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第二十話 世界より名を消されし剣士

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📅 公開日: 2026/11/6 📚 シリーズ: Reincarnation -Record of memories- 📝 7,752文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

遺した記録、貴方の記憶、その手で全て解き明かして。

本文

「名は……トーマ」

テリア女王の声が、正門前の空気に落ちた。

誰も動かなかった。

ロイドは拓本を持ったまま固まり、ソルは静かにトーマを見る。

レナは珍しく言葉を失い、リンも微笑みを消していた。

ガーネは無言のまま、ただ巻物に写された古代文字を見つめている。

トーマ自身は、息をすることすら忘れかけていた。

古代の壁画。

神代に近い時代。

黒い剣を持つ人物。

羽根のない黒い天使のような影。

そして、そこに刻まれた自分の名前。

トーマ。

今の自分に残された、たった一つのもの。

それが、ずっと昔の壁画にある。

「……偶然じゃないのか」

トーマはようやく言った。

自分でも苦しい言い訳だと思った。

だが、そう言わずにはいられなかった。

テリア女王は拓本から目を離さない。

「偶然と見るには、符号が多すぎる」

リンが静かに言う。

「黒い剣。黒い羽根。記録を断つ者。そしてトーマという名。ここまで揃って偶然なら、世界は随分と悪趣味な冗談を言うものですねぇ」

いつもの甘い声だったが、軽さはなかった。

ロイドが眉を寄せる。

「古代語の読み違いの可能性は?」

テリア女王は頷いた。

「もちろんある。文字は欠けておるし、時代によって意味も揺れる。じゃが、この名の部分は比較的保存状態が良い」

彼女は拓本の下部を指差した。

そこには、崩れかけた文字列がある。

トーマには読めない。

だが、見ているだけで胸の奥がざわついた。

まるで、自分の名前を知らない誰かに呼ばれているような感覚。

「トーマ」

ソルの声で、意識が戻る。

「大丈夫か」

「……分からない」

トーマは正直に答えた。

「俺の名前が、古い壁画にある。なのに俺は何も知らない。分からないことが増えただけだ」

レナが一歩近づいた。

「でも、名前があったんだろ?」

トーマはレナを見る。

レナは真剣な顔だった。

「トーマの名前が、昔からあったってことだろ? なら、それは大事な手がかりだ!」

「手がかり……」

「そうだ! 分からないことが増えたんじゃなくて、探す場所が増えたんだ!」

ロイドが少しだけ目を細める。

「言い方は大雑把ですが、正しいですね」

レナはぱっと顔を輝かせる。

「また正しいこと言った!」

「今日は調子がいいですね」

「やった!」

そのやり取りに、少しだけ空気が緩んだ。

だが、状況の重さは変わらない。

ロイドは拓本を丁寧に巻き直す。

「ここで話し続けるべき内容ではありません。会議室へ移動しましょう。リン、ガーネ。詳細な報告をお願いします」

リンは頷いた。

「もちろんです」

ガーネも短く言う。

「地下闘技場の地図もある」

テリア女王はトーマを見る。

「お主も来るか?」

「行く」

即答だった。

ソルが少しだけ目を細める。

「無理はするな」

「無理じゃない。これは俺のことだ」

「だから危うい」

ソルの声は静かだったが、鋭かった。

トーマは言い返そうとして、止まった。

昨夜、ロイが言った。

怖さを隠すな。

隠した怖さが、隙間になる。

トーマは息を吐く。

「怖い。でも、知りたい」

ソルは少しだけ表情を和らげた。

「それならいい」

リンが小さく笑う。

「良い顔になりましたねぇ。前より、少しだけ」

「顔の話ばかりだな」

「顔には色々出ますから」

ロイドが淡々と頷く。

「かなり出ます」

「お主、顔芸の才能があるのかもしれぬな」

テリア女王が言う。

「いらない才能だ」

トーマはそう返したが、声には少しだけ力が戻っていた。

一人で抱え込まない。

名前を呼ぶ。

怖いと言う。

それだけで、足元が少しだけ崩れにくくなる。

正門前にいた一行は、急ぎ会議室へ向かった。

⸻

会議室には、三国の主要な者たちが集まった。

シェイン側はロイド、ソル、レナ、トーマ。

テリア側はテリア女王、アリス、ロイ。

ベイル側はリン、ガーネ。

ノア、ミア、ユナは呼ばれなかった。

黒い羽根や記録喰いの話は、まだリトルヴァルキリーたちに詳しく伝えるには重い。

ただ、トーマが「ノアたちにも後で話す」と言ったため、ロイドは完全に隠すのではなく、段階的に共有する方針を取ることにした。

机の中央に、拓本が広げられる。

黒い剣を持つ人物。

その線は古く、ところどころ欠けていた。

顔は潰れていて分からない。

だが、腰に下げた剣の形は、トーマの忘却の剣に似ている。

人物の背後には、巨大な黒い影。

天使のような輪郭。

だが、羽根がない。

背中からは、無数の黒い糸のようなものが伸びている。

それらは周囲の人々や建物、文字らしきものへ絡みついていた。

まるで、世界そのものから何かを剥ぎ取っているようだった。

「これが地下闘技場の壁画ですか」

ロイドが問う。

ガーネは頷く。

「古い封鎖区画の奥。崩れた壁の裏にあった」

リンが説明を継ぐ。

「黒い羽根が発見されたことで、ベイル側が地下闘技場跡を再調査しました。そこで隠し壁が崩れ、この壁画が露出したのです」

アリスが腕を組む。

「タイミングが良すぎるわね」

「ええ」

リンは微笑む。

「まるで、見つけさせられたようでした」

その言葉に、空気が重くなる。

見つけさせられた。

誰に。

記録喰いの残滓か。

それを呼び起こした何者かか。

あるいは、もっと別の存在か。

テリア女王は拓本の文字部分を見つめる。

「まず読めるところだけ整理するぞ」

彼女は古代文字を指でなぞった。

「ここは、“黒き記録を断つ者”。おそらく記録喰いに対抗した者、あるいは記録喰いそのものを断った者を指しておる」

ロイドが記録する。

「トーマが記録喰いと敵対していた可能性」

「うむ」

テリア女王は次の文字へ移る。

「ここは、“世界より名を消されし剣士”。これは二通りに読める」

「二通り?」

トーマが聞く。

「一つは、世界によって名を消された剣士。つまり、何者かに存在を抹消された者」

「もう一つは?」

テリア女王の声が少し低くなる。

「世界を守るため、自ら名を消した剣士」

会議室が静まり返る。

自ら名を消した。

トーマは胸の奥が冷たくなるのを感じた。

「俺が、自分で?」

「可能性の一つじゃ」

「なんのために」

「それが分かれば苦労せぬ」

テリア女王は正直に言った。

「じゃが、忘却の剣が存在を隠す鞘であるなら、自ら隠れるために使った可能性もある」

リンが唇に指を当てる。

「記録喰いから逃れるため。あるいは、記録喰いを封じるために自分ごと世界から切り離した、とか」

ロイドが頷く。

「理論上はあり得ます。もし記録喰いが“世界の記録”を辿って対象を喰うなら、世界から名を消すことは防御策になる」

ソルが言う。

「だが、それならなぜ今戻ってきた」

ロイが短く答えた。

「誰かが戻した」

全員の視線がロイへ向く。

ロイは拓本を見たまま続ける。

「トーマは空から落ちた。自然じゃない。誰かが落とした。もしくは、隠れていた場所から弾き出した」

トーマの頭に、最初の日の光景が蘇る。

空から落ちる感覚。

光。

そして、何もない荒野に横たわっていた自分。

あれは事故ではなかったのか。

誰かが自分をこの時代、この場所へ落としたのか。

「誰が」

トーマが問う。

ロイは首を振る。

「知らない」

ソルが続ける。

「ゼロか?」

ロイドが慎重に言う。

「ゼロが関与している可能性はあります。しかし、現時点で断定はできません」

テリア女王も頷く。

「ゼロは神を倒した英雄じゃ。神代の残滓や記録喰いについて何か知っている可能性はある。だが、トーマを落とした本人かどうかは別問題じゃ」

リンが静かに言う。

「そもそも、ゼロが知っているなら、なぜ今まで黙っていたのか、という問題もありますねぇ」

重い言葉だった。

ゼロは英雄だ。

世界を救った存在。

トーマはまだ会ったこともない。

だが、世界中の人々が彼を讃えている。

そのゼロが、自分の過去を知っていて隠しているのかもしれない。

そう考えるだけで、胸の奥がざわついた。

「まだ決めつけるな」

ソルが言った。

トーマの方を見ている。

「ゼロが敵だと考えるのは早い」

「分かってる」

「本当にか」

トーマは息を吐いた。

「……分かってる。けど、気にはなる」

「それでいい」

ソルは頷く。

「疑問を持つことと、敵と決めつけることは違う」

レナが腕を組む。

「ゼロが悪い人なわけないぞ!」

ロイドが少しだけ目を細める。

「レナ。英雄であっても、全てを正しく選べるとは限りません」

「でも……」

「もちろん、悪いと決めつけるべきでもありません。だから調べるのです」

レナは少し難しそうな顔で頷いた。

「分かった。調べてから考える」

「よろしい」

テリア女王は拓本の最後の部分を見る。

「ここが最も欠けておる」

彼女は指で、文字の欠損した箇所をなぞった。

「読めるのは、“彼は■■を殺し、■■を救い、■■を失った”」

トーマの心臓が強く鳴った。

彼は何かを殺した。

影の言葉と重なる。

思い出せ。お前が何を殺したのか。

「黒い影が言っていた」

トーマは低く言う。

「お前が何を殺したのか、と」

アリスが表情を曇らせる。

「壁画と繋がってるわね」

「何を殺したのか、そこが欠けている」

ロイドが言う。

「偶然ではないでしょう。最重要部分が失われている」

リンは薄く目を細めた。

「あるいは、食われた」

記録喰い。

記憶や歴史を喰う存在。

なら、この壁画の欠損はただの風化ではなく、意図的に記録を喰われた痕跡なのかもしれない。

ガーネが短く言う。

「地下闘技場に、他の壁画もある」

全員がガーネを見る。

「まだ全部は見ていない。危険区域が多い」

リンが頷く。

「ベイル女王は、三国共同調査を提案しています。シェイン、テリア、ベイル、それぞれから少数精鋭を出して、地下闘技場跡を詳しく調べるべきだと」

ロイドはすぐに考え込む。

「妥当です。黒い羽根が発見された場所であり、トーマに関する壁画がある。放置はできません」

テリア女王も頷く。

「ワシも行く」

アリスが即座に言う。

「駄目」

「なぜじゃ」

「女王がほいほい危険地帯に行くなって何回言えば分かるの」

「危険だからこそワシが」

「そういうところよ」

アリスの声が鋭くなる。

「昨日、ノアの前で何を学んだのよ。あなたは何でも自分で見に行きすぎる」

テリア女王は言葉に詰まった。

ロイドは冷静に言う。

「テリア女王陛下の知識は必要ですが、現場同行には慎重であるべきです。遠隔解析でも協力は可能では?」

テリア女王は不満そうだったが、何も言えない。

ロイが短く言った。

「私が行く」

アリスがロイを見る。

「あなたは行くと思ったわ」

ソルも言う。

「私も行く」

今度はロイドが反応する。

「ソル」

「トーマに関わる。私が行くべきだ」

レナがすぐに手を上げる。

「私も!」

ロイドが即答する。

「駄目です」

「早い!」

「シェイン王国の防衛も必要です。ノアたちの護衛もあります」

レナはぐっと言葉を詰まらせる。

「でも……」

トーマが言う。

「俺も行く」

その場の空気が止まった。

ロイドが厳しい目を向ける。

「危険です」

「分かってる」

「分かっているなら」

「でも、俺の名前がある場所だ。俺の過去に関わる場所だ。行かずに待つだけはできない」

ソルがトーマを見る。

「怖いか」

トーマは頷いた。

「怖い」

「それでも行くのか」

「ああ」

「一人で?」

「行かない」

トーマははっきり言った。

「ソルが行くなら、ソルと行く。ロイも行くなら、ロイとも。シェインだけじゃなく、三国で行くなら、その中で動く。勝手には行かない」

ソルは少しだけ目を細めた。

「なら、考える価値はある」

ロイドはため息をつく。

「あなたがそう言うことは予想していました」

「止めるか?」

「止めたいです」

ロイドは正直に言った。

「ですが、あなたが現場に行くことで剣や壁画が反応する可能性もある。調査上、必要になるかもしれません」

リンが微笑む。

「ベイルとしては、トーマくん本人が来るなら歓迎しますよ。もちろん護衛付きで」

ガーネが頷く。

「危険なら守る」

トーマはガーネを見る。

「ありがとう」

ガーネは短く言った。

「丈夫そうだから、たぶん守りがいがある」

「それは褒めてるのか?」

「褒めてる」

リンがくすりと笑う。

「ガーネなりには、かなり」

会議は一気に動き始めた。

三国共同調査。

目的地はベイル王国の古い地下闘技場跡。

参加候補は、シェインからソル、トーマ、ロイド。

テリアからロイ、アリス、遠隔支援としてテリア女王。

ベイルからリン、ガーネ。

レナはシェインに残り、ノアたちと城の防衛を担当することになった。

もちろん、レナは納得していなかった。

「私も行きたい!」

ロイドは言った。

「あなたには、ノアたちを守るという重要任務があります」

「重要任務……」

レナの耳がぴんと立つような顔になる。

「ノア、ミア、ユナを守るのは、あなたにしかできない役目です」

「私にしか……」

「はい」

レナは真剣な顔で頷いた。

「分かった! 守る!」

トーマは思った。

ロイドはレナの扱いがうまい。

いや、単純に本当のことを言っているだけかもしれない。

どちらにせよ、レナはやる気になった。

⸻

会議が一段落した後、トーマはノアたちに話すことになった。

場所は訓練場の隅。

ノア、ミア、ユナの三人が並んで座っている。

レナも近くに立っていた。

トーマは、できるだけ分かりやすく話した。

ベイルの地下闘技場跡で黒い羽根が見つかったこと。

古い壁画に、自分の名前が刻まれていたこと。

そこに黒い剣を持つ人物が描かれていたこと。

そして、調査のためにベイル王国へ向かう可能性が高いこと。

ノアは黙って聞いていた。

ミアは途中で何度も質問しそうになったが、ユナに袖を掴まれて我慢していた。

話し終えると、最初に口を開いたのはミアだった。

「つまり、トーマは昔のすごい人かもしれないってことか!」

「まだ分からない」

「でも壁画に名前があったんだろ? すごいじゃないか!」

ユナが冷静に言う。

「すごいけど、危ない」

「そうだな!」

「そこは勢いで納得しないで」

ノアはトーマを見た。

「行くの?」

「ああ。たぶん」

「怖い?」

「怖い」

トーマは隠さなかった。

ノアは小さく頷く。

「なら、名前を忘れないで」

「ノアたちの名前を?」

「うん。自分の名前も」

ミアがすぐに言う。

「私の名前も!」

ユナも静かに。

「私のも」

レナも胸を張る。

「私のもだ!」

トーマは少し笑った。

「忘れない」

ノアは少し不安そうに続けた。

「本当は、私も行きたい」

「ノアが?」

「うん。でも、たぶん足手まといになる」

「そんなことは」

ユナが静かに言った。

「今回は危険の種類が違う。記録とか記憶とか、私たちには対策が足りない」

ミアは悔しそうに拳を握る。

「じゃあ、ここで強くなるしかないな」

レナが大きく頷いた。

「そうだ! 私が鍛える!」

ユナが少し不安そうに見る。

「加減して」

「する!」

「本当に?」

「たぶん!」

「駄目そう」

ノアはトーマへ視線を戻した。

「帰ってくるよね」

トーマの胸に、あの声が蘇る。

──トーマ、行かないで!

今度は、目の前にノアがいる。

彼女は引き止めているわけではない。

ただ、帰ってきてほしいと言っている。

トーマは静かに頷いた。

「帰ってくる」

ノアは少しだけ安心したように笑った。

「うん」

ミアが叫ぶ。

「約束だぞ!」

「約束だ」

ユナが言う。

「破ったら怒る」

「分かった」

レナも言う。

「帰ってきたら訓練だ!」

「それは報酬なのか?」

「もちろん!」

トーマは笑った。

その笑いは、先ほどまでより少し軽かった。

怖さは消えない。

だが、帰る場所がある。

それは今のトーマにとって、大きな支えだった。

⸻

その日の夕方。

シェイン王国の高い屋根の上。

ロイが一人、遠くを見ていた。

隣にソルが上がってくる。

「また屋根か」

「見やすい」

「そうだな」

二人はしばらく無言だった。

夕陽が王城を赤く染める。

ロイが口を開く。

「ベイルの地下闘技場。嫌な場所」

「知っているのか」

「少し」

ソルはロイを見る。

「何がある」

「昔、強い者を閉じ込めて戦わせた場所」

「ベイルらしいな」

「古すぎる。今のベイルより前」

ロイは遠くを見る。

「記録喰いの壁画があったなら、ただの闘技場じゃない」

「罠か」

「たぶん」

ソルは静かに言う。

「それでも行く」

「うん」

「トーマを守る」

ロイは少しだけソルを見る。

「大事?」

ソルの表情がわずかに動いた。

「保護対象だ」

「それだけ?」

「……今はそれでいい」

ロイは少しだけ首を傾げる。

「ふうん」

ソルはロイを睨む。

「何だ」

「別に」

「その別には信用できない」

ロイはほんの少しだけ口元を緩めた。

「ソル、柔らかくなった」

「お前は前にもそれを言った」

「何度も言う」

「なぜ」

「面白いから」

ソルはため息をついた。

「お前も相変わらずだ」

ロイは頷く。

「うん」

そして、夕陽の中で短く言った。

「地下闘技場では、名前を忘れないで」

「トーマのか」

「みんなの」

ソルはその言葉の重さを理解した。

記録喰い。

記憶や存在を喰う影。

その本拠に近い場所へ行くなら、トーマだけが危険なのではない。

自分たちも、何かを削られるかもしれない。

「分かった」

ソルは言った。

「お前も忘れるな」

ロイは静かに頷いた。

「ソル」

「何だ」

「名前、呼んだ」

ソルは一瞬だけ黙り、それから小さく笑った。

「そうだな」

⸻

同じ頃。

荒野。

紅い旗の下で、セイレンはベイル王国の方角を見ていた。

ルークが隣で大剣を地面に突き立てている。

「ベイルに行く」

セイレンが言った。

ルークが顔を上げる。

「地下?」

「ええ。古い闘技場跡」

「知ってる」

「そうでしょうね。あなたの国だもの」

「暗い」

「それだけ?」

ルークは少し考えた。

「臭い」

「……まあ、古い地下ならそうでしょうね」

セイレンは紅い旗を握る。

「トーマたちも向かうはずよ。壁画を見つけたなら、必ず現地調査に行く」

ルークは大剣を持ち上げる。

「戦う?」

「まだ分からない」

「また?」

「ええ、また」

ルークは少し残念そうだった。

「でも、記録喰いがいるなら」

セイレンの声が低くなる。

「話は別。あれにトーマを喰わせるわけにはいかない」

「守る?」

「違う」

「また違う?」

「違うわ」

ルークは首を傾げる。

「難しい」

セイレンは苛立ったように息を吐いたが、すぐに黙った。

守る。

その言葉を否定するのは簡単だった。

だが、否定したところで、自分の行動がどう見えるかは変わらない。

トーマを試すと言いながら、記録喰いには喰わせたくない。

ノアを壊す気はないと言いながら、彼女の成長を見ている。

母を憎むと言いながら、母が変わるかどうかを見てしまう。

自分の中で、矛盾が増えている。

それが気に入らなかった。

「行くわよ、ルーク」

「うん」

「地下闘技場で、何が出ても油断しないで」

ルークの目が静かに変わった。

「うん」

その一言だけで、空気が戦場のものになる。

セイレンは赤い裂け目を開いた。

紅い旗が翻る。

「トーマ。あなたが何者なのか、私も見せてもらうわ」

二人は裂け目の向こうへ消えた。

⸻

翌朝。

三国共同調査隊が、ベイル王国へ向けて出発する準備を始めた。

目的地は、古い地下闘技場跡。

そこにある壁画。

黒い羽根。

そして、トーマの名。

世界から消されたはずの記録が、少しずつ姿を現し始めていた。

トーマは馬車に乗る前、王城を振り返った。

城門の上には、ノア、ミア、ユナ、レナが立っている。

ノアが手を振った。

ミアが大きく叫ぶ。

「絶対帰ってこいよー!」

ユナは小さく手を上げる。

レナは拳を掲げた。

「任せたぞ! でも無理するな!」

トーマは頷いた。

「行ってくる」

その声は、今の自分の名前を支えるように響いた。

トーマ。

まだ何者か分からない男。

けれど、帰る場所を持った男。

忘却の剣が、腰で静かに揺れた。

その先で待つ地下闘技場が、彼の失われた過去へ続く口を開けている。

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