第38話 ロールケーキは特効薬
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
異世界と東京が繋がって35年。区役所「異世界住民課」で働く天野勇は、定時退庁を愛する平凡な公務員。だがある日、テロ事件に巻き込まれ、うっかり「勇者」に選ばれてしまう! 発現した能力は、空間をつなぎ合わせるだけの地味なもの。世間からは「ハズレ勇者」と哂われるが……実は空間操作を駆使した常識破りの最強スキルだった!? コンビニスイーツ中毒のエルフ聖騎士アイリスと共に、勇は世界の危機と“残業”に立ち向かう! 「僕はただ、定時で帰ってアニメを見たいだけなのに!」 オタク公務員が二つの世界を繋ぐ、現代×異世界ファンタジー! ※本作品は「カクヨム」「あいぺん」にて同時掲載しています。
本文
特務部の職員が、どこか釈然としない表情のまま病室のドアを閉めて去っていった後、部屋には少しだけ気の抜けたような、静かな空気が戻ってきた。
1億円の特別報奨金と、勇者の最高位であるS級勇者の称号。それらをすべて全力でお断りした僕の選択は、客観的に見れば正気の沙汰ではないのだろう。
「……本当に、行っちゃったわね」
千代田が、大きな丸眼鏡を指でくいと押し上げながら、ため息交じりに呟いた。
「国家安全保障局の特務部が、本気で用意した最高待遇の契約よ? あんたが拒絶した瞬間のあの職員の顔、スマホで動画に撮っておけばよかったわ。一生ものの傑作だったのに」
「千代田、 僕の人生がかかった重大な決断で遊ばないでくれ」
僕はベッドの背もたれに深く身体を預け、ようやくまともな息を吐き出した。全身の凄まじい筋肉痛は相変わらずだが、心の重荷が一つ降りたおかげで、気分はいくらか軽い。
「ふふん、アマノ殿らしいな」
アイリスが、サイドテーブルのパイプ椅子から身を乗り出し、僕の顔を覗き込んできた。彼女の透き通るようなブルーの瞳には、失望の色など微塵もなく、むしろ僕の徹底したブレなさを面白がっているかのような輝きがあった。
「確かに、セレステリア王国でも、最高位の騎士や英雄に任命された者は、毎日が他国との謁見や儀式、あるいは魔獣討伐の遠征で埋め尽くされる。アマノ殿がそのような席に座らされたら、三日と持たずに魂が口から抜け出てしまうであろうな!」
「三日どころか半日でそうなる自信があるよ」
「天野先輩、本当に徹底してるっすね……」
高橋が、半分は尊敬、もう半分はもったいないと言いたげな顔で後頭部を掻いていた。
「でも、先輩がS級を蹴ってくれたおかげで、僕も少し安心したっすよ。もし先輩が本当に特務部のトップエリートになっちゃったら、僕、誰と一緒にサボればいいか分からなくなるところだったっす」
「高橋、僕が職場復帰したら、真っ先に溜まった書類仕事を片付けるんだよ。僕の分の書類も、しっかりアシストしてもらうからな」
「ええっ!? 世界を救った先輩の復帰第一戦が、書類の山とのデスゲームなんすか!?」
そんな高橋の情けない悲鳴を聞きながら、僕はベッドの横にあるカレンダーに目をやった。
退院予定日は数日後。そこから、区役所の異世界住民課への復職手続きや、境界防衛室からの出向解除の処理など、やるべき事務手続きは山ほどある。激動の新宿ゲートの戦いは終わり、世界は確かに、日常に向かい始めている。
夕方になり、千代田はジャンク屋の開店準備があるからと言って、無造作に縛った髪を揺らしながら帰っていった。
高橋も、特務部の提出書類の代理作成を僕に押し付けられ、泣く泣くオフィスへと戻っていった。
病室に残ったのは、僕とアイリスの二人だけだ。オレンジ色の夕陽が、新宿のビル群の隙間から差し込み、白い病室を暖かく染め上げている。
「アマノ殿……」
アイリスが、窓の外を見つめながら、ぽつりと声を漏らした。その長いエルフの耳が、夕陽に透けて淡いピンク色に輝いている。
「今回の事件、ベルモント伯爵たちの野望は砕かれ、グラハム社長も捕らえられた。『ノーブル・ウィル』や、『エクリプス』……私たちが戦ってきたあのテロ組織にも、すべて彼らが裏で糸を引いていたのが分かった。……本当に、すべてが終わったのだな」
「そうだね……」
僕は、彼女の横顔を見つめながら答えた。
「彼らは利己主義で魔王の遺骸を使ってまで世界を欺こうとした。けれど、僕たちが最後に放った一撃は、その悪しき行いごと、新宿ゲートの暴走を断ち切ったんだ。これからは、二つの世界が、もっと真っ当な形で混ざり合っていけるはずだよ」
「うむ。私も、この世界に来てからたくさんの驚きに出会った。コンビニのスイーツも、アキバの素晴らしいアニメも、すべては両世界が繋がったからこそ生まれた奇跡だ。それを私利私欲のために壊そうなど、やはり聖騎士として許せることではなかった」
アイリスは、腰に帯びた精霊剣の柄にそっと手を置いた。
あの決戦の夜、僕の空間接続を通じて、一千万人分の電気を受け入れたその刃は、今は静かに鞘の中で眠っている。
「それにしても……」
アイリスは、くるりと僕の方を振り向くと、いたずらっぽく微笑んだ。
「アマノ殿がS級勇者を辞退したという噂、近いうちにお父上である剛殿の耳にも届くのではないか? かつての大英雄が、息子のハズレ公務員っぷりを聞いたら、どのような顔をするか見ものだな」
「うわ、それは考えたくないな……」
僕は思わず顔をしかめた。足が不自由になりながらも、あの決戦の場で圧倒的な力を見せつけた、僕の頑固な親父。
「『お前らしい選択だ』って鼻で笑われるか、あるいは『男なら1億円くらい稼いで来い』って怒られるか。どっちにしても、退院したら実家に顔を出して、一発説教される覚悟はしておかないとね」
「ふふ、案外、剛殿はアマノ殿のそういう『戦いを嫌う実直さ』を、誰よりも理解しているかもしれんぞ」
「だといいんだけどね。……あ、そうだ、アイリス」
僕は、サイドテーブルに残されていたコンビニの袋を指差した。
「せっかく買ってきてくれたプレミアムしっとりロールケーキ、まだ残ってるじゃないか。僕が半分もらうから、君も残りを食べなよ。脳の回路を急速に回復させるための特効薬なんだろ?」
「おお! 忘れていた! 魔導補給物資を放置するなど、聖騎士の不覚!」
アイリスは嬉々として袋を開け、ロールケーキを取り出した。
「では、アマノ殿。半分こだな。これを食べて体力を蓄え、退院した暁には必ずやアキバのアニメショップ巡りに付き合ってもらうからな!」
「……結局、僕のHPが削られる未来は変わらないわけか」
僕ががっくりと肩を落とすと、アイリスは鈴を転がすような声で笑った。
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