第二話「小さな声の授与所」
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文化祭の係決めで、部活生だけが練習を理由に抜けていく。貴乃(16)は飲み込んだ不満を抱えたまま、同じ高校の真壁湊(17)と授与所に立つ。迷子を母親へ送り届け、礼を言われた瞬間、大声で返事を強いられた記憶がよみがえる。それでも湊は、小さな声は相手を見ていれば届くと言う。鈴緒を三度鳴らすと迷いが晴れるという言い伝えの残るの夜、古い絵馬が棚から落ちる。
本文
「文化祭の係、残れる人?」
担任の声に、教室の空気がわずかに沈んだ。
貴乃は配られた希望表の端を押さえた。窓の外では、グラウンドへ向かう生徒の声が弾んでいる。
「すみません、部活あるんで」
「俺も。大会前だから」
「吹部、通し練です」
椅子が引かれる音が、次々に重なった。
「じゃあ、残りの人で決めようか」
その言葉に、貴乃の指が止まる。
残りの人。
喉元まで来たものを、いつものように飲み込んだ。
「月城さん、受付係どう?」
「……はい」
笑おうとしたけれど、頬がうまく動かなかった。
夕方の榊森神社は、冷えた風が石畳を撫でていた。
授与所の小窓の向こうで、湊が御守りの紐を整えている。長い指が、朱色の房をそっと揃えた。
「文化祭、係になったらしいですね」
「……はい」
貴乃は巫女装束の袖口を直した。
「部活の人は、練習だからって抜けていきました」
鈴のついた根付が、指先で小さく揺れる。
「別に、悪いことじゃないんですけど」
言った途端、胸の奥が痛んだ。
「でも、残る側が当たり前みたいになるのは……嫌です」
湊はすぐには答えなかった。授与所の外を見ている。
「嫌だった、でいいんですよ」
貴乃が顔を上げる。
「……そんなふうに言っていいんですか?」
「言わなかったら、嫌じゃなかったことになるわけじゃないです」
風が吹き、白い紙垂がかさりと鳴った。
そのとき、鳥居のそばで幼い子の泣き声がした。
「おかあさん……っ」
貴乃は反射的に立ち上がった。小さな男の子が、涙で濡れた頬を両手でこすっている。
「どうしたの?」
しゃがむと、男の子は首を横に振った。鼻をすすり、言葉にならない声を漏らす。
「大丈夫。ゆっくりでいいよ」
貴乃は急かさず、男の子の視線の先を追った。
人の流れの向こうで、青ざめた女性がこちらへ駆けてくる。
「ゆうと!」
男の子が振り向いた。
「おかあさん!」
抱きしめる腕。震えた背中。女性は何度も頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます」
返事をしようとした瞬間、耳の奥で笛が鳴った。
『返事が小さい!』
雨の校庭。泥の跳ねた靴。皆の前で、もっと大きな声を出せと言われた記憶。
貴乃の肩がびくりと揺れた。
「い、いえ」
声は、かすれた。
女性は気にした様子もなく、子どもの頭を撫でながら笑った。
「助かりました」
二人の背中が参道の先へ消えてからも、貴乃はその場に立ち尽くした。
「小さかったですか?」
「何がですか?」
「今の返事です」
湊は授与所の柱にもたれ、貴乃を見た。
「届いてましたよ」
「でも……」
「相手を見て言えてました」
湊の声は低く、静かだった。
「だったら、届きます。大きさだけで決まりません」
貴乃は唇を閉じた。
冷たい空気を吸うと、胸の奥の固いところが少しだけ緩んだ。
境内に人影がなくなると、湊が拝殿の前で鈴緒を指した。
「三度鳴らすと、迷いが晴れるらしいです」
「本当ですか?」
「言い伝えです」
貴乃は鈴緒に触れた。藁の感触が掌にざらりと残る。
一度。
鈴の音が、暗い木々へ広がる。
二度。
遠くの車の音が、ふっと薄くなる。
三度。
澄んだ音が消えた直後、授与所の奥で、何かが落ちた。
からん、と乾いた音。
貴乃と湊は同時に振り向く。
棚の下に、古い絵馬が一枚、裏返しで落ちていた。