その火もまた、消えることなく、輪郭だけをぼんやりと残したまま燻り続けていた。

外の景色がどれほど鮮明であっても、内側のその火だけは、いつまでも滲んだままなのかもしれない。純はそう思いながら、窓の外へ目を戻す。

自分がどちら側の人間なのか、今の純には、はっきりとわかっていた。

——完

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JJ

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