閑話――銀くん②
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
銀色の君 狐の里。夕暮れの稽古場では、今日も若い狐たちが帰り支度をしていた。
本文
銀色の君
狐の里。
夕暮れの稽古場では、今日も若い狐たちが帰り支度をしていた。
銀色の毛並みを持つ狐は、この里では銀ひとり。
仲間たちの中にいても、その姿はよく目立つ。
女の子狐は、少し離れたところから銀を眺めていた。
昔から、銀はよくお宿へ出かけていた。
狐の姿のまま、みみに会いに行くこともあった。
だから、お宿へ行くこと自体は珍しくない。
けれど、最近は少し違う。
銀「……よし」
銀は出かける前に、自分の胸元の毛並みを整えていた。
女の子狐「銀、また毛並みを整えてる」
銀「え? ああ……ちょっとね」
女の子狐「前はそんなに気にしていなかったのに」
銀「そうかな。せっかく会いに行くんだから、綺麗にしておきたいんだ」
銀は照れくさそうに笑った。
銀色の尻尾が、ふわりと揺れる。
女の子狐「……みみに会いに行くんだよね」
銀「うん」
その返事は迷いがなかった。
女の子狐「最近、銀は変わったね」
銀「そう?」
女の子狐「うん。なんだか前より、しっかりした感じがする」
銀は少し考えてから、照れたように目を伏せた。
銀「……みみに会うとね、僕も頑張ろうって思うんだ」
女の子狐「そっか」
銀「まだできないことも多いけど。いつか、もっといろんなことができるようになりたい」
その横顔は、以前より少しだけ凛々しく見えた。
女の子狐は、胸の奥がきゅっとなるのを感じた。
(ずっと見ていたのにな)
銀色の毛並みが珍しくて、初めて見たときから気になっていた。
お稽古で隣に座れた日は嬉しかった。
帰り道が一緒になれば、少し遠回りをしたこともあった。
いつか、銀が自分のことを特別に思ってくれたら。
そんなことを考えていた。
でも、今の銀を見ていると分かってしまう。
この子は、もう誰かに会いたくて、誰かに褒めてもらいたくて、自分から変わろうとしている。
女の子狐「銀」
銀「なに?」
女の子狐「その毛並み、綺麗だよ」
銀「ありがとう」
女の子狐「銀色って、やっぱり素敵だね」
銀「……うん。僕も気に入ってる」
少し誇らしそうに笑う銀。
女の子狐は、その笑顔を目に焼きつけるように見つめた。
(……好きだったな)
声に出したら、少しだけ涙が出そうだった。
けれど、最後は笑っていたかった。
(みみのところで、いっぱい笑ってね)
彼女は自分の尻尾をそっと抱き寄せた。
銀色の君が、これからどんなふうに成長していくのか。
きっと、遠くからでも見守ってしまうのだろう。
それが、彼女の初恋だった。
男友達との秘密の話
狐の里。
稽古を終えた銀は、少し離れた木陰で二人の男友達と休んでいた。
二人は見た目二十代ほどの青年で、すでにそれぞれ恋人がいる。
里の若い狐たちの中でも、成長のゆっくりな銀だけは、まだ幼さの残る姿をしていた。
狐友A「それで、最近はどうなんだ?」
銀「どうって?」
狐友B「とぼけるなよ。お宿の、みみって人のことだよ」
銀「ああ……うん。会ってるよ」
銀は少し照れたように笑った。
狐友A「相変わらず好きだなあ」
銀「……うん。会えると嬉しい」
狐友B「どんなところが好きなんだ?」
銀「えっと……優しいところもそうだし、一緒にいると落ち着くんだ。それに、僕の話をちゃんと聞いてくれる」
狐友A「ほうほう」
銀「この前もね、僕が前に話したことを覚えていてくれたんだ。あれは嬉しかったな」
狐友B「そりゃ嬉しいだろうな」
銀「うん」
銀は自分の銀色の尻尾を眺めながら、少し言いにくそうに続けた。
銀「でも、僕はまだ知らないことが多いから……どうしたらいいのかなって」
狐友A「何をしたいんだ?」
銀「みみに、もっと僕のことを知ってほしい。あと……喜んでもらえることもしたい」
狐友B「なるほどな。そういう相談か」
銀「二人には恋人がいるだろ? だから、聞いてみたかったんだ」
狐友A「そりゃあ、俺たちでよければ相談に乗るよ」
狐友B「ただし、相手によって嬉しいことは違うからな。みみのことをよく見て考えるんだ」
銀「うん。そうだよね」
狐友A「ちなみに、会うときはどんな感じなんだ?」
銀「……ぎゅってしてくれることがある」
狐友B「へえ?」
銀「それでね、頭を撫でてくれたり……。僕、あれが好きなんだ」
狐友A「ははっ。ずいぶん嬉しそうだな」
銀「だって、嬉しいんだもん」
銀の耳が、ぴこりと動く。
狐友B「じゃあ、次はお前から何かしてあげたらどうだ?」
銀「僕から?」
狐友A「そう。いつもしてもらうだけじゃなくてさ」
銀「……何をしたらいいかな」
二人は顔を見合わせた。
狐友B「そこから一緒に考えるか」
銀「お願い。僕、本当に分からないんだ」
狐友A「よし。まずは、みみが何を好きなのか教えてくれ」
「えっとね……」
銀は少し身を乗り出した。
誰にも聞かれたくない、三人だけの秘密の相談。
銀色の尻尾は、楽しそうにゆっくり揺れていた。
閑話・台帳様のぼやき
狭間のお宿。
今日も銀色の狐が、玄関先にちょこんと座っていた。
銀「こんにちは。みみはいますか?」
台帳様『……またお前か』
銀「うん。今日は帰ってきてるかなと思って」
台帳様『おらぬ』
銀「そっか……」
銀の耳が、少しだけ下がる。
台帳様『昨日も来たであろう』
銀「うん。でも、昨日はいなかったから」
台帳様『一昨日も来た』
銀「うん」
台帳様『その前もだ』
銀「……うん」
台帳様は、ぱらりとページをめくった。
金箔が、ぴくりとも動かない。
台帳様『お前は、みみが留守だと分かっていても来るのか』
銀「だって、もしかしたら帰ってきてるかもしれないし」
台帳様『…………』
銀「みみ、いつ帰ってくる?」
台帳様『知らぬ』
銀「そっか……」
銀は玄関先で少し考えたあと、台帳様を見上げた。
銀「また来てもいい?」
台帳様『……好きにせよ』
(まったく。こちらにも都合というものがある)
それから数日後。
台帳様は、とうとう銀を呼び止めた。
台帳様『銀』
銀「なに?」
台帳様『これを持っていけ』
差し出されたのは、小さな木札だった。
銀「木札?」
台帳様『みみが宿に戻ったとき、お前に知らせるためのものだ』
銀「僕に?」
台帳様『そうだ。これが知らせたら来ればよい』
銀「……ありがとう!」
銀の耳が、ぴんと立つ。
尻尾も嬉しそうに揺れた。
台帳様『ただし、知らせが来るまでは無闇に訪ねてくるでない』
銀「うん。分かった!」
台帳様『本当に分かったのだろうな……』
銀「うん!」
台帳様は、金箔を一枚だけぴらりと揺らした。
(これで少しは静かになる……)
――――――――――――
ところが。
翌日。
銀「台帳様、こんにちは」
台帳様『…………』
銀「木札、まだ何も知らせてくれないね」
台帳様『当たり前であろう。みみはまだ戻っておらぬ』
銀「そっか。じゃあ、また明日来るね」
台帳様『来るな』
銀「えっ?」
台帳様『……いや。木札を見てから来い』
銀「うん。ありがとう!」
銀は満足そうに帰っていった。
台帳様は、静かに本を閉じた。
台帳様『……わしは、宿の台帳であるぞ』
金箔が、ぱらぱらと不満げに揺れた。
どうやら、木札を渡したところで、台帳様の苦労は終わりそうになかった。
そして、いつか木札が知らせる日。
銀くんはきっと、誰よりも早く宿へやって来る。
台帳様『……今度は走って来るのだろうな』
そんな未来まで、台帳様には見えているのかもしれない。