第8話 暗闇の星座
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
展示会に反物、練習布、図案帳、星座柄ポーチ12個が並ぶ。 月乃(16)は、暗い夜に友禅の光と星を見つけたから、持ち歩ける形にしたかったと語る。 中学生の来場者が「毎週来なくてもいい?」と尋ねる。 月乃は「来る日も休む日も、自分で決めていい」と答える。白抜きの星、沈む青、端布、金彩、当番表の伏線が結ばれ、体験会に新しい申込みが届く。
本文
展示会場の入口に入ると、月乃は一度だけ足を止めた。
白い壁に、反物が掛かっている。淡い花の柄、流水、細かな文様。少し離れた台には、糊置きの線が曲がった練習布も、染めむらの残る端布も、透明な覆いの下に並んでいた。
その隣には、古い図案帳が開かれている。
ページの上に、途中で止まった星図。
そして、入口の小さな机には、星座柄のポーチが十二個。
深い青、少し灰色を含んだ青、夜明け前のような青。乾くと沈むと言われた色が、白抜きの星を静かに浮かべていた。金彩は強く光りすぎず、見る角度で小さくまたたく。
「きれい」
来場者の声に、月乃の肩がぴくりと動いた。
受付の横には、作り直した当番表がある。午前だけ来る人、午後から入る人、椅子に座って値札を確認する人。空欄は残っているのに、誰か一人の名前で埋められてはいなかった。
「月乃さん」
紗江が、ポーチの説明札をそっと整えた。
「お客さまが見てますよ」
月乃はうなずいた。指先には、洗っても落ちきらない糊の白さが薄く残っている。
会場へ入ってきた親子が、ポーチの前で足を止めた。中学生くらいの女の子が、12個を一つずつ見ている。鞄の肩紐を両手で握り、何度も青い布へ目を戻した。
「これ、着物の布なんですか?」
「友禅の技法で作った布です」
月乃は、緊張で少し乾いた唇を開いた。
「端布も使っています。大きな作品を作ったあとに残った布で」
「この星、白いね」
「糊で星の形を置いてから染めると、そこだけ色が入りません」
女の子は、ポーチを両手で持ち上げた。
「青なのに、黒くない」
「乾くと、少し沈む青なんです」
月乃はポーチの端を見つめた。
「でも、夜の空みたいで。暗いほうが、星が見えることもあると思って」
女の子が顔を上げた。
月乃の胸の奥で、商店街の帰り道がよみがえる。店の灯りが途切れた場所。冷たい空気。黒い空に残っていた、小さな光。
「私、友禅を……最初は遠いものだと思っていました」
月乃は、反物のほうへ視線を向けた。
「着物を持っていないし、着る機会もなくて。でも、夜に見た友禅の色がきれいで。暗い夜に星を見つけたみたいでした」
自分の声が、会場の静けさに溶けていく。
「だから、持ち歩ける形にしたかったんです。苦しい日でも、鞄の中に光があると思えるように」
女の子は、金彩の星を指で触れないように、ぎりぎりのところで手を止めた。
「これ、体験会でも作れますか?」
月乃は、入口脇の案内を見た。来月の体験会。日時の下に、小さく「見学のみ可」と書かれている。
「同じものではないけれど、星を描くことはできます」
「毎週、来なくてもいい?」
女の子の声は小さかった。
隣にいた母親が、何か言いかけて黙る。
月乃の手のひらが、じんと熱くなった。
休みたいと言った日のこと。帰りたいと言った日のこと。空いた場所だけを見られたこと。
けれど今、目の前の女の子は、月乃ではない。
月乃はしゃがみ、女の子と目の高さを合わせた。
「来る日も、休む日も、自分で決めていいです」
女の子が、ゆっくりまばたきをした。
「見ているだけの日があってもいいです。途中で疲れたら、休んでもいいです」
月乃は微笑もうとして、少しだけ目元をゆるめた。
「作りたくなった日に、また来てください」
女の子はポーチを胸の前で抱え、小さくうなずいた。
その横で、絹が展示台の前に立っていた。未完成の星図と、12個のポーチを見比べ、金彩の光へ静かに目を細めている。
藤原は椅子に腰を下ろしながら、来場者へ図案帳のページをめくって見せていた。坂井は会計の席で、ポーチの袋を一つ渡す。紗江は端布の説明札を直し、布の繊維が見える位置へそっと置き直した。
ポーチの脇には、試作の練習布がある。
曲がった糊の線のあいだに残った、最初の星。
月乃はそれを見て、息を吐いた。
受付の端末が、短く音を鳴らす。
紗江が画面をのぞき込み、月乃へ振り返った。
「体験会の申込みが入りました」
月乃は女の子のほうを見る。
女の子は、母親の袖を引きながら、少し照れたように笑っていた。
白抜きの星が、沈む青の上で、静かに光っていた。