第八十七話 葛藤
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
ロジカルな戦闘が魅力の群像劇。執筆済みのため、毎日午前6時に更新・11月30日完結予定 木や鉱石といった死んだ物質は魔力を拒絶し、術者の掌を骨ごと炭化させる。 息を吸い、肺を満たし、血を巡らせる――人間の肉体こそが唯一無二の触媒である世界。 極寒の寒村で家族を飢えで失った少年、テラ・ベルジェ。 彼がメルキオーレ魔術学院へ送られたのは、村の生き残りを賭けた「食料配給の手形」としてだった。 成績を落とせば即座に除籍、故郷は全員餓死。 首に麻縄を巻かれたような絶望の中、手に入れたのは、他人が床に撒き散らした魔力の燃え殻を吸い込み、硝子の檻に閉じ込めてぶつけるだけの、醜悪な「泥棒の小細工」だった。 名門エリートたちが優雅に呪文を紡ぐ学び舎で、テラと同じく世界の隅へと追いやられた者たちが出会う。 血統を呪い、折れぬ直剣を佩く異端の前衛・エヴァン。 没落の借財に抗い、完璧の型にすがる参謀令嬢・ルナ。 才能を弄ばれ、感覚の超火力を放つ傲岸な小隊長・リゼット。 衝撃を吸い取る悪知恵のトリックスター・エリクス。 そして、感情を殺し、汚れを消去し続ける謎の特例生・クロエ。 「不純物」「落伍者」と切り捨てられた六人は、生き残るため、互いの欠陥を凶器へと変える冷酷な契約を結ぶ。 だが、彼らが勝ち上がった先に待っていたのは―― この国の美しい魔術文明そのものが、地下深くで生きたまま魂をすり潰されている「一人の少女の生贄」の上に成り立っているという、おぞましい真実だった。 「誰かの地獄の上に成り立つ光なら、そんなもの全部叩き壊してやる」 理不尽な国家の欺瞞と、忍び寄る聖賢騎士団の断罪。 持たざる者たちが泥水を啜り、手を取り合い、世界の檻を打ち破る――本格ダーク・学園魔術戦記! ※カクヨムでも『AI本文利用』タグにて同時掲載中です 『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
本文
ファウストは胸元の火傷を手で押さえ、静かに、深く息を吐き出した。
「……お前たちの勝ちだ」
低く、重い声。
「理不尽な世界に抗い、泥を這ってでも生きようとするその意志……見せてもらった」
ファウストの視線が、小隊の横に立つクロエを一瞥した。
「クロエ。……お前が選んだ仲間は、確かに本物だったようだな」
ファウストはそれ以上の言葉を残さず、ゆっくりと横へ身を引き、リアクターへと続く祭壇の階段を静かに空けた。
「行け。……その心臓を、どうにかしてこい」
「……ありがとう、ファウストさん」
テラが短く頭を下げた。
リゼットが真鍮の解除キーを握りしめ、祭壇の石段を駆け上がる。
だが――祭壇の上、巨大なシリンダーの前に辿り着いたその時、リゼットの足が、凍りついたように止まった。
シリンダーの基部に立ち尽くしていたラティナの姿。
喪服のような黒衣のドレスを纏った二十二歳の女性は――黒い手袋を脱ぎ捨てた素手を、ガラスの向こうで眠るセレナの心臓へ向けてかざしていた。
その指先に灯っていたのは、大気の魔力を直接変換する血統術式『無限魔術』の青白い光。
心臓を一瞬で停止させ、苦痛なく永遠に眠らせるための、慈愛という名の殺害術式。
だが。
その細い指先は、激しく、小刻みに震えていた。
灯されたはずの青白い光は、まるで風前の灯火のように点滅を繰り返し、今にも消え入りそうに明滅していた。
ファウストが小隊を引き受けていた間――ラティナはずっと、この場所に立ち、この手をかざし続けていたのだ。
愛する姉を、地獄から救うため。
そう自分に言い聞かせながら、出奔してからの三年間を呪いに捧げてきたはずだった。
それなのに。
いざその命を前にした瞬間、かつて自分を優しく抱きしめてくれたセレナの温もりが、指先を凍りつかせ、引き金を引くことを許さなかったのだ。
『……姉様……ごめんなさい……ごめんなさい……』
シリンダーのガラスに額を押し当て、肩を震わせて泣いていたラティナ。
「ラティナ……」
リゼットの声に、ラティナがハッと顔を上げた。
涙で濡れた黄金の瞳。
ファウストが退き、リゼットたちが駆け上がってきたのを見た瞬間――ラティナの顔に走ったのは、殺さずに済むかもしれないという、無意識の痛烈な安堵。
そして同時に――裏切られ続けてきた過去ゆえの、激しい恐怖と拒絶だった。
「来ないで……ッ!!」
ラティナは震える両腕を広げ、シリンダーを自らの身体で庇うように立ち塞がった。
「奇跡なんて起きないわ! その鍵で装置を止めたら、姉様は術式汚染でショック死するのよ! また姉様を苦しめるくらいなら……私が……私が終わらせてあげるのよ……ッ!」
殺すと言いながら、泣きじゃくり、姉を守るように両腕を広げて立ち塞がる妹。
リゼットは、手にした真鍮の鍵を握りしめ、胸元へと強く抱き寄せた。
ラティナの言葉の通り、今すぐ鍵を差し込んで装置を止めれば、セレナは死ぬ。救う手立てがまだ見つかっていないことも、リゼットには痛いほど分かっていた。
だからこそ――リゼットは、鍵を差し込もうとはしなかった。
リゼットが前に踏み出し、伸ばしたのは――姉を殺す術式を灯しながら泣き崩れそうになっている、ラティナの冷たい手へ向けてだった。
「ラティナ……ッ!」
リゼットが叫んだ。琥珀色の瞳から大粒の涙を零しながら、真っ直ぐにラティナの手を掴もうとする。
「あんたの手を、大好きな姉殺しで汚させたりしないわよ! 諦めないで! 私たちが……絶対に、セレナ姉様を生きて救い出す方法を、みんなで見つけるから!!」
リゼットが、震えるラティナの右手を強く握りしめようとした――まさにその刹那。
ズズズズズズズズッ……!!
大聖堂地下の天蓋全体が、悲鳴を上げて激しく軋んだ。
ドガァァァァァァァンッ!!
何百トンもの大理石の天井が一撃で粉砕された。
大聖堂の中庭から直接、光と冷たい外気とともに、巨大な巨岩と粉塵の雨が、大空洞の中央へ向けて雪崩れ落ちてくる。
ドォォォスッ!!
巻き上がる猛烈な砂塵と突風の中。
崩落した瓦礫の頂の上に、仁王立ちになっていたのは――。
熊のように分厚い筋骨隆々の巨躯。
灰色の獣皮を羽織り、全身に無数の傷を刻んだ初老の大男。
フェンリスの父にして、暴力のみを対話と認める『原始の獣血』の頂点――族長、ヴァルグ。
「ガハハハハハッ!!」
大地をへし折るような地鳴りの哄笑が、機械の唸りを圧殺して響き渡った。
「ここが、飼い慣らされた豚どもの心臓か! 地上で騎士どもを蹴散らして掘り進んでみりゃあ……良い匂いだ、血の匂いが充満してやがるじゃねえか!!」
ヴァルグの巨大な胸郭が、グンと限界まで膨らみ始めた。
息を吸い込む風切り音が、突風となって大空洞の空気を吸い寄せる。
最大半径百メートルを更地へと変える、絶望の固有術式『喝采(ムングルモ・ワ・ダム)』の予兆。
「ヴァルグ……ッ!?」
ファウストが目を見張り、小隊全員が息を呑んだ。
最悪の怪物の乱入により、すべての運命が再び破滅の淵へと叩き落とされようとしていた。