幻燈街の朝 ― 伝えられるうちに
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
朝の光が、カミルの部屋にゆっくりと差し込んでいた。窓の外からは、街が目を覚ます気配が聞こえてくる。テーブルには、カミルが用意してくれた朝食の皿が並んでいた。食事を終えたみみは、満足そうに息をつき、向かいに座る彼へ顔を向ける。
本文
朝の光が、カミルの部屋にゆっくりと差し込んでいた。
窓の外からは、街が目を覚ます気配が聞こえてくる。
テーブルには、カミルが用意してくれた朝食の皿が並んでいた。食事を終えたみみは、満足そうに息をつき、向かいに座る彼へ顔を向ける。
みみ「ご馳走様。おいしかった。作ってくれてありがとう」
カミル「ああ。口に合ったならよかった」
短い返事だったが、その表情は穏やかだった。
みみ「カミルのお料理、好き」
その言葉に、カミルの手がわずかに止まる。
カミル「なら、また作ってやる。お前が食べたいと言えばな」
みみ「本当? 楽しみ」
カミル「いつでも作る」
何でもない約束のように告げる声が、みみには嬉しかった。
今日は幻燈街を歩いてみるつもりだった。
夜には華やかな顔を見せるこの街も、昼間はまた違う。一般の人々が行き交う商業区画には、花屋や洋菓子店、洒落た雑貨屋が並んでいるという。
みみ「お昼の街も見てみたいの」
カミル「そうか。楽しんでこい」
カミルはそう言って、彼女の顔を眺めた。
カミル「帰ってきたら、今日見たものを聞かせろ」
みみ「うん」
何気ない会話の途中、みみはふと思いついて尋ねた。
みみ「カミルは予定あるの?」
カミル「あるにはある。昼前に店と仲間のところを回る予定だ」
カップを置いた彼は、みみへ視線を向ける。
カミル「だが、急ぎの用ではない。俺の予定が気になるのか? それとも、一緒にいたいのか?」
みみ「ううん。大丈夫。ご馳走様」
そう言って食器を片づけようとしたときだった。
カミル「腹は満たされたか?」
みみ「うん」
カミル「なら、こっちへ来い」
大きな手が、ゆっくりと差し出される。
みみが近づくと、カミルはその身体を自然に抱き寄せた。
広い胸に包まれると、ほっとする。背中を撫でる手も、耳元に届く低い声も、いつものカミルだった。
カミル「朝から少し大人しいな」
みみの顔を覗き込む。
カミル「俺に気を遣っているのか?」
みみは彼の胸元に頬を寄せたまま、小さく口を開いた。
みみ「たまにしか会えなくてごめんね」
その言葉に、カミルの動きが止まった。
すぐには返事をしなかった。
やがて、背中に回された腕に、ほんの少し力がこもる。
カミル「……謝るな」
髪に触れる指先は優しい。
すぐには返事をしなかった。
やがて、背中に回された腕に、ほんの少し力がこもる。
カミル「お前にはお前の暮らしがある。俺にも俺の仕事がある」
彼は少しだけ身体を離し、みみの顔を確かめるように見つめた。
カミル「会えない時間を責めるつもりはない」
それから、ほんのわずかに口元を緩める。
カミル「だが……会いたかったとは言っておく」
みみは答える代わりに、彼を見上げた。
みみ「キスして」
カミル「……ふっ」
その小さなおねだりに、カミルは目を細めた。
頬に手を添え、顔を傾ける。
触れる唇は優しく、短いものだった。
けれど、離れたあとも彼の手は頬に残っている。
みみ「……もっと欲しくなるから。やめとくね。ぎゅ~」
カミル「そうか」
そう答えながら、彼はみみをもう一度抱きしめた。
カミル「困った女だな」
声には、困った様子などほとんどない。
むしろ、腕の中にいる彼女を手放しがたいと思っているのは、カミルのほうだった。
カミル「俺も離れがたい」
みみはその言葉を聞いて、彼の胸元で小さく笑った。
そして、少し顔を上げる。
みみ「カミル………。好き」
その言葉には、いつもとは少し違う響きがあった。
(たくさん言えるときに言っときたい………。)
会えない時間があるからこそ、今、伝えておきたい。
次に会える日を約束できても、その日までの時間はそれぞれのものだ。
だから、今ここにいる彼に。
好きだと、ちゃんと伝えておきたかった。
カミル「…………みみ」
彼は一瞬、目を伏せた。
それから、みみの頬に手を添える。
カミル「そんなことを言われたら、俺も惜しくなるだろう」
親指が、頬をそっと撫でた。
カミル「好きだ。何度でも言ってやる」
少し照れたような笑みを浮かべる。
カミル「だから、お前も言いたいときに言え。俺は何度聞いても嬉しい」
みみ「ふふ」
カミル「……何がおかしい?」
みみの笑顔を見て、彼の目元も自然と緩む。
カミル「まったく。お前には敵わんな」
指先で頬を軽くつつく。
カミル「ほら、笑っていろ。俺はその顔が好きだ」
すると、みみはますます嬉しそうに笑った。
そして、少し考えるような間を置いてから、ニコニコとした顔でおねだりをした。
みみ「やっぱり、たくさんちゅーして!」
カミル「……っ」
一瞬、言葉に詰まった。
カミル「……ふっ。まったく、お前には敵わんな」
呆れたような口調とは裏腹に、彼の表情はすっかり柔らかくなっている。
カミル「いくらでもしてやる」
頬にひとつ。
額にひとつ。
鼻先にも、軽く触れる。
最後に唇へ、ゆっくりと口づけた。
ひとつ重ねるたびに、みみの笑顔が増えていく。
みみ「もう」
カミル「……ふ。まだ足りないか?」
その後、ふたりはしばらく甘い時間を過ごした。
何度も口づけを交わし、抱きしめ合う。
急いで出かける理由など、今だけはどこにもなかった。
やがて、みみが幸せそうに笑う。
みみ「幸せ!」
カミル「……ああ」
彼はその笑顔を眺め、目元を和らげた。
カミル「かわいいよ、お前は」
みみの頬に手を添えたまま、もう一度、愛おしそうに見つめる。
カミル「そんなに嬉しそうに笑われたら、俺まで幸せになる」
窓の外では、幻燈街の昼が少しずつ賑わい始めていた。
花屋の店先には新しい花が並び、通りには買い物客の姿も増えている頃だろう。
みみが楽しみにしていた散策は、まだ始まっていない。
けれど、今日の朝には、今日の朝にしかない幸せがあった。
会えない時間を埋めるように、好きだと伝えて。
伝えられた言葉を、惜しむことなく受け取って。
ふたりの朝は、ゆっくりと過ぎていった。