第七話「雨の日の役割」
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
試験明けの雨祭で欠員が出る。湊は手書きの案内板を作り、澄江は昔の雨天手順を持ち出し、貴乃も寝不足を隠して働く。けれど「最後までやれ」という怒声の記憶に追われ、息が浅くなる。貴乃は初めて、自分から十分休みたいと告げた。皆は黙って役割を分け直す。雨の参拝は願いが近いという言い伝えどおり、濡れた絵馬の文字が浮かび上がる。
本文
雨は、朝から境内を細く叩いていた。
屋根の端から落ちる雫が、玉砂利に黒い点を増やしていく。参道には傘の花がひらき、濡れた土と杉の葉の匂いが混じっていた。
「欠員、二人です」
社務所の入口で、澄江が帳面を抱え直した。白い髪の生え際に、雨の湿気で細い毛が張りついている。
「一人はお子さんが熱を出して。もう一人は、電車が止まったそうで」
「分かりました」
湊は答えると、濡れないよう机の奥へ紙を運んだ。太いペンを取り、段ボールの裏へ大きな字を書く。
〈雨天時 授与所はこちら〉
〈御朱印受付 拝殿脇〉
墨の匂いが、湿った空気に広がった。
「字、見やすいですね」
貴乃が言うと、湊は顔を上げずに言った。
「急いでる人ほど、迷います」
「昔の雨天手順は、これよ」
澄江が古いファイルを開く。黄ばんだ紙には、矢印と小さな文字がぎっしり並んでいた。
「傘立ては拝殿前と社務所前に分ける。列は石段を使わず、こっちの屋根の下へ。足元の悪い方には、こちらから声をかけるの」
「傘立て、足りますか?」
貴乃が尋ねると、澄江は少しだけ笑った。
「足りないのが、雨の日の風物詩みたいなものよ」
貴乃も笑おうとした。けれど、こめかみの奥が重い。試験明けから続いた寝不足が、濡れた綿のように頭へまとわりついていた。
「月城さん、授与所をお願いします」
「はい」
返事は出た。手も動く。御守を並べ、釣り銭を確かめ、濡れた台を布で拭く。
けれど、雨音が急に大きくなった。
ばらばらと屋根を打つ音が、笛の音に変わる。
『最後までやれ』
濡れた校庭。痛む足。息が上がっても、列の端から怒鳴る声。
『みんなやってるだろ』
貴乃の指から、五百円玉が滑った。硬貨が板の間を転がり、柱のそばで止まる。
「すみません」
しゃがもうとして、膝がうまく曲がらなかった。吸った息が胸の途中で止まる。
湊が何も言わずに硬貨を拾い、会計箱へ戻した。
「月城さん」
澄江の声が近い。
大丈夫です、と言いかけた。いつものように。
けれど、唇が震えた。
「……私」
雨が、提灯の紙を濡らしている。参拝客の傘が、目の前をゆっくり通り過ぎる。
「10分、休みたいです」
言った瞬間、肩が強ばった。困らせる。叱られる。そんな声が、胸の奥で一斉に顔を上げる。
けれど、誰もすぐには何も言わなかった。
湊は案内板を壁へ立てかけ、澄江は帳面を見下ろした。
「10分ね」
澄江が静かにうなずく。
「授与所は私が入るわ。湊くんは案内をお願い」
「分かりました」
「貴乃さんは、社務所で温かいものを飲んでらっしゃい」
それだけだった。
貴乃は、何度かまばたきをした。
「……はい」
声は小さかった。それでも、消えなかった。
社務所の軒下から境内を見る。傘立てには色とりどりの傘があふれ、石畳には水が細く流れている。絵馬掛けでは、雨に濡れた木札の文字が、ひとつずつ濃く浮かび上がっていた。
雨の参拝は、願いが神様へ近く届く。
そんな言い伝えを思い出しながら、貴乃は湯呑みを両手で包んだ。湯気が頬に触れ、冷えていた指先へ、ゆっくり熱が戻ってきた。