第32話 異世界転生と転移、そしてレンの真実
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あらすじ
神環ノ縁~和風ソシャゲのモブ神主に転生したので巫女たちと縁を繋いで穢れを祓います~ - 第32話 異世界転生と転移、そしてレンの真実
本文
目を覚ますと、重さがあった。腕が、足が、首が、まるで濡れた砂袋のように動かない。それでも八雲は、意識だけを明確に保ちながら、慎重に周囲を見渡した。
傍らには、白銀の髪を布に広げたユリが眠っていた。その寝顔は穏やかで、昨夜の激情を想起させるものは何もない。
……霊脈の遮断は、まだ続いているか。
八雲は体内を流れる霊流の感覚を探る。だが、そこに流れはなかった。まるで、世界そのものとの接点が絶たれたような沈黙。
ここはこの世界の結界構造の外。巫術が使えないのも当然か。
それでも、八雲は冷静だった。
自らの肉体が封じられているのではない。あくまで構造の外に置かれている──その前提があるだけで、恐怖はなかった。
ふと視線を落とす。布団にくるまるユリの首元、肩の丸み、胸のふくらみ。昨夜、彼女の訴えを聞いた記憶がよみがえる。
肉体の構造は、他の巫女と変わらない。霊的にも感覚的にも普通の人間だ。
八雲は目を細め、記憶の奥へと意識を滑らせた。
八雲を慕ってくれる巫女たち──彼女たちと幾度となく心を通わせてきた。そこには力の循環と霊脈の接続、構造的強化が確かにあった。
その彼女たちとユリとの間には違いがなかった。
だが、ただ一人。
レンとの繋がりだけは、綾音と玲と響と、そしてユリと何かが違っていた。
あの時感じたのは、肉体ではない。魂の奥、意識の深層が繋がっているという感覚。
こんな事態になるまでは、その違和感をこう考えていた。──レンは異世界転移者であり、こちらの肉体とは根本が異なる。──自分は転生者であり、魂だけが移った存在。
だからこそ、レンとはあちらの世界という概念を通じて肉体ではなく魂で繋がったのだ、と。そして、それこそが当時のゲーム知識として考えれば、ありえなかったはずの、八雲を媒介にした巫女とレンとのスキルリンクを発動させたのだと。
……だが、本当にそうだったのか?
神技と地脈の関係を解き明かし、すでにゲーム世界としての知識にさほど大きな意味がないことを八雲はすでに知っている。この八雲が挟まることによる、レンとのスキルリンクだって解明してはいないし、男性でありながら壮馬が神技を使い、他巫女とのスキルリンクをこなす理由も、まだ八雲が解明できていないだけで、この世界の原理としての意味があるはずなのだ。
目の前の柊ユリを名乗る少女は、こちら側の人間として確かに存在している。ならば、あのレンとの魂の共鳴は、もっと別の理由によるものではないのか。
この世界で生まれ育ったユリが「レンに乗っ取られた」と言う。ならば、レンとは元々ここには存在しなかった者だ。
そして今、ここにいるユリも、あちらから来た何かを受け入れたと言っていた。
そのとき──眠っていたはずのユリが、静かに目を開けた。
「……そうです。全部、正しい考察です、八雲さま」
ユリは布団から身体を起こし、膝をそろえて八雲の隣に座る。昨夜とはまるで別人のように、慎ましく、淡々とした声音で語り始めた。
驚く八雲にここでの隠し事は出来ません、と告げた後に続ける。
「あなたの疑問はもっともです。……転生者という呼び方では、あなたには当てはまりません」
彼女の指が、八雲の胸元へとそっと触れる。まるで、そこに宿る何かを見ているかのように。
「あなたは、《カグラ》という世界で生まれ育った神環八雲。そこに、山本祐一という記憶が──地脈を介して《召喚》されたのです」
八雲の眉がぴくりと動いた。
「……つまり、俺は山本祐一として死んで、転生したのではないと?」
ユリはこくりと頷いた。
「はい。山本祐一は、あちらの世界で生きています。ですが彼の記憶だけが、《カグラ》に招かれ、あなたの魂に重なった。それは、《カグラ》の構造維持のために必要な可能性だったからです」
八雲は、目を伏せる。理解はできる。筋も通っている。だが、容易には受け入れられない感覚が、胸の奥に滲んだ。
「……なら、俺の今の人格は、作られたものということになるのか?」
その問いに、ユリは静かに首を振る。
「人格は、経験が形づくるものです。あなたがどれだけ山本祐一の記憶を持とうとも、育ったのは《カグラ》です。日々を重ね、人を信じ、戦ってきた神環八雲としてのあなたは、誰の代用品でもない。──間違いなく、この世界の人間です」
八雲は静かに息を吐いた。
それは、安心でも、否定でもない。自分という存在がようやく両足で立つ場所を得たという、妙に重たい納得だった。
確かに物心ついたときよりあった祐一としての記憶が今の八雲の人格に与えた影響は大きい。しかし、二十年余りの歳月は決して軽いものではない。自分こそが一番それを軽く考えていたが、レンや綾音、玲、響、彼女たちがそれを教えてくれたのだ。
「……なら、君は? 君自身は、どういう存在なんだ?」
その問いに、ユリはほんのわずか、目を伏せ──そして、少しだけ笑った。
「わたしも、この世界で生まれ育った存在、巫女の一人です。でも、ある時から朝比奈美央という女性の記憶が、私に重ねられました。それと同時に、呪いを引き継いだのです。本来──レンが持つはずだった呪いを」
「呪い……?」
八雲が、僅かに目を見開いた。
「……レンが、持つはずだった呪い……?」
八雲が反芻するように呟いた。ユリは頷く。だがその目は、過去を見ていた。遠く、忘れがたく、決して美しくはない記憶の底を。
「朝比奈美央、いいえ、陽ノ宮レンという存在は……《神環ノ縁》という作品と深く結びついた少女でした」
淡々とした声だった。けれど、その冷静さの奥に、熱のようなものが揺れていた。
「しかし、その深い結びつきが故に……その世界に呪いを抱いたのです。……最期には、その想いを胸に──命を、絶ちました」
八雲は息を飲んだ。
「彼女の魂は、死と共に地脈に繋がりました。──あなたの世界で、物語に願う力が信仰にも似ていたように。その念が霊的媒体を探して、《カグラ》に到達し、穢れの力を集めた結果、私に記憶を宿し、その力を使ってレンとして実体化したのです」
ユリの声は、もはや語りではなかった。それはまるで、呪文のように、静かに、確かに響いていた。
「……異世界転移でもなく、人でもない。彼女の肉体も魂も、死によって穢れに還元された。そして、ユリ、君との因果の繋がりを使い、この世界にレンとして存在しているというわけか」
八雲は、額を押さえた。いくつもの思い出が、心の中で軋んだ。
あの無邪気な笑顔。あの夜、交わったぬくもり。仲間として戦い、食卓を囲んだ記憶。
それが全部……呪いと共に、この世界へ流れ込んできたものだったと……?
言葉が出ない。
それほどまでの呪いを抱く理由とは、そして命を断つとはどういうことなのか。混乱する八雲へユリは告げる──
「……この世界では、あなたしか理解できない、逆に言えばあなたなら理解できるかもしれません。怨嗟の、正体……彼女が、なぜそこまでして、この世界に悪意を向けたのか」
ユリは、布の端を握りしめながら、俯いたまま静かに口を開いた。
「……彼女の名は、朝比奈 美央。それは聞いていますよね。でも、彼女があなたに語ったデビューから半年も経っていない、というのは嘘です。元々は別の名で、十年近く……ずっと、声優の仕事を続けていました」
淡々と語るその声には、奇妙な張り詰めた緊張があった。
「でも……芽は出ませんでした。事務所に残っていたのは、ギリギリで切られなかっただけ。やっていたのは台詞のない端役。……たった一言のために現場に行って、心がすり減っても、何も変わらなかった」
八雲は黙って聞いていた。ユリの声が震えないことが、むしろ悲しみの深さを際立たせていた。
「生活のために、バイトをして。でもそれでも足りなくて……数年前から、陽ノ宮レンという別名義で、それまでやってこなかったR18の仕事を始めました」
ユリは、静かに微笑んだ。
レンの声色に変わる、見た目がまったく異なるから意識できているが、話している内容と空気はレンとユリが複雑に絡み合って見える。
「最初は、罪悪感もありました。……でも、あの名義で参加したASMR作品がちょっと売れて。陽ノ宮レンとしてのわたしは、誰かに必要とされてるって思えたんです。……嬉しかったんです、本当に」
彼女の笑みが、すぐに消える。
「……そんな中で、神環ノ縁のキャスティングが舞い込んだんです。周年記念の重要キャラ。……柊ユリって名前をもらって……もしかして、やっとわたしにも光が当たるかもって」
八雲の胸が微かに痛む。
先ほどまでレン……美央を悪し様に言いながら、目の前のユリは自分のことのように語っている。
八雲の場合は、物心ついたときから山本祐一の記憶があった為、記憶でしかないという話を聞かされた今でも実感は乏しい。
しかし、目の前の柊ユリはこの世界で育ち、おそらくは物心がついてから美央の記憶を受け継いだが故に自我が混乱している。
「でも同じ頃、長年使っていた表名義での事務所経由で来たんです。次のクールの大型アニメの主役級の話が来ているって。わたし、もう、信じられなくて。……声を出すのが、震えるほど嬉しかった」
だが、語りはそこで静かに色を変えた。
「その作品の音響監督さんが参加してる飲み会があるって言われて。呼ばれて……何の気なしに行ったんです」
ユリの指が、布の端をぎゅっと握りしめる。
「酔った空気の中で、裏名義の芝居を聞いたけど上手いよねって軽く言われた流れからそういう空気になり……そのまま、ホテルに誘われました。……断れなかった」
八雲は静かに目を伏せる。ユリは、それを確認することなく、語りを続けた。
「……自分から望んだんです。その役が、欲しかった。だから、自分の意思で一晩、共にしました」
ほんの一瞬、彼女の声が震えた。
「……でも、わたしには、来なかったんです。その役は。悔しさもありました。でも、それ以上に……」
ユリは、自嘲するように笑った。
「これまで、どんなに苦しくても守ってきた一線を、自分の意思で越えたことが……なにより、わたし自身を裏切った気がして」
そして、ぽつりと吐き出すように言った。
「そのきっかけを作ったのが、レン名義での成人向けの仕事だったと思ったんです。あれがなければ、気持ちのハードルも下がらなかったかもしれない。……だから、もう、何も許せなくなって」
八雲が顔を上げる。ユリの目は、どこか遠くを見つめていた。
「……彼女、朝比奈美央は、自ら命を断ちました。誰にも看取られず、誰にも語られず、あの声のまま、消えていきました」
静寂が落ちた。
「しかし、その想いは消えきることはなくこの世界に繋がってしまった」
そしてユリは、ゆっくりと八雲に向き直った。
「……それが、レンの正体です。作品に呪いを残した女が、地脈を通じて転生し、《カグラ》に侵入した……それが、陽ノ宮レン」
八雲は何も言えなかった。八雲……いや、山本祐一の知識としても、その業界に特に詳しいわけではなかったが、それでも長年に渡る不遇とやっときたであろうチャンス、そしてそれを自らが手放した後悔というのは、察するに余りあった。
努力が報われることのほうが珍しい、恐らくそういう業界なんだろうと想像も出来る。
そして──その話を淡々と八雲に語り、目を伏せるユリを見つめる。
八雲は、長く、深く、沈黙した。
瞼を閉じ、唇を結び、呼吸を整え──そして、ゆっくりと顔を上げた。
「……分かった」
その声は、震えていなかった。
「元凶たる陽ノ宮レンを倒して、この世界に平穏を取り戻す」
ユリの瞳が、細く揺れる。
八雲は、確かに言った。
「──そのために、ユリ。君と共に、戦おう」
ユリの唇が、かすかに綻ぶ。そこにある感情は、喜びでも憎しみでもなく、孤独と共に在った彼女の、久方ぶりの安堵だった。
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