第一話「鳥居の外の居場所」
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
部活紹介で所属を尋ねられ、月城貴乃(16)は笑ってごまかす。掲示板で見つけた榊森神社の求人に応募すると、宮司の榊朔也(54)は「無理な日は申告してください」と告げた。笛の音に雨中の校庭を思い出しながらも、玉砂利を掃く手は軽い。夕暮れの狐面は願いを拾うという言い伝え。靴に小石が入るのは神様に呼ばれた印だ。初めて選んだ居場所で、祭礼の人手不足を知る。
本文
「月城さんは、どこか部活に入ってる?」
昼休みの教室は、湿った制服の匂いと、窓から入る雨の匂いで満ちていた。
部活紹介の紙を配っていたクラス委員が、何気なく顔を上げる。
貴乃は机の端を指先でなぞった。爪のあいだに、朝ついたシャープペンの黒が残っている。
「えーと」
喉の奥がきゅ、と鳴った。
「まだ、決めてなくて」
笑った。ちゃんと笑えたと思った。
けれど、机の下で握った手は、冷たかった。
「そっか。早く決めたほうがいいよ。紹介、今週までだから」
「うん、ありがとう」
紙の上には、部活の名前が並んでいた。
雨粒が窓を細く滑る。その向こうの校庭は、泥を跳ね上げる靴と、短い笛の音で揺れていた。
貴乃は視線を落とした。
掲示板の隅に、小さな紙が一枚だけ残っていた。
〈榊森神社 巫女補助・境内清掃 若干名。 〉
紙の端が、風にかすかに震えていた。
応募の電話をかける前、貴乃は何度も番号を見た。指が汗ばんで、画面が滑る。
「月城貴乃と申します」
声が裏返らなかったことに、少し驚いた。
榊森神社の鳥居をくぐると、雨上がりの土と杉の匂いがした。
拝殿の軒から落ちる雫が、石畳に丸い跡をつくる。
「月城さんですね」
紺の作務衣を着た榊朔也が、静かに会釈した。
「はい」
貴乃も頭を下げる。濡れた前髪が頬に張りついた。
朔也は履歴書から顔を上げた。
「祭礼前は忙しくなります。ただ」
貴乃の肩が、わずかに固まる。
「無理な日は、申告してください」
一拍、音が消えた気がした。
「……休んでも、いいんですか?」
尋ねたあとで、貴乃は唇を噛んだ。
朔也は目を細めるでもなく、困った顔をするでもなく、ただうなずいた。
「ええ。無理を隠されるほうが、こちらは困ります」
胸の奥にあった何かが、ほどけそうになった。
貴乃は慌てて息を吸った。
「分かりました」
それだけ言うのに、少し時間がかかった。
竹箒を動かすたび、玉砂利がさら、さら、と乾いた音を立てた。
軽い。
腕も、足も。息さえも。
遠くで笛が鳴った。
ぴい、と細く伸びた音に、貴乃の手が止まる。
雨の校庭。白線の消えた地面。濡れた靴下。笛が鳴るたび、走れと言われた声。
けれど今、目の前にあるのは、水を含んだ苔の緑と、雨粒を抱いた榊の葉だった。
貴乃は箒を握り直す。
さら、さら。
小石が靴の中に入った。
「……あ」
片足を浮かせ、そっと靴を脱ぐ。
白い小石が、掌にころんと落ちた。
夕暮れの社務所には、狐面が並んでいた。赤い紐が、風もないのにわずかに揺れる。
『夕暮れの狐面は、言えなかった願いを拾う』
さっき、朔也がそんな話をしていた。
『靴に小石が入るのは、神様に呼ばれた印だとも言います』
貴乃は掌の小石を見つめた。
「呼ばれた、のかな?」
声は小さかったが、消えなかった。
そのとき、社務所の奥で紙をめくる音がした。
「祭礼の手伝いの人数、やはり足りませんね」
朔也の低い声。
貴乃は小石を靴の横に置き、境内を見回した。
薄紫の空。提灯のない軒下。誰もいない参道。
それでも、箒の柄は不思議なくらい温かかった。