第5話 選ぶということ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
地域イベントの出品話が持ち込まれ、地域イベントへの出品を勧められた実麗は、思わず尋ねる。私の出品って私が決めるんですか、決定事項じゃないんですか。場が静まり、清太郎はここでは自分で決めるのだと穏やかに答える。中学では大会に出るか聞かれたこともなく、顧問がレギュラーを発表するだけだった記憶が胸を刺す。自分で選んだ器は焼き色まで違うという噂がある。継承のため若い手がほしい現実も知り、実麗は初めて迷いながら前向きになる。だが文江の一言が傷を揺らす。
本文
「実麗さん」
倉橋清太郎が、棚の上の紙を指でとんとんと叩いた。
薄い案内の紙が、灯りの下でかすかに揺れる。
「来月の地域イベントね、出品してみない?」
実麗の手が止まった。
濡れた布を絞る指先が、そのまま動かない。
水が一滴、ぽたりと落ちる。
「……出品」
「うん」
倉橋は、いつもの声で言う。
低くて、急がない声。
「無理にとは言わないよ。どうかなと思って」
どうかな。
その言葉が、実麗の胸の奥で引っかかった。
文江が近くで器を見ながら笑う。
「見てもらうの、励みになるのよ」
「若い子の作品があると、場も明るくなるしねえ」
誰かがそう言って、奥でうなずいた。
実麗は紙を見た。
地域イベント。
展示。
出品。
その文字を追っているうちに、喉がひりついた。
大会、出場者発表します。
返事。
前へ。
おまえはこっち。
決定だから。
指先が冷たくなる。
「……あの」
声が、自分でもわかるくらい細い。
その場の空気が少しだけ静かになる。
倉橋が顔を上げる。
「うん」
実麗は唇を湿らせた。
言っていいのか、言ったら変じゃないか、考える間に心臓が速くなる。
でも、もう引っこめられなかった。
「私の出品って」
そこで一度、息が止まる。
喉の奥がぎゅっと閉まる。
それでも、続ける。
「私が決めるんですか?」
場がしん、とした。
実麗はその沈黙に、すぐ後悔した。
また変なことを言った。
そんなの当たり前だと思われる。
何それって顔をされる。
そう思った瞬間、肩がこわばる。
「決定事項じゃないんですか?」
最後のひと言は、ほとんど落ちるみたいに出た。
文江の手が止まる。
紬も黙って実麗を見る。
倉橋は、少しだけ目を丸くした。
けれど、すぐにやわらいだ。
「ここでは」
ゆっくりした声だった。
「自分で決めるんだよ」
実麗はまばたきをした。
一回。
もう一回。
倉橋は紙を持ち上げて、机の上に置いた。
「出したいなら出す。まだやめておこうでもいい。見送るでもいい」
ぽん、と紙を指先で押さえる。
「決めるのは、実麗さん」
実麗の喉が、ひくっと鳴った。
返事が出ない。
出ないことを責める声が来る気がして、背中が強張る。
でも、来ない。
待っている沈黙だった。
文江がそっと口を開く。
「この会ね、継承って言ってるでしょう」
実麗は顔を向ける。
「ええ」
「だから、若い手はほしいのよ」
文江は笑っている。
やわらかい笑い方。
でも実麗の胸はちくりとした。
若い手。
必要。
ほしい。
それは責任みたいにも聞こえた。
断ったらがっかりされる気がした。
期待に応えなきゃいけない気がした。
「……私なんかでも」
ぽろっと出た声に、倉橋が首を振る。
「実麗さんだから、だよ」
そのひと言に、実麗は目を上げた。
「削り、丁寧だしね」
「土の持ち方がやさしいのよ」
文江も続ける。
その言葉はうれしい。
うれしいのに、胸の奥が落ち着かない。
選んでください。
出てください。
任されたんだから。
逃げるな。
昔の声が、勝手によみがえる。
実麗は膝の上で指を組んだ。
親指の爪を、反対の指先で押す。
少し痛い。
その痛みで、ここに戻る。
「自分で選んだ器は、焼き色まで違うって言うしねえ」
文江が、ふっと笑った。
「え」
「ほら、そういう話あるでしょう。気持ちが入った土は火の中でも顔が変わるって」
倉橋が苦笑する。
「また文江さんの好きな噂だ」
「いいじゃない。私は好きよ」
文江の目尻が下がる。
実麗はその顔を見て、少しだけ息をついた。
焼き色まで違う。
そんなこと、あるのかなと思う。
でも、ないと言いきるのも惜しい気がした。
「……迷っても、いいですか?」
倉橋はすぐにうなずいた。
「もちろん」
「今、決めなくても?」
「今じゃなくていいよ」
「考えてからでも?」
「うん」
短い返事。
でも、その一つ一つが、実麗の肩を少しずつ下げていく。
紬が横で、じっと案内の紙を見ていた。
口は挟まない。
でも、実麗にはその視線がわかる。
文江が器を並べながら言う。
「せっかく勧めてもらったなら、出したほうがいいとは思うけどねえ」
その一言で、実麗の背中にさっと緊張が走る。
喉の奥がまた細くなる。
出したほうがいい。
ほうがいい。
それはすすめなのか、ほとんど決まりなのか。
耳の奥で線引きがぐらつく。
「文江さん」
倉橋がやわらかく呼ぶ。
「ああ、そうねえ」
文江はすぐに実麗を見た。
「決めるのは実麗ちゃんね」
笑って言い直した。
責める顔じゃない。
でも、最初の一刺しは残っている。
実麗はうなずいた。
うなずきながら、胸のあたりを手で押さえたくなる。
しない。
代わりに、そばの器へ目を向ける。
まだ焼く前の、やわらかな色。
少し頼りない縁。
でも、自分で選んで触ってきた土だった。
「出したい、わけじゃなくて」
実麗の声が、ぽつりとこぼれる。
みんなが黙る。
誰も急かさない。
「出したくない、わけでもなくて」
言いながら、自分でその言葉を確かめる。
そうだ。
嫌だと言い切れない。
怖いだけでもない。
「……迷います」
倉橋が小さく笑った。
「それでいいよ」
「迷ってるってことは、ちゃんと自分で考えてるってことだ」
文江もうなずく。
「人に決められた返事じゃないものねえ」
その言葉に、実麗のまつ毛がわずかに震えた。
人に決められた返事。
胸の奥に残っていた固いものが、少しだけほどける。
紬がそこで、ようやく口を開いた。
「蘭が、自分で迷ってるの、なんか新鮮」
実麗ははっとして紬を見る。
紬は笑っていなかった。
茶化している顔でもなかった。
まっすぐ見ていた。
「いつも、やる前に追い詰められたみたいな顔するから」
実麗は目をそらした。
図星だった。
耳が熱い。
「……うるさい」
小さく返すと、紬は少しだけ口元をゆるめた。
「でも、いまはちょっと違う」
そのひと言が、思ったより深く入ってくる。
実麗は何も返せなかった。
ただ、案内の紙をもう一度見た。
出品。
展示。
名前。
怖い。
でも、前みたいにただ押しつけられるだけじゃない。
迷っていい。
考えていい。
決めるのは自分。
そのことが、こわくて、少しあたたかい。
「……考えます」
実麗が言うと、倉橋はうなずいた。
「うん」
「返事は急がなくていい」
文江も、今度は静かに笑った。
「悩むのも、若い手の仕事かもしれないねえ」
その言い方に、実麗は少しだけ笑った。
ほんの少し。
でも、自分からこぼれた笑いだった。
机の上の器に、灯りが落ちる。
まだ火に入っていない土の色が、やわらかく見えた。
実麗はそっと、その縁に触れた。