第11話Anomaly
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あらすじ
Gravity Noir〜地球滅亡寸前の絶望的な世界。老人はギャグ補正で無双する〜 - 第11話Anomaly
本文
ケリーはその惨状を一通り見渡したあと、妙に間延びした声を出した。
「こ↑りゃ↓たまげたなぁ〜」
「今それ言う!?」
イカボンの怒声が響いた。
アカツキはケリーを見た瞬間、判断を切り替えた。未知戦力である老人のデータを取る必要はある。だがその前に一条時雨を確実に始末する。標的を二つ同時に抱える必要はない。掴んでいる首へ指を食い込ませ、時雨の呼吸を完全に止めようとした。
「させるか!」
シヴァが床を蹴った。
空気が破裂したような音が響く。狭いスカイツリー内部では本来、彼の速度は大きく制限される。それでも今の踏み込みは、アカツキが記録していた数値を明らかに超えていた。
「……!」
アカツキが反応するより早く、シヴァは時雨の腰を抱えて引き抜いた。アカツキは即座にナイフを振るう。刃はシヴァの頬を深く裂き、そのまま口の中を貫通した。
「ぐっ……!」
血が飛んだ。
それでもシヴァは止まらない。時雨を抱えたまま数メートル先まで滑り込み、自分の体を盾にするように床へ伏せた。
「ゲス……メガネ?」
時雨は朦朧とした目でシヴァを見る。
「あり……が、とう」
シヴァの顔が真っ赤になった。口を貫かれた痛みと出血で顔色は悪いのに、耳だけが異様に赤い。
「……っ、へ……へへ」
「喜ぶ状況じゃねぇだろ!」
イカボンが叫ぶ。
アカツキはシヴァを見たまま僅かに眉を寄せた。先ほどまで制御室で確認された速度より、明らかに速い。加速距離も足りていない。技術が急に向上したわけでもない。
守るべき対象がいる時、限界を超えた出力を出すタイプか。
新しいデータだった。
アカツキはすぐ記憶へ刻み込む。だが優先順位は変えない。一条時雨を失った以上、今度はケリーの戦闘能力を採取する。
「あなたがケリーですか」
「そうじゃ」
ケリーは軽く肩を回した。
「ワシが今からおぬしに、人生で二番目に要らん経験をさせてやろう」
「一番目は?」
「町内会の回覧板を三周読むことじゃ」
「微妙!」
イカボンの突っ込みと同時に、ケリーが腰を落とした。
アカツキは盾を構える。
老人の筋肉の動き、視線、重心、呼吸。全てを見る。
アカツキは無意識に呼吸を浅くした。未知の相手ほど、最初の一撃を受けることに価値がある。耐えさえすれば速度も威力も測れる。癖が一つ見えれば次は防げる。そうやって彼はこれまで、能力も才能もない自分をここまで押し上げてきた。どれほど強い相手でも、理解できるなら攻略できる。それが彼の信念だった。
次の瞬間。
「ブッ」
乾いた音がした。
ケリーが消えた。
「……?」
アカツキの視界から完全に消失した。センサーにも映らない。音だけが遅れて届き、空気が壁のように押し寄せる。
ケリーはオナラの推進力だけで、光速の九九・九九九九九パーセント近くまで加速していた。
理屈は一切分からなかった。
分かったのは、巨大なエネルギーが正面から来るということだけだった。
「防御!」
アカツキは反射的に巨大盾を展開した。
衝突。
音は後から来た。
盾が一瞬で歪み、装甲が裂け、アカツキの両腕へ凄まじい衝撃が流れ込む。体が宙へ浮き、そのまま数十メートル吹き飛ばされた。壁へ激突し、肺から血が逆流する。
「がっ……!」
肋骨が数本折れた。
肩も外れかけている。
データを取るどころか、何が起きたのかすら分からない。
「速すぎてマジで見えなかった……」
イカボンが呆然と呟いた。
しかし代償はケリーにもあった。
光速近くまでオナラで加速した尻への負担は、常人の想像を遥かに超えていた。
「うっ……」
ケリーが尻を押さえる。
「なんか出る……」
「嫌な予感しかしねぇ!」
イカボンが後退する。
次の瞬間、ケリーの尻から巨大な寿司屋台が飛び出した。
「汚ねぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
木製の屋台がガラガラと床を滑り、何事もなかったように暖簾が開く。中には鉢巻きをした寿司職人が立っていた。
「らっしゃい」
「普通に営業始めんな!」
イカボンの常識は、また一つ壊れた。
重傷を負ったアカツキは、それでも立ち上がった。肋骨の痛みを無視し、壁を蹴ってケリーへ切りかかる。相手が意味不明な行動をしている今が唯一の隙だと判断した。
だがケリーは寿司屋台の暖簾をくぐった。
「ガリだけくれ」
「へい」
店主は一切戸惑わず、小皿いっぱいのガリを差し出した。
「寿司頼めよ!」
イカボンが叫ぶ。
店主は包丁を拭きながらケリーへ顔を近づけた。
「俺が寿司屋になった理由、分かるでち?」
「語尾キッショ」
イカボンが即座に反応する。
「お前に興味がない」
ケリーはガリを食べながら冷たく言った。
「酷すぎだろ!」
店主は傷つくどころか胸を張った。
「客に怒鳴れるからでち!」
大きく息を吸う。
「Hey!!!!!!!! らっっっっっっっっっしゃぁぁぁぁぁぁいぃぃぃぃ!!!!」
空気が震えた。
スカイツリーの窓ガラスが一斉にびりびりと鳴り、シヴァと時雨が耳を押さえる。
「うっ……!」
「みみ……いたい……」
鼓膜が破れかけるほどの音圧だった。
イカボンも反射的に耳を塞ぎかけ、途中で止まる。
「鼓膜破れる……あ、俺イカだから鼓膜とかないわ」
急に冷静になった。
店主の声量は、ただうるさいだけではなかった。
音圧そのものが衝撃波となり、屋台ごとケリーを吹き飛ばす。
「ぬおおおおおお!」
ケリーの体が高速で廊下を飛んでいった。
その頃、ケリーの脳内。
何故か体内には小型の操縦席が存在していた。
そこには軍服姿のパイロットが座り、必死に操縦桿を握っている。
「クソ……操縦不能だ。俺もここまでか……!」
計器は真っ赤に点滅し、警報音が鳴り続けている。
パイロットが前方を見る。
視界の先に、イカボンがいた。
「……お前だ」
パイロットの目に狂気が宿る。
「いつもいつも脇から見ているだけで、人をもてあそんで!!!」
完全な逆恨みだった。
操縦桿を思い切り倒す。
飛んでいたケリーの軌道が、急に曲がった。
「え?」
イカボンが振り返る。
ケリーが真正面から突っ込んできた。
「ギャアアアアアアアアアア!!!」
イカボンを巻き込み、そのまま方向転換する。
体内のパイロットが叫ぶ。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」
アカツキが盾を構え直す。
だが今度は間に合わない。
「ここから消えろ!!!」
ケリーが盾へ突っ込んだ。
衝撃。
巨大盾の中央に穴が開く。
そのままケリーの石頭がアカツキの腹へめり込んだ。
「ゴブッ……!」
アカツキの体がくの字に折れ曲がる。
口から血を吐きながら、遥か後方へ吹き飛んだ。
ビルを二枚突き破り、ようやく止まる。
「……データは、採れた……」
アカツキは震える手で眼鏡を直した。
「対策不能」
それが結論だった。
観測できた項目は多い。加速、衝撃、奇行、音圧、軌道変化。しかし、それらを一つの戦闘理論として結びつけることができない。通常なら「次に何をするか」を絞り込めるはずなのに、ケリーだけは選択肢が増えていく。データを取れば取るほど予測不能になる。アカツキにとって、それは敗北以上の屈辱だった。
彼は腰の緊急転送装置を起動し、光に包まれてその場から離脱した。
「逃げたぞ!」
シヴァが血だらけの口で叫ぶ。
「追わんでいい」
ケリーはすぐ時雨のところへ向かった。
床へ座り込む時雨の前で、ケリーは珍しく深く頭を下げた。
「すまない」
時雨が目を瞬かせる。
「ワシは実は、これが罠じゃないかと疑っていた。それでも止めることができなかった。そして、お前をこんな目に遭わせてしまった」
ケリーの声は真面目だった。
「本当に申し訳ない」
一拍置く。
「大将に声量抑えろって言っとくから……」
「そっちかよ。いや、そっちもか」
イカボンが疲れ切った声を出した。
時雨は少しだけ笑った。
「大丈夫」
そして、しばらく俯いたあと、ケリーを見上げる。
「あ、あの……質問の答え、考えたよ」
「ん?」
「やっぱり、わたしは戦いたい」
ケリーは何も挟まず続きを待った。
「わたしに優しくしてくれたみんなを……助けたいから」
声は小さかった。
でも、自分で選んだ言葉だった。
命令ではない。
誰かに言わされた理由でもない。
時雨自身が決めた。
「そうか」
ケリーは笑い、時雨の頭を撫でる。
「良く言えたのう」
時雨は嬉しそうに笑った。
そのあと、時雨はシヴァの方へ少し身を寄せる。
「ゲスメガネ」
「な、なに?」
時雨は耳元で小さく囁いた。
「助けてくれて、ありがとう」
シヴァの鼻から勢いよく血が噴き出した。
「ぐはっ!」
そのまま後ろへ倒れる。
「なんで!?」
イカボンが叫ぶ。
ケリーは腕を組んだ。
「無意識のうちに相手を沼らせるとは……時雨、恐ろしい魔性の女じゃのう」
「なにそれ」
時雨は首を傾げた。
帰りの足を確保するため、ケリーはまるでタクシーを呼ぶような感覚で最上総理へ電話した。
「モガミン、軍用車一台よこして」
『またですか!?』
「四人乗れればええ」
『政府の車をタクシー扱いしないでください!』
「領収書いる?」
『いりませんよ!』
結局、数十分後には本当に軍用車が到着した。
車内では、治療を受けた時雨がシヴァの隣に座っていた。大量出血と戦闘疲労で眠気が限界だったらしく、しばらくすると頭がゆっくり傾く。
そのままシヴァの肩へ寄りかかった。
「……」
シヴァは石像になった。
呼吸すら止めている。
ケリーは向かい側からその光景を眺め、心の中で呟いた。
やっぱ魔性の女じゃのう……。
一方その頃。
アカツキはあらかじめ郊外に待機させていた月華連邦の軍用機へ戻り、緊急医療装置で傷の応急処置を受けていた。腹部の裂傷、骨折、内臓損傷。どれも重い。それでも意識は保っている。
治療を受けながら、蛟龍へ通信を繋ぐ。
『報告しろ』
「任務は失敗しました。一条時雨は討伐できず。ケリーにも勝てませんでした」
『詳しく言え』
アカツキは少し黙った。
どこから説明すべきか分からなかった。
「……屁の勢いで、光速に近い速度まで加速しました」
『何?』
「尻から寿司屋を出しました」
沈黙。
「そこでガリを食べました」
『……続けろ』
「寿司屋の大将が、とんでもない声量で叫びました。その音圧でケリーが高速で飛び、途中で急にUターンして味方を巻き込み、そのままこちらへ突っ込んできました」
蛟龍は何も言わない。
「盾は破壊されました。石頭による直撃で重傷を負いました。対策不能です」
『……』
「部下の方は監視映像によると、謎のヒーローへ変身して歌を歌い、謎の女装した老人の応援でパワーアップして撃破しています」
『……』
「意味が分かりません」
アカツキは自分で言っていて悲しくなってきた。
「遭遇した場合、逃げるのが最善かと。おそらく、あの筋肉も同様です」
蛟龍は長い沈黙の末、ようやく口を開いた。
『それは……難儀だったな』
「はい」
他に言いようがなかった。
通信を切ったあと、蛟龍は監視室の椅子へ深く座り込んだ。
アカツキが嘘を吐いているようには聞こえない。
そもそも彼はそういう男ではない。
ならば全て事実なのだ。
しかし、どうやって部下へ伝えればいい。
「敵の老人は屁で光速近くまで加速し、尻から寿司屋を出すため注意せよ」
命令文にした瞬間、自分の正気を疑われる。
蛟龍は額を押さえた。
もし本当にあの戦力が存在するなら、セレーネ・ストライクを投入しても勝てる保証はない。少なくとも、未知という意味では危険すぎる。
さらに戦況全体も決して楽観できなかった。
ヨーロッパの大部分はすでに支配下へ置いた。
だがアメリカ西海岸では抵抗が激しく、攻略は進んでいない。中国も上海周辺は健在。ロシアも広大な国土と防衛網のせいで、完全制圧には程遠い。
そんな状況で。
たかが日本一国に、ここまで戦力を割くべきなのか。
軍事だけを見れば答えは明白だった。局地的な抵抗が激しい地域へ執着し続ければ、補給も人員も消耗する。その間に他地域が立て直す時間を得る。蛟龍が学生だった頃なら、そんな作戦は愚策だと答案に書いただろう。それなのに現実の月華連邦は、その愚策を国家規模で続けている。
確かに日本は工業、技術、物流の重要拠点だ。
だが戦略だけで考えれば、インドや中東を先に抑える方が合理的にも思える。
それでも日本から引くという選択肢は、月華連邦ではほとんど口にできない。
月華連邦人の多くは、日本人の末裔だ。
恨みが深い。
八百年前の追放。
その歴史は、国家の根幹そのものになっている。
蛟龍も子供の頃から何度も聞かされた。
祖先を捨てた地球。
祖先を追い出した人類。
いつか力を手に入れたなら、必ず報いを受けさせる。
それが当然のように教えられてきた。
だが。
「先祖の恨みを晴らすために……」
蛟龍は小さく呟いた。
「何人の未来ある若者が、狂気に取り憑かれて死んでいったのだろうな」
この戦争は、自分が今の地位へ上がるより前から少しずつ始まっていた。
昔はもっと小規模だった。
偵察。
局地的な衝突。
資源拠点への介入。
少なくとも、地球全土を本気で焼き尽くすような戦争ではなかった。
いつからだ。
いつから、ここまで激しくなった。
皇帝が即位した時か。
軍部の権限が強くなった頃か。
それとも、それより前から。
蛟龍は監視画面を見つめる。
何かが、少しずつ月華連邦をこの戦争へ押している。
しかも不自然なのは、誰か一人が強く主張して始まった戦争ではないことだった。軍部も議会も国民も、いつの間にか「地球を屈服させるのは当然だ」という同じ方向へ流れていた。反対意見は弱く、疑問を口にする者は愛国心が足りないと扱われる。まるで大勢の感情が少しずつ同じ角度へ調整されているようだった。
国民の復讐心を利用し、軍を煽り、引き返せないところまで進ませている。
そんな感覚があった。
「……誰かに操られている」
根拠はない。
だが、その疑念だけが妙に胸へ残った。
蛟龍は静かに目を閉じた。
地球を滅ぼすことが、本当に月華連邦の未来になるのか。
その答えは、まだ見えなかった。