第33話 芝居の終幕、世界の開幕
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あらすじ
神環ノ縁~和風ソシャゲのモブ神主に転生したので巫女たちと縁を繋いで穢れを祓います~ - 第33話 芝居の終幕、世界の開幕
本文
神環神社。
その御神体の座す正殿を背に、綾音はひとり、濃く差し込む夕陽を見つめていた。何度、同じ風景を眺めただろう。けれど、今その色は、どこか見慣れぬ冷たさを宿していた。
……八雲さま。
その名を胸の内で呟いた瞬間、喉の奥が痛んだ。焦り、苛立ち、哀しみ。それらすべてが混じり合い、言葉にならず胸を焼いた。
レンと共に、八雲の姿が消えてから幾日。彼の行方を捜すため、綾音は動き続けていた。
陽ノ宮レンの口から語られた名──柊ユリ。その名を手がかりに、相里家の情報網、巫女名簿、歴代結界師、さらには周辺霊域の信仰記録に至るまで徹底的に洗い上げた。
だが、結果は──
「……何も、出てこない」
都にその名の巫女はいない。記録にも、口伝にも、柊家なる血筋すら存在しない。まるで、始めから存在していなかったかのような、空白。
本当に、どこにも……
唇を噛みしめた綾音の耳元で、静かに足音が響く。
振り返ると、そこにいたのはレンだった。相変わらず穏やかな笑みを浮かべ、けれどその目はどこか遠かった。
「そろそろ私も、前線に加勢しようかと思うんだ」
レンは言った。
「玲さんや響ちゃんも現地に出てる。私も、少しは役に立てるかもしれないし──」
「……それは、だめです」
綾音の声がかぶさった。思ったよりも強く、刺のある響きになっていた。
レンの目が、ゆるく見開かれる。
「八雲さんの行方に繋がる可能性があるのは、あなただけです」
そう告げる綾音の瞳は、静かにレンを射抜いていた。そして、ほんの一瞬。
……おかしい。
綾音の思考に、微かなざらつきが走った。
レンさんは……取り乱さない。
綾音自身よりも、ずっと近くに八雲がいた。最初に寄り添い、手を取り、眠り、導かれてきたのは彼女だ。その八雲が、初めて自分の側から離れ、消えた。しかも、それが彼女の関係する同じ声の柊ユリなる存在と関係しているとすれば──
もっと、取り乱しても、おかしくない。
焦りも、不安も、見えない。……まるで最初から、こうなることが分かっていたかのように……
その時だった。
綾音の耳元に、急報を知らせる音話の鈴が鳴る。
音を操る響の独自巫術。鈴の音が、空気を割いた。それだけで綾音の身体は反応していた。袖の奥から音話結界符を取り出し、掌で結ぶ。
『綾音さん、緊急! 前線、第二防衛層にて新たな穢れ噴出口が出現したの!』
「第二層……!? 一度閉じた地霊断層の上に……!」
『うん。でも、それだけじゃないの。……その中心に、八雲くんと、柊ユリがいるの!』
その言葉に、綾音の胸が鳴る。
思考が追いつかないまま、口が反応する。
「八雲さんが……!? 本当ですね? 本当に、あの──」
ほんの一拍の間、綾音は息を止めた。八雲が生きている──その事実に、心が解けそうになった瞬間。
『でも……』
響の声が続く。
『八雲くんが、この穢れの元凶は、レンちゃんだって言い出してて、綾音さん、レンちゃん、早く来てぇっ!』
物静かな響が普段はしない声色、叫ぶような声で音話は途切れる。
沈黙。
時間が、止まったように感じた。
隣にいたレンは、表情を変えることなく、目を伏せていた。
その姿を、綾音はまるで初めて見るかのように見つめた。
◇ ◇ ◇
数刻後──
前線防衛帯、霊圧の漂う地表。
綾音とレンは、急ぎ向かっていた。何も言葉は交わしていなかった。だが、空気が、確かに変わっていた。
霊圧のうねりの中、黒煙のように渦巻く穢れが舞うその中心に。
いた。
霧の向こうに佇む二人。
一人は、神環八雲。その隣には、静かに立つ柊ユリ──
そして、さらにその周囲には、玲と響。そして壮馬を中心とした壱香、双葉、散華が懸命に、それぞれの術で結界を構え、穢れを押し返していた。
綾音が駆け寄る。
靴音が土を踏みしめ、空気を割る。
「……八雲さん!」
彼は、一切振り向かない。
その代わりに、左手に握った長剣の先端が、ふわりと横に流れた。
その先が指し示したのは──綾音の隣に立つ、レンだった。
「芝居の時間は終わりだ、レン。いや……この世界への悪意、朝比奈 美央」
八雲の言葉は、空気を裂く刃のようだった。その冷ややかさも、断定の響きも、綾音には到底、受け止めきれなかった。
「……っ……」
隣にいるレンが、一歩、進み出る。その表情は、柔らかく微笑んでいた。だが──目が、笑っていなかった。
「お芝居は……得意じゃないけど、好きなんだよね。八雲くんも知ってる通り」
その声を聞いた瞬間、綾音の膝がふらつく。
「ま、待ってください……お二人とも、何を……何を言っているのですか……?」
呟きは、風にすら届かない。だが綾音は、それでも歩み寄ろうとした。八雲の前に立つその女の名が、どれだけ不確かでも──
自分の目で見てきたものだけは、信じていたからだ。
──日差しの下で並んで歩いた記憶。穢れの前線で共に術を構えた記憶。
レンと共に八雲を支え、支えられた回数は綾音がもっとも多いだろう。心を交わし、食卓を囲み、肩を並べて戦った、確かな陽ノ宮レンという存在。
「八雲さんは、操られているんです……きっと、柊ユリというあの巫女に……そしてレンさん、あなたも、こんな……意味のわからないことを言うのは、やめてください……!」
その声は、懇願だった。涙を浮かべるでもなく、叫ぶでもなく、ただ純粋な訴えだった。
けれどその手は、レンの足元に縋りついた瞬間──
レンの声色が、初めて聞くものに変わった。
「綾音さん。……あなたって、ほんとに優しいよね。誰にでも丁寧で、真面目で、それでいて常に最悪に備え、いつもみんなのことを思って動いてる」
それは、綾音が何度も言われてきた言葉だった。だからこそ、その響きに、彼女は心を緩めかけた──だが。
「そんなあなたが、考えたことはなかったの? 一度でも」
レンの声音が、冷たく沈む。
「なぜ、自分がこれほどまでに最初から私に好意的だったのかって」
「……え?」
その瞬間、綾音の身体が硬直した。
「本来のあなたなら、絶対に警戒したはず。理由も来歴も不明な異世界人に、そう簡単に心を許すような人じゃないでしょう?」
レンの声が静かに、冷ややかに突き刺さる。
「そうなるように、仕込んでいたのよ。地脈を通じて、あなたの記憶の奥に、わたしが入った時点で──この子は味方になるように、ってね」
綾音の視界が、かすかに歪む。
「嘘、です……よね……?」
答えは、返ってこなかった。ただ、レンの足元に縋りついていた綾音の手が──力なく、するりと離れた。
綾音の手が地に落ちたとき、空気が冷えた。誰もが言葉を失い、世界が少しだけ間違った音を立て始めたようだった。
レンがゆっくりと八雲のほうへと歩き出す。その一歩一歩に、穢れはまるで拒むように引き、風が反発するように押し返していた。
だが、彼女はまるでそれすら受け入れているかのように、柔らかく笑ったままだった。
「……八雲くんも、ずっと不思議だったでしょう? あんなに完璧な綾音さんが、なぜ自分や私にだけあれほど好意的だったのかって」
八雲は頷いた。その瞳には迷いがなかった。
「最初だけは、確かにそうだった。だが、それもすぐ消えた。──彼女、綾音を知れば知るほど、警戒を見せながらも信じれる部分を人に探す、そんな彼女だったからだ」
レンが、ほんのわずか、目を伏せた。
「……ずるいなぁ、そう言われると。そうだね、記憶への楔なんて必要なかったかもしれない。──遅かれ早かれ綾音さんは誰よりも純粋に信じてくれる人に、なってくれてただろうって」
ほんの一瞬、レンの瞳が揺れた。
だが、すぐにそれを消して、彼女は言葉を続ける。
「でも、それでももう十分。だって、八雲くんはこの世界の抑止の力、壮馬くんを上手く無力化してくれた。穢れが暴走しても、これ以上の干渉は入らない」
穢れと戦いながらも、その言葉を聞いた壮馬が、血の気を引かせた顔で拳を強く握りしめた。傍らで壱香もそんな壮馬を心配そうに見つめる。
「ただね、一つだけ誤算だったの」
レンの視線が──八雲の隣に立つ、白き巫女に向いた。
「片割れのユリ。……彼女がこんな暴走をするなんて、思ってもみなかった。何もしなければ穢れの圧に耐え切れず、八雲くんだって打てる手がなかったはず」
その名が出た瞬間、ユリの身体から、何かが緩やかに崩れ始めた。
彼女は──黙ったままだった。笑わず、怒らず、ただ、黙って八雲の隣に立っていた。
だが、空気が変わった。
風の向きが逆巻き、地脈の気配が裏返る。
ユリは、一歩も動いていない。言葉も、発していない。
だが彼女の足元から広がった霊力の波が、八雲を真横に──吹き飛ばした。
風が、渦巻いた。結界が軋み、霊圧の膜が破れ、地脈が、呻いた。
止めていたはずの穢れが、一斉に膨張し始める。ただの瘴気ではない──明確な意志を持った、奔流。
「──さぁ、《カグラ》を穢れで覆いつくしましょう」
その声は、八雲の傍らにいたユリの姿をした、レンだった。レンの姿は掻き消え、ユリの姿になっている。
白く純粋な巫女衣が、背後に渦を巻いた穢れを受けて、静かに翻る。霊脈との接続なしに、しかし世界の根に直接繋がるような圧倒的な霊力が空を歪ませていく。
その姿は、美しかった。
そして──致命的に、歪んでいた。
「この世界カグラにおける陽ノ宮レン女主人公を──貴方の大切な巫女たちと共に、止めることができるのかしら?」
霊力の奔流が咆哮し、世界がその名を拒絶し始める中、白き巫女の顔をした彼女は、まるで舞台の幕を引く女優のように、完璧な笑みを湛えて──その中心に、立っていた。
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