第22話 告白と決断の灯火
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あらすじ
神環ノ縁~和風ソシャゲのモブ神主に転生したので巫女たちと縁を繋いで穢れを祓います~ - 第22話 告白と決断の灯火
本文
──夜だった。
霊環陣の補修作業も、霊災報告の整理も、ようやく一段落したはずの時刻。けれど、八雲の中では、まだ何一つ片付いていなかった。
明かすべきことがある。知られていないことがある。抱かれて、信じられて、任されて──それでも、語らなかったことが。
……もう逃げられない。
静かに、手を握る。
その手は、柔らかく、けれど確かな意志を持って彼の指に絡んでいた。
「行こう、八雲くん。……みんなに、話そう」
隣で微笑んだのは、レンだった。
彼女は、何も責めなかった。けれど、その目には覚悟が宿っていた。自分が異世界から来たという真実と、帰らなければならないという祈りを、もう隠すつもりはないという目だった。
──だから、向き合う。
この夜だけは、誰も偽らずに立っていられるように。
仮設拠点の奥──外部の視線が届かない結界内に、八雲は綾音・玲・響、そしてレンの四人を集めた。
灯りは落とされ、霊布の灯籠だけが淡く揺れている。
彼は一つ深く息を吸い、そして、語り始めた。
「……俺は、この世界の人間ではない」
静寂が、場を包んだ。
「転生者だ。──別の世界で死んで、この世界に、生まれ変わった」
誰も声を上げなかった。
八雲は、言葉を重ねる。
「レンは転移者だ。別の世界に生きていた人間が、肉体ごとこの世界に転送された。……それも、俺たちがかつて存在していた別の世界での架空の物語に酷似したこの世界に、だ」
レンがゆっくりと頭を下げた。
「……黙ってて、ごめんなさい。でも、どうやって説明していいのか分からなかったの」
「俺たちは──ずっと、君たちに隠していた。いや、……語るのが怖かったんだ。信じてくれていたその瞳が、壊れてしまいそうで」
言葉を終えたあと、八雲は目を閉じた。
──沈黙が、続いた。
だが、その空気を最初に破ったのは、彼女だった。
「──それは、嘘だったということなのでしょうか」
綾音の声は、静かだった。だがその一語には、まるで氷のような鋭さが含まれていた。
焔のゆらぎがその端正な横顔を照らす。いつもと変わらぬ物腰。丁寧な口調。柔らかな眼差し。それでも、そこには確かな傷があった。
「わたくしが、名を捨てて、八雲さんに抱かれた夜……」
「相里という名を脱ぎ、綾音として在ることを望んだあの夜も──偽りの上に成り立っていたと?」
八雲は、言葉が出なかった。
綾音の眼差しが、まっすぐに彼を貫いていた。
それは姫の目ではない。一人の女として、愛した相手の裏切りを静かに問う目だった。
「……すまない」
八雲は、絞り出すように言った。
「信じてくれとは言わない。ただ、あの時の感情だけは、……偽りではなかった」
その言葉に、綾音の瞳がわずかに揺れた。
そして──彼女は、微笑んだ。
「……そうですね。わたくしも……信じていない、わけではありません」
彼女は静かに目を伏せた。
「この綾音が選んだのは、八雲さんでした。名前ではなく、その眼差しを信じたのですから」
顔を上げた彼女は、優しく言葉を重ねた。
「ならば、例え世界が偽りでも……あの夜だけは、わたくしにとっての真実です」
八雲の胸に、静かに何かが染み込んだ。
彼女の愛は、傷を越えて、なおも彼のもとに在った。
それは、言葉では語り尽くせぬほど、深い赦しだった。
「……っくそが……」
低く唸るような声が、灯籠の火をかすかに揺らした。
八雲が綾音の返答に胸を締めつけられていたその隣、玲は腕を組み、背を壁に預けながら宙を睨みつけていた。
その目は、いつになく揺れていた。怒っている。けれど、それだけではない。悔しさとも、疑念とも、傷つきとも言えない──複雑な感情が、剣よりも鋭い輪郭で玲の姿を縁取っていた。
「じゃあ……」
口を開いた彼女の声は、普段の乾いた軽口ではなかった。喉の奥に棘があるような、詰まった声音だった。
「……あたしらといたのは、あんたたちが言う物語の中の登場人物だから──ってことかよ」
八雲が息を飲む。
玲の視線が、真っ直ぐに八雲を刺した。
「何を言っても、八雲の言葉には正しさがあるって思ってた。だから信じてた。どんな戦場でも、どんな夜でも、あんたが背負ってるって、あたしらの全部を──」
拳が、握られる。
「けどさ……あたしが、あんたに抱かれたのは、神技のためだったんじゃねぇだろ?」
「玲……」
「それとも、あたしの身体が、どのポジションが一番神技継承に向いてるかって──それを検証してたか?」
震えた声だった。
あの豪胆な戦士の、魂のように乾いた声音。そして──
「……あたしが好きだって言ったの、あれも……どっかの物語で聞いたセリフかよ……!」
呻くように吐いたその言葉に、八雲は即座に立ち上がった。
「違う」
その声は、思わず強くなった。
「玲。……君の声も、体温も、心も……全部、俺は現実に感じてた」
「なら──!」
玲が叫ぶ。
「……なんで、最初から嘘をついてたなんて言えるんだよ……!」
そこだった。
真実を語られたことが、玲を傷つけたのではない。
あれが嘘だったのではと、思わされることが──彼女にとって、最も耐え難かったのだ。
八雲は言葉を失う。自分の誠実さが、逆に彼女の信じたかった過去を否定してしまったという事実に──。
──その時だった。
「……玲さん」
レンが、そっと近づいた。そして、玲の手を両手で包み込む。
「……玲さんは、わたしと同じ。信じるのが怖いから、試したくなるんだよ」
「……っ、何、言って……」
「わたしもそうだったもん。八雲くんが本当にわたしを選んでくれたのかって、毎晩のように考えて、試して、疑って……」
声が震える。
「だから、八雲くんが本当のことを言ってくれたの、嬉しかった。だって、わたしたちはもう疑われたままの存在じゃないってことだから」
玲の肩が、揺れた。
拳が、ゆっくりと緩んでいく。
「……なんなんだよ、おまえは……だりぃ女だな……」
そのまま玲は、目元を腕でぬぐった。
「でもまあ……言ってくれて、よかったよ」
彼女はそう言って、ようやく八雲の方を見た。
「好きって言ったあの夜が……ちゃんと物語のセリフじゃなくて、玲の言葉だったって、信じていいんだな」
「ああ、誓う」
八雲は真っ直ぐに返した。
玲は、鼻を鳴らしながら顔を逸らした。
「チッ……そう言われると、なんか照れんだよ、バカ……」
その声は、泣いて笑っていた。
◇ ◇ ◇
──空気が、震えていた。
綾音が赦し、玲が泣き笑ったその後。場に残ったのは、最後の沈黙だった。
響は、ずっと黙っていた。
手を膝に揃え、膝の上に視線を落とし、言葉ひとつ、発さずに。
けれど、彼女の音は、明確に揺れていた。
胸元の鼓動が速く、喉の奥で息が絡み、指先は震えを止めない。
それは、誰よりも深く迷い、誰よりも静かに──決意をためていた証だった。
──そして。
「……知ってた」
それは、炎の揺らぎよりも静かで──けれど、確かな響きだった。
「八雲くんの音は……この世界のものじゃないって、ずっと思ってた」
八雲が息を呑む。
響は、顔を上げなかった。けれど、その声は、まっすぐに彼に届いていた。
「霊環の音、巫女の気配、術の構築音、空気の緊張、……わたしには、聞こえる」
「この世界のすべては、決められた和音でできてる。霊圧も、鼓動も、足音も、全部──神環の調律に沿ってる」
「……でも、八雲くんは、違った」
「あなたの音だけが、この世界の鍵盤に触れてなかった」
沈黙の中で、レンが目を見開いた。
響の声は、続く。
「レンちゃんの音も、違ってた。……八雲くんの音とは、また別の外の響きを持ってた」
「でも、不思議だったの。ふたりの音は、最初からバラバラなのに、重ねると──ちゃんと和音になってた」
その言葉に、レンの瞳が潤んだ。
「……たぶん、外の人だから、響き合えたのかもしれない。……この世界の和音じゃなくても、わたしの耳には……ちゃんと、届いてたから」
響は、そっと胸元を握った。
「わたしの音は、ずっと、ひとりきりだった。……誰にも、合わせられなかった。怖かった。間違えるのが、壊れるのが」
「でも、八雲くんが響って呼んでくれた時──この名前が、ちゃんとわたしの音になった」
指先が、八雲の手に重なる。
「だから、八雲くんが誰でもいい。……レンちゃんがどこから来た人でもいい」
「この音が交わった夜があるかぎり、わたしにとっては、それが全部、真実だから」
目を上げた響の瞳には、もう迷いがなかった。
「……ありがとう、八雲くん。声をくれて、名前をくれて、わたしを作ってくれて」
「そして……」
レンの方に振り向いた。
「レンちゃん。……八雲くんと、同じ音を持ってくれて、ありがとう」
レンが、堪えきれずに涙をこぼした。
「響ちゃん……っ」
抱き寄せるように響に手を伸ばし、二人の間に、静かな涙の和音が結ばれた。
──世界の調律からは外れていた。
けれど、それでも、二人の音は美しかった。
それは、たしかにこの夜の中で、一つの真実として響いていた。
◇ ◇ ◇
誰も言葉を発しなかった。
響が涙ながらにレンへありがとうと伝えた直後、空気は一度、静かな熱に包まれた。
レンは、受け止めていた。
響の言葉を、綾音の赦しを、玲の怒りと許しを──
それを全て、胸の奥に、ぎゅっと抱き締めていた。
……わたしは、やっぱり。
ゆっくりと、立ち上がる。
小さな背丈のその身体は、けれど誰よりも真ん中に立っていた。
「……言いたいことがあります」
その声に、誰もが目を向けた。
レンは笑っていた。
けれど、それは強がりの笑顔ではなかった。心の中で何度も何度も繰り返した末にたどり着いた、ひとつの覚悟だった。
「わたしは……この世界に来て、たくさんのものをもらいました」
「名前を呼んでもらって、抱きしめてもらって、声を聞いてもらって……たくさん、たくさん、愛されて……本当に、幸せです」
ひと呼吸。
その後に続いたのは──震えるほど真っ直ぐな、少女の本音だった。
「でも──わたしは、帰りたい」
空気が、揺れた。
「元の世界に、戻りたい。わたしの人生を、自分で選び直す場所に、戻りたいんです」
沈黙が落ちる。
誰も彼女を責めなかった。けれど、それは──簡単に肯定できることでもなかった。
レンは続けた。
「わがままだって、わかってます。だって……戻るってことは、みんなと別れるってことだから」
「綾音さんと、もう術式を並べて戦えないかもしれないし……」
「玲さんと、ふざけた言い合いもできなくなるし……」
「響ちゃんと、また音のない夜を過ごすことも、できなくなるかもしれない」
ひとつ、笑って。
ひとつ、涙がこぼれる。
「それでも、帰りたいって言ってしまうわたしは……最低なのかなって、思うんです」
その時だった。
「違います」
最初に声を上げたのは、綾音だった。
「それは、願いです。わがままとは違います」
レンが顔を上げると、綾音は優しく微笑んでいた。
「あなたがここに来てくれたことで、わたくしたちは……八雲さんを得ることができたのです」
「その奇跡が、帰還という形で終わったとしても──それは、幸せだった証ですわ」
玲がため息を吐きながら、口を挟む。
「……帰れるもんなら、帰りゃいいじゃん」
「……あたしは、そういうの嫌いじゃねぇよ。自分で選ぶってのは、強い奴の特権だ」
「けど、覚えとけよ」
レンが目を見開く。
玲は、視線を逸らしながら、やや照れたように笑った。
「おまえが戻ったあとも、あたしらのこと、忘れんなよ」
「忘れたら──霊災よりも厄介な連携術式、夢の中に飛ばしてやっからな」
レンが、思わず涙を溢れさせながら笑った。
「うん、忘れないよ……絶対に」
最後に、響が近づいてきた。
「……戻るなら、ちゃんと声にして」
レンの手を握る。
「また戻ってくるなら、名前で呼んで」
レンは小さくうなずいた。
「……約束する。また帰るって、ちゃんと声で言うから」
そして──
「その時はまた、巫女としてじゃなくて、わたしとして──皆に会いに来る」
その言葉に、八雲の胸が、震えた。
少女たちは、ひとつの本音を共有し、それでもなお、絆という言葉を信じることを選んでいた。
──離れるから、愛は終わるのではない。
離れようとも、愛は続くということを、この場にいたすべての者が、静かに信じ始めていた。
◇ ◇ ◇
──炎は、まだ消えていなかった。
仮設拠点の外縁、誰もいなくなった結界の中。微かな霊燈が、まだゆらゆらと揺れていた。
風が吹けば消えるような、弱く儚い火。
だが、八雲はその光を見つめ続けていた。
……俺は、彼女たちを騙していたのか。
それとも、守るために、沈黙していただけなのか。
手に残る感触は、響の細く温かな指。目に焼きついているのは、綾音の揺れる瞳。耳に残っているのは、玲の怒鳴り声と、レンの震える声色。
全部、正しかったとは思わない。
でも──。
「それでも、君たちと出会えたことだけは、間違いじゃなかった」
呟きは風に溶け、誰の耳にも届かない。
──けれど、自分自身には、届いていた。
俺は、支えるためにここに来たと思ってた。
選ばれる器じゃない、物語の裏側に立って支える者。
……でも。
視線を上げる。
そこには、帰還を望む少女がいて、赦しを与えてくれる姫がいて、怒って、涙して、絆を繋ぎ直してくれた戦士がいて、音で世界を聴き、愛で声を結ぶ巫女がいた。
彼女たちは──八雲という男を、ちゃんと選んでくれた。
ならば、今度は──俺が、この世界を選び返さなければならない。
レンを、帰すために。彼女たちを、守るために。
そして、八雲自身が自分という存在を、この物語の中で肯定するために。
「……俺は、選ばれたくてここに来たわけじゃない」
「けれど──選ばれてしまった以上、最後まで選び返す側でありたい」
誰にも聞かれない、ただの独白だった。
だがそれは、灯火の下で誓われた決意だった。
──ふと。
足音がひとつ、背後から近づいてきた。
「……八雲くん」
レンだった。
ゆっくりと歩み寄り、彼の隣に立つ。
「……みんなの前では言わなかったけど、実は少し怖かった」
「わたしが帰りたいって言ったら、みんなと、八雲くんと、何かが壊れちゃうんじゃないかって……」
八雲は黙って聞いていた。
レンは、ふと笑う。
「でもね──なんか、違った」
「八雲くんが、ちゃんと全部話してくれて。綾音さんがそれでもって言ってくれて。玲さんが怒ってくれて。響ちゃんが声をくれて──」
「帰るって、きっと別れじゃないんだね」
「帰り道をつくることが、私たちの物語なんだって、思った」
──その言葉に、八雲はようやく微笑んだ。
静かに、レンの肩を抱く。
「……帰ろう。必ず。君が笑って、ここにいたことを誇れるように」
「うん……。ありがとう、八雲くん」
灯火が揺れる。
夜は、まだ終わらない。
けれど──覚悟だけは、確かにこの夜、火が灯った。
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