閑話 — 狭間のお宿
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
「自由な風の帰る場所」狭間のお宿の朝。廊下には、静かな足音と、仕事に取りかかる中居たちの声が響いていた。
本文
「自由な風の帰る場所」
狭間のお宿の朝。
廊下には、静かな足音と、仕事に取りかかる中居たちの声が響いていた。
淡い薄緑色の着物に、白絹の顔隠し。そこには黒いりんご印が添えられている。
中居たちは年齢も背丈もさまざまで、髪や肌の色もそれぞれ違う。若い者もいれば、長くこの宿に勤めている者もいる。
その中で、ひときわ目を引く女性がいた。
紫色の着物に、桔梗色の印が入った顔隠し。
仲居頭の桔梗(ききょう)である。
桔梗「お客様のお迎えは、こちらの二人にお願いします。お部屋の確認は済んでいますか?」
中居「はい。すべて整っております」
桔梗「ありがとう。では、帳場にも確認を入れておきますね」
落ち着いた声で指示を出しながら、桔梗は宿の様子をひとつずつ確かめていく。
中居たちの仕事を見守り、宿泊客への対応を整え、必要があれば自ら動く。
その姿に、周囲の者たちも自然と頼もしさを感じていた。
桔梗は、ただの古参の中居ではない。
みみが宿を離れている間、この宿の現場を預かる仲居頭だ。
帳場では、番頭の意流がパソコンで予約状況を確認している。
意流(りう)「桔梗さん、午後のお客様についてですが」
桔梗「はい。こちらで対応いたします。変更がありましたら、また知らせてください」
意流「承知しました」
二人の間に、余計な説明は必要なかった。
長く宿を支えてきた者同士、仕事の流れもよく分かっている。
一方、その頃のみみはというと――。
宿の外で、気ままに風に吹かれていた。
行き先を決めずに歩き、気になるものがあれば立ち止まる。帰りたくなれば帰る。
そんな自由な時間を過ごせるのも、宿を任せられる人たちがいるからだった。
桔梗は、みみの自由な気質をよく知っている。
無理に引き留めることも、帰りを急かすこともない。
ただ、みみが戻ってきたときに、いつも通りの宿で迎えられるように整えておく。
桔梗「みみさんは、今日もお出かけでしょうか」
中居「はい。しばらく戻られないかもしれませんね」
桔梗「ふふ。そうですか。では、いつお戻りになってもよいようにしておきましょう」
そう言って、桔梗は廊下の奥へ歩いていった。
みみが自由にうろうろできるのは、誰かがその自由を支えているから。
帰る場所を守り、宿を整え、いつもの笑顔で迎える人たちがいる。
そして、その中心には、紫色の着物をまとった仲居頭がいた。
みみが自由な風でいられるように。
今日も桔梗は、狭間のお宿を守っている。