アリスの質問
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
アルバルト王国 貴族たちが多く住むとても華やかなこの王国 でもその裏にはたくさんの闇がある そんな王国で暮らす少年少女のちょっとした暮らしを描く日記 どうぞ最後までご覧ください
本文
アリスの微笑みは、止まったまま動かなかった。広間の灯りが、その頬の上で細かく揺れている。
「……まあ。シリル様に、伺っておりますの」
彼女はすぐに声を取り戻した。甘さはそのままに、語尾だけが少し硬い。
「でも、どなたにお聞きしても同じことですわ。だって、お二人が望んでなどいないかもしれないと、疑う方が自然ではありませんか。この国では、そういう婚約がいくらでも」
「アリス様」
シリルが遮った。声を上げたのではなかった。ただ、彼女の言葉の上に、静かに手を置いたような声だった。
「俺に聞いてるって言ったんだ。……答えるよ。俺は、望んでる」
アリスは、まばたきをした。
「俺の都合で始めた婚約だ。それは認める。けど、俺がこの人を望んでるかどうかと、それが政略かどうかは、別の話だろ」
「それで、アリス様は何をもって測るんだい。俺たちが望んでるかどうかって」
アリスは答えなかった。微笑みだけが、顔に残っていた。けれどその目は、もうシリルを見ていなかった。ユノを見ていた。
その視線が、ユノに分かった。この人は今、わたくしに喋らせたいのだと。シリル様に庇わせて、それで「守られているだけ」と言うつもりなのだと。
ユノは、一歩踏み出した。
「アリス様」
自分の声が、思ったよりよく通った。広間の静けさが、こちらのほうへ傾いてくる。
「望んでおります」
アリスが、わずかに身じろぎした。
「王太子殿下に認められたから、ではございません。シリル様がこの場でおっしゃったからでも。……わたくしが、望んでおります。この婚約を」
言い切ってから、指先が震えているのに気づいた。背中の後ろで、シリルの気配が動いた。けれど彼は、何も言わなかった。前に出もしなかった。それが、ひどく嬉しかった。
アリスの微笑みが、崩れた。ほんの一瞬だった。すぐに、完璧な笑顔に戻る。けれどユノは、その一瞬を、はっきりと見てしまった。
「……まあ。失礼いたしました」
アリスは、優雅に膝を折った。その折り方は、少しも乱れていない。
「余計なことを伺ってしまって。わたくし、心配だったものですから。ユノ様が、誰かに押しつけられた婚約を、お一人で抱えていらしたらと、思っておりましたの」
最後の一語に、棘が残っていた。ユノは、それを受け止めて、うなずいた。
「お気遣い、ありがとうございます」
それは祝福の形をしていた。けれど、祈りに似ていた。誰かに向けた祈りではなく、呪いに近い。アリスはそう言い残して、レオンの斜め後ろへ、静かに戻っていった。
レオンは、その一部始終を、動かずに見ていた。
「……言ったな」
ぽつりと、彼はこぼした。ユノは顔を上げた。サファイアの瞳が、こちらをまっすぐに見ている。冷たさは、もうなかった。
「王太子殿下」
「俺が認めたからではない、と。よく言った。……言えてよかったな」
その言い方が、少しだけ、人の悪い笑い方に似ていた。シリルが横で、小さく息を吐いた。
「レオン、それ、褒めてるのか」
「褒めている。……少なくとも、俺はそう受け取った」
レオンは、そこで一度、広間のほうへ目をやった。ざわめきが、ゆっくりと戻ってきている。音楽も、いつのまにか次の曲に入っていた。
「今日のところは、これで終わりだ。続きは、俺のいないところでやってくれ。……俺がいるだけで、あの手の子は調子に乗る」
言い終わる前に、彼は背を向けていた。人波が、自然に割れる。アリスが、そのあとを追った。追いながら、一度だけ振り返った。ユノを見て、微笑んで、それから前を向いた。
広間の空気が、ゆるむ。
「……ふう」
シリルが、隣で肩を落とした。さっきまでの背中の張りが、嘘のように消えている。
「疲れた」
「シリル様が、でございますか」
「俺だって疲れるよ。ああいう場は、苦手なんだ」
そう言って、彼はユノの顔をのぞき込んだ。アメジストの瞳が、近い。
「でも、よかった。……君が、自分で言ったから」
「……はい」
「俺が言わせたんじゃない。君が、言った。それが、俺にはいちばん嬉しかった」
ユノは、うつむいた。広間の灯りが、床の大理石に滲んでいる。頬が熱いのを、今度は夜露のせいにはできなかった。
「あの、シリル様」
「うん」
「さっき、『あとで言う』とおっしゃったこと、まだ伺っておりませんわ」
シリルは、少し固まって、それから、声を出して笑った。
「覚えてた?」
「覚えておりますわ。ずるい方ですもの」
「……そうだな。じゃあ、今日はもう帰ろう。馬車の中で話すよ。……長くなるから」
彼はそう言って、ユノの手を取った。指先が、まだ少し冷たかった。
広間の出口へ向かう途中、ユノは一度だけ振り返った。灯りの海の向こう、高い場所に、金の髪が見えた気がした。けれどそれは、すぐに人の波に消えた。