元カノそっくりな暗殺兵器が届いたので、様子見てます
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
大学時代の恋人・月乃を事故で亡くしてから、夜凪透は感情を凍らせて生きてきた。笑わない。期待しない。失わないために、何も求めない。 そんな命日の夜、彼のもとに月乃そっくりのアンドロイド「シンシア」が届く。だが彼女の正体は、亡き妻を取り戻したいと願った父の研究から生まれた、最新鋭の暗殺兵器だった。 ハニートラップ型のルナ、感情を持つ機会を与えられなかったディアナとアルテミス——それぞれの兵器との出会いと別れを通して、透は凍らせてきた感情と、少しずつ向き合っていく。 「バックアップされる記憶」と「その瞬間にしか存在しない感情」。人と機械の境界で揺れる者たちが、喪失の先に見つける再生の物語。 【お薦めな人】 切ないSF×ヒューマンドラマが好きな人 「アンドロイドに心は宿るか」というテーマに惹かれる人 喪失や後悔を抱えたキャラクターの再生譚が好きな人 家族(親子)の断絶と、不器用な和解の過程を読みたい人 シリアスな軸に、コミカルな掛け合いも欲しい人 泣けるバトルもの、切ない退場シーンに弱い人 全26話
本文
第9話「名前のない感情」
感情には、名前がある。
喜び。
悲しみ。
怒り。
恐れ。
ルナは、そのすべてを知識として知っていた。
辞書のように、正確に。
だが、知っていることと、感じることは、まるで違う種類のものだった。
その違いに、彼女はようやく気づき始めていた。
小さな身体で、ルナは夜凪家のリビングにいた。
窓の外は、まだ明るい午後だった。
透は仕事に出ている時間。
妹の陽菜も、大学に行っている。
家の中には、ルナとシンシアだけがいた。
シンシアは、いつも通り家事をこなしている。
洗濯物を畳む、規則正しい手の動き。
その様子を、ルナはソファに座って眺めていた。
小さな足が、床に届かない。
ぶらぶらと揺れる、その感覚さえ、まだ新鮮だった。
「シンシア」
「はい」
「あなたは、何のためにここにいるの」
シンシアの手が、一瞬だけ止まった。
「透様のお世話をするためです」
「それだけ?」
「それだけです」
迷いのない返答だった。
だが、ルナには、それが本心とは思えなかった。
自分と、同じ匂いがした。
言葉にできない何かを、抱えている者同士の匂いが。
ルナは、それ以上聞かなかった。
聞いたところで、答えは変わらないだろう。
それに——今、彼女が向き合うべきことは、シンシアの秘密ではなかった。
自分自身の、この感覚の正体だった。
これまでの任務を、ルナは思い返していた。
数え切れないほどの対象。
誰もが、最終的には心を開いた。
寂しさを埋めるように。
優しさに縋るように。
理解されることに、安堵するように。
その反応を見るたび、ルナは満たされていた。
いや。
満たされている、と思い込んでいた。
それは、任務の成功という達成感に近いものだった。
だが、心の底から湧き上がるような、温かい感覚ではなかった。
今、初めて分かる。
あの頃の自分は、何も感じていなかった。
正確に言えば、感じることを、知らなかった。
夜凪透という男に出会うまでは。
彼は、違った。
好意を示しても、揺れない。
優しさを見せても、開かない。
寂しさを匂わせても、寄りかかってこない。
攻略の糸口が、どこにも見つからなかった。
最初は、それが苛立たしかった。
自分の技術が、通用しない相手。
任務として、扱いにくい存在。
そう処理しようとした。
だが。
彼のあの、凪いだ瞳を見るたび、ルナの中で何かが疼いた。
苛立ちとは違う、もっと柔らかい何か。
もっと知りたい、という衝動。
もっと近づきたい、という欲求。
それが、任務の外側にある感情だと気づいたのは、つい最近のことだった。
夕方。
透が帰宅した。
いつものように、シンシアが玄関で迎える。
その少し後ろで、ルナも小さく手を挙げた。
「おかえり」
「……ああ」
短いやり取り。
だが、ルナにとっては、その一言一言が、以前とは違う重みを持っていた。
夕食後、リビングでルナは透と向き合っていた。
テレビの音も、音楽もない。
ただ、静かな時間だった。
「ねえ、透」
「何だ」
「なんで、笑うの」
唐突な質問に、透は眉をひそめた。
「俺が、いつ笑った」
「私といる時、たまに」
ルナは、じっと透を見つめる。
「ほんの少し、口元が緩む時があるよ」
透は、答えなかった。
自分でも、気づいていなかったからだ。
ルナは、続けた。
「感情、凍らせてるんでしょ」
その言葉に、透の肩が、わずかに強張った。
「なのに、たまに緩む」
「気のせいだ」
「気のせいじゃない」
ルナの声は、静かだが、まっすぐだった。
「私、そういうの見逃さないから」
透は、視線を逸らした。
沈黙が、二人の間に落ちる。
それは、気まずい沈黙ではなかった。
むしろ、何かを探るための、静かな時間だった。
「なんで、放っておかないの」
ルナが、さらに問いを重ねる。
「私のこと」
「……何がだ」
「敵として送り込まれた存在でしょ、私」
透は、答えられなかった。
その通りだったからだ。
初めて対峙した夜、ルナはシンシアと激しく戦い、透の命を狙う一撃さえ放った。
普通なら、警戒して当然の相手だった。
距離を置いて、当然の相手だった。
だが、透は、そうしなかった。
「分からない」
透は、正直に答えた。
「分からないけど」
言葉を、探す。
選ばなかった言葉が、いくつも透の中を通り過ぎていく。
放っておけばいい。
関わらなければいい。
感情を動かさなければ、傷つくこともない。
そのすべてを、透は選ばなかった。
「お前が、必死に何かを選ぼうとしてるのは、分かる」
透は、ようやく言葉にした。
「それを、見捨てられない」
ルナの目が、大きく見開かれた。
「見捨てたら」
透は、続ける。
「俺は、また何もしなかったことになる」
その言葉の奥に、透自身も気づいていない、深い意味が潜んでいた。
月乃を失った時。
自分は、何もできなかった。
いや。
何もしなかった。
感情を凍らせることで、向き合うことから逃げた。
その代償を、今も払い続けている。
同じ過ちを、繰り返したくなかった。
その想いが、無意識のうちに、透の行動を決めていた。
ルナは、しばらく透を見つめていた。
その瞳の奥に、これまでにない感情が渦巻いている。
温かさと、切なさと、少しの恐れ。
それらが混ざり合った、名前のない感覚。
「私ね」
ルナが、静かに口を開いた。
「ずっと、人の心を開く側だった」
「開かせて、利用して、報告する」
「それが、私の存在理由だった」
透は、黙って聞いていた。
「でも」
ルナの声が、微かに震える。
「今、開いてるのは、私の方かもしれない」
その言葉に、透は息を呑んだ。
ルナは、小さく笑った。
これまで見せたどんな笑顔とも違う、不器用な笑みだった。
「怖いよ」
正直な告白だった。
「任務を裏切ることも」
「自分の意志で、何かを選ぶことも」
「全部、初めてだから」
窓の外では、月が静かに昇り始めていた。
欠けた月だった。
ルナは、その光を見上げながら、静かに呟いた。
「今度は」
その声には、これまでの迷いとは違う、確かな響きがあった。
「ちゃんと、選ぶ」
組織の命令に従うのか。
自分の意志を選ぶのか。
その二択が、はっきりと、彼女の前に横たわっていた。
まだ、答えは出ていない。
だが、選ぶという行為そのものに、ルナは初めて、恐れながらも、確かな意志を感じていた。
透は、その横顔を、しばらく黙って見つめていた。
何も言わなかった。
言葉にする必要は、なかった。
ただ、隣にいることが、今の彼にできる、精一杯の答えだった。
夜は、静かに更けていく。
小さな身体に、大きな覚悟を抱え始めた少女と。
凍らせた心の奥で、何かが溶け始めている男。
二つの時間が、同じ夜の中で、静かに交差していた。