第2話「偶然の仲間」
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
この世界では、おしくらまんじゅうを経験したことがない人間は、「おしくらまんじゅう貞」と呼ばれ、馬鹿にされる。 佐野悠太も、そんな未経験者の一人だった。 おしくらまんじゅうをしたことがあるかどうか。 それだけで人間の価値が決められるような社会に、疑問を抱きながらも、周囲の目を気にして生きている。 そんな佐野が、ある日、思いがけない出会いを経験する。 おしくらまんじゅうをしない人間は、本当に恥ずかしいのか。 奇妙な世界を舞台に、偏見と同調圧力を描く、不条理な社会風刺小説。 ■佐野悠太(さの ゆうた) 主人公。男性。おしくらまんじゅう未経験者。気が弱く、周囲の目を気にしやすい性格。 「おしくらまんじゅう貞」と呼ばれて馬鹿にされており、未経験であることに引け目を感じている。 おしくらまんじゅうそのものに強い興味はなく、経験の有無で人間を評価する社会に疑問を抱いている。 公園で偶然出会った黒田健吾と宮本美咲と親しくなり、 仲間たちとの交流を通して少しずつ考え方を変えていく。 ■黒田健吾(くろだ けんご) 男性。おしくらまんじゅう未経験者。正義感が強く、思ったことをはっきり口にする性格。 自分が未経験であることを恥じておらず、未経験者を馬鹿にする社会の風潮に強い怒りを抱いている。 公園で佐野が馬鹿にされている場面に遭遇し、差別的な発言をした人々に言い返す。 その後、佐野や宮本と意気投合する。 行動力があり、3人の中では最も積極的な人物。 ■宮本美咲(みやもと みさき) 女性。おしくらまんじゅう未経験者。落ち着いた性格で、物事を冷静に考える。 女性にもおしくらまんじゅうの経験を求める社会の風潮に疑問を持っている。 経験するかどうかは個人の自由であり、他人が口を出すことではないと考えている。 公園で佐野と黒田のやり取りを目撃し、会話に加わる。 感情的になりやすい黒田を落ち着かせることもあり、3人の意見をまとめる役割を担う。 ■高橋修一(たかはし しゅういち) 男性。故人。おしくらまんじゅう未経験者。 生前は物静かな人物だったが、未経験者への差別に強い問題意識を持っていた。 「おしくらまんじゅう貞」と呼ばれて繰り返し馬鹿にされ、 経験の有無によって人間の価値が決められる社会に疑問を抱くようになった。 数年前、未経験者への差別に抗議するために食事を断ち、餓死した。 生前に自分の考えを語った映像メッセージを残しており、その言葉が佐野たち3人に大きな影響を与える。 ■高橋和子(たかはし かずこ) 女性。高橋修一の母親。穏やかで口数の少ない性格。 数年前に息子を亡くし、修一が生前に残した映像メッセージを大切に保管している。 佐野、黒田、宮本の3人が訪ねてきた際、息子の遺志を知ってもらいたいと考え、映像を見せる。 息子の死について多くを語ることはないが、未経験者への差別がなくなることを願っている。
本文
「答えてみろよ。何が悪いんだ?」
見知らぬ男の声が、公園に響いた。
佐野悠太を馬鹿にしていた二人の男は、突然の出来事に戸惑っていた。
「何だよ、お前。関係ないだろ」
「関係なくても、聞いていて不愉快なんだよ」
男は一歩も引かなかった。
「おしくらまんじゅうをしたことがない人間を、どうして馬鹿にするんだ?」
「いや、だって、普通するだろ」
「普通って何だ?」
「だから、普通は異性とおしくらまんじゅうくらいするだろって話だよ」
「しなかったらどうなる?」
「どうなるって……」
「人間じゃなくなるのか?」
二人は顔を見合わせた。
「何だよ、面倒くせえ奴だな」
「面倒くさいのは、理由もなく他人を馬鹿にしているお前たちだろ」
男の言葉には、迷いがなかった。
佐野は、ただ驚いていた。
これまで、自分がおしくらまんじゅう貞だと知られるたび、
周囲の人間は笑うか、余計な助言をしてくるかのどちらかだった。
こんなふうに、正面から反論してくれる人間は初めてだった。
「もしかして、お前もおしくらまんじゅう貞なのか?」
二人のうち一人が尋ねた。
「ああ、そうだよ」
男は即答した。
「俺もおしくらまんじゅう貞だ。それがどうした?」
二人は一瞬、黙った。
そして、笑い出した。
「何だよ、同類じゃねえか!」
「おしくらまんじゅう貞同士でかばい合ってんのかよ!」
しかし、男は笑わなかった。
「そうやって、経験があるかないかで人を判断するから、
お前たちはくだらないんだよ」
「何だと?」
「おしくらまんじゅうを経験したら偉くなるのか?
背中と尻を押し合っただけで、人間として成長したことになるのか?」
「お前には分からねえよ。経験がないんだから」
「じゃあ、説明してみろよ。何がどう違うんだ?」
二人は答えなかった。
「ほらな。自分でも分かってないんだろ」
「もういいよ。行こうぜ」
二人は不機嫌そうに顔をしかめ、その場を立ち去った。
男はしばらく二人の背中を見送っていた。
佐野はベンチから立ち上がった。
「あの、ありがとうございました」
「いや、礼なんかいいよ」
「でも、助かりました」
男は少し表情を和らげた。
「俺は黒田健吾。ああいう連中を見ると、黙っていられなくなるんだ」
「佐野悠太です」
「佐野さんか。あんた、本当におしくらまんじゅう未経験なの?」
「はい」
「俺もだよ」
黒田は平然と言った。
佐野は、その態度が不思議だった。
「恥ずかしくないんですか?」
「何が?」
「未経験だって、人に言うことが」
黒田は眉をひそめた。
「どうして恥ずかしいんだ?」
「いや、世間では……」
「世間が勝手に恥ずかしいことにしているだけだろ」
佐野は返事に困った。
理屈では分かる。
けれども、実際に馬鹿にされると、
どうしても自分に問題があるような気がしてしまう。
「お二人の話、少し聞こえてしまったんですけど」
突然、女性の声がした。
二人が振り向くと、近くに一人の女性が立っていた。
「私も、同じことを思っていました」
女性は落ち着いた口調で言った。
「おしくらまんじゅうを経験していないからって、
どうして馬鹿にされなきゃいけないんでしょうね」
黒田がうなずいた。
「そうでしょう。おかしな話ですよ」
「私、宮本美咲といいます」
佐野と黒田も、それぞれ名乗った。
宮本は二人を見て、少しためらってから言った。
「実は、私も未経験なんです」
佐野は驚いた。
「そうなんですか?」
「はい。異性とおしくらまんじゅうをしたことがありません」
宮本は苦笑した。
「女性でも、未経験だといろいろ言われるんですよ」
「どんなことを?」
「魅力がないんじゃないかとか、性格に問題があるんじゃないかとか。
あとは、理想が高すぎるんじゃないか、とか」
「ひどいですね」
「でも、不思議でしょう?
おしくらまんじゅうをしたことがないだけなのに、
勝手に性格まで決めつけられるんです」
黒田が腕を組んだ。
「まったくだ。
背中と尻を押し合ったことがあるかどうかで、人間の中身が分かるわけないだろ」
「そうなんです」
宮本はうなずいた。
「それに、私は、おしくらまんじゅう自体を否定しているわけじゃないんです。
したい人はすればいいと思います」
「俺もそうだよ」
黒田が答えた。
「ただ、してない人間を馬鹿にするなって話なんだ」
佐野は二人の会話を聞きながら、少しずつ気持ちが軽くなっていくのを感じていた。
自分と同じように考えている人間が、ほかにもいたのだ。
「でも、どうして異性じゃないと駄目なんでしょうね」
佐野が口を開いた。
「同性同士でも、おしくらまんじゅうはできますよね」
「できますよ」
宮本が答えた。
「押し合うという行為は同じですから」
「なのに、同性同士だと経験に数えられない」
黒田が鼻を鳴らした。
「結局、世間が勝手に決めた基準なんだよ。
異性と押し合ったら一人前、同性と押し合っても半人前。
馬鹿馬鹿しいだろ」
「しかも、異性と一回でも押し合えば、それで卒業なんですよね」
宮本が言った。
「たった一回で、人間としての評価が変わるなんて、おかしな話です」
「そうですよね」
佐野は思わず笑った。
「昨日まで未熟だった人間が、
今日おしくらまんじゅうをしたら、急に立派になるんですかね」
「背中を一回押されたら人格が完成するのかよ」
黒田が言った。
三人は笑った。
佐野が、おしくらまんじゅうの話題で心から笑ったのは、久しぶりだった。
それから三人は、ベンチに腰を下ろして話し続けた。
黒田は、未経験者に対する差別的な発言を見聞きするたび、腹が立つのだと言った。
宮本は、経験することが当然だという風潮そのものに疑問を抱いていた。
そして佐野は、自分が未経験であることを、
ずっと恥ずかしく感じていたと打ち明けた。
「でも、今日、お二人と話して、少し考えが変わりました」
佐野は言った。
「自分が悪いわけじゃないのかもしれないって」
「悪いわけないだろ」
黒田が即答した。
「おしくらまんじゅうをしてないだけなんだから」
「そうですよ」
宮本も微笑んだ。
「経験していないことと、人間としての価値は別です」
佐野はうなずいた。
空は少しずつ夕暮れの色に変わっていた。
「せっかくだし、また三人で話しませんか?」
宮本が提案した。
「いいですね」
佐野は答えた。
「俺も賛成だ」
黒田が言った。
三人は連絡先を交換した。
つい先ほどまで、互いの名前すら知らなかった人間同士だった。
それなのに、今では不思議な親しみを感じていた。
「じゃあ、これからよろしく」
黒田が手を差し出した。
佐野がその手を握り、宮本も二人に続いた。
三人は笑い合った。
おしくらまんじゅうをしたことがない。
それだけの共通点から始まった出会いだった。
しかし、三人には、もう一つの共通点があった。
経験の有無で人間を差別する社会を、おかしいと思っていることだ。
佐野は、もう一度二人の顔を見た。
自分は、ずっと一人だと思っていた。
けれども、そうではなかった。
この世界には、自分と同じ疑問を抱いている人間がいる。
そして、その疑問を口にしても、笑わずに聞いてくれる人間がいる。
それだけで、佐野には十分だった。
三人は公園をあとにした。
おしくらまんじゅう貞であることは、何も変わっていない。
それでも佐野は、来たときよりも少しだけ、胸を張って歩いていた。
(第2話・完)