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風が生まれる場所2

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/9/20 📚 シリーズ: 風が生まれる場所 📝 13,118文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

風、凪ぐ頃の後日譚ですが、初めての方でも読めます。 未来世界でも紙の本は残っていた。 これは図書館の司書と、少し変わった常連客との、静かな物語。

本文

第六章 星空の下の帰り道

日が完全に沈む頃、凪は玄関先で、丁寧に靴を履いていた。

「今日は、本当にありがとうございました。」

「こちらこそ。ゆっくりしてってくれて、嬉しかったです。」

母は買い物から戻り、台所で夕食の支度をはじめていた。

包丁の音が、軽やかに家の奥から聞こえてくる。

「バス停まで、送ります。」

凛は、サンダルをつっかけながら言った。

「いえ、大丈夫です。一人で。」

「暗いので。夜道、慣れてないでしょう。」

凪は、少し考えるような間を置いてから、静かに頷いた。

「――では、お願いします。」

***

外に出ると、空気はすでに夜のものに変わっていた。

昼間の熱が、少しずつ地面から抜けていく。

湿った風に、庭のハイビスカスの匂いが、微かに混じっていた。

見上げると、雲の切れ間から、星がいくつか覗いていた。

「わあ、今日、結構見えますね。」

凛は、空を見上げながら言った。

「――そうですね。」

凪も、つられるように、空を見上げた。

その横顔に、星明かりが、淡く落ちている。

「星、好きですか?」

「分かりません。」

凪は、正直に答えた。

「ただ。見ていると、不思議な気持ちになります。」

「不思議、というのは。」

「あの光は、もうずっと昔に、星を出発したものだと聞きました。」

「今、私が見ているものは。もう、存在しないかもしれない光なんです。」

凛は、その言葉に、少し立ち止まった。

「――それ、なんだか。」

「切ないですね。」

「はい。」

凪は、静かに頷いた。

「以前、凛さんに教えてもらった感情です。」

「今なら、少し。分かる気がします。」

その言葉に、凛は、胸の奥が、そっと締めつけられるのを感じた。

星の光の話に、自分の言葉が重なっていることが、なんだか、くすぐったいような、切ないような。

そんな気持ちになった。

***

集落の小道を、二人はゆっくりと歩いた。

家々の窓から漏れる灯りが、道の端々を、柔らかく照らしている。

どこかの家から、テレビの音が、微かに漏れ聞こえてきた。

夕食の匂いが、風に混じって流れてくる。

「こういう時間が。」

凪が、ぽつりと言った。

「――好きです。」

「こういう時間、って。」

「特別な出来事は、何も起きていない時間です。ただ、歩いているだけの。」

「任務中には、決して、こういう時間はありません。すべての瞬間に、意味と、目的がありますから。」

凛は、黙って耳を傾けた。

「けれど。」

凪は、続けた。

「凛さんと過ごす時間には。目的のない瞬間が、たくさんあります。」

「それが。」

「――とても、贅沢なことのように感じます。」

その言葉に、凛は、ふと足を止めた。

「凪さんの毎日って。そんなに、余裕のないものなんですか。」

凪は、少し困ったような表情を浮かべた。

「詳しくは、話せません。」

「けれど。」

「私にとって、凛さんと過ごす時間は。他のどんな時間とも、違う場所にあります。」

「唯一、目的を考えずに、ただ、そこにいられる時間です。」

凛は、その言葉を、静かに受け止めた。

追及したい気持ちはあった。

けれど。

それ以上に、彼が、今こうして、少しずつ自分の内側を言葉にしてくれていることのほうが、大切に思えた。

「それなら。」

凛は、静かに言った。

「これからも、その時間。私と一緒に、増やしていきましょう。」

凪は、驚いたように、凛のほうを見た。

星明かりの下、碧い瞳が、いつもより、少し揺れているように見えた。

「――はい。」

「ぜひ、そうさせてください。」

***

バス停まで、あと少しというところで、凪が、不意に立ち止まった。

「凛さん。」

「はい?」

「一つ、伺ってもいいですか。」

「なんですか。」

凪は、少し言葉を選ぶように、間を置いた。

「『居場所』というのは。」

「一つの場所に、限られるものなんでしょうか。」

その問いに、凛は、少し考えた。

「どういう意味ですか。」

「私には、所属する部隊があります。そこは、私が、私であるために必要な場所です。」

「けれど。」

「凛さんや、凛さんのお家で過ごす時間も。私にとっては、同じくらい、必要な場所になりつつあります。」

「二つの、違う種類の『居場所』を、同時に持つことは。おかしなことなんでしょうか。」

凛は、その問いの奥にある、微かな不安のようなものを、感じ取った。

まるで。

自分の中に矛盾を抱えているのではないかと、恐れているような。

そんな響きがあった。

「おかしくないと思いますよ。」

凛は、はっきりと言った。

「人って、色んな場所に、色んな居場所を持つものだと思うので。」

「仕事の場所と、家族といる場所と、友達といる場所と。それぞれ、違う自分がいても。全部、本当の自分ですよ。」

凪は、しばらく黙っていた。

夜風が、二人の間を、静かに通り抜けていく。

「――そうですね。」

やがて、そう呟いた。

「私は、まだ。自分の中に、いくつもの『居場所』があっていいのだと。考えたことが、ありませんでした。」

「一つの目的のために作られた存在だから、と。」

言いかけて、凪は、はっと言葉を止めた。

まるで、口を滑らせたことに、自分自身で驚いたような。

そんな表情だった。

***

凛は、その一言を、聞き逃さなかった。

けれど。

それを問い詰めることは、しなかった。

代わりに。

静かに、優しい声で言った。

「凪さんが、何のために作られたのかは、私には分かりません。」

「でも。」

「今、ここで、星を見て、切ないって思ったり。サーターアンダギーの味を、丁寧に確かめたり。」

「そういう凪さんは。私にとって、ちゃんと、一人の人として、大切な人ですよ。」

凪は、目を見開いたまま、しばらく凛を見つめていた。

その表情には、驚きと、戸惑いと、そして。

言葉にならない、深い何かが浮かんでいた。

「――ありがとうございます。」

やがて、絞り出すように、そう言った。

「その言葉が。今、私にとって。とても、大きな意味を持つことだけは。分かります。」

凛は、小さく微笑んだ。

「分かってもらえたなら、良かったです。」

***

バス停に着くと、ちょうど、最終便のバスが、遠くに見えはじめていた。

「じゃあ、また。」

「はい。また、図書館で。」

凪は、いつものように、丁寧に頭を下げた。

けれど。

顔を上げたとき、その表情には、これまでにない、何か柔らかいものが浮かんでいた。

「凛さん。」

「はい?」

「今日は。」

凪は、少し言葉を探すように、間を置いた。

「――幸せだった、という言葉が。この気持ちに、当てはまるでしょうか。」

その率直な問いに、凛は、思わず微笑んだ。

「はい。多分、それで合ってると思います。」

「そうですか。」

凪は、静かに、けれど確かに、頷いた。

「では。私も、今日は。幸せだったのだと思います。」

バスが、停留所に滑り込んでくる。

凪は、乗り込む前に、もう一度だけ振り返った。

「おやすみなさい、凛さん。」

「おやすみなさい。また明日。」

バスの扉が閉まり、静かに走り去っていく。

凛は、その後ろ姿が見えなくなるまで、その場に立ち続けていた。

夜空には、変わらず、星がまばらに瞬いていた。

その光は、もうずっと昔に、遠い星を出発したものかもしれない。

凛は、そんなことを思いながら、ゆっくりと家路についた。

(幸せだった、か。)

その言葉を、まるで初めて手にしたおもちゃのように、大切そうに口にしていた凪の表情を、凛は、しばらく忘れられそうになかった。

ーーー

第七章 訓練の合間に

早朝の基地は、まだ夜の匂いを残していた。

コンクリートの床に、規則正しい足音が響く。

外縁独立機動部隊、第二訓練場。

凪は、整列した隊員たちの列の中で、静かに息を整えていた。

「次、対応機動訓練。二列目、前へ。」

教官の声が、無機質に響く。

凪は、指示された位置につき、模擬装備を構えた。

目の前には、動作認識センサーを搭載した訓練用の標的が、複数、規則的に配置されている。

合図とともに、標的が動き出す。

凪は、体を動かした。

けれど。

その動きには、わずかな遅れがあった。

一瞬。

判断のための、ほんの一瞬の間。

その間が、命取りになる場面が、実戦にはある。

「凪。反応、遅い。」

隣で訓練を見ていた先輩隊員が、短くそう指摘した。

「――申し訳ありません。」

凪は、静かに頭を下げた。

戦闘力においては、明確に、他の隊員たちに劣る。

凪自身も、そのことを、よく理解していた。

けれど。

理解していることと、うまくできないことへの感覚は、また別のものだった。

(また、遅れた)

休憩時間、凪は、訓練場の隅で、一人、水を口に含んでいた。

(なぜ、遅れるのか。原因は、分かっている。判断のために、時間がかかりすぎている。もっと、反射的に動けるように、調整すればいい。それだけのはずなのに)

分かっていても。

うまく、修正できない。

その事実だけが、静かに、胸の内側に積もっていく。

これが、悔しさというものなのだろうか。

凪は、そう思いながら、遠くの空を見上げた。

雲一つない、抜けるような青空だった。

その青さは、いつか凛と歩いた、海辺の空の色に、少し似ていた。

(凛さんなら。)

こういうとき、なんと言うだろうか。

凪は、ふと、そんなことを考えた。

きっと。

「無理しなくていいですよ」と、静かに言うのだろう。

その想像だけで、強張っていた肩から、わずかに力が抜けるのを感じた。

***

その日の訓練は、夕方まで続いた。

宿舎に戻る頃には、日はすでに傾いていた。

凪は、自室の窓辺に立ち、外の景色を眺めていた。

基地の敷地の向こうに、遠く、海が見える。

その海の色は、凛と歩いた海辺の色とは、少し違って見えた。

もっと、灰色がかった、無機質な色。

(同じ海のはずなのに)

見る場所が違うだけで、こんなにも印象が変わるのかと、凪は、静かに思った。

翌日は、非番だった。

凪は、いつものように、開館時間に合わせて、図書館へ向かった。

***

「――凪さん?」

カウンターの内側で本を整理していた凛が、顔を上げて、少し驚いたような表情を浮かべた。

凪は、いつも通りの挨拶をしようとした。

けれど。

言葉が、思ったより、少し遅れて出てきた。

「――おはようございます、凛さん。」

「おはようございます。」

凛は、カウンターを出て、凪の前に立った。

じっと、その顔を見つめる。

「凪さん、なんだか。」

「顔色、あまり良くないですね。」

その指摘に、凪は、少し驚いた。

「――そう、見えますか。」

「はい。いつもより、少し。疲れてる感じがします。」

凪は、自分の頬に、そっと手を当てた。

疲労という感覚を、正確に自覚できているかどうか、自分でも定かではなかった。

けれど。

指摘されてみれば、確かに、体の内側に、いつもとは違う重さがあるような気がした。

「訓練が、少し。厳しかったので。」

凪は、正直に、そう答えた。

「訓練、大変なんですか。」

「――はい。」

それ以上、詳しくは話せなかった。

けれど。

その短い答えの中に、凛は、何かを感じ取ったようだった。

***

「今日、閉館まで、ここにいますか。」

凛が尋ねた。

「はい。そのつもりです。」

「じゃあ、いつもの席、座ってください。今日は、何も勧めません。」

「勧めない、というのは。」

「ただ、座ってればいいです。本を読んでも、読まなくても。」

その言葉に、凪は、少し戸惑った。

「――それで、いいんですか。」

「はい。疲れてるときは、無理に何かをしなくていいと思うので。」

凪は、しばらく、その言葉を胸の中で反芻していた。

(無理しなくていい、か。)

昨日、自分が想像していた言葉と、ほとんど同じだった。

その一致に、凪は、静かな驚きを覚えた。

まるで。

凛が、いつも自分の側にいるかのような。

そんな錯覚を、一瞬、抱いた。

***

窓際の席に座り、凪は、しばらく、ただ窓の外を眺めていた。

ガジュマルの葉が、風に揺れている。

その音が、遠くから響く波の音と、静かに重なっていた。

閉館まで、あと一時間というところで、凛が、カウンターから離れ、凪の席に近づいてきた。

手には、温かいお茶の入った紙コップを、二つ持っていた。

「休憩、一緒にどうですか。」

「――ありがとうございます。」

凛は、隣の椅子に腰を下ろした。

しばらく、二人とも、何も話さなかった。

ただ、静かに、お茶を口に運んだ。

「凪さんの仕事のこと。」

やがて、凛が、静かに切り出した。

「詳しくは、聞きません。聞けないことも、あると思うので。」

「――すみません。」

「謝らなくていいですよ。」

凛は、まっすぐに、凪のほうを見た。

「ただ。しんどいときは、しんどいって、ここで言っていいですからね。」

「理由が、分からなくても。うまく、説明できなくても。」

「ただ、疲れた、って。それだけで、いいので。」

その言葉に、凪は、しばらく、何も言えなかった。

胸の奥に、何か温かいものが、静かに広がっていく感覚があった。

それは、これまで感じたことのある、どの感覚とも、少しずつ違っていた。

「――疲れました。」

やがて、凪は、ぽつりと、そう言った。

「今日は、少し。疲れました。」

「はい。」

凛は、ただ、それだけを、静かに受け止めた。

責めるでもなく、慰めるでもなく。

ただ、その事実を、そのまま隣で、受け止めてくれた。

***

窓の外では、日が、ゆっくりと傾きはじめていた。

夕方の光が、書架の間に、長い影を落としている。

凪は、その光を眺めながら、静かに思った。

(基地にいるときの私と。ここにいるときの私は。)

きっと、少しだけ、違う。

うまく反応できず、遅れを指摘される私と。

ただ疲れたと言うだけで、受け止めてもらえる私と。

そのどちらもが、確かに、自分自身であるはずなのに。

なぜか。

この場所にいるときのほうが、自分という輪郭が、はっきりとするような気がした。

(凛さんが。)

きっと。

私にとっての、錨のようなものになりつつあるのだろう。

その言葉が、ふと、凪の中に浮かんだ。

錨。

流されないための、重り。

嵐の海でも、そこに繋がれていれば、どこまでも流されずにいられる、そんな存在。

凪は、隣に座る凛の横顔を、そっと見た。

夕日を受けて、その黒髪が、静かに輝いている。

その横顔を見ているだけで、日中の訓練場で感じていた重さが、少しずつ、溶けていくようだった。

「凛さん。」

「はい?」

「今日、来て。良かったです。」

凛は、小さく微笑んだ。

「私も。凪さんが来てくれて、良かったです。」

窓の外で、ガジュマルの葉が、また一つ、風に揺れた。

その音は、変わらず、静かで、穏やかだった。

ーーー

第八章 小さな誘い

六月に入ると、雨の日が、目に見えて増えた。

けれど、その合間には、まだ夏には遠い、澄んだ晴天も、時折訪れた。

その日、凛が図書館のカウンターで作業をしていると、開館直後の静けさの中、自動扉が開く音がした。

「おはようございます、凛さん。」

「おはようございます。」

顔を上げると、凪が、いつもと少し違う様子で立っていた。

背筋はいつも通り伸びている。

けれど。

その表情には、何か、言い出しそびれているような、そんな気配があった。

「どうしました?」

凛が尋ねると、凪は、一瞬、視線を泳がせた。

これまでの彼には、あまり見られなかった仕草だった。

「――あの。」

「はい。」

「今度の、非番の日なんですが。」

凪は、そこで一度、言葉を止めた。

まるで、次の言葉を、慎重に選んでいるようだった。

「もし、よろしければ。凛さんを、ある場所に、お誘いしたいのですが。」

その申し出に、凛は、少し目を丸くした。

これまでの二人の時間は、いつも、どちらかといえば、凛が誘い、凛が案内する形が多かった。

凪のほうから、こうして、明確に「誘う」という形を取るのは、初めてのことだった。

「私を、ですか。」

「はい。」

「珍しいですね、凪さんから誘ってくれるの。」

凪は、少し困ったような表情を浮かべた。

「――おかしいでしょうか。」

「いえ、全然。むしろ、嬉しいです。」

凛は、素直に、そう答えた。

その返事に、凪の表情から、わずかに緊張が解けたのが分かった。

「どこに、連れて行ってくれるんですか。」

「――それは。」

凪は、少し悩むように、視線を落とした。

「まだ、うまく説明できる自信がないので。当日まで、内緒にさせてください。」

「秘密主義ですね。」

凛が、からかうように言うと、凪は、少し慌てたように首を振った。

「そういう意図では、ないのですが。」

「大丈夫です、冗談ですよ。」

凛は、小さく笑った。

「楽しみにしてます。」

***

約束の日は、梅雨の晴れ間だった。

朝から、雲一つない空が広がっていた。

待ち合わせの場所に着くと、凪は、いつもの私服姿で、そこに立っていた。

その手には、見慣れない、小さな革製のケースがあった。

「それ、何ですか。」

凛が尋ねると、凪は、少し照れたような表情を浮かべた。

「――カメラです。」

「カメラ?」

「はい。フィルム式の、古いものです。」

凪は、ケースを開き、中から、年季の入った小さなカメラを取り出した。

黒い革張りのボディに、金属の光沢が、控えめに輝いている。

「基地の近くの、古道具屋で見つけました。使い方は、店主の方に教えてもらいました。」

凛は、その説明に、少し驚いた。

「凪さんが、そういうお店に、自分で行くの。想像つかなかったです。」

「――凛さんと、色んなものを見ていて。少しずつ、自分でも、興味を持てるものが、増えてきた気がします。」

その言葉に、凛は、胸の奥が、静かに温かくなるのを感じた。

***

凪が案内したのは、集落から少し離れた、小高い丘の上だった。

道は、車一台通れるかどうかという、細い山道だった。

「こんな道、知ってたんですね。」

「訓練中に、偶然見つけました。」

丘の上に着くと、視界が、一気に開けた。

眼下に、集落と、田畑と、その向こうに広がる、青く輝く海が見えた。

「――すごい。」

凛は、思わず声を漏らした。

「ここ、こんな景色があったんですね。」

「はい。初めて見たとき、私も。」

凪は、少し言葉を探すように、間を置いた。

「――誰かに、見せたいと思いました。」

その素直な言葉に、凛は、小さく微笑んだ。

「見せてくれて、ありがとうございます。」

「――こちらこそ。来てくださって、ありがとうございます。」

***

二人は、丘の上の、平らな岩に並んで腰を下ろした。

風が、絶えず吹き抜けていく。

海からの匂いと、草の匂いが、混じり合っていた。

凪は、しばらく景色を眺めた後、静かに、カメラを構えた。

「撮ってもいいですか。」

「景色、ですか?」

「――景色も。それから。」

凪は、少し躊躇うような間を置いてから、続けた。

「凛さんも。よろしければ。」

その申し出に、凛は、少し驚いた。

「私、写真、あまり慣れてないんですけど。」

「自然な感じで、大丈夫です。ただ、この時間を、残しておきたいだけなので。」

その言葉に、凛は、素直に頷いた。

「じゃあ、お願いします。」

シャッターの音は、思ったより、静かだった。

小さな、機械的な、けれど、どこか温かみのある音。

「ありがとうございます。」

凪は、カメラを胸元で、そっと抱くように持った。

その仕草には、単なる道具を扱う以上の、大切さが滲んでいた。

「フィルムって、現像しないと、見られないんですよね。」

「はい。街の写真屋さんに、頼もうと思っています。」

「楽しみですね、見るの。」

「――はい。とても。」

***

しばらく、二人は、無言で景色を眺めていた。

風が、草を揺らす音。

遠くから聞こえる、鳥の声。

その静けさは、心地よいものだった。

「凪さん。」

凛が、静かに口を開いた。

「今日、誘ってくれて。嬉しかったです。」

凪は、少し驚いたように、凛のほうを見た。

「――そう、言ってもらえると。」

「はい。」

凪は、少し考えるように、視線を落とした。

「凛さんには、いつも。私が、色んなものを教えてもらっているばかりだったので。」

「今度は、私から。何か、渡せるものがあればと、思っていました。」

「うまく、いきましたか。」

「はい、とても。」

凛は、はっきりと、そう答えた。

「この景色も。凪さんが、これを見せたいと思ってくれたことも。全部、嬉しいです。」

凪は、しばらく、何も言わなかった。

ただ、その視線を、静かに海のほうへ向けていた。

「――良かったです。」

やがて、そう呟いた声には、これまでにない、深い満足の色があった。

***

「凛さんを、笑顔にしたい、と。」

凪は、ふと、独り言のように、そう漏らした。

「――そう思うことが、最近、増えました。」

「その気持ちが、何と呼ばれるものなのか。まだ、正確には分かりません。」

「けれど。」

「その気持ちに、従って行動すると。今日みたいに、良い結果になることが、多い気がします。」

その言葉に、凛は、小さく笑った。

「それ、多分。」

「大切に思う気持ちの、一つの形だと思いますよ。」

凪は、その言葉を、静かに、丁寧に、胸の中で受け止めているようだった。

「――そうですか。」

「はい。」

「では、私は。」

凪は、まっすぐに、凛のほうを見た。

その碧い瞳には、迷いのない、静かな光があった。

「これからも。凛さんを、笑顔にしたいと、思い続けると思います。」

その率直な言葉に、凛は、頬が熱くなるのを感じた。

「――ありがとうございます。」

それだけ、答えるのが、精一杯だった。

***

丘を下りる頃には、日が、少しずつ傾きはじめていた。

金色の光が、田畑の緑を、柔らかく照らしている。

凪は、その光景を見ながら、静かに思った。

(今日、私は。初めて、自分から、何かを始めた。)

これまでの時間は、いつも、凛から与えられるものだった。

本を勧められ、道を歩き、家に招かれ、優しい言葉をかけられる。

その全てが、かけがえのないものだった。

けれど。

今日、初めて。

自分の意志で、何かを選び、誰かに差し出すという経験をした。

その感覚は、これまでのどの経験とも、違う質のものだった。

(これも、きっと。)

大切に思う、という気持ちの、一部なのだろう。

凪は、隣を歩く凛の横顔を、そっと見た。

夕日を受けたその横顔は、静かに、穏やかに、微笑んでいた。

その微笑みを見ているだけで、胸の奥に、温かいものが、静かに満ちていくのを感じた。

丘の道を、二人の影が、並んで長く伸びていた。

ーーー

第九章 現された写真

木曜日、雨だった。

朝から降り続く小雨が、図書館の窓ガラスに、細かい水滴を作っていた。

館内は、いつもより静かだった。

来館者は少なく、雨音だけが、ずっと背景に流れている。

凛はカウンターで、返却本のバーコードを読み取っていた。

ピ、ピ、と、機械的な音が続く。

自動扉が開いたのは、午前十一時を少し過ぎた頃だった。

「こんにちは。」

傘を畳みながら、凪が入ってくる。

肩のあたりが、少し濡れていた。

「こんにちは。今日は雨、大変でしたね。」

「はい。傘を差していても、風で。」

凪は、鞄から、白い紙の封筒を取り出した。

「これ。」

「写真、できたんですか。」

「はい。昨日、受け取りに行きました。」

凛は、カウンターの端末を一旦保留にして、封筒を受け取った。

「見てもいいですか。」

「はい、そのために持ってきました。」

***

カウンターの内側、事務スペースの小さな机に、二人は並んで座った。

外の雨音が、窓越しに、規則正しく響いている。

凛は、封筒から、写真の束を取り出した。

一番上は、丘から見た海の写真だった。

青と緑が、くっきりと分かれている。

「わあ。」

「綺麗ですね、これ。」

「はい。実物より、少し色が濃く出ました。」

「フィルムの特性らしいです。店主の方が、教えてくれました。」

凛は、一枚ずつ、写真をめくっていった。

田畑の写真。

遠くの集落の屋根の写真。

雲の切れ間から差す光を撮った、一枚。

どれも、構図に、迷いのようなものが感じられた。

真ん中に収まりすぎていたり、少し傾いていたり。

「これ、凪さんが撮ったんですよね。」

「はい。」

「なんか、凪さんっぽいです。」

「――どういう意味でしょうか。」

「丁寧、というか。一生懸命さが、伝わってくるというか。」

凪は、その感想に、少し首を傾げた。

「悪い意味ではないですよ。」

「――分かっています。」

凪は、そう言って、小さく頷いた。

***

束の中ほどに、凛の写真が数枚、挟まっていた。

岩に座って、海を見ている横顔。

風で髪が少し乱れている一枚。

カメラに気づいて、少し照れたように笑っている一枚。

「これ、恥ずかしいです。」

凛は、その一枚を、指先で軽くつまんだ。

「そうですか。」

「私、こんな顔してるんですね。」

「自然な表情だと思います。」

「――良い写真だと思います。」

凛は、その言葉に、写真から顔を上げた。

「凪さんが撮ったものの中で、一番良い一枚。これですか。」

「はい。」

即答だった。

「理由、聞いてもいいですか。」

「凛さんが、笑っていたので。」

短い答えだった。

それ以上の説明はなかった。

凛は、その写真を、もう一度見た。

そして、封筒の中に、丁寧に戻した。

「この写真、もらってもいいですか。」

「はい。もちろんです。」

「凪さんの分は、どうするんですか。」

「――現像したものは、二セット、頼みました。」

凪は、鞄から、もう一つ、小さな封筒を取り出した。

「一組は、凛さんに。もう一組は、私が持っておこうと思います。」

「そうなんですね。」

「はい。」

***

雨は、まだ降り続いていた。

窓の外、ガジュマルの葉が、雨粒を受けて、重そうに垂れている。

「お昼、まだですよね。」

凛が言った。

「はい。」

「よかったら、一緒に食べませんか。今日、お弁当作ってきたので。」

「――ご一緒します。」

凛は、鞄から、二段の弁当箱を取り出した。

事務スペースの隅、小さな給湯室で、お茶を二つ用意する。

「多めに作ったので、良ければ。」

「ありがとうございます。」

蓋を開けると、卵焼きと、ゴーヤーの炒め物、そして俵型のおにぎりが並んでいた。

「――美味しそうです。」

「たいしたものじゃないですけど。」

二人は、机を挟んで、向かい合って弁当を食べ始めた。

雨音が、変わらず、窓の外で続いている。

「ゴーヤー、苦くないですか。」

「大丈夫です。慣れました、最近。」

「最初、苦手だったんですか。」

「――正直に言うと、はい。」

「今は?」

「今は、好きです。」

凛は、その返答に、小さく笑った。

「変わるものなんですね、味の好みって。」

「はい。私にとっては、新しい発見が多いです、まだ。」

***

食事を終える頃、雨は、少しずつ弱まっていた。

窓の外の景色が、水滴越しに、じわりと明るくなっていく。

「そういえば。」

凛が、弁当箱の蓋を閉じながら言った。

「次のお休み、いつですか。」

「来週の、水曜日です。」

「その日、また会えますか。」

「はい。ぜひ。」

「じゃあ、今度は私が、どこか考えておきます。」

凪は、小さく頷いた。

「楽しみにしています。」

昼休みが終わり、凛はカウンターへ戻った。

凪は、いつもの窓際の席に移り、鞄から本を取り出した。

写真の入った封筒は、大切そうに、鞄の内ポケットに仕舞われていた。

雨は、午後になって、完全に上がった。

差し込んだ日差しが、濡れた床に、細長い光の筋を作っていた。

ーーー

第十章 凛の番

水曜日の朝は、雲一つなく晴れた。

待ち合わせは、集落のバス停だった。

凛は、いつもより少し早く着いて、ベンチに座っていた。

「おはようございます。」

凪が、時間ちょうどに現れた。

「おはようございます。今日は、私が案内する番なので。」

「はい。楽しみにしていました。」

「そんな大したところじゃないですけどね。」

凛は立ち上がり、歩き出した。

凪も、隣に並んで歩く。

***

向かった先は、集落から歩いて二十分ほどの、小さな製パン所だった。

古い民家を改装した店で、看板は小さく、知らなければ通り過ぎてしまいそうな外観だった。

木の引き戸を開けると、焼きたてのパンの匂いが、店内に満ちていた。

「ここ、私が高校生の頃から通ってるパン屋さんです。」

「――良い匂いです。」

「でしょう。紅芋のパンが、名物なんです。」

店内の棚には、素朴な形のパンが並んでいた。

紫色の紅芋あんが練り込まれた丸いパン。

黒糖を使った、少し硬めのパン。

「これと、これ。あと、こっちも。」

凛は、迷わず何個か選んで、トレーに載せた。

凪は、しばらく棚を見て、同じ紅芋のパンを一つ、手に取った。

「初めてですか、こういうお店。」

「いえ。基地の近くにも、パン屋はあります。」

「けれど、こういう、小さな。手作りの雰囲気の店は、あまり。」

会計を済ませ、二人は紙袋を提げて店を出た。

***

店から少し歩いた先に、堤防沿いの道があった。

海を見下ろす形で、コンクリートの縁に、腰掛けられる場所がある。

「ここも、よく来るんですか。」

「はい。仕事帰りに、たまに。」

凛は、堤防の縁に腰を下ろし、紙袋からパンを取り出した。

紅芋のパンを、半分に割る。

湯気は立たなかったが、まだほんのり温かい。

「はい、どうぞ。」

「――ありがとうございます。」

凪は、受け取ったパンを、ゆっくりと口に運んだ。

「甘いです。けれど、しつこくない甘さです。」

「紅芋の自然な甘さですからね。」

海からの風が、二人の間を吹き抜けていく。

波の音が、一定のリズムで、堤防に打ち寄せていた。

「凪さん、今日、非番何時までですか。」

「特に、決めていません。日が暮れるまでには、戻ろうと思っています。」

「じゃあ、時間気にしなくていいですね。」

「はい。」

***

パンを食べ終えると、凛は、紙袋を丸めて鞄にしまった。

「散歩しましょうか。」

「はい。」

二人は、堤防沿いの道を、ゆっくりと歩いた。

途中、小さな漁港があった。

数隻の船が、係留されている。

漁師らしき男性が、網の手入れをしていた。

「こんにちは。」

凛が声をかけると、男性は顔を上げ、軽く手を挙げた。

「おう、凛ちゃん。今日は休みか。」

「はい。今日はデートです。」

その言葉に、凪が、隣で少し肩を揺らした。

男性は、凪のほうをちらりと見て、にやりと笑った。

「そりゃいいな。」

漁港を過ぎ、二人はまた歩き出した。

「――デート、という言い方をされたのは、初めてです。」

凪が、静かに言った。

「あ、勝手に言っちゃいました。嫌でしたか。」

「いえ。」

凪は、首を振った。

「言葉の響きが、少し。新鮮でした。」

「そうですか。」

「はい。」

***

道はやがて、小さな橋にさしかかった。

橋の下を、川が、ゆっくりと海へ流れ込んでいる。

橋の中央で、凛は足を止めた。

欄干に手をかけ、川の流れを見下ろす。

「ここから見る景色、好きなんです。」

「川と、海が、混ざっていくところが見えるので。」

凪も、隣で欄干に手をかけた。

川の水は、少し濁っていたが、海に近づくにつれて、透明度を増していく。

境目のあたりで、色が、緩やかにグラデーションを描いていた。

「――綺麗ですね。」

「でしょう。」

「潮の満ち引きで、この境目の位置、結構変わるんですよ。」

「今日は、満ちてる方かな。」

凪は、しばらく、その境目を見つめていた。

「川の水と、海の水は。混ざり合っても、しばらくは、どちらの性質も残っているそうです。」

「そうなんですか。」

「以前、資料で読みました。塩分濃度が、完全に均一になるまでには、時間がかかると。」

凛は、その説明に、小さく頷いた。

「凪さんって、たまに、そういう豆知識、教えてくれますよね。」

「――役に立ちますか。」

「役に立つ、というか。面白いです、単純に。」

橋の下を、小さな魚の群れが、すいと通り過ぎていった。

***

橋を渡り終えると、道は、緩やかな上り坂になった。

坂の上に、小さな公園があった。

遊具はほとんどなく、ベンチが二つと、大きなデイゴの木が一本、立っているだけの場所だった。

「ここが、今日の最後の場所です。」

凛は、ベンチの一つに腰を下ろした。

デイゴの木は、まだ花の季節ではなく、緑の葉を茂らせていた。

「特に何もない公園なんですけど。静かで、好きなんです。」

凪も、隣に座った。

木漏れ日が、二人の膝の上に、揺れる影を落としていた。

「一日、ありがとうございました。」

凪が、静かに言った。

「凛さんの、好きな場所を、色々知れました。」

「いえいえ。こちらこそ、付き合ってくれてありがとうございます。」

「パン屋さんも、漁港も、橋も。」

凪は、一つずつ、指を折るように、数え上げた。

「全部、覚えておきます。」

「大げさですね。」

「――いえ。」

凪は、まっすぐ前を見たまま、続けた。

「大事なことだと、思うので。」

風が、デイゴの葉を揺らした。

葉擦れの音が、しばらく、二人の間に続いた。

「次は、どこに行きましょうか。」

凛が言うと、凪は、少し考えるように、視線を空へ向けた。

「――また、私が、考えてもいいですか。」

「もちろんです。」

「楽しみにしています。」

日は、まだ高い位置にあった。

公園のベンチに座ったまま、二人は、しばらく、行き交う雲を眺めていた。

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作者について

紫陽花工房

紫陽花工房

家事や仕事の間にAIに物語を書いてもらってます。 好きな花は紫陽花。 座右の銘、チャンスをもたらしてくれるものは冒険である 夢うつつな時に閃くものがネタだったりします(笑)

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