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新作落語「御開帳」

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/10/16 📚 シリーズ: JJ 現代落語帳 📝 3,545文字 ✅ 全年齢

あらすじ

いろんな物語を落語にしてみました。 未来の話も、不思議な話も、ちょっと笑える話も。 一話ごとに、いろんな世界をお楽しみください。

本文

(軽く咳払いをひとつ)

えー、お運びいただきましてありがとうございます。

最近は「ハザードマップ」というものがございまして、引っ越す前に、その土地が危ないかどうか、スマホでぴぴっと調べられる。ありがたい時代です。ところが世の中には、調べても理由が書いていない、やたらと安全な街というのがあるそうで。

誕生日の前の晩、会社帰りの居酒屋で、同期の田中と私が、生ビールを飲んでおります。田中、さっきから落ち着かない。

「お前の地元って、地震がないんだって?」

「うん。うちの街、地震が起きたことがないの」

「へえ、地盤がいいんだ」

「台風は進路を逸れるし、川は溢れないし、大きな火事も出ない」

「奇跡の街だな。……いい街なんだろうな。一度、行ってみたいなあ」

「来る?」

「え、いいの!? いや、その、観光でな、観光で」

「顔、赤いよ」

「ビールのせいだ」

「まだ一口目でしょ」

(扇子で膝をぽん)

「理由は考えたことないけど、ひとつだけ思い当たることがあってね。空が荒れる前の晩は、きまって眠れなくなるの」

「不眠症か」

「窓の外は静かなのに、胸の奥だけざわついて、朝方まで寝返り。翌朝、遠くの空で雲が割れて、嵐が街を避けていくのをぼんやり眺めるの」

「そこだけ聞くとカッコいいな」

「理由の分からない疲れだけが、体に残る」

「地味だな! 天気に負けてるじゃないか」

「体質だと思ってる」

「体質で済ませるなよ。……心配になるだろ」

「ありがと」

「いや、同期として、な。同期として」

(声を落として)

「明日、二十四の誕生日でさ」

「知ってる」

「なんで知ってるの」

「いや、その、人事の名簿で、たまたま」

「見たの?」

「たまたま目に入っただけだ」

「たまたま、ね」

「……あのさ、明日、空いてるか。飯でも、どうかと思って」

「それが、実家から迎えが来るんだって」

「迎え? 誰が」

「母から電話で、『明日の朝、迎えが行くから』って、それだけ」

「男か!」

「知らないよ」

「黒い車で来たら、俺は許さないぞ」

「許さないって何の立場なの」

「……同期の立場だ」

(扇子を前に出す)

さて、翌朝。家の前に、黒い車が停まっている。長く、深い艶をたたえた車体。白い手袋の運転手は、私が出ていくと何も言わずに後部座席の扉を開けた。

「え、本当に黒い車。田中の言った通りじゃない」

玄関では、両親が深く頭を下げている。

「ちょっと、お父さん、お母さん、なんで頭下げるの」

母は少し泣いている。

「お母さん? 嬉しいの? 悲しいの?」

「……ううん」

「行っておいで」

と、父が言ったのはそれだけ。

車内には、先客がおりました。四、五歳ほどの男の子。小さな革靴を揃え、背筋を伸ばして座っている。私を見ると、わずかに首をかしげて微笑んだ。

「あ、あの、こんにちは」

「こんにちは」

落ち着いた声が返ってくる。人見知りする年頃のはずなのに、怖がる様子がない。車は街の中心を離れ、古い杉の並木道へ。見慣れているはずの景色が、なぜか懐かしい。

「ねえ、ぼく。どうして、私のことばかり見てるの」

「あなたを、知っている気がするから」

「あはは、人違いじゃないかな」

笑ってごまかしたものの、胸の奥が小さく震えた。

(間)

着いたのは、どの地図にも載っていない御堂。白木の柱に、苔むした石畳。出迎えたのは二十人ほどの人々で、年齢も服装もまちまちなのに、誰もが同じ静けさをまとっている。私を見ると、言葉もなく深く礼をした。

「あの……私、何かしましたか?」

誰も答えない。奥の間へ通されると、畳の中央に、白い絹をかけた台。住職のような老人が進み出て、

「お開けします」

「おかい……? 賭場みたいな言い方ですね」

「御開帳でございます」

絹が、するりと滑り落ちた。現れたのは、五十センチほどの観音様。立ち姿で、細くやさしい肩の線、伏せた瞼、胸の前で静かに組まれた指。金とも木ともつかない、淡い光を含んだ質感。

「……きれい」

美しい、という言葉では足りない。そして、その顔を見た瞬間。

(間)

音が、消えた。

衣擦れも、誰かの呼吸も、遠い鳥の声も。埃の粒さえ宙に留まって、自分の鼓動だけが聞こえる。一度、二度。

「……ああ。これは、私だ」

「は? 私、いま何て言った? 仏像に向かって『私だ』って……」

考えたのでも、思い出したのでもない。自分の手を見て「これは私の手だ」と分かるのと同じ確かさで、ただ、分かった。

「ちょっと待って。四歳……同じ畳の上……私が決めた……この街の人が、怯えずに暮らせるようにって……」

老人、静かにうなずく。

「あの日の記憶は、ずっとこの器が預かっておりました」

「預かってたんですか! バックアップ取ってたみたいな話ですね」

(扇子をぱちんと鳴らす)

「じゃあ、あの眠れない夜は」

「あなた様が、糸の先で災いを受け止めておられた夜です」

「地震を、手で?」

「地面が揺れかければ、そっと手を添え、川が牙を剥きかければ、静かに流れを変え」

「私、街のインフラだったんですか!」

「二十年ごとに、この器は開かれます。守ってきた意識は、いったん本来の持ち主のもとへ戻り、やがて次の器へ」

私は膝をついて、仏像に触れました。冷たくない。体温より少し温かい、陽だまりのような手触り。指先から光が流れ込んで、街の隅々に張りめぐらせた糸が、するすると手繰り寄せられ、胸の奥に収まっていく。目を閉じると、街が見えた。眠る赤ん坊。仕事帰りの疲れた背中。窓辺で猫を撫でる老人。

「……力が、全部戻ってきた。ひとりで抱えるには、大きすぎる」

「それを、次の者と分かち合うのです」

振り向くと、車の男の子が、すぐそばに立っている。

「……あなたが、次なのね」

「うん。ずっと前から、決まっていたんだ」

「四歳が『ずっと前から』って言うの、重いなあ」

膝をついたまま、彼の頭にそっと手を置く。やわらかい髪の感触。私の力の半分が、掌から流れ出していく。温かい水が器に満ちるように、静かに、ゆっくり。男の子の瞳の奥に、小さな光が灯った。同時に、彼の胸から細い光の糸が立ちのぼって、台の上の仏像へ吸い込まれていく。

仏像が震える。輪郭がほどけて、観音様のやわらかな姿が、少しずつ、小さな男の子の姿へ。三十センチほどの、あどけない童子像。口元には、さっきの男の子と同じ微笑み。

老人が、静かに絹をかけ直す。信徒たちが、一斉に頭を下げた。私にではない。私と、男の子と、絹の下の童子に向けた、感謝の礼でした。

(間)

帰りの車は、私ひとり。隣の席を見ると、男の子が座っていた場所に、小さなへこみが残っている。触れると、まだ少しだけ温かい。

御堂の門の前に、男の子が立っていた。老人に手を引かれ、手を振るでもなく、泣くでもなく、ただ静かに見送っている。角を曲がって見えなくなるまで、一度も目をそらさなかった。

「あの子は、これから二十年。ふつうの子供として育って……あの小さな肩に、いつか私と同じ重さが乗るのか」

胸が、きゅっと締まりました。けれど、窓の外は夕暮れ。街の灯りが、ひとつ、またひとつと点いていく。これまでは「守るもの」だった灯り。ひとつ消えれば自分の落ち度で、ひとつ揺らげば自分の不安。

「……きれい」

誰かの夕食の湯気、誰かの帰りを待つ窓。もう私の肩には乗っていなくて、ただそこで、あたたかく灯っている。胸に手を当てて、深く息を吸う。こんなに深く息をしたのは、生まれて初めてかもしれない。

「今夜は、眠れなくなる予感がない」

(声を明るくして)

さて、翌日の昼休み。田中、待ち構えておりました。

「おい! 昨日の迎え、結局誰だった。男か」

「男の子だった」

「男の子!?」

「四、五歳」

「……ライバルは四歳か。それなら勝てる」

「何の話」

「いや、こっちの話だ」

「それがね、田中。力の半分、渡してきた」

「は?」

「街ひとつ分の力。半分、あの子に」

「何の話だ。熱でもあるのか」

「残りの半分で、何しようかなって」

「待て待て、話が見えん」

「病に苦しむ人を楽にするか、遠い国で揺れてる大地を鎮めるか」

「スケールがでかい!」

「あるいは、好きな人と、好きなだけ笑って暮らすか」

田中、箸が止まる。

「……好きな人」

「うん」

「それは、その、誰のことだ」

「ずいぶん贅沢な使い道でしょ」

「ずいぶん贅沢な使い道だねえ! ……いや、そうじゃなくて、誰だ」

「選べるってこと自体が、贅沢なの」

「質問に答えてくれ」

「昨日より、顔色いいでしょ。ぐっすり眠れたから」

「顔色は赤いぞ、こっちが」

(扇子をぱちんと開く)

「好きな人ってのは、俺か、俺じゃないか。丁か半かで言ってくれ」

「半」

「半!? どっちだ、半ってのは!」

「半分は、田中」

「半分! じゃあ、残り半分は」

「それは、次の御開帳までのお楽しみ」

「二十年待つのか!」

――御開帳で、半と出ました。

お後がよろしいようで。

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JJ

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