フリーマーケット(一)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
長編&連作 作品集
本文
フリーマーケット(一)
【どこか行きたいな】
佐藤純は、朝、洗面所で顔を洗っていた。片手には水の入ったプラスチックのマグカップ。
代わり映えのしない、いつもの朝。
なのにその日は、なぜか唐突に「どこか行きたいな」と思う。
海外旅行とか、そんな大層なものではない。せいぜい「隣町のスーパーですら新鮮に感じる」くらいの、ささやかな願望。
純はマグカップを持ったまま、大きく伸びをして片手を上げた。
次の瞬間、景色がガラッと変わった。
気づけば純は、見知らぬ場所に立っていた。
「……えっ、どこここ」
テレビで見た秘境でもなければ、異世界ファンタジーの草原でもない。強いて言えば、少し内装のセンスが違うだけの、ごく普通の室内。
意識は完全に自分のまま。手足も普通に動く。誰かに操られている感覚は一切なし。
手元を見ると、さっきのマグカップをしっかり握っている。中の水もこぼれていない。
「持ち物まで一緒についてくるとか、律儀か」
そんな軽口を叩きつつ、まずは状況把握に努める純。
この不思議な世界で過ごしてみることにした。
宿もある。飯屋もある。財布の中身さえあれば、意外となんとかなる。
身体も意識も普通に動くので、純は思いのほかあっさり順応していく。
そのうち、「そろそろ帰りたいな」という気持ちが芽生える。
最初と同じように、片手を軽く上げてみた。
すると、あっさり元の世界へ戻った。
洗面所。
壁の時計を見て、純は固まった。
「……十秒?」
向こうでは何日も過ごしたのに、こちらの時計はほとんど進んでいない。
「タイムスリップの逆詐欺かよ」
思わずそんな独り言をこぼす純。
半信疑のまま、もう一度試してみることにした。
行って、しばらく過ごして、手を上げて、戻る。
また十秒程度しか経っていない。
何度か繰り返すうち、純はコツをつかむ。「向こうへ行きたいな」と念じて手を上げれば向こうへ、「帰りたいな」と念じて手を上げればこちらへ。まるで自動改札のような仕組みだった。
さらに気づく。最初に持っていたマグカップが、ちゃんと一緒についてきていたこと。
そこで純の、実験魂に火がついた。
手に持った物は、一緒に移動するのか。
小物で試す。やはり移る。
「これは……手に持ってる物だけがルール適用、ってことか?」
ここでようやく、純の中の商人スイッチが入った。
向こうの世界には、こちらでは珍しい物がある。
逆に、こちらでは当たり前の物が、向こうでは珍品扱い。
純の実家は、代々の商売屋。
物を見れば「これ、いくらで売れるか」と算段する癖が、骨の髄まで染みついている。
とはいえ、いきなり自分で店を出す度胸まではない。
そこで純は、たまたま向こうで見つけたフリーマーケットに、思い切って顔を出してみることにした。
会場の隅で、年季の入った露店を構えているおじさんに、声をかけてみる。
「あの、これ、ちょっと珍しい物なんですけど……置かせてもらえませんか」
おじさんは品物を手に取り、しげしげと眺めた。
「ほう、こりゃ見ない物だな。よし、売ってやるよ」
二つ返事で引き受けてくれるおじさん。
言われるがまま品物を預けて見ていると、すぐに、店の客が興味を示し始めた。
「これ何?」「珍しいね」と、次々に声がかかる。
そして、飛ぶように売れていく。
おじさんは笑いながら、純に売上を手渡した。
「お嬢ちゃん、この手の品なら、他の市でも喜ばれるぞ」
純は「……お嬢ちゃん?」と一瞬首を傾げたものの、深く気にせず笑顔で頷いた。
「ありがとうございます、また探してみます」
こちらの世界に戻ってからも、純はいろいろな場所のフリーマーケットを覗いてみるようになった。
考えてみれば、こちらの時間はほとんど進まない。
同じ会場ばかり通っていては、開催日と間隔が合わない。
だったら、あちこちの市を渡り歩けばいい。
そう気づいた純は、向こうの品を手に、日によって違う会場に足を運ぶようになった。
逆に、こちらの品を向こうへ持っていって、あちらの色々な市でも同じように試してみる。
どこへ持っていっても、驚くほどよく売れた。
純は思わずニヤリとした。
「これ、フリマの方が絶対早いな」
その場で現金が手に入るのも、純にとっては都合が良かった。あちこちの会場に顔を出すたび、ちょっとした立ち話ができる相手も増えていく。
まだ小遣い稼ぎレベルの小さな商い。
けれど、二つの世界の「当たり前」の差を使った、なかなか効率のいい商売だった。
純は楽しみながら、せっせと世界を行き来するようになっていく。
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一方その頃。
もう一つの世界では、ミナにも似たようなことが起きていた。
ミナの実家も、代々の商売屋。
そして彼女もまた、二つの世界の「当たり前」の違いに気づき始める。
純とは違い、ミナは対面でのやり取りより、ネットの方が性に合っていた。
さっそくフリマアプリのIDを取得し、移動先で見つけた珍しい品を出品してみる。
商品写真を撮って、説明文をつける。
丁寧に、けれど手際よく。
すると、次々に「購入しました」の通知が届く。
「え、これもう売れたの?」
思わず声が漏れるミナ。
一つ売れれば、また次の品を探しに行く。
見つけては撮り、撮っては出品する。
その繰り返しだけで、面白いように売上が積み上がっていった。
顔も名前も知らない誰かに、画面越しで品物を届ける。
それがミナにとっては、性に合った心地よいペースだった。
この時点で、純もミナも、お互いの存在にはまだ気づいていない。
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