新作落語「御開帳」
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
いろんな物語を落語にしてみました。 未来の話も、不思議な話も、ちょっと笑える話も。 一話ごとに、いろんな世界をお楽しみください。
本文
(軽く咳払いをひとつ)
えー、お運びいただきましてありがとうございます。
最近は「ハザードマップ」というものがございまして、引っ越す前に、その土地が危ないかどうか、スマホでぴぴっと調べられる。ありがたい時代です。ところが世の中には、調べても理由が書いていない、やたらと安全な街というのがあるそうで。
誕生日の前の晩、会社帰りの居酒屋で、同期の田中と私が、生ビールを飲んでおります。田中、さっきから落ち着かない。
「お前の地元って、地震がないんだって?」
「うん。うちの街、地震が起きたことがないの」
「へえ、地盤がいいんだ」
「台風は進路を逸れるし、川は溢れないし、大きな火事も出ない」
「奇跡の街だな。……いい街なんだろうな。一度、行ってみたいなあ」
「来る?」
「え、いいの!? いや、その、観光でな、観光で」
「顔、赤いよ」
「ビールのせいだ」
「まだ一口目でしょ」
(扇子で膝をぽん)
「理由は考えたことないけど、ひとつだけ思い当たることがあってね。空が荒れる前の晩は、きまって眠れなくなるの」
「不眠症か」
「窓の外は静かなのに、胸の奥だけざわついて、朝方まで寝返り。翌朝、遠くの空で雲が割れて、嵐が街を避けていくのをぼんやり眺めるの」
「そこだけ聞くとカッコいいな」
「理由の分からない疲れだけが、体に残る」
「地味だな! 天気に負けてるじゃないか」
「体質だと思ってる」
「体質で済ませるなよ。……心配になるだろ」
「ありがと」
「いや、同期として、な。同期として」
(声を落として)
「明日、二十四の誕生日でさ」
「知ってる」
「なんで知ってるの」
「いや、その、人事の名簿で、たまたま」
「見たの?」
「たまたま目に入っただけだ」
「たまたま、ね」
「……あのさ、明日、空いてるか。飯でも、どうかと思って」
「それが、実家から迎えが来るんだって」
「迎え? 誰が」
「母から電話で、『明日の朝、迎えが行くから』って、それだけ」
「男か!」
「知らないよ」
「黒い車で来たら、俺は許さないぞ」
「許さないって何の立場なの」
「……同期の立場だ」
(扇子を前に出す)
さて、翌朝。家の前に、黒い車が停まっている。長く、深い艶をたたえた車体。白い手袋の運転手は、私が出ていくと何も言わずに後部座席の扉を開けた。
「え、本当に黒い車。田中の言った通りじゃない」
玄関では、両親が深く頭を下げている。
「ちょっと、お父さん、お母さん、なんで頭下げるの」
母は少し泣いている。
「お母さん? 嬉しいの? 悲しいの?」
「……ううん」
「行っておいで」
と、父が言ったのはそれだけ。
車内には、先客がおりました。四、五歳ほどの男の子。小さな革靴を揃え、背筋を伸ばして座っている。私を見ると、わずかに首をかしげて微笑んだ。
「あ、あの、こんにちは」
「こんにちは」
落ち着いた声が返ってくる。人見知りする年頃のはずなのに、怖がる様子がない。車は街の中心を離れ、古い杉の並木道へ。見慣れているはずの景色が、なぜか懐かしい。
「ねえ、ぼく。どうして、私のことばかり見てるの」
「あなたを、知っている気がするから」
「あはは、人違いじゃないかな」
笑ってごまかしたものの、胸の奥が小さく震えた。
(間)
着いたのは、どの地図にも載っていない御堂。白木の柱に、苔むした石畳。出迎えたのは二十人ほどの人々で、年齢も服装もまちまちなのに、誰もが同じ静けさをまとっている。私を見ると、言葉もなく深く礼をした。
「あの……私、何かしましたか?」
誰も答えない。奥の間へ通されると、畳の中央に、白い絹をかけた台。住職のような老人が進み出て、
「お開けします」
「おかい……? 賭場みたいな言い方ですね」
「御開帳でございます」
絹が、するりと滑り落ちた。現れたのは、五十センチほどの観音様。立ち姿で、細くやさしい肩の線、伏せた瞼、胸の前で静かに組まれた指。金とも木ともつかない、淡い光を含んだ質感。
「……きれい」
美しい、という言葉では足りない。そして、その顔を見た瞬間。
(間)
音が、消えた。
衣擦れも、誰かの呼吸も、遠い鳥の声も。埃の粒さえ宙に留まって、自分の鼓動だけが聞こえる。一度、二度。
「……ああ。これは、私だ」
「は? 私、いま何て言った? 仏像に向かって『私だ』って……」
考えたのでも、思い出したのでもない。自分の手を見て「これは私の手だ」と分かるのと同じ確かさで、ただ、分かった。
「ちょっと待って。四歳……同じ畳の上……私が決めた……この街の人が、怯えずに暮らせるようにって……」
老人、静かにうなずく。
「あの日の記憶は、ずっとこの器が預かっておりました」
「預かってたんですか! バックアップ取ってたみたいな話ですね」
(扇子をぱちんと鳴らす)
「じゃあ、あの眠れない夜は」
「あなた様が、糸の先で災いを受け止めておられた夜です」
「地震を、手で?」
「地面が揺れかければ、そっと手を添え、川が牙を剥きかければ、静かに流れを変え」
「私、街のインフラだったんですか!」
「二十年ごとに、この器は開かれます。守ってきた意識は、いったん本来の持ち主のもとへ戻り、やがて次の器へ」
私は膝をついて、仏像に触れました。冷たくない。体温より少し温かい、陽だまりのような手触り。指先から光が流れ込んで、街の隅々に張りめぐらせた糸が、するすると手繰り寄せられ、胸の奥に収まっていく。目を閉じると、街が見えた。眠る赤ん坊。仕事帰りの疲れた背中。窓辺で猫を撫でる老人。
「……力が、全部戻ってきた。ひとりで抱えるには、大きすぎる」
「それを、次の者と分かち合うのです」
振り向くと、車の男の子が、すぐそばに立っている。
「……あなたが、次なのね」
「うん。ずっと前から、決まっていたんだ」
「四歳が『ずっと前から』って言うの、重いなあ」
膝をついたまま、彼の頭にそっと手を置く。やわらかい髪の感触。私の力の半分が、掌から流れ出していく。温かい水が器に満ちるように、静かに、ゆっくり。男の子の瞳の奥に、小さな光が灯った。同時に、彼の胸から細い光の糸が立ちのぼって、台の上の仏像へ吸い込まれていく。
仏像が震える。輪郭がほどけて、観音様のやわらかな姿が、少しずつ、小さな男の子の姿へ。三十センチほどの、あどけない童子像。口元には、さっきの男の子と同じ微笑み。
老人が、静かに絹をかけ直す。信徒たちが、一斉に頭を下げた。私にではない。私と、男の子と、絹の下の童子に向けた、感謝の礼でした。
(間)
帰りの車は、私ひとり。隣の席を見ると、男の子が座っていた場所に、小さなへこみが残っている。触れると、まだ少しだけ温かい。
御堂の門の前に、男の子が立っていた。老人に手を引かれ、手を振るでもなく、泣くでもなく、ただ静かに見送っている。角を曲がって見えなくなるまで、一度も目をそらさなかった。
「あの子は、これから二十年。ふつうの子供として育って……あの小さな肩に、いつか私と同じ重さが乗るのか」
胸が、きゅっと締まりました。けれど、窓の外は夕暮れ。街の灯りが、ひとつ、またひとつと点いていく。これまでは「守るもの」だった灯り。ひとつ消えれば自分の落ち度で、ひとつ揺らげば自分の不安。
「……きれい」
誰かの夕食の湯気、誰かの帰りを待つ窓。もう私の肩には乗っていなくて、ただそこで、あたたかく灯っている。胸に手を当てて、深く息を吸う。こんなに深く息をしたのは、生まれて初めてかもしれない。
「今夜は、眠れなくなる予感がない」
(声を明るくして)
さて、翌日の昼休み。田中、待ち構えておりました。
「おい! 昨日の迎え、結局誰だった。男か」
「男の子だった」
「男の子!?」
「四、五歳」
「……ライバルは四歳か。それなら勝てる」
「何の話」
「いや、こっちの話だ」
「それがね、田中。力の半分、渡してきた」
「は?」
「街ひとつ分の力。半分、あの子に」
「何の話だ。熱でもあるのか」
「残りの半分で、何しようかなって」
「待て待て、話が見えん」
「病に苦しむ人を楽にするか、遠い国で揺れてる大地を鎮めるか」
「スケールがでかい!」
「あるいは、好きな人と、好きなだけ笑って暮らすか」
田中、箸が止まる。
「……好きな人」
「うん」
「それは、その、誰のことだ」
「ずいぶん贅沢な使い道でしょ」
「ずいぶん贅沢な使い道だねえ! ……いや、そうじゃなくて、誰だ」
「選べるってこと自体が、贅沢なの」
「質問に答えてくれ」
「昨日より、顔色いいでしょ。ぐっすり眠れたから」
「顔色は赤いぞ、こっちが」
(扇子をぱちんと開く)
「好きな人ってのは、俺か、俺じゃないか。丁か半かで言ってくれ」
「半」
「半!? どっちだ、半ってのは!」
「半分は、田中」
「半分! じゃあ、残り半分は」
「それは、次の御開帳までのお楽しみ」
「二十年待つのか!」
――御開帳で、半と出ました。
お後がよろしいようで。
作品統計
📚 本を探すなら「よみどき」(あいぺんが運営する本の発見サイト)
130万冊を超えるコミック・小説・書籍の順位と値段を毎日みて、いま読むものを決められます。