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第八話「結び直す青春」

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/11/3 📚 シリーズ: 狐面の絵馬に願いを込めて 📝 1,288文字 ✅ 全年齢

あらすじ

絵馬には、若い澄江が残した「誰も無理をしない神社に」という願いがあった。狐面の印は、助けを求める奉仕者へ渡した合図だった。文の御守、絡んだ絵馬の紐、雨天手順も、受け継ぐとは同じ我慢を押しつけず、その人に合う形へ結び直すことだと語りかける。部活へ入れと言う同級生に、貴乃は神社で働くと答える。春、貴乃は新人に休み方を伝え、鳥居の向こうへ新しい希望を迎える。

本文

絵馬掛けの端で、雨に濡れた木札が揺れていた。

貴乃は、狐面の印がある絵馬をそっと持ち上げる。

「……読める」

滲んだ墨の下に、細い字が残っていた。

〈誰も無理をしない神社に〉

指先が、冷えた木肌に触れた。

「澄江さんが書いたんですよね」

片付け途中の境内で、澄江は濡れた手拭いを絞っていた。聞こえた声に振り向き、目を細める。

「そうよ」

澄江は少し笑ってから、提灯の外された軒下を見た。

「若いころの私はね、人がいなくなるのが怖かったの。残ってくれる人に、必要だからって。我慢してって」

絵馬を握る貴乃の手に、力が入る。

「この印は?」

「助けて、って言えない子に渡していた合図」

澄江は自分の掌を開いた。そこに小さな狐面があるように、指先を見つめる。

「狐面を見せてくれたら、理由は聞かずに休ませる。仕事を代わる。そう決めていたの」

「……でも、澄江さんは」

「できなかったことも、たくさんあるわ」

雨だれが、石畳に丸い輪を作った。

「だから残したの。この願いだけは、次の人に同じ我慢をさせないために」

返納所の棚には、文が持ち帰った紫の御守があった場所だけ、小さく空いている。

「御守も、絵馬の紐も、雨の日の手順も」

澄江は棚を撫でた。

「そのまま渡すだけが、受け継ぐことじゃないのよね」

貴乃は、絡んだ紐をほどいた夜を思い出す。試験後なら入れる、と初めて口にした日を思い出す。湯呑みの熱を、両手で受け取った雨の日を思い出す。

「その人に合うように、結び直す」

口にすると、澄江が静かにうなずいた。

「ええ。それができたら、きっと」

文化祭の準備が終わった廊下で、同級生が貴乃の鞄を見た。

「月城、まだ神社のバイトしてるの?」

「うん」

「そろそろ部活、入れば? 一回くらい見に来なよ」

貴乃は鞄の肩紐を握った。

胸の奥に、雨の校庭が浮かぶ。笛の音。濡れた靴。大丈夫だと笑った自分。

けれど、その向こうに、社務所の湯気も浮かんだ。

「入らない」

同級生が目を丸くする。

貴乃は一度だけ息を吸った。

「私は、神社で働く」

声は大きくなかった。

それでも、足元は揺れなかった。

祭礼の片付けが終わるころ、境内には濡れた木と甘い米の匂いが残っていた。

湊が紙コップを差し出す。

「甘酒」

「ありがとうございます」

両手で包むと、じんわり熱い。ひと口飲めば、やさしい甘さが舌に広がった。

「おいしい」

思わずこぼした声に、湊が少しだけ笑う。

「片付けの後だから」

貴乃は首を横に振った。

「無理をしなかった日の甘酒だからです」

湊は返事をしなかった。ただ、紙コップの湯気の向こうで、ゆっくりうなずいた。

春。

鳥居の前で、新しく来た子が履歴書を胸に抱えていた。緊張で、指先が白くなっている。

「忙しい日は、休めないですか?」

貴乃は受付の帳面を閉じた。

窓の外では、淡い花びらが玉砂利の上を転がっていく。

「休みたいときは、早めに言ってください」

新人が、そっと顔を上げた。

「迷惑じゃ、ないですか?」

貴乃は狐面の印がついた小さな札を、掌にのせた。

「一緒に、できる形を考えます」

鳥居の向こうから、春の風が吹いた。

新しい希望が、境内へ静かに入ってきた。

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作者について

津組セナ

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