第4話Stronger than you
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あらすじ
Gravity Noir〜地球滅亡寸前の絶望的な世界。老人はギャグ補正で無双する〜 - 第4話Stronger than you
本文
次の日の朝、時雨はゆっくりと目を覚ました。白い天井、微かな消毒液の匂い、規則正しく鳴る医療機器の電子音。昨日シヴァに蹴り飛ばされ、後頭部を壁へ打ちつけたことを思い出すまでに数秒かかった。体を起こそうとすると首筋に鈍い痛みが走り、思わず小さく顔をしかめる。
「お、起きたか」
ベッド脇の椅子に座っていたゴミトカゲが顔を上げた。その隣ではケリーが腕を組んだまま半分眠っていたらしく、時雨が動いた気配に気づくと目を開けた。「よぉ。起きたかい」二人の声には露骨な安堵が混じっていた。
時雨は少しだけ不思議そうな顔をした。自分が目を覚ましただけなのに、どうしてそんなに安心した顔をするのか分からない。影の庭園では倒れれば役立たずと叱られ、軍では目を覚ませば次の任務を告げられた。それが普通だと思っていた。
ケリーは椅子から立ち上がり、時雨の顔を覗き込んだ。「ちなみになんで、あの時能力を使わなかったんじゃ?」
時雨はしばらく黙り、毛布の端を指でいじった。
「おうち……こわれちゃうから」
ケリーは一瞬だけ言葉を失った。シヴァとの戦闘中、時雨が使った重力は牽制程度だった。本人の魔力量を考えれば、もっと強く重力をかけて動きを封じることもできたはずだ。だがこの地下施設は、時雨にとって出会って数日しか経っていない場所だった。それでも、もう彼女の中では「壊したくない家」になっていた。
「優しいな」
ゴミトカゲがそう言って、時雨の頭を前足で撫でる。時雨は一瞬驚いたあと、すぐに目を細めた。口元がわずかに緩む。昨日までの無表情とは違う、小さな子供みたいな顔だった。
「うへへ……」
ケリーはその様子を見て笑った。「なんか食べたい物はあるか?」
時雨は首を傾げた。質問の意味は分かっている。ただ、自分が何かを食べたいと言って、それを用意してもらうという発想に慣れていなかった。何も答えない時雨を見て、ケリーは質問を変える。
「じゃあ好きな食べ物はあるかい?」
「ん……いちご」
ケリーは数秒考えた。そして突然、廊下に向かって叫んだ。
「タフ! イカボン! スーパー行くぞ!!」
すぐ隣の部屋から地響きのような足音が聞こえた。「ランニングッスね!」タフが元気よく飛び出してくる。一方、寝不足のイカボンは顔を歪めた。
「馬鹿! お前らまだ朝の五時だぞ。どこも開いてねぇよ! あとまだシヴァ寝てるぞ。静かにしろよ!」
「知るか」
ゴミトカゲが即答した。
「お前まで乗るなよ!」
時雨は三人を見比べた。ケリーたちは本当に、自分のためにイチゴを買いに行くつもりらしい。命令でも任務でもなく、ただ自分が好きだと言ったから。それが妙にくすぐったくて、時雨は毛布を口元まで引き上げた。
「……ありがとう」
声は小さかったが、ケリーには聞こえたらしい。「礼はイチゴ食ってから言え」と笑った。
その頃、日本上空を飛ぶ月華連邦の軍用機の中では、まるで正反対の空気が流れていた。
タツオミ・ヤマシロは座席に深く腰を落とし、苛立たしげに足を組んでいた。東京で謎の老人に敗走させられた件は、すでに四天王同士の通信網に流れている。そして当然のように、他の四天王から格好の笑いものにされた。
『チン! お前は四天王の恥晒しなんだよ。いつの間にか消えてたアイツのこと、お前も散々バカにしてたけどよ。俺からしたらお前もアイツも雑魚だよ。まぁ精々足引っ張んなってチン!』
通信が切れたあと、タツオミは舌打ちした。声の主は四天王最強、悪魔の電子レンジだった。電子レンジの癖に偉そうにしやがって。そう思ったが、正面から喧嘩を売る気にはならない。実際、強いからだ。
今回タツオミに下された任務は大阪の調査だった。月華連邦の兵士が、同地域で何十人単位で消えている。通信が途絶え、死体すら回収できていない部隊も多い。「上」は単なるゲリラ活動ではないと判断し、四天王の一人であるタツオミを送り込んだ。
軍用機が高度を落とす。窓の外に見えた河川敷は、すでに一般市民の避難が終わっているはずだった。そこに、妙な二つの影が立っていた。
一つは巨大なクワガタ。
もう一つはサングラスをかけた巨大なモグラ。
タツオミは眉をひそめた。
「……なんだありゃ」
軍用機は河川敷へ着陸した。後部ハッチが開き、タツオミが一人で降りていく。部下たちも続こうとしたが、彼は片手を上げて制した。
「来るな」
「しかしヤマシロ様――」
「相手が本物なら、お前らが何人いても邪魔だ」
その言葉に部下たちは黙った。タツオミは地面へ降り立ち、二つの異形へ向かって歩く。近づくほど異様だった。クワガタは人間の成人ほどの大きさがあり、黒光りする外骨格に傷が無数に走っている。隣のモグラはさらに大きく、肩にピッケルを担ぎ、サングラス越しにこちらを見ていた。
「俺は月華連邦四天王、タツオミ・ヤマシロだ。お前らは何者だ」
クワガタが大顎を鳴らした。
「ワイは狂四郎や。……お前ほんまに四天王か? なんかあんまり強そうに見えへんな」
タツオミの額に青筋が浮かぶ。
「俺は狂四郎のダチのモGURAだ」
「俺が強くなさそうだと?」
タツオミの声が低くなった。東京でケリーに弄ばれ、悪魔の電子レンジには通信越しに笑われ、そのうえ今度は初対面のクワガタにまで舐められた。堪忍袋の緒が切れるには十分だった。
「最初から全開で行く」
彼は右手を掲げた。
「オールイン・ジャックポット」
賭けるのは右足。今後二度とまともに歩けなくなる可能性すらある重要な部位だ。だが、それだけ強化倍率も高い。
賭けは成立し――勝った。
タツオミの全身から凄まじい魔力が噴き出した。地面の砂利が震え、周囲の草が風もないのに倒れていく。筋肉が軋み、視界が異常なほど鮮明になる。血流が加速し、心臓が快楽に近い高揚を伴って脈打つ。
「おぉ! なんか急にオーラが強なったのぉ!」
狂四郎はむしろ大喜びだった。
「……いいぜ。その顔、すぐに消してやる」
タツオミが踏み込んだ。
次の瞬間、姿が消えた。
土煙が遅れて爆ぜる。強化された脚力で一気に間合いを詰め、右手のナイフを狂四郎の首へ振り抜く。だが刃が届く寸前、狂四郎の大顎が微かに動いた。
金属音が鳴る。
ナイフの軌道が逸らされた。
「……!」
「悪くない動きやな」
狂四郎は笑っていた。
タツオミは即座に二撃目、三撃目を放つ。喉、腹、関節、複眼。人型と昆虫の急所を両方想定し、最短距離で刃を走らせる。だが狂四郎はそのすべてを大顎、前脚、体捌きで流した。
速いのではない。
無駄がない。
タツオミは歯を食いしばった。強化後の自分の速度は、月華連邦の精鋭でも目で追えない。東京では時雨の重力障壁すら破った。そのはずなのに、狂四郎は最小限の動きだけで刃をいなし続けている。派手な能力も、光も、魔力の奔流もない。ただ積み重ねた喧嘩の勘と身体操作だけで、こちらの切り札を正面から潰していた。
タツオミはそこに気づいた。目の前のクワガタは、ただ反射神経がいいわけではない。攻撃が来るより前に、肩の動きや重心の変化から軌道を読んでいる。地球上の格闘技を見てきたという経験が、虫の身体に異常な戦闘技術として染み付いていた。
「チッ!」
タツオミが距離を取ろうとした瞬間、横から声が飛ぶ。
「俺の番だぜ、ダチ公!」
モGURAが突進してきた。振り下ろされたピッケルをタツオミはナイフで受ける。衝撃が腕を通って肩まで響いた。
「重っ……!」
「脳汁溢れるだろ?」
モGURAが笑う。
タツオミはナイフを押し返し、強引に後方へ跳んだ。そのまま腰のポーチから小型の炸裂弾を取り出し、地面へ撒き散らす。砂利に紛れた小さな円盤は踏圧に反応して爆発する地雷型兵器だった。
「地上全部、危険地帯だ」
「おっと。地上は危険だな」
モGURAはためらいなく地面へ潜った。
「は?」
土が波打ち、巨体が一瞬で地中へ消える。どこへ行ったのか分からない。気配も足音もない。
その一瞬の戸惑いを、狂四郎は見逃さなかった。
「戦闘は楽しいなぁ!!」
正面から飛び込んでくる。
「大阪名物パチパチパンチや!」
「それ新喜劇の方だろ!」
タツオミが突っ込む暇もなく、狂四郎の突きが腹へ刺さった。
重かった。
鎧の上から大型ハンマーを叩き込まれたような衝撃が腹部を貫き、タツオミの体が地面から浮く。肺の空気が強制的に吐き出され、胃液が喉まで上がってくる。
「がっ……!」
着地する前に、足元の地面が爆ぜた。
モGURAが飛び出してきた。
「遅いぜ」
ピッケルの先端がタツオミの左腕を深く抉った。
「ぐああっ!」
血が飛び散った。
タツオミは転がるように距離を取り、荒い呼吸を繰り返した。右足への強化はまだ残っている。速度も力も、普段の自分とは比較にならないほど高い。それなのに押されている。
狂四郎の一撃を受けた腹には、まだ鈍い痛みが残っていた。右足を賭けて得た強化は確かに本物だ。それでも勝てないという事実が、タツオミには何より耐え難かった。賭けは自分を裏切らない。そう信じて生きてきた男にとって、今目の前にいるクワガタは、その信仰そのものを笑っているように見えた。
狂四郎は追撃せず、むしろ楽しそうに大顎を鳴らしていた。
「確かにこの環境で喧嘩すんのは楽しいな。ほんでお前の能力は……アレか? なんか賭けたら能力上がるみたいなやつか?」
タツオミは答えない。
「その手のやつはな、素の身体能力がないとダメやで」
「うるせぇ!!」
叫んだ瞬間、タツオミの理性が切れた。
今度は右手を股間へ当てた。
「俺は……右キンタマを賭ける!」
モGURAがサングラスの奥で目を細める。
「漢だな」
「そこ褒めるところちゃうやろ」
狂四郎が呆れた。
賭けが成立する。
タツオミは笑った。これで勝てば、さっき以上の強化が――
来なかった。
「……あ?」
次の瞬間、股間を押さえて地面へ崩れ落ちた。
「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!?」
賭けに負けた。
代償は即座に支払われた。右側から脳天へ突き抜けるような激痛が走り、タツオミは地面を転げ回る。
「いてぇぇぇぇぇぇぇ!! ふざけんなぁぁぁぁ!!」
「自分で賭けたんやろ」
「ダチ公、ギャンブルって怖いな」
「せやな」
二人が冷静に話していることが、余計にタツオミを逆上させた。痛みで視界が滲み、呼吸は乱れ、判断力はほとんど消えている。
「殺す……殺す殺す殺す!!」
彼は両手にナイフを構え、狂四郎へ突進した。
「おっ、まだ来るか!」
狂四郎の声は嬉しそうだった。
タツオミは左右から連続で斬りつける。痛みのせいで軌道は荒いが、右足の強化による速度はまだ残っている。刃が幾筋もの銀線となって狂四郎へ迫る。
狂四郎は一歩も退かなかった。
「ええ根性や!」
大顎が閉じる。
ガキン、と凄まじい音が響いた。
右手のナイフが真ん中から折れた。
「なっ――」
続けて左。
もう一度、大顎が噛み合う。
刃が砕けた。
二本のナイフはほぼ同時に破壊され、タツオミの両手には柄だけが残った。
狂四郎が大顎を開く。
「次、どうする?」
その問いに、タツオミは初めて恐怖を覚えた。
こいつは強い。
能力もない。ただのクワガタ。
なのに、今の自分では届かない。
「ヤマシロ様!」
背後から声が飛んだ。
待機命令を破り、月華連邦の兵士たちが駆けてくる。数人がエネルギー銃を乱射し、狂四郎とモGURAの注意を一瞬だけ逸らした。その隙に二人の兵士がタツオミの腕を掴む。
「離せ! 俺はまだ――」
「撤退します!」
「離せって言ってんだろ!」
抵抗するタツオミを半ば引きずるようにして軍用機へ運び込む。狂四郎は追わなかった。飛んでくるエネルギー弾を大顎と前脚で弾きながら、むしろ呆れたように機体を見送る。
モGURAが地面から顔を出した。
「追わなくていいのか?」
「ええわ。あいつ多分また来るやろ」
「分かるぜダチ公」
軍用機は急上昇し、やがて空の彼方へ消えた。
河川敷には再び静けさが戻る。
狂四郎はしばらく空を見上げていたが、やがて大顎を掻いた。
「……なんだったんや?」
モGURAはピッケルを肩へ担ぎ直す。
「哲学的に言えば、己の価値を賭けによって証明しようとした男の魂の漂流だな」
「意味分かって言ってる?」
「全然分からん」
「せやろな」
夕方の大阪の空には、薄い雲が流れていた。河川敷には月華連邦兵の死体と壊れた装備が散らばり、その中心にクワガタとモグラだけが立っている。
月華連邦はまだ知らない。
大阪の被害が少ない理由は、兵力が足りないからでも、防衛線が優秀だからでもない。
ただそこに、月華連邦の兵士を見つけるたびに喧嘩を売って回る、とんでもなく強いクワガタがいたからだった。
そしてその隣には、なぜかそいつを「ダチ」と呼んでついて回る巨大なモグラもいる。
「なぁモGURA」
「なんだダチ公」
「そろそろ四天王のもっと強いやつ来てくれへんかな」
「分かるぜダチ公」
二人は何事もなかったように河川敷を歩き出した。
一方その頃、遠く離れた地下施設では、ケリーが朝五時から開いている店を必死に検索していた。
「イチゴ……イチゴ……時雨のイチゴ……」
「コンビニでいいだろ!」
「スーパーの方が美味しいッス!」
「お前会計士のくせにそこだけ堅実だな!」
時雨はベッドの上で、その騒ぎを聞きながら小さく笑っていた。