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第4話 古い言葉

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/10/28 📚 シリーズ: 手の中の土、歪んだ器 📝 2,816文字 ✅ 全年齢

あらすじ

紬は興味本位で保存会をのぞきに来るが、年長者の遠慮ない言い回しに眉をひそめる。文江の急ぐと歪むよという助言だけで、実麗の背中には叱責を待つ緊張が走る。中学で返事が遅いと責められた記憶が喉に刺さる。けれど保存会では誰も怒鳴らず、待ってくれる。ひびの入りかけた土ほど景色を宿す器になるという噂があった。世代差のある会話に紬は古すぎると言い、実麗は言い返せない。

本文

「ここ?」

紬が路地の奥をのぞきこんだ。

店の灯りの切れた先に、ひとつだけ橙色の明かりが浮いている。

実麗は鞄の持ち手を握りなおした。

「……うん」

「へえ」

紬は半歩前に出る。

スニーカーの先が、土の乾いた地面をこすった。

「ほんとに来てたんだ、こんなとこ」

その言い方に、実麗の肩が少しだけ内側へ入る。

「別に、こんなとこって」

「だって夜だよ?」

紬は笑った。

軽い笑い方。

でも目は、さっきからずっと奥を見ている。

実麗は引き戸の前で立ち止まった。

硝子の向こうに、人の影が揺れる。

低い話し声。

水の音。

土の匂い。

「入るの?」

「……見たいって言ったの、紬でしょ」

「うん。ちょっとだけね」

ちょっとだけ。

その言葉に、実麗はうなずいた。

うなずきながら、喉の奥が細くなる。

戸を開ける。

「こんばんは」

先に声を出したのは実麗だった。

少しかすれた声。

でも、ちゃんと届いた。

「おや、こんばんは」

倉橋清太郎が顔を上げる。

そのあとで紬に気づいて、目尻をやわらげた。

「お友達?」

「……同じクラスの」

「紬です」

紬が先に言って、小さく頭を下げる。

倉橋も「どうも」と頭を下げた。

「見学かな。寒いから、戸は閉めていいよ」

実麗は後ろを振り返る。

紬はきょろきょろしながら中へ入ってきた。

棚の器。

ろくろ。

濡れた布。

紬の目がひとつひとつに止まる。

「すご。ほんとにやってるんだ」

その声で、実麗の指先がぴくっと動く。

何気ないひと言のはずなのに、言い返せない。

文江が布をたたみながら顔を上げた。

「こんばんは。見に来たの?」

「はい」

「ゆっくりしていきなさい」

紬は会釈して、実麗のそばに立つ。

実麗はろくろの前の椅子に座った。

いつもの位置。

膝をそろえる。

背筋を伸ばす。

でも、いつもより肩に力が入る。

「今日はこれ、削りの続きね」

倉橋が器をそっと置く。

伏せた器の底に、灯りが丸く乗る。

「はい」

実麗は返事をした。

少し早すぎた。

自分でもわかる。

わかった瞬間、喉がきゅっとなる。

中学の体育館。

笛。

「返事」

「聞こえない」

「やる気あるの」

耳の奥がざらつく。

「急ぐと歪むよ」

文江の声がした。

その一言だけで、実麗の背中がぴんと張る。

指先に力が入り、道具を持つ角度が固くなる。

次に来る声を待つ。

遅い。

何回言わせるの。

ちゃんとしなさい。

喉の奥に、昔の言葉が刺さる。

「……っ」

息が浅くなる。

けれど、その次は来なかった。

文江は実麗の手元を見て、ただそれだけ言っていた。

倉橋も黙って、器が回るのを見ている。

誰も眉をつらくしない。

誰も声を荒げない。

紬がその空気を見比べるみたいに、倉橋と文江を交互に見た。

「今の、注意?」

ぽろっと落ちた声に、実麗の肩がまたこわばる。

文江は目を丸くした。

「注意というか、助言ねえ」

「へえ」

紬は眉をひそめた。

少しだけ。

でも実麗にはそれがよく見えた。

「なんか、言い方きつくないですか?」

場の空気が、ほんの少し止まる。

実麗の指先が冷える。

今、何か起きる。

そう思って、息を止める。

けれど倉橋は穏やかなままだった。

「そう聞こえたなら、ごめんね」

紬は一瞬、言葉を失った顔をした。

「いや、べつに……」

「実麗さん、びっくりした?」

文江が実麗を見る。

責める目じゃない。

ただ、確かめる目だった。

実麗は口を開く。

声が出ない。

返事が遅い。

またそれで何か言われる。

喉がひりつく。

「……だい、じょうぶです」

やっと出た声は、少し掠れていた。

文江は「うん」とうなずいた。

「ならよかった。急がなくていいからね」

急がなくていい。

その言葉が、喉に刺さっていたものを少しだけゆるめた。

倉橋が器を軽く押さえる。

「待ってるから、ゆっくりでいいよ」

待ってる。

そのひと言に、実麗の目がわずかに揺れる。

待ってる。

早くしろじゃなくて。

返事はまだかじゃなくて。

待ってる。

実麗は小さく息を吐いた。

それから、道具を当てる。

しゃり、と薄い土がはがれる。

細く丸まって落ちる。

「そうそう」

倉橋の声が低くつづく。

「そのまま」

紬は少し離れたところで腕を組んだ。

棚の器を見て、ろくろを見て、また文江を見る。

「でも、そういう言い方、古くないですか」

実麗の手が止まりかける。

文江が「あら」と笑う。

怒った顔ではない。

でも紬は笑っていない。

「古い?」

「なんか、遠慮ないっていうか」

「そうかもしれないねえ」

文江は布で手をぬぐう。

ゆっくり。

いつもどおり。

「年を取ると、まっすぐ言っちゃうことがあるのよ」

「それで傷つく人、いると思います」

その言葉で、実麗の胸がぎゅっと縮む。

言い返せない。

紬が間違っているとも言いきれない。

でも、ここでそれを言われるのがつらい。

器の縁に、爪がかすかに触れる。

ぴし、とごく小さな音がした気がして、実麗は息をのむ。

「大丈夫」

倉橋がすぐに言った。

低い声。

急がない声。

「ひび、入りかけの土ほど景色を宿すって言うしね」

文江がふっと笑う。

「ねえ、そういう噂」

実麗は器を見つめた。

ほんのわずかな筋。

まだ壊れていない。

まだ、持っていける。

「続けてごらん」

倉橋の声に、実麗はこくりとうなずいた。

指先はまだ少し震えている。

でも、さっきよりちゃんと土に触れられる。

しゃり。

しゃり。

削った薄片がろくろのまわりに積もっていく。

紬がその音を聞きながら、小さく鼻で息をした。

「私、無理かも。こういうの」

誰に言うでもないみたいな口調。

でも、ちゃんと聞こえる大きさだった。

実麗は顔を上げない。

上げたら何かこぼれそうだった。

「古すぎるし」

そのひと言が、灯りの中で冷たく落ちる。

文江は少しだけ目を細めた。

けれど、言い返さなかった。

倉橋も、土を見ている。

実麗の唇がうすく結ばれる。

言い返せない。

ここはそんな場所じゃない。

でも、だからこそ、うまく守れない。

「……そうかも」

やっと出た声は、自分のものなのに遠かった。

紬がちらっと実麗を見る。

「蘭は平気なんだ」

平気。

その言葉に、実麗の指先が止まる。

平気じゃない。

でも、平気じゃないと言う口がない。

「……ここ、静かだから」

やっとそれだけ言う。

紬は少しだけ目を見開いた。

「静か、ね」

文江がふっと笑う。

「怒鳴る人がいないだけよ」

倉橋が「それは大きい」と言って、くすっと笑った。

その笑い声に、実麗の肩の力がほんの少し落ちる。

紬は笑わなかった。

でも、さっきより口を閉じていた。

棚の器を見る。

回るろくろを見る。

実麗の手元を見る。

「……待ってくれるんだね」

ぽつりと、紬が言った。

実麗はそこで初めて顔を上げた。

紬の目は、さっきの刺すような色ではなかった。

少しだけ、迷ったみたいな目だった。

「うん」

実麗は小さく答える。

「待ってくれる」

それだけ言うと、喉の奥がじんとした。

でも今度は、刺さる痛みじゃなかった。

倉橋が、できあがりに近い器をそっと手で示す。

「ほら、いい形」

文江もうなずく。

「急がなかったからよ」

実麗は器を見る。

まだ完璧じゃない。

少し頼りない。

でも、自分の手でここまで来た形だった。

紬は何も言わずに、その器を見ていた。

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作者について

津組セナ

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