第10話Counter
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あらすじ
Gravity Noir〜地球滅亡寸前の絶望的な世界。老人はギャグ補正で無双する〜 - 第10話Counter
本文
月が雲へ隠れ、東京スカイツリーの周囲から光が消えた。その一瞬を、時雨は待っていた。懐から抜いた拳銃で街灯を撃ち抜き、視界を完全な闇へ沈める。アカツキの戦い方は徹底的に「見る」ことへ依存している。ならば見えなければいい。単純だが、少なくとも一瞬だけはデータの外へ出られる。
「能力解放アクティベータ」
左目が紫色に強く輝く。時雨は刀身ではなく、自分の体へ向かう重力の方向を横へずらした。普通なら地面へ引かれるはずの力が、瞬間的に横方向の加速へ変換される。足を蹴るより先に体が飛び、漆黒の刀身が闇に溶けた。
「彩雲!」
黒重が横一文字に走る。
アカツキの手前にいた二人の兵士は、その攻撃を認識することすらできなかった。闇夜の中では黒い刃が見えない。重力で限界まで加速した横薙ぎが二人の首を同時に通過し、遅れて血が噴き上がった。二つの頭部が床へ落ち、その音だけが暗闇の中へ鈍く響く。
「……素晴らしい」
アカツキの声がした。
怯えていない。
むしろ笑っている。
次の瞬間、乾いた発砲音が響いた。照明弾が高く撃ち上げられ、白い光が周囲を強烈に照らし出す。闇は一瞬で消え、時雨の姿も黒重の位置も丸見えになった。
「暗闇を利用し、黒い刀を視認しにくくする。そこへ重力加速を組み合わせる。既存データにはありませんでした」
アカツキは巨大な盾を前へ構えた。
「だから今、記録しました」
時雨は歯を食いしばり、そのまま斬り込む。彩雲の勢いを残した一撃が盾へ激突し、金属音がスカイツリーの壁に反響した。盾は大きく凹んだが、破壊には至らない。
時雨はそこで初めて、アカツキが単に防御の堅い相手ではないと理解した。盾を構える角度が毎回微妙に違う。刃を真正面から受けているのではなく、力の流れる方向を読んで衝撃を逃がしている。時雨が斬るより先に、どこへ力が抜けるかまで計算されていた。力任せに押し切ろうとすればするほど、黒重の軌道は少しずつずらされていく。
「硬い……!」
「対能力者用複合装甲です」
アカツキは盾を押し返す。時雨はすぐ距離を取ろうとした。近距離では重力場を広げられない。数メートルでも離れれば、自分を巻き込まずに圧力をかけられる。
しかしアカツキは離さなかった。
左手が時雨の右腕を掴む。
「……っ!」
時雨は即座に黒重を返し、アカツキの腕へ斬りつける。ところが刃が届く直前、アカツキは手を離した。抵抗が突然なくなり、時雨の上体が僅かに流れる。
その一瞬で十分だった。
回し蹴りが背中へ突き刺さる。
「がっ……!」
時雨の小さな体が数メートル吹き飛び、床を転がった。息を整える暇もなくアカツキが踏み込む。銀色のナイフが振り下ろされ、時雨が黒重で防ごうとした瞬間、刃の軌道が変わった。
腹へ突き刺さる。
「ぁ……!」
鋭い痛みが走った。
時雨の力が抜ける。アカツキはナイフを抜き、そのまま倒れた時雨の頭を靴底で押さえつけた。頬が冷たい床へ押しつけられ、紫色に光っていた左目が苦痛で細くなる。
「重力操作。素晴らしい能力です」
アカツキの声は静かだった。
「本来なら、私に勝ち目はなかった」
時雨は黒重を握ったまま動こうとする。しかし頭を踏まれ、腹から血が流れ、腕にも力が入らない。
過去にも敗北寸前まで追い込まれたことはある。だが、ここまで自分の一挙手一投足を先読みされたことはなかった。強い相手なら、まだ力比べができる。速い相手なら、重力で動きを鈍らせればいい。けれどアカツキは、時雨が何を選ぶかを先に知っている。戦う前から、自分の手札を全部見られているようだった。
「何故、今こうなっているか分かりますか?」
「……」
「データがあるからです」
アカツキは眼鏡を指で押し上げた。
「私はあなたのことを知っている。踏み込みの癖、刀の軌道、重力を使う前の呼吸、出力の不安定さ、近距離で能力を使えないこと。過去の戦闘記録から、全部覚えました。だから何も怖くない」
時雨は唇を噛んだ。
「もし漫画だったなら、あなたはこの瞬間に急成長し、私のデータにない技を突然使って逆転するのでしょう」
アカツキは僅かに笑う。
「ですが現実では、そんな都合のいいことは起きません。仮に起きても、私は逃げます。そして部下に観察させ、またデータを取る。それだけです」
「なにが……いいたいの?」
「私はあなたに感謝しているんですよ」
時雨の眉が僅かに動く。
「あなたを殺せば、私はセレーネ・ストライクに入れるかもしれない」
アカツキは明らかに機嫌が良かった。
「少しだけ、あなたが知らなさそうなことを教えてあげましょう。どうせ死ぬんですから」
時雨は何も言わない。
「セレーネ・ストライクは恐ろしい。全員が能力者として高い練度を持つか、あるいは理不尽なほど強力な能力を備えている。ゲートを開いた者も珍しくない。神器を手に入れた者さえいる」
アカツキの口調には、憧れと畏怖が混じっていた。
「私はデータがあっても、おそらく彼らには勝てない。特にクマドリオウギガニ様は別格です。あの方は最強だ。今スカイツリーの内部に閉じ込められている老人でも、きっと勝てないでしょう」
時雨の指が僅かに動いた。
「そしてあなたは、私にすら勝てない」
時雨は息を吸った。
「まだ……」
アカツキが見下ろす。
「終わってない……」
時雨は無理矢理、膝を立てた。頭を踏みつける足を押し退け、腹の傷を押さえながら立ち上がる。血が床へ落ちる。
「能力解放アクティベータ」
左目の紫光が、再び強まった。
「紫電!!!!」
黒重の剣先へ重力が一点集中する。
時雨は最後の力を振り絞るように踏み込んだ。
その頃、スカイツリー内部では、ケリーとシヴァが制御室へ向かっていた。遅れて合流したイカボンも、息を切らしながら二人を追っている。驚くべきことに、シヴァは本当に内部構造を把握していた。階段、業務用通路、非常扉の位置まで迷わず選び、最短経路で制御室前へ辿り着く。
「お前、本当に間取り知ってたのかよ」
「当たり前だろ。僕をなんだと思ってるんだ」
「ゲスメガネ」
イカボンが即答する。
「それ時雨ちゃんだけが呼んでいいやつ!」
制御室の扉を蹴り開けると、そこには月華連邦兵が数人待ち構えていた。シヴァは一瞬で姿勢を低くし、床を蹴る。彼の最大の武器は圧倒的な速度だ。普通の兵士なら、攻撃を認識した時にはもう倒れている。
だが敵は動いた。
シヴァの拳が届く寸前、兵士が半歩横へずれる。
「……!」
「ヘッ。お前のことは知ってるんだよ」
兵士が笑った。
「スピードはある。でも技術は荒削り。方向転換に無駄があるし、狭い部屋だと加速距離も取れねぇ」
別の兵士がシヴァの脇腹へ蹴りを入れる。
「ぐっ!」
「お前が半グレやってた頃から、アカツキ様はデータを取ってるんだ」
シヴァは舌打ちした。確かにこの部屋は狭い。机、端末、椅子が並び、いつものように大きく距離を取れない。速度で上回っていても、移動先を予測されれば攻撃は当たらない。
それでもシヴァは一度、壁を蹴って強引に角度を変えた。正面ではなく天井近くまで跳び、相手の死角へ入ろうとする。しかし兵士は一歩下がるだけで回避し、着地点へ先に銃口を向けた。シヴァは身を捻って射線を外したが、その際に肩を机へぶつける。速度があるほど、狭い空間では自分の動きそのものが制約になっていた。
拳を避けられ、逆に肘を入れられる。
頬が切れる。
さらに肩へ刃が掠め、血が滲んだ。
「くそっ……!」
シヴァがもう一度踏み込もうとした瞬間、背後から何者かに突き飛ばされた。
「邪魔じゃ!」
「うわっ!」
ケリーだった。
シヴァを押し退けたケリーは、懐から奇妙な仮面を取り出す。大仏の顔を無理矢理ヒーロー風に加工したような、どう見ても正気ではない仮面だった。
「何それ」
「変身アイテムじゃ」
ケリーは装着した。
「俺は正義の大仏マン! 煩悩は俺が許さん!!!」
「なんか始まったよ……」
イカボンはもう止める気もなく、壁にもたれた。
どこからともなく伴奏が流れ始める。
「暗黒の世紀末〜♪ 民を救う光となれ〜♪」
ケリー――大仏マンが両腕を広げる。
「救済の道は〜たーだー一つ〜♪ 煩悩を捨てて〜♪ 悟りを開けぇ〜♪」
背後から妙に楽しそうな合いの手が入る。
「ソープランド! ソープランド! デリヘル! デリヘル!」
「煩悩全開じゃねぇか」
イカボンが冷静に突っ込んだ。
「悟りを開きぃ〜♪ 君はなーる〜♪」
大仏マンは右拳を掲げる。
「株式会社エージェンシー♪」
「どこだよその会社」
「顧客の資金横領し決めろ必殺――ウルトラスーパーミラクルセックスパンチ!」
ケリーの拳が敵へ飛ぶ。
避けられた。
「外したぞ!」
「想定内じゃ!」
「絶対嘘だろ!」
「横領は〜犯罪〜♪ 食えよシャー芯〜♪ 曼荼羅キック!!」
今度は回し蹴り。
また避けられた。
「またかよ!」
「グワァ! 大仏マン大ピンチ!」
「お前一発も食らってねぇだろ」
その時。
「負けないで! 大仏マン!」
女性のように甘ったるい声が響いた。
全員が振り返る。
そこに立っていたのは、先日突然現れ、時雨を一言で泣きそうにさせた恰幅のいい老人だった。
「TNOちゃん!?」
ケリーが歓喜する。
イカボンの顔面から血の気が消えた。
「なんでいるんだよ……」
TNOは妙に艶っぽく微笑む。
「あとで、いとをかししてあげる❤️」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
大仏マンの全身に謎の力が漲った。
「超必殺!」
敵兵が身構える。
「札束で頬ぺちぺち!」
「技名弱っ!」
大量の札束がどこからともなく現れ、敵兵の頬を高速で叩き始めた。
一枚一枚はただの紙幣のはずなのに、当たるたびに頬へ異様な衝撃が走る。札束は左右から交互に叩きつけられ、最後には分厚い束そのものがハンマーのように顔面へめり込んだ。月華連邦の兵士は何が起きているのか理解する暇もなく、ただ「金が痛い」という人生でも二度と使わないであろう感想だけを残した。
「グワーッ!」
何故か凄まじい威力だった。
敵兵はそのまま窓際まで吹き飛ばされ、割れた窓の外へ消えていく。
意味不明だった。
その後ろでは、大仏マンとTNOが「いとをかし」を始めていた。具体的に何をしているのか誰にも分からなかったし、理解したい者もいなかった。
「それより時雨は!?」
イカボンの一言で、全員が我に返った。
制御室を確保した三人は、時雨が取り残された区画へ通じる経路を探した。しかし防火シャッターが完全に閉じ、通常の操作では開かない。シヴァが隙間へ指を入れようとするが、びくともしなかった。
「下がってろ!」
ケリーが前へ出る。
「ワシがここを破壊する」
「おお、やっと真面目に――」
ケリーは固定電話を取り出した。
イカボンの表情が止まる。
「……何してんだ」
「電話する」
「電話線繋がってねぇだろ!」
ケリーは受話器を耳へ当てた。
「もしもし?」
当然、何も聞こえない。
「繋がらん」
「当たり前だろ! 早く出ないと時雨が!」
シヴァも焦っていた。
「ケリー! ふざけてる場合じゃないだろ!」
「仕方ないのぉ」
ケリーはポケットから携帯電話を取り出した。
「持ってるんなら最初からそっち使ってくれ!」
シヴァとイカボンの声が重なった。
ケリーはどこかへ電話をかける。
「ケリーです。あのー。あ、そうですか。いやーそこをなんとか」
相手の声は聞こえない。
「え? あ、アボカド三個」
イカボンが眉をひそめる。
「何の交渉だよ」
「ダメ? 超エキサイティン!!」
「絶対話通じてねぇだろ!」
「オッケー? ありがとうございます」
ケリーが通話を切った。
一秒後。
爆発音が響いた。
「うわっ!?」
防火シャッターの中央が外側から吹き飛び、金属片が廊下へ散る。煙の向こうに大きな穴が開いた。
「どういう電話だったんだよ!」
「企業秘密じゃ」
三人はすぐ穴をくぐった。
その頃、時雨の紫電はアカツキの盾へ真正面からぶつかっていた。
轟音。
盾が大きく歪む。
アカツキの靴底が床を滑り、数メートル押し戻される。
「……なるほど」
アカツキは歯を食いしばりながら、それでも笑った。
「出力は先ほどより高い」
「まだ……!」
時雨はさらに重力を刀身へ集中させた。
腹の傷が開く。
血が軍服を濡らす。
視界も霞んでいる。
それでも押し込む。
アカツキの盾に亀裂が走った。
「ですが」
アカツキの右手が動いた。
盾を突然手放す。
時雨の黒重が勢い余って前へ流れる。
アカツキはその瞬間を狙っていた。盾を捨てる判断まで、最初から選択肢の一つとして用意していたのだ。防御具を失うリスクより、時雨の体勢が崩れる一瞬の方が価値が高い。戦闘中ですら感情で動かず、損得だけで最適解を選び続ける。それがアカツキ・ノジマという男だった。
その瞬間、アカツキは懐へ潜り込んだ。
拳が腹の傷へ突き刺さる。
「ぁ……!」
時雨の呼吸が止まった。
黒重が手から離れる。
続けて首を掴まれ、そのまま持ち上げられた。
「これもデータ通りです」
アカツキの眼鏡に照明弾の光が反射する。
「あなたは追い詰められると、出力を上げて正面から押し切ろうとする」
時雨は両手でアカツキの腕を掴んだ。
「く……っ」
足が床から浮く。
呼吸ができない。
視界の端が暗くなる。
アカツキの腹には、紫電が盾を押し込んだ際についた大きな裂傷があった。服は血で濡れている。決して無傷ではない。
それでも、時雨よりは動けた。
「あなたは強い」
アカツキは淡々と言う。
「ですが、強さだけでは勝てない」
時雨の指から力が抜け始める。
その時。
後方で爆発音がした。
アカツキが僅かに振り向く。
煙の向こうから三つの影が走ってくる。
「時雨!」
シヴァの声だった。
イカボンも続く。
そしてその中央。
ブロッコリーTシャツを着た老人が、いつになく真っ直ぐ前を見ていた。
ケリーの視線が最初に捉えたのは、床に転がる二つの首のない死体だった。
次に、血のついた黒重。
そして。
腹から大量の血を流しながら、アカツキに首を締め上げられている時雨。
ケリーの表情から、笑みが消えた。
普段なら誰かが怪我をしていても、まず一つは意味不明なことを言う老人だった。そのケリーが何も言わない。イカボンはそれだけで、状況の危険さを理解した。シヴァも同じだった。アカツキの腕の中で苦しそうにしている時雨を見た瞬間、さっきまでの傷の痛みすら忘れていた。
「……おぬし」
低い声が響く。
アカツキが眼鏡越しに老人を見る。
「ケリー、ですね」
時雨は薄れかけた意識の中で、ようやく三人の姿を認識した。
「お……じぃ……」
その声はほとんど聞こえなかった。
だがケリーには届いた。
老人はゆっくり拳を握った。
スカイツリー近隣の空気が、変わった。