第35話 すべての因果と過去の呼び声
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あらすじ
神環ノ縁~和風ソシャゲのモブ神主に転生したので巫女たちと縁を繋いで穢れを祓います~ - 第35話 すべての因果と過去の呼び声
本文
肩を震わせながら、それでも倒れずに立っていた彼女が、ようやく八雲の視線に正面から向き直った。
そこに立っていたのは、もう陽ノ宮レンではなかった。
目を覆う長い髪の隙間から覗く双眸。そこに宿っていたのは、あまりに儚く、かすかな光だった。
彼女は、口を開いた。
「……どうして……どうして、私が……志乃だって、気づけたの……?」
その声は、レンの張った明るさでも、ユリの澄んだ清涼さでもなかった。
──八雲の記憶の中にある、唯一無二の、あの声だった。
「……志乃」
八雲はゆっくりと頷く。胸の内に押し込められていた何かが、解けていく感覚を覚えながら。
「今ならわかる。……君はずっと、演じていたんだな。レンとしても、ユリとしても。八雲という男と繋がる時でさえ、君は……声を、作っていた」
志乃は目を閉じた。
静かに──だが確かに、震えていた。
「……ユリが語った内容には矛盾がなかった。レンとしての君も、綾音や玲との関係も、一貫して自然だった。疑いようのない完璧さだった。……だからこそ、おかしかった」
八雲の声は、ひとつずつ言葉を置くように穏やかだった。
「……あまりにも、違和感がなさすぎた」
その言葉に、志乃は目を細めた。理解するように、あるいは怯えるように。
「……そして玲のことを、思い出した」
八雲の視線が、遠く過去を見つめる。
「ゲームの中で玲には、男性関係が奔放という設定があった。けれど、現実の《カグラ》で過ごす玲には、そんな気配は一切なかった。むしろ……そこに違和感すら、感じていなかった。感じなかったことが、逆に引っかかったんだ」
志乃の呼吸が浅くなった。
「記憶に残っているはずなのに、そこに感情の重さがない。事実だけがあって、感情が結びついていない」
八雲は、志乃を見た。
「……君と過ごした記憶も、そうだった。幼い頃から共に育ち、初めて心も身体も交わしたはずの君の存在が記憶にはあるのに、俺の中であまりにも軽かった」
志乃の瞳が揺れ、唇が震える。
「……志乃。それも、おそらく君の力だったんだな」
彼女は、言葉を遮らず、ただ黙って聞いていた。
「……キミとの経験が、俺の中では知識として記憶されていた。事実として、君と身体を繋いだ記憶はあった。情を交わした時間も、会話も、すべてが──でも、そこに感情がなかった」
志乃の唇が、かすかに震える。
「本来なら、絶対に忘れるはずのない感情が、欠けていた。それは、君が演技で作った、虚構で上書いたからだろう」
八雲は、言葉を選びながら、確信を持って続ける。
「綾音に施した好意、玲の経歴の薄まり、そして……俺自身の感情の編集。君がどうしてそんなことができたのか、はっきりした理屈はわからない」
だが、と八雲は目を細めた。
「だが、俺の山本祐一というエンジニアとしての記憶が構造を読み、仕組みを再構成する力を与えたように──君にも、朝比奈 美央という声優の、役者の記憶から派生した力があった。虚構を現実のように周囲に感じさせ、そう思い込ませて、真実味を持たせる、演技者の能力」
同様にユリとレンが同時に存在しているように見せたり、八雲を術が使えないと信じる場所へ連れ込んだりしたのもそう思い込ませてしまう虚構構築の能力なのだろう。
実際には彼女は、最初から、志乃一人だけなのだから。
志乃は目を逸らさなかった。見据えたまま、震える瞳で、八雲の言葉を受け止めていた。
だからこそ、八雲は、あえて踏み込む。
「……けどな、志乃。一つだけ、脚本家として君は想像が甘かった」
志乃が、わずかに目を見開く。
「俺は、そして記憶にいる山本祐一という男も、そんなに簡単に割り切れるほど格好良い男じゃない」
その言葉に、志乃の目がほんの一瞬だけ潤んだ。
「初めての女が……記憶にしか残らないなんてことはないんだよ。誰とどれだけ身体を重ねたとしても、その時覚えた感情が残らないなんて……ありえない。男ってのはね、キミが思うより、ずっと未練がましいモノなんだ。……特に俺はそうだ。そうだった」
「……っ」
「だからこそ──志乃。君の存在が俺の中であまりに軽かったこと、それ自体にずっと違和感があった。そして昨日、ユリとして語った君の話を聞いた時……全てが俺の中で繋がったんだ」
志乃の瞳から、ぽろぽろと涙が零れる。
その涙に、今の彼女の声が重なる。
なぜ志乃がそんなことをしていたのか。少なくともこの状況そのものが目的だったのだろうと、と思う。
人同士の争いの芽を断ち、切り札となる壮馬の力を十全に発揮させ、八雲を通じて団結させ、八雲にその指揮を取らせる。
そのために八雲自身の知識を逆手に取って、導いた。
これだけの規模の穢れを今もって大きな人的被害なく、抑えられているのは、まさにその結果だろう。しかし、であればこそ志乃自身がこの状況下になって矢面に立つ必要には疑問が残るが……
「もう……どうしようもないの。私がこのまま消えても、穢れは完全には消えない。でも、残される時間で、壮馬くんが耐えることはできると思う。呪いが薄れるまで、きっと彼なら、持ちこたえてくれる」
八雲は言葉を挟まない。ただ、聴く。
「でも、その間にどれだけの人が傷つくか、私にはわかってしまう。あなただって……綾音さんも、玲さんも、響ちゃんだって、例外じゃない。むしろ、最前線で、最も多くの傷を受けるのは──あなたたち、なんだ」
その声は、明確にレンではなかった。その名を呼ぶ声も、声音も、全てが志乃のものだった。
「そして……今の私には、まだ楔の役割がある。朝比奈 美央の呪いに起因する穢れは、私を襲えない事実。だったら、私がいなくなれば、穢れは楔を失い、指向性を薄めるはず……」
八雲は静かに頷く。
「……たしかに、今の君が穢れをまとめる接点になってる。その核を失えば、呪いは完全に消えなくても、力は分散し、散発的な対処はしやすくなるだろう」
八雲は大きなため息をひとつ吐く。
「そして、その根源たる君を俺が打ち倒し、一時的でも大規模な穢れを防いだ、という事実は、俺を中心とした大きな士気に繋がり、今後の穢れへの原動力へと繋がる、という筋書きか」
志乃は微笑むような、泣くような顔で八雲を見た。
八雲は目を伏せ、ある記憶に触れる。
八雲の記憶にある、ある日の情景が浮かぶ。響が仲間になって間もない頃──
神域である水神の庵の調査でレンが不安を訴えてきたことがあった。
あの時は縁を交わす巫女が増えていくことへの自分の立場への不安と彼女も語り、八雲自身もそう思っていたが──
綾音や玲と違い、響は志乃の想定外であり、能力が及んでいなかったんだろう。それだけに響を通じて、この脚本に綻びが生まれるのを志乃は怖がった。音巫術の力を持つ響にとって、違和感は最も強く響くものだ。
しかし、結果としてそうはならず、響はレンを疑うことなく、信じ、慕っていた。音巫術の響だからこそ、彼女の、レンの、志乃の奥深くにある仲間たちへの情を感じ取ったのだろう。
八雲はゆっくりと顔を上げ、静かに言った。
「……志乃。君は、誰よりもこの世界を守ろうとしていた。志乃であることを捨てて、レンを演じ、ユリを創り。……そしてその中で、俺たちを傷つけずに進むために、虚構で記憶まで整えた」
志乃は言葉を返さなかった。その代わりに、八雲をじっと見つめたまま、何も隠さずにいた。
だからこそ、八雲は、最後の問いをぶつける。
「……だけど、一つだけ、どうしてもわからなかったことがある」
志乃の瞳がわずかに揺れる。
「なぜ、山本祐一の記憶が……俺の中に呼ばれたんだ? 君はユリの時、世界の抑止力が召喚したと言っていたけど……それは、嘘なんだろう?」
志乃──いや、朝比奈美央の記憶を抱いた彼女は、小さく息を吸い、俯いたまま、ぽつりと語り始めた。
「……山本祐一に朝比奈 美央は、彼の名前も知らないまま、何度も、彼の言葉に救われてたのよ」
八雲は眉を寄せたまま、黙って耳を傾ける。
「……端役ばかりで、まともに台詞のない仕事をしていた頃、出演したアニメの名前で、SNSをこっそり自分のことを検索してた。傷つくのはわかってても、やっぱり自分がどこまで届いてるのか、知りたくて……」
その声音は、痛々しいほど静かだった。
「……そんな時に、彼の呟きを見つけたの。役の声がすごく良かったって。わざわざ一瞬で消えるスタッフロールで名前まで見て書いてくれてた。特に少しの台詞の中に美央自身がこだわった芝居を褒めてくれてた。それが泣くくらい、嬉しかったの」
八雲の胸が、ゆっくりと締め付けられる。
「そのアカウント、ほとんどが日常のことばかりで……仕事の愚痴とか、時事問題の感想とか……だからこそ、信じられた。本音だって思えた」
彼女の声に、かすかな震えが混じる。
「恥ずかしくてフォローはできなかった。でも、ブックマークに入れて、ずっと見てた。……ある日から、そのアカウントが神環ノ縁の話題を呟き始めた」
八雲の目が揺れる。
「それで、私も始めたの。神環ノ縁を。成人向けって知って少し戸惑ったけど……それでも、この人がこんなに楽しそうにしてる作品なら、自分も少しでも関われたらと思って。それが、陽ノ宮レンとしての最初の一歩だった」
全ては、そこから始まった。
だからこそ、彼女の死もまた、そこから始まった。
「……そして、ホテルへ行ったあの夜のあと。全部が終わって、家に帰った私の目に入ったのは、そのアカウントの彼が呟いていた、柊ユリのサンプルボイスに対する称賛と期待の言葉だった」
八雲の背筋が、冷たくなる。
「何も知らない。何も責めていない。ただ……本当に、ただの期待の言葉だった。でも……それが、美央を死なせたの」
ぽろ、と。
志乃の瞳から、涙が落ちた。
「神環ノ縁の仕事を、あんな仕事、しなければよかったって……思ったことへの後悔。こんなに期待してくれてる人がいるのに勝手に下の仕事だと考えてしまった。そして、勝手に上だと思った仕事を取る為に、愚かな行為をして、勝手に絶望までして」
志乃は顔を上げた。
その目は、今にも壊れそうなほど脆く、それでも真っ直ぐだった。
「……だから、死の間際に、願ってしまった。あの人の言葉にもう一度助けて欲しいって」
八雲は、目を閉じる。
全ての因果が、繋がった。
……だから、山本祐一の記憶が、俺に、八雲に宿った。
地脈は、魂の記憶を伝える。そして彼女の死が、その記憶を、この世界に届けた。
彼女の呪いも、憧れも、後悔も、祈りの声も、すべてが結びついて、記憶の主と受け手が、《カグラ》という世界で交錯したのだ。
そして、それこそが今の志乃にとっての最大の罪悪感として、のしかかっているのだと……
◇ ◇ ◇
志乃の肩が、小さく、小さく震え始めた。静かだった瞳が、堰を切ったように潤み、あふれ出す。
「……私……」
その声は、震えていた。かつて陽ノ宮レンとしても、柊ユリとしても聞いたことのない、八雲自身の記憶に残る一人の少女──水鏡志乃の声だった。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……八雲ちゃん……!」
その呼び方に、八雲の心がざわめいた。
志乃が泣きながらしゃがみ込む。彼女の中で重ねられていた仮面が、音もなく崩れ落ちていくのがわかった。
「……助けて……八雲ちゃん……わたし、もう、どうしたら……」
その言葉は、幼い日の彼女の声だった。この世界で、八雲とともに、笑い、迷い、涙し、初めて一つになったあの夜を、間違いなく共有していた少女の声だった。
彼女自身が生み出した虚構で覆われて、覚えているのに残っていなかった彼女の声。
八雲は、静かに歩み寄る。
剣を下ろし、構えを解き、ゆっくりと、しゃがみ込んでいる彼女のそばに、手を差し伸べた。
「……わかってる。もう、何も言わなくていい」
その掌に、志乃の手が重なる。
細く、冷たい指先だった。けれど、その温度は──確かに、生きていた。
八雲は、かすかに微笑んで言った。
「後は僕に任せるんだ、志乃ちゃん」
その言葉に、志乃が涙の中で顔を上げる。
八雲の眼差しは、子供の頃と変わらなかった。いや──変わらずに、ここまで届いたものだった。
「……八雲……ちゃん……」
その呼び名が、ようやく、迷いなく口にされた。
レンでも、ユリでもなく──志乃として。
八雲の中でも、はっきりと一つの輪が閉じた。
「因果は、全部繋がった。君が、ここまで繋いできたものも、全て理解した」
志乃の手から、光の長刀が音もなく溶けていく。もはや、戦いは終わった。
穢れの奔流はまだ渦を巻いている。
だが、そこから後は、八雲の、そして山本祐一の構造改革者としての能力であり──
因果を束ねて解決へ導く、準備が整ったということだった。
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