第八十六話 サンゴ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
ロジカルな戦闘が魅力の群像劇。執筆済みのため、毎日午前6時に更新・11月30日完結予定 木や鉱石といった死んだ物質は魔力を拒絶し、術者の掌を骨ごと炭化させる。 息を吸い、肺を満たし、血を巡らせる――人間の肉体こそが唯一無二の触媒である世界。 極寒の寒村で家族を飢えで失った少年、テラ・ベルジェ。 彼がメルキオーレ魔術学院へ送られたのは、村の生き残りを賭けた「食料配給の手形」としてだった。 成績を落とせば即座に除籍、故郷は全員餓死。 首に麻縄を巻かれたような絶望の中、手に入れたのは、他人が床に撒き散らした魔力の燃え殻を吸い込み、硝子の檻に閉じ込めてぶつけるだけの、醜悪な「泥棒の小細工」だった。 名門エリートたちが優雅に呪文を紡ぐ学び舎で、テラと同じく世界の隅へと追いやられた者たちが出会う。 血統を呪い、折れぬ直剣を佩く異端の前衛・エヴァン。 没落の借財に抗い、完璧の型にすがる参謀令嬢・ルナ。 才能を弄ばれ、感覚の超火力を放つ傲岸な小隊長・リゼット。 衝撃を吸い取る悪知恵のトリックスター・エリクス。 そして、感情を殺し、汚れを消去し続ける謎の特例生・クロエ。 「不純物」「落伍者」と切り捨てられた六人は、生き残るため、互いの欠陥を凶器へと変える冷酷な契約を結ぶ。 だが、彼らが勝ち上がった先に待っていたのは―― この国の美しい魔術文明そのものが、地下深くで生きたまま魂をすり潰されている「一人の少女の生贄」の上に成り立っているという、おぞましい真実だった。 「誰かの地獄の上に成り立つ光なら、そんなもの全部叩き壊してやる」 理不尽な国家の欺瞞と、忍び寄る聖賢騎士団の断罪。 持たざる者たちが泥水を啜り、手を取り合い、世界の檻を打ち破る――本格ダーク・学園魔術戦記! ※カクヨムでも『AI本文利用』タグにて同時掲載中です 『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
本文
空気が、止まっていた。
ファウストの振り下ろされようとした右拳が、テラの額の数センチ手前で、ピタリと静止していた。
テラは手甲を構えたまま、荒い呼気を吐き出し、ファウストを見据え続けていた。
血を流し、骨がきしみ、泥に塗れながらも――その茶色の瞳の奥にある光は、一滴たりとも揺らいでいなかった。
背後には、肩を外しかけながら剣を構え直すエヴァン、火球を消さないリゼット、力場を張り続けるルナ、エリクス、クロエ。
――全員で生きて、ここから帰るんだッ!!
テラの叫びが、ファウストの耳の奥で、激しい鐘の音のように反響していた。
ファウストのアッシュグレーの瞳が、僅かに揺れた。
視界が、歪む。
燃え盛る大空洞の景色が薄れ、脳裏の奥底――復讐の炎で焼き潰し、二度と思い出すまいと封じ込めていた過去の情景が、濁流のように溢れ出してきた。
――厚い遮光カーテンを何重にも閉め切った、かつての領主邸の薄暗い寝室。
ベッドの上で、小さな身体を丸めて震えていた、六歳の我が子。
リーフ。
『灯明拒絶症』。
光の粒子に触れるだけで、皮膚が焼け爛れる激痛に襲われる不治の奇病。
その地獄のような痛みをわずかでも和らげるため、遠方から高価な緩和薬を買い続けなければならなかった。その薬代を工面するために、自分は領民たちに過酷な重税を課し、恨みと憎悪を買い続けた。
そして起きた、領民たちの反逆。
押し寄せてきた暴徒たち。
彼らは、自らの手で子どもを絞殺する生々しい感触と罪悪感から逃れるために――体系化された、無機質な「魔術の光」を、リーフの横たわるベッドへと投げ込んだのだ。
閃光。
光を何よりも恐れていた我が子が、光の魔術によって全身を焼き尽くされ、灰燼に帰していく光景。
最期にシーツを掴んでいた、リーフの小さな指先。
冷たくなっていった、あの幼い命の重み。
(……リーフ)
ファウストの胸の奥を、焼けた鉄を押し当てられたような激痛が貫いた。
魔術を憎んでいた。
人を殺す責任から逃れ、言葉の檻にすがりついて平然と他者を踏みにじる人間と、その文明のすべてを滅ぼすことだけを、生きる糧にしてきた。
だが。
いま、目の前でボロボロになりながら立ち塞がっている、この子どもたちは何だ。
魔術の欺瞞に甘えているのではない。
不条理な世界の檻に爪を立て、仲間を生かすため、ただ必死に泥を這って、明日を迎えようとしている。
激痛に耐えながら、それでも「生きたい」と父親の指を握りしめていた――あの日のリーフの瞳と、目の前にいるテラの瞳の光に、何の違いがあるというのか。
(……俺は、何をしていた?)
復讐という名の怪物になり果て。
ただ必死に生きようと抗う子どもたちを、かつてリーフを焼き殺したあの領民たちと同じように――自分自身の理不尽な暴力で、力任せに圧殺しようとしていたのではないのか。
――チッ。
ファウストの右拳から、力が抜けた。
握りしめられていた指先が、ゆっくりと、緩やかに開かれる。
大気を引き絞り、押し潰していた深海のような超高密度の圧力が、潮が引くように、ふわりと大気の中へ溶けて消え去っていった。
ファウストは、深く、重い息を吐き出した。
「……もう、いい」
掠れた、乾いた声。
そこには、冷酷な破壊者の殺気など微塵も残っていなかった。
ただ、理不尽に愛する子を奪われ、その痛みを抱えたまま立ち尽くす、一人の父親の哀しい眼差しだけが、静かに戻っていた。