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第5話 選ぶということ

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/10/29 📚 シリーズ: 手の中の土、歪んだ器 📝 2,561文字 ✅ 全年齢

あらすじ

地域イベントの出品話が持ち込まれ、地域イベントへの出品を勧められた実麗は、思わず尋ねる。私の出品って私が決めるんですか、決定事項じゃないんですか。場が静まり、清太郎はここでは自分で決めるのだと穏やかに答える。中学では大会に出るか聞かれたこともなく、顧問がレギュラーを発表するだけだった記憶が胸を刺す。自分で選んだ器は焼き色まで違うという噂がある。継承のため若い手がほしい現実も知り、実麗は初めて迷いながら前向きになる。だが文江の一言が傷を揺らす。

本文

「実麗さん」

倉橋清太郎が、棚の上の紙を指でとんとんと叩いた。

薄い案内の紙が、灯りの下でかすかに揺れる。

「来月の地域イベントね、出品してみない?」

実麗の手が止まった。

濡れた布を絞る指先が、そのまま動かない。

水が一滴、ぽたりと落ちる。

「……出品」

「うん」

倉橋は、いつもの声で言う。

低くて、急がない声。

「無理にとは言わないよ。どうかなと思って」

どうかな。

その言葉が、実麗の胸の奥で引っかかった。

文江が近くで器を見ながら笑う。

「見てもらうの、励みになるのよ」

「若い子の作品があると、場も明るくなるしねえ」

誰かがそう言って、奥でうなずいた。

実麗は紙を見た。

地域イベント。

展示。

出品。

その文字を追っているうちに、喉がひりついた。

大会、出場者発表します。

返事。

前へ。

おまえはこっち。

決定だから。

指先が冷たくなる。

「……あの」

声が、自分でもわかるくらい細い。

その場の空気が少しだけ静かになる。

倉橋が顔を上げる。

「うん」

実麗は唇を湿らせた。

言っていいのか、言ったら変じゃないか、考える間に心臓が速くなる。

でも、もう引っこめられなかった。

「私の出品って」

そこで一度、息が止まる。

喉の奥がぎゅっと閉まる。

それでも、続ける。

「私が決めるんですか?」

場がしん、とした。

実麗はその沈黙に、すぐ後悔した。

また変なことを言った。

そんなの当たり前だと思われる。

何それって顔をされる。

そう思った瞬間、肩がこわばる。

「決定事項じゃないんですか?」

最後のひと言は、ほとんど落ちるみたいに出た。

文江の手が止まる。

紬も黙って実麗を見る。

倉橋は、少しだけ目を丸くした。

けれど、すぐにやわらいだ。

「ここでは」

ゆっくりした声だった。

「自分で決めるんだよ」

実麗はまばたきをした。

一回。

もう一回。

倉橋は紙を持ち上げて、机の上に置いた。

「出したいなら出す。まだやめておこうでもいい。見送るでもいい」

ぽん、と紙を指先で押さえる。

「決めるのは、実麗さん」

実麗の喉が、ひくっと鳴った。

返事が出ない。

出ないことを責める声が来る気がして、背中が強張る。

でも、来ない。

待っている沈黙だった。

文江がそっと口を開く。

「この会ね、継承って言ってるでしょう」

実麗は顔を向ける。

「ええ」

「だから、若い手はほしいのよ」

文江は笑っている。

やわらかい笑い方。

でも実麗の胸はちくりとした。

若い手。

必要。

ほしい。

それは責任みたいにも聞こえた。

断ったらがっかりされる気がした。

期待に応えなきゃいけない気がした。

「……私なんかでも」

ぽろっと出た声に、倉橋が首を振る。

「実麗さんだから、だよ」

そのひと言に、実麗は目を上げた。

「削り、丁寧だしね」

「土の持ち方がやさしいのよ」

文江も続ける。

その言葉はうれしい。

うれしいのに、胸の奥が落ち着かない。

選んでください。

出てください。

任されたんだから。

逃げるな。

昔の声が、勝手によみがえる。

実麗は膝の上で指を組んだ。

親指の爪を、反対の指先で押す。

少し痛い。

その痛みで、ここに戻る。

「自分で選んだ器は、焼き色まで違うって言うしねえ」

文江が、ふっと笑った。

「え」

「ほら、そういう話あるでしょう。気持ちが入った土は火の中でも顔が変わるって」

倉橋が苦笑する。

「また文江さんの好きな噂だ」

「いいじゃない。私は好きよ」

文江の目尻が下がる。

実麗はその顔を見て、少しだけ息をついた。

焼き色まで違う。

そんなこと、あるのかなと思う。

でも、ないと言いきるのも惜しい気がした。

「……迷っても、いいですか?」

倉橋はすぐにうなずいた。

「もちろん」

「今、決めなくても?」

「今じゃなくていいよ」

「考えてからでも?」

「うん」

短い返事。

でも、その一つ一つが、実麗の肩を少しずつ下げていく。

紬が横で、じっと案内の紙を見ていた。

口は挟まない。

でも、実麗にはその視線がわかる。

文江が器を並べながら言う。

「せっかく勧めてもらったなら、出したほうがいいとは思うけどねえ」

その一言で、実麗の背中にさっと緊張が走る。

喉の奥がまた細くなる。

出したほうがいい。

ほうがいい。

それはすすめなのか、ほとんど決まりなのか。

耳の奥で線引きがぐらつく。

「文江さん」

倉橋がやわらかく呼ぶ。

「ああ、そうねえ」

文江はすぐに実麗を見た。

「決めるのは実麗ちゃんね」

笑って言い直した。

責める顔じゃない。

でも、最初の一刺しは残っている。

実麗はうなずいた。

うなずきながら、胸のあたりを手で押さえたくなる。

しない。

代わりに、そばの器へ目を向ける。

まだ焼く前の、やわらかな色。

少し頼りない縁。

でも、自分で選んで触ってきた土だった。

「出したい、わけじゃなくて」

実麗の声が、ぽつりとこぼれる。

みんなが黙る。

誰も急かさない。

「出したくない、わけでもなくて」

言いながら、自分でその言葉を確かめる。

そうだ。

嫌だと言い切れない。

怖いだけでもない。

「……迷います」

倉橋が小さく笑った。

「それでいいよ」

「迷ってるってことは、ちゃんと自分で考えてるってことだ」

文江もうなずく。

「人に決められた返事じゃないものねえ」

その言葉に、実麗のまつ毛がわずかに震えた。

人に決められた返事。

胸の奥に残っていた固いものが、少しだけほどける。

紬がそこで、ようやく口を開いた。

「蘭が、自分で迷ってるの、なんか新鮮」

実麗ははっとして紬を見る。

紬は笑っていなかった。

茶化している顔でもなかった。

まっすぐ見ていた。

「いつも、やる前に追い詰められたみたいな顔するから」

実麗は目をそらした。

図星だった。

耳が熱い。

「……うるさい」

小さく返すと、紬は少しだけ口元をゆるめた。

「でも、いまはちょっと違う」

そのひと言が、思ったより深く入ってくる。

実麗は何も返せなかった。

ただ、案内の紙をもう一度見た。

出品。

展示。

名前。

怖い。

でも、前みたいにただ押しつけられるだけじゃない。

迷っていい。

考えていい。

決めるのは自分。

そのことが、こわくて、少しあたたかい。

「……考えます」

実麗が言うと、倉橋はうなずいた。

「うん」

「返事は急がなくていい」

文江も、今度は静かに笑った。

「悩むのも、若い手の仕事かもしれないねえ」

その言い方に、実麗は少しだけ笑った。

ほんの少し。

でも、自分からこぼれた笑いだった。

机の上の器に、灯りが落ちる。

まだ火に入っていない土の色が、やわらかく見えた。

実麗はそっと、その縁に触れた。

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作者について

津組セナ

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