第3話「忘れられた抗議」
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
この世界では、おしくらまんじゅうを経験したことがない人間は、「おしくらまんじゅう貞」と呼ばれ、馬鹿にされる。 佐野悠太も、そんな未経験者の一人だった。 おしくらまんじゅうをしたことがあるかどうか。 それだけで人間の価値が決められるような社会に、疑問を抱きながらも、周囲の目を気にして生きている。 そんな佐野が、ある日、思いがけない出会いを経験する。 おしくらまんじゅうをしない人間は、本当に恥ずかしいのか。 奇妙な世界を舞台に、偏見と同調圧力を描く、不条理な社会風刺小説。 ■佐野悠太(さの ゆうた) 主人公。男性。おしくらまんじゅう未経験者。気が弱く、周囲の目を気にしやすい性格。 「おしくらまんじゅう貞」と呼ばれて馬鹿にされており、未経験であることに引け目を感じている。 おしくらまんじゅうそのものに強い興味はなく、経験の有無で人間を評価する社会に疑問を抱いている。 公園で偶然出会った黒田健吾と宮本美咲と親しくなり、 仲間たちとの交流を通して少しずつ考え方を変えていく。 ■黒田健吾(くろだ けんご) 男性。おしくらまんじゅう未経験者。正義感が強く、思ったことをはっきり口にする性格。 自分が未経験であることを恥じておらず、未経験者を馬鹿にする社会の風潮に強い怒りを抱いている。 公園で佐野が馬鹿にされている場面に遭遇し、差別的な発言をした人々に言い返す。 その後、佐野や宮本と意気投合する。 行動力があり、3人の中では最も積極的な人物。 ■宮本美咲(みやもと みさき) 女性。おしくらまんじゅう未経験者。落ち着いた性格で、物事を冷静に考える。 女性にもおしくらまんじゅうの経験を求める社会の風潮に疑問を持っている。 経験するかどうかは個人の自由であり、他人が口を出すことではないと考えている。 公園で佐野と黒田のやり取りを目撃し、会話に加わる。 感情的になりやすい黒田を落ち着かせることもあり、3人の意見をまとめる役割を担う。 ■高橋修一(たかはし しゅういち) 男性。故人。おしくらまんじゅう未経験者。 生前は物静かな人物だったが、未経験者への差別に強い問題意識を持っていた。 「おしくらまんじゅう貞」と呼ばれて繰り返し馬鹿にされ、 経験の有無によって人間の価値が決められる社会に疑問を抱くようになった。 数年前、未経験者への差別に抗議するために食事を断ち、餓死した。 生前に自分の考えを語った映像メッセージを残しており、その言葉が佐野たち3人に大きな影響を与える。 ■高橋和子(たかはし かずこ) 女性。高橋修一の母親。穏やかで口数の少ない性格。 数年前に息子を亡くし、修一が生前に残した映像メッセージを大切に保管している。 佐野、黒田、宮本の3人が訪ねてきた際、息子の遺志を知ってもらいたいと考え、映像を見せる。 息子の死について多くを語ることはないが、未経験者への差別がなくなることを願っている。
本文
佐野悠太、黒田健吾、宮本美咲の三人は、再び公園に集まっていた。
あの日、偶然出会ってから、三人は連絡を取り合うようになっていた。
「この前、妙な広告を見つけたんだよ」
黒田がスマートフォンを取り出した。
「どんな広告ですか?」
佐野が尋ねた。
「おしくらまんじゅう貞を卒業させる専門の教室だってさ」
画面には、満面の笑みを浮かべた男女が背中を合わせている写真が表示されていた。
『もう未経験とは言わせない! あなたも今日から押される人間に!』
佐野は思わず笑った。
「何ですか、これ」
「しかも、料金が高いんだよ」
黒田が画面をスクロールした。
『初回限定! 異性とのおしくらまんじゅう体験コース!』
「お金を払えば、経験者になれるってことですか?」
「そういうことらしい」
宮本が首をかしげた。
「でも、それで経験者になったとして、何が変わるんでしょうね」
「世間の評価じゃないですか?」
佐野が答えた。
「おしくらまんじゅう貞じゃなくなるから、馬鹿にされなくなる」
「つまり、馬鹿にされないために、お金を払うんですね」
宮本は静かに言った。
「何だか、おかしな話です」
黒田はスマートフォンをポケットにしまった。
「差別する連中がいて、その差別から逃れるための商売がある。
よくできた仕組みだよな」
三人はしばらく黙っていた。
公園では、数人の男女が楽しそうにおしくらまんじゅうをしていた。
「おしくらまんじゅう、押されて泣くな!」
掛け声とともに、笑い声が響いている。
佐野はその様子を眺めた。
「別に、ああやって楽しんでいる人たちは、いいんですよね」
「もちろんです」
宮本が答えた。
「問題なのは、していない人を馬鹿にすることですから」
「でもさ」
黒田が口を開いた。
「こういう差別って、昔からあったのかな」
「どうでしょう」
「誰か、反対した人はいなかったのかなって思うんだよ」
佐野は考えた。
おしくらまんじゅう貞という言葉は、物心ついた頃から存在していた。
テレビでも、インターネットでも、日常会話でも、当たり前のように使われている。
しかし、その言葉に正面から反対した人物については、聞いたことがなかった。
「調べてみましょうか」
宮本がスマートフォンを取り出した。
検索欄に「おしくらまんじゅう貞 差別 抗議」と入力する。
いくつもの記事が表示された。
その中に、古いニュースがあった。
『おしくらまんじゅう未経験者への差別に抗議 男性が死亡』
「これ……」
宮本の声が小さくなった。
「どうした?」
黒田が画面をのぞき込んだ。
佐野も隣から記事を読んだ。
数年前、高橋修一という男性が、
おしくらまんじゅう未経験者への差別に抗議し、
食事を断ち続けた末に亡くなったという。
三人は言葉を失った。
「餓死……?」
佐野がつぶやいた。
「そこまでして、抗議した人がいたんですね」
宮本が記事を読み進めた。
高橋修一は、生前、一度も異性とおしくらまんじゅうをしたことがなかった。
そのため、周囲から「おしくらまんじゅう貞」と呼ばれ、
繰り返し馬鹿にされていたという。
修一は、未経験者への差別をなくすよう訴えていた。
しかし、その声は社会に十分届かなかった。
やがて修一は、食事を断つことで抗議の意思を示した。
そして、亡くなった。
「こんなことがあったなんて……」
佐野は画面から目を離せなかった。
自分も何度も馬鹿にされてきた。
悔しい思いも、情けない思いもしてきた。
しかし、差別に抗議するために命をかけた人間がいたとは、想像もしていなかった。
「この人、俺たちと同じだったんだな」
黒田が言った。
「おしくらまんじゅう貞だったってことですか?」
「ああ。でも、それだけじゃない。おかしいことを、おかしいと思っていたんだ」
宮本は記事の続きを読んだ。
「高橋さんは、生前、こんなことを言っていたそうです」
宮本は画面に表示された文章を読み上げた。
「『おしくらまんじゅうをしたことがない。
それだけで、なぜ人間として劣っていることになるのか』」
黒田は深くうなずいた。
「そのとおりだよ」
「私たちが話していたことと、同じですね」
宮本が言った。
佐野は、高橋修一という名前を心の中で繰り返した。
これまで知らなかった名前だった。
しかし、数年前には、この人も同じ世界で生き、同じ言葉に傷ついていたのだ。
「ほかの記事も調べてみましょう」
佐野が言った。
三人は、それぞれのスマートフォンで検索を始めた。
古いニュース、当時の投稿、修一の抗議について書かれた文章。
情報は多くなかった。
事件から年月がたち、世間の関心は薄れていた。
新しい話題が次々と現れ、古い出来事は忘れられていく。
しかし、佐野たちにとっては、決して忘れてよい出来事とは思えなかった。
「あっ」
突然、宮本が声を上げた。
「どうしました?」
「高橋さん、映像を残していたみたいです」
「映像?」
「はい。亡くなる前に、自分の考えを語ったメッセージを録画していたそうです」
黒田が身を乗り出した。
「見られるのか?」
「それが……」
宮本は画面を操作した。
「昔は公開されていたようなんですけど、今は見つかりません」
佐野も検索した。
しかし、映像そのものは見つからなかった。
記事には、修一が未経験者への差別をなくすよう訴えていたと書かれている。
けれども、本人がどんな言葉で、どんな表情で語っていたのかは分からなかった。
「見てみたいですね」
佐野が言った。
「ああ。俺もだ」
黒田が答えた。
「この人が何を考えていたのか、ちゃんと知りたい」
宮本は、さらに検索を続けた。
すると、修一の母親について書かれた記事が見つかった。
「高橋和子さん……」
宮本が名前を読み上げた。
「修一さんのお母さんです。息子さんの残した映像を保管しているそうです」
「本当か?」
「はい。この記事には、そう書かれています」
佐野は画面をのぞき込んだ。
記事には、和子が息子の遺志を伝えたいと語っていたことも記されていた。
「お母さんに会えないでしょうか」
佐野が言った。
黒田と宮本が顔を上げた。
「高橋さんの映像を、見せてもらえないでしょうか」
「それはいい考えだな」
黒田が答えた。
「でも、突然訪ねるのは失礼かもしれませんね」
宮本が言った。
「まずは連絡を取ってみましょう」
三人は相談し、記事に記載されていた問い合わせ先に連絡することにした。
宮本が代表して、丁寧な文章を送った。
自分たちもおしくらまんじゅう未経験者であること。
未経験者への差別に疑問を抱いていること。
修一の残した映像を、ぜひ見せてほしいと思っていること。
送信を終えると、三人は顔を見合わせた。
「返事、来ますかね」
佐野が言った。
「来るといいですね」
宮本が答えた。
黒田は腕を組んだ。
「俺は、あの人の言葉を聞いてみたい」
公園には、夕方の風が吹いていた。
遠くから、またおしくらまんじゅうの掛け声が聞こえた。
「おしくらまんじゅう、押されて泣くな!」
佐野は、その声を聞きながら考えた。
ただの遊びのはずだった。
背中や尻を押し合うだけの、単純な遊び。
それなのに、経験したことがないという理由で人が馬鹿にされ、差別される。
そして、その差別に抗議して命を落とした人までいる。
この世界は、いったい何なのだろう。
佐野は、もう一度スマートフォンの画面を見た。
そこには、高橋修一という名前が表示されていた。
数年前に亡くなった、見知らぬ男性。
その人が残した言葉を、どうしても聞いてみたかった。
(第3話・完)