第百九十九話:リリア、最愛の献身と三十年目の安らぎ
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あらすじ
🏆【交響詩】竜の姫と絆のユニゾン ~裏切られた天才軍師は愛の和音で成り上がる - 第百九十九話:リリア、最愛の献身と三十年目の安らぎ
本文
あの星見の祭りから、さらに三十年の月日が流れた。
世界は完全に「人の時代」となっていた。
蒸気機関車が大陸を横断し、空には飛行船が飛び交う。かつての魔法文明は歴史の教科書の中の物語となり、人々は科学と技術で豊かな暮らしを営んでいる。
そして、かつての英雄たちにも、等しく時間は流れていた。
王宮の奥、静かな離宮の一室。
窓から差し込む午後の陽光が、ベッドに横たわる一人の老女を照らしていた。
白髪に覆われた頭、深く刻まれた皺。
かつて「最強のメイド」として戦場を駆け、王宮を取り仕切ったリリアだ。
彼女は今、老衰による静かな眠りの中にいた。
「……リリア。水だ。飲めるか?」
ベッドの脇で、彼女の体を支え、口元に杯を運ぶ男性がいた。ヒカルだ。
彼もまた、還暦を過ぎ、髪には白いものが混じり、目尻には穏やかな皺が刻まれている。かつての若き英雄の面影は、今は深みのある老王の威厳へと変わっていた。
「……ありがとうございます、ヒカル様」
リリアがゆっくりと目を開け、震える手でヒカルの手を握り返す。その声は枯れ木の葉のように掠れているが、宿る慈愛は変わらない。
「おやめください。王たる方が、一介のメイドの看病など……」
「何を言う。俺にとっては、お前が一番の『王』だ。この三十年、俺がどれだけお前に甘えてきたと思ってる」
ヒカルは笑って、リリアの瘦せこけた頬を撫でた。
魔力のない人間である彼らは、等しく老いた。
しかし、部屋の隅で見守る六人の女性たちは違っていた。
レヴィア、アクア、テラ、セフィラ、ルーナ、そしてヴァルキリア。
元・竜姫である彼女たちは、竜の寿命の一部を失ったとはいえ、人間よりはずっと長寿だ。三十年という歳月も、彼女たちにとっては「少し大人びた」程度の変化しか与えていない。
若々しい姿のままの妻たちは、老いていく夫と、姉のように慕っていたリリアの姿を、悲しみと愛おしさを込めて見つめていた。
「……リリア。貴女の淹れてくれた紅茶、本当に美味しかったわ」
レヴィアが涙をこらえ、リリアの手を握る。
「ええ。貴女の完璧な仕事ぶりは、私の目標でした。……ゆっくり休んでください」
アクアが眼鏡を外し、目元を拭う。
テラが、そっとリリアの枕元に歩み寄る。
「リリア殿。……貴女の献身は、大地のように揺るぎなく、私たち家族を支えてくれました。貴女がいなければ、この大家族は成り立たなかったでしょう。……心からの感謝を」
テラの言葉に、リリアは微かに頷く。
「……リリアさん。貴女の優しさこそが、私たちの『調和』の源でした」
ルーナが聖女のように手を合わせ、リリアの額に触れる。
「どうか、光に導かれますように。貴女の魂は、誰よりも清らかです」
「うぅ……うわあ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁぁぁん! リリアぁ、リリアぁあああ……!」
セフィラは、もはや言葉になっていなかった。
いつもは天真爛漫な彼女だが、今はリリアのベッドの端に顔を埋め、子供のように大声で泣きじゃくっている。溢れる涙と風のような嗚咽だけが、彼女の精一杯の別れの言葉だった。
リリアは、変わらぬ姿の彼女たちを見て、ふふ、と微笑んだ。
「皆様……相変わらず、お美しいですね。……ヒカル様を、頼みますよ。この方は、お爺ちゃんになっても寂しがり屋ですから」
「任せておけ。……だが、お前以上の紅茶を淹れられる自信はないぞ」
「あら、ヴァルキリア様、ったら。ふふふ……」
ヴァルキリアがぶっきらぼうに言いながら、誰よりも強く唇を噛み締めている。
部屋の外、廊下には、リリアが手塩にかけて育て上げた「元・最強メイド隊」の面々が控えていた。
ルナリア、フェンリア、アクアリーヌ……今や王国を支える六天将となった彼女たちだが、今はただの少女のように泣き崩れていた。
「師匠……! まだ教わりたいことが山ほどあるのに……!」
「うぅっ……リリア様ぁ……!」
彼女たちの涙こそが、リリアがいかに偉大な師であったかの証明だった。
リリアの視線が、再びヒカルに戻る。
その瞳が、夕日のように穏やかに輝いた。
「ヒカル様。……私、幸せでした」
彼女は、最期の力を振り絞って語りかける。
「戦場であなた様をお守りしたこと。王宮であなた様の帰りを待ったこと。そして……こうして、あなた様に見守られて旅立てること。……メイドとして、女として、これ以上の幸せはありません」
「……ああ。俺もだ、リリア」
ヒカルは彼女の手を両手で包み込み、額に押し当てた。
涙が、リリアの干からびた手の甲に落ちる。
「お前がいてくれたから、俺は王でいられた。……ありがとう。本当に、ありがとう」
「ふふ……。泣かないでくださいませ、私の王よ。……少し先に、行って待っておりますから……お茶の準備をして……」
リリアの言葉が、途切れる。
握りしめていた手の力が、ふっと抜けた。
その顔は、まるで少女のように安らかで、満足げな微笑みを浮かべていた。
部屋を、静寂が包む。
窓の外から、小鳥のさえずりが聞こえた。
「……おやすみ、リリア」
ヒカルは動かなくなった彼女の額に、長く、優しい口づけを落とした。
六人の妻たちが、静かにすすり泣く。
それは絶望の涙ではない。
一つの尊い人生を全うした家族への、感謝と惜別の涙だった。
◇◆◇◆◇
数日後。
王宮の大聖堂で、リリアの葬儀が執り行われた。
それは形式上は「一介の筆頭侍女」の葬儀であったが、その規模と参列者の顔ぶれは、実質的な国葬そのものであった。
現国王ライオス、王妃シズクをはじめとする王族全員。宰相ユリウス、軍総司令官シリウスら、国の重鎮たち。
さらに、車椅子姿で参列した元帝国の女傑レオーネ、杖をついたドワーフの長老ボルタ、エルフの里から駆けつけたイリスとシルヴィア、そして聖女クラリス。
かつてヒカルと共に世界を救った伝説の英雄たちが、勢揃いして彼女を見送ったのだ。
「……あの方は、我々の母のような存在でした」
王としてライオスが弔辞を読み上げながら、声を詰まらせる。
「厳しく、優しく……常に王家を支えてくれた。彼女なくして、今の王国はありません」
参列者たちのすすり泣く声が、聖堂に響き渡る。
それは、彼女がいかに多くの人々に愛され、尊敬されていたかを物語っていた。
そして、夕暮れ。
王宮の庭園、一番日当たりの良い場所に建てられた墓前には、一人の老人が残っていた。
ヒカルだ。
杖をつき、背中を丸めたその姿は、かつて世界を救った英雄とは思えないほど小さく見えた。
「……今日はいい天気だったぞ、リリア」
ヒカルは墓石に語りかける。
「ライオスの奴、弔辞の途中で号泣して言葉に詰まりやがった。あいつは幾つになっても泣き虫だな。……お前がいたら、『ハンカチをお使いください』って差し出してただろうな」
返事はない。風が吹くだけだ。
隣のスペースが、ぽっかりと空いている。
そこは、やがてヒカルが入る場所だ。
「……あなた」
背後から、声がかかった。
六人の妻たちが、ショールを羽織って立っていた。
彼女たちはヒカルを囲むように座り、その肩や背中に手を添えた。
「風が冷えてきましたわ。そろそろ、戻りましょう」
テラが優しく促す。
「ええ。リリアも、貴方が風邪をひいたら怒りますよ」
セフィラが空を見上げる。
ヒカルは、妻たちの温もりを感じながら、ゆっくりと立ち上がった。
足腰は重い。だが、支えてくれる手がある。
「……そうだな。帰ろうか」
ヒカルは墓石にもう一度だけ触れ、小さく呟いた。
(待っていてくれ、リリア。……遠からず、俺も行く。土産話をたくさん持ってな)
老いた王と、変わらぬ美しさを持つ妻たち。
その奇妙で、けれどどこまでも愛おしい一行は、夕日に長い影を落としながら、家へと帰っていく。
一つの時代の終わりと、変わらぬ愛を胸に抱いて。