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第五十四話 地図の外を歩く

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/11/8 📚 シリーズ: Reincarnation -Record of memories- 📝 6,938文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

遺した記録、貴方の記憶、その手で全て解き明かして。

本文

北西へ向かう道は、地図に存在しなかった。

シェイン王城の作戦室では、ロイドが三国から集めた地図を年代順に並べていた。川筋や国境の違いは時代の変化で説明できた。しかし北西の空白だけは、どの地図にも同じ形で残っていた。

「未踏の土地なら、そう書けば済みます。ですが、どの記録者もここを空白にした理由を記していません」

ロイドが指を置くと、レナが身を乗り出した。

「全員が書き忘れたんじゃないのか?」

「百年以上離れた資料まで、同じ範囲を書き忘れるとは考えにくいです」

「じゃあ、何もない場所?」

「何もないと確認された場所でもありません」

ロイドは別の記録板を出した。前日に写し取った、北西地方の旧街道に関する文章が途中で切れている。文字が掠れたのではなく、文章そのものが途切れていた。

「今朝確認したときには、この状態でした。昨夜の写しには続きがあったはずなのですが、原本にも写しにも残っていません」

「記録喰いがやったの?」

ノアの問いに、ロイドはすぐには答えなかった。

「疑う理由はあります。ただ、剣の消失も含め、同じものが原因だと断定するには証拠が足りません」

机の周りにはトーマ、ミア、ユナ、ソルが立ち、後方には遠征に加わる術師と護衛兵が控えていた。トーマは昨夜、自分の記録帳に書かれていた見覚えのない一文を思い出す。『始まりの都市へ。』帳面は封をしてロイドへ預けている。

「地図が使えないなら、何を頼りに進むんだ?」

「星と地形、それに中継地点を併用します。ひとつの手掛かりだけでは危険です」

ロイドがそう答えたところで、通信結晶が青く光った。

最初に現れたのはテリア女王だった。アリスとロイ、イリスもいる。女王の星膜は北西の縁だけが曇っていた。

『こちらの星膜にも変化が出たぞ。昨日は点のような歪みじゃったが、今日は線になっておる』

「王都の結界そのものに影響はありますか?」

『今のところはない。ワシの手元に展開した膜だけじゃ。妙な反応ではあるがのう』

『魔法花もずっと北西を向いてるのよ』

アリスが言葉を継ぐ。

『魔力を切って開き直しても同じ。あんな場所に何があるのか知らないけど、放っておけないわ』

「そちらの準備は?」

『整っておる。ワシとアリス、ロイ、イリス、ルチア、フィナを中心に、少数で向かうつもりじゃ』

『女王様は残るべきだって言ってるんだけど!』

『その話はもうしたであろう。お主こそ、なぜそんなに急ぐのじゃ』

『トーマたちが勝手なことをしないように決まってるでしょ!』

「聞こえてる」

『特にあなたよ!』

アリスは結晶越しに指を突きつけた。

「まだ何もしてないだろ」

『これからする顔をしてるの!』

「どんな顔?」

『そういう顔よ!』

「分かる」

ソルが静かに言ったので、トーマは彼女を振り向いた。

「ソルまで?」

「一人で先に行きそうな顔だ」

「行かないって約束しただろ」

ロイドが眼鏡を直した。

「その約束は継続しているのですね?」

「……継続してる」

ノアが笑った。もう一方の結晶にはベイル女王とガーネ、リン、カノンが映り、後ろにキリカとメルもいた。

『こちらも出発できる。我らは南側から迂回する。三国が同じ道へ集中すれば、ひとつの異変でまとめて足止めされる』

『ならばワシらは北側じゃな』

「シェインは中央から進みます。合流地点は固定せず、連絡が取れる範囲で位置を確認しましょう」

ロイドが三本の予定線を引いた。中央の線が空白へ入った瞬間、インクが薄くなり、紙へ吸い込まれるように消えた。

「……もう一度試します」

二度目も同じだった。紙は破れておらず、指でなぞってもインクの感触さえない。

『トーマ』

テリア女王が呼んだ。

『お主は道が分かるか』

突然の問いに、トーマは顔を上げた。答えられるはずがない。足を踏み入れたことのない土地だ。それでも白い部分を眺めていると、右手の指先が微かに熱を持った。

「……試していいか」

ロイドが頷く。トーマは空白の外縁から指を動かした。真っ直ぐではない。北へ折れ、浅い谷を避けるように西へ進み、一度南へ迂回する。誰かに教わった覚えはないのに、そこへ足場の感覚だけが浮かぶ。

「ここ」

指が止まったのは、空白の奥だった。

「ここに都市がある」

「なぜ分かるのですか」

「分からない。でも……道も知ってる」

トーマは不安になった。封印室で剣の消失を悟ったときと同じで、手足が先に知っている。

その隣へノアの手が伸びた。彼女の指先から小さな防御膜が広がり、トーマが触れた場所を淡く照らす。白紙に、先ほど辿った曲がり角に似た筋が浮かび上がった。

「道が出たぞ!」

ミアが声を上げる。しかしロイドが別の紙へ写そうとしたときには、筋はもう消えていた。

「ノアさん、今は何をしましたか?」

「光を当てただけ。いつも作る小さな膜だよ。道を描こうとはしてない」

「膜への反応か、偶然かは分かりませんね」

女王は通信の向こうから二人を見つめていた。

『無理に再現するでないぞ。見えたものは手掛かりじゃが、仕組みが分からぬうちは頼りきるな』

「うん」

ノアが膜を消すと、紙は元の白さへ戻った。トーマも指を引いた。道を知ることと、安全に歩けることは別なのだ。

──

出発は、装備と連絡手順を確認した翌朝になった。

城門の外には、七人のほかに封印術師二人、医療術師一人、護衛兵が三人並んでいた。水と食料は分散して持つ。ロイドは列の前を歩きながら、金属札を配った。

「個人認識札です。名前と所属、それから本人が忘れたくないことを記しました。読めなくなる場合も考えられるので、口に出して確認する習慣もつけてください」

レナが受け取った札には、名前の下に短い文章が刻まれていた。

『速く走る。待つことを覚えた。呼ばれた場所へ戻ってくる。』

「いい札だ!」

「自分でそう言えるなら、少しは安心です」

ミアの札には『前へ走る。走れない日でもミアはミア』とあった。彼女は照れくさそうに笑い、胸元へ結ぶ。ユナの札に書かれた『自分自身も、繋がれてよい』という一文を見たときだけ、彼女は無言でロイドを見た。

「余計」

「必要です」

「消していい?」

「いけません」

ユナは不満そうに札を裏返したが、外さなかった。

ノアの札には『ノアはノア。誰かの代わりではない』と書かれていた。彼女がゆっくり文字をなぞると、トーマは隣からその表情を覗き込んだ。

「どうした?」

「ううん。これ、好き」

「よかった」

トーマの札には『忘却の剣ではない。ゼロでもない。今ここで、トーマとして生きる』とあった。ゼロという名前へ指を置いたが、胸の奥に答えは現れない。それでも、この文章は自分で選べることだと思えた。

「今の自分まで、昔の記憶に奪われる必要はありません」

ロイドの言葉にトーマは頷いた。

ソルは自分の札を受け取り、すぐに裏返した。トーマが覗くと『一人で立てる。誰かと並んで立つこともできる』とある。

「気に入らなかった?」

「皆に見せる必要はない」

「でも外さないんだな」

「必要な札だから」

ロイド自身の札には、『自分の恐怖も疲労も、記録の外へ捨てない』という一文があった。レナが彼の鞄を持ち上げようとして、顔をしかめた。

「重い! 記録板、何枚あるんだ?」

「必要最低限です」

ソルが無言で鞄の半分を引き受ける。

「重い」

「返してください」

「疲労も記録の外へ捨てるな」

ロイドは一度自分の札を見下ろし、反論を諦めた。

その様子に皆が笑った。城門を出たとき、道はまだ見慣れたものだった。畑の間を抜け、馬車とすれ違い、丘を越える。帰りにも通るはずの道だった。

──

一日目の夕方、道標から名前が消えた。

護衛兵が最初に気づいた。三つの村名が彫られていたはずの木札に、文字の跡が一つもない。削られた木屑は見当たらず、表面は古く滑らかなままだった。

「この道は何度も通っています。昨日まで、確かに名前がありました」

「村はどこにありますか?」

ロイドの問いに兵士は東を指した。

「この丘の向こうです。人も住んでいます。でも……名前が、出てこない」

家々の煙は遠くに見えた。暮らしが続いているのに、住む人の名だけが思い出せない。トーマは札を握った。

「自分の名前は言えますか?」

兵士は頷き、名乗った。ロイドは一人ずつ点呼を取り、返事が遅れた者には少し休ませた。全員の名前が確認できても、道標の文字は戻らなかった。

ノアは小さな帰星を掌に浮かべた。光はいつものように静かで、消えた名を映すことも、兵士の記憶を戻すこともなかった。それでも彼女は、その光を見ながら口を開く。

「私、ノア。みんなの名前も覚えてる」

「俺はトーマ」

「ミア!」

「ユナ」

「レナ!」

「ロイドです」

「ソル」

隊員たちも続いた。声だけで文字は戻らない。それでも点呼を繰り返せば、次の異常に気づける。

ロイドは道標の位置を記録し、道沿いの岩へ小さな印を刻むことを許可した。レナが石を三つ積み、ミアは倒木に矢印を描く。ユナは木々の間へ目立たない糸を張ったが、帰りにほどけるよう簡単な結び目にした。記録帳にも、名前ではなくその場で見た景色を書き残す。

「これで戻れるな!」

レナの声にロイドは首を横へ振った。

「保証はできません。印が消えたり、道そのものを見失ったりする可能性があります」

「でも、何もしないよりいいだろ?」

「……ええ。それは間違いありません」

道標を過ぎてから、トーマは何度も振り返った。道はまだあるのに、帰り道を知っている感覚だけが薄れていく。

──

二日目には、草原から木々が減り始めた。鳥の声が途切れ、道の両脇には乾いた岩が増える。予定していた分岐は見つかったが、地図にない石柱が二本、倒れたまま道の端に横たわっていた。ロイドは無理に北西へ直進せず、斜面が崩れていないか調べさせた。

トーマには、石柱の向こうへ続く細い足場が分かる気がした。自分でも理由を説明できなかったので、黙って先へ出ようとしたところをソルに止められる。

「道が見えるのか」

「たぶん、あっちへ行ける」

「なら、足元も見ろ」

ソルが剣の鞘で砂を払うと、斜面の縁が崩れ落ちた。下には人の背丈ほどの空洞がある。トーマは息を呑み、無意識に出しかけた足を引っ込めた。

「身体が覚えている道でも、今の道とは違う」

「……そうだな」

一行は迂回して進んだ。術師が足場を確認し、レナは先走らずに荷を運んだ。夕暮れには岩陰の平坦な場所を選んで野営する。中央に小さな火を置き、外周へ見張りを配置した。

交代の時間が近づいたころ、トーマは焚き火の前で北西の空を見ていた。夜の色の中に、そこだけさらに濃い影があるように思える。

「見えるのか」

隣へ座ったソルが尋ねた。

「都市は見えない。でも、あるって分かる」

「身体が呼ばれている?」

「呼ばれてるのとは違う。……帰ろうとしてる、のかもしれない」

その言葉を口にした瞬間、トーマは胸の奥に冷たいものが広がるのを感じた。自分にとっての帰る場所は、今のシェイン王国のはずだった。ノアや仲間たちが待つ場所だ。それなのに、遠い都市を思うと、別の誰かが先に帰ろうとする。

「嫌か」

「分からない。もし、あそこにいたのが昔の俺なら、俺は何を思い出すんだろう」

ソルは焚き火へ薪を一本加えた。

「私には、帰る場所がなかった」

「今は?」

「ある」

「シェイン?」

ソルはすぐには頷かなかった。火の向こうでは、レナが眠るミアへ毛布を掛け直していた。

「場所だけではない」

小さく薪が弾けた。

「トーマ。過去の場所へ戻っても、今の場所を偽物だと思うな」

「……うん」

「古い方が本物とは限らない。先に知っていた者が、大切とも限らない」

「記録帳に書いておく」

「そこではない」

ソルは自分の胸を指した。

「ここにだ」

トーマが頷くと、ソルはようやく視線を外した。そのとき、毛布の中にいたノアが起き上がった。

「トーマ」

彼女の声が、普段より低かった。

「どうした?」

「来る」

ソルが立ち上がる。

「方向は」

「……全部」

答えが終わる前に、焚き火の炎が横へ引き伸ばされた。風は吹いていない。火の向こう、岩の輪郭に重なるように黒い人影が一つ立ち、さらに二つ、三つと増えていった。

──

「全員、起きてください!」

ロイドの声で野営地が動き出す。ソルは剣を抜き、レナがノアの前に立った。ユナは負傷者と荷物の間に糸を張り、ミアは短槍を構える。トーマも短棒を握ったが、道の方向は見失っていた。

顔のない三体の影が外周に並び、こちらの位置を測るように上体を傾けた。

「様子を見る。こちらから近づくな」

ソルが告げた直後、一体が膝を沈めた。

レナの顔から笑みが消える。

「……私?」

影が地面を蹴った。レナが新しく身につけた急停止を混ぜ、右へ鋭く回り込む。受けたレナは横へ滑りながら立て直したが、影は追ってくる。

「本当に私だ!」

「喜ばないでください!」

ロイドが叫ぶ間にも、二体目の影から黒い糸が伸びた。ユナの糸をなぞるような軌道で、後ろにいた術師の足首を狙う。ユナは青い糸を交差させ、寸前で絡め取った。

「私の考え方まで真似してる」

三体目の腕には黒い剣が形を取った。ソルが一歩前へ出ると、影も同じ角度に剣を傾ける。二つの刃がぶつかり、乾いた音が夜へ飛んだ。

「私の動きを知っている」

「今見たのか?」

「違う。前から知っていたように動く」

トーマの背筋を冷たいものが走る。影が写しているのは姿だけではなかった。どこで足を止め、いつ反撃するかという、仲間たちが積み重ねてきた戦い方そのものだった。

レナが黒い自分へ踏み込むと、影も同じ速さで来る。ユナの糸が二つの進路を分けようとしても、黒い糸が先回りして妨げた。ミアは短槍で隙を探ったが、相手がこちらの癖を知っているせいで、無理に突っ込めば味方を巻き込む。

トーマの身体は、影を倒す方法を探していた。足や腕を壊して動きを止める。考える前に浮かぶ手順が冷たかった。

「トーマ」

袖を掴んだノアが首を振った。

「一人で全部やろうとしないで」

トーマは息を吐いた。今ここには、レナもユナも、ミアもソルもいる。彼らの癖を知っている影が現れたのなら、今ここで仲間が何を選ぶかまでは知らないはずだった。

「レナ、真っ直ぐ走れるか!」

「任せろ!」

「ユナ、途中で横へ引いて!」

「分かった」

レナが黒い自分へ向かう。影は同じ速度で迎え撃った。衝突の一歩手前でユナが糸を引き、レナの身体がわずかに横へ滑る。影は急に進路を変えられず、真っ直ぐ抜けた。

そこへミアが短槍の柄を差し込み、相手の足を払う。倒れた影へトーマが短棒を突き立てると、胸の奥の黒い点が砕け、身体が羽根のようにほどけた。

「倒れた!」

レナが声を上げる。しかし残る二体は止まらない。黒い糸がノアの方へ伸びた瞬間、彼女は防御膜を広げて受け流し、ユナが糸の根元を縛った。ミアの槍が腕を押さえ、ソルの剣が影の中心を斬る。崩れた輪郭は元に戻らず、黒い羽根へ変わって消えた。

最後の一体はソルの剣筋を正確になぞった。剣を合わせるたびに同じ角度で返され、正面から押し切れない。トーマが短棒で脇を狙おうとすると、影はそちらも読んだように身を引いた。

「レナ!」

ソルが呼ぶ。

レナは影の背後へ走ったが、攻撃せず寸前で止まった。影が振り向いて剣を振るう。その空振りへユナの糸が巻きつき、ミアが槍の柄で足を崩す。ソルは相手の剣を押し上げ、露わになった胸元へ刃を突き立てた。

黒い輪郭が割れた。最後に小さな羽根が落ち、それも地面へ触れる前に消えた。

「私の剣を、お前が使うな」

ソルは剣先を下ろした。勝ったはずなのに、すぐには誰も笑わなかった。影が消えた場所には、焚き火の消えた跡と、踏み荒らされた砂だけが残っていた。

──

負傷者を確かめたあと、ロイドは全員の名前を呼び直した。護衛兵の一人が腕を傷め、術師の一人が転倒して足を捻っていたが、命に関わる傷ではない。医療術師が処置を終えるまで、誰も荷を片づけようとしなかった。

「あれは、何だったんだろう」

ノアの問いに、ロイドは砂の上へ落ちた黒い欠片を見つめた。消える寸前、その表面に一瞬だけ文字のような形が浮かんでいた。写し取れたのは数本の線だけで、意味は分からない。

「戦い方の記録を模倣しているように見えました。仮に『記憶模造体』と呼びます。ただ、どこからその記録を得たのかは未確認です」

「また来る?」

レナが尋ねる。

「来る可能性はあります。今夜のうちに、移動できる準備を整えましょう」

しかしテリアとベイルへの通信は繋がらず、返事が届かなかった。ユナが地面へ残した糸の印を確かめると、野営地の西側だけ、先ほど結んだ場所からずれていた。

トーマは北西へ目を向けた。暗い空の下、遠い山並みの上に、黒い輪郭が一瞬だけ浮かび上がる。幾つもの屋根と、ほかより高い建物。その頂上に、人のようなものが立っていた。

低い鐘が鳴った。

「待ってる」

ノアが呟く。都市が本物か幻か、トーマには分からない。それでも、あの方角へ自分の足が向かおうとしていることだけは分かった。

もう一度、鐘が鳴る。

ソルが剣を構え直した。地面の割れ目、岩の陰、枯れ草の間から、先ほどより多くの黒い影が立ち上がり始める。ロイドは記録板を閉じ、全員へ後退の合図を送った。

道のない荒野で、彼らが残した帰り道を守るための戦いが始まろうとしていた。

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