錆びたスタンド跡で90式に命を戻す
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
夕食を終えるころには、空はすっかり暗くなっていた。
缶詰の空き缶をまとめて袋に入れ、シオナは小さく伸びをする。
サヤも同じように腕を上げて、固まった肩をほぐした。
「静かだね」
「うん」
夜の都市はほとんど音を失っていた。
二人は90式の車体の上にシーツを広げる。
砲塔の後ろ側は平らで、寝転ぶには思ったより都合がいい。
シオナが装甲を軽く叩く。
「昼の熱、まだ残ってる」
「ほんとだ」
サヤが寝転び、背中を装甲に預ける。
戦車の鋼鉄はほんのり温かく、夜風の中でも不思議と冷たくなかった。
シオナも隣に横になる。
ビルの隙間に、星がいくつか見えていた。
街の灯りが消えた東京では、
昔よりずっと空が暗く、星が多く見える。
「こんな星、渋谷で見えるなんて思わなかった」
サヤが小さく呟く。
「人がいないと、空も違うんだね」
しばらく二人は空を見ていた。
遠くで風がビルの隙間を通り、
どこかの看板がきしむ音がする。
それでも都市の夜は驚くほど静かだった。
サヤが先に眠りに落ちる。
呼吸がゆっくり整い、肩の力が抜けていく。
シオナはそれを横目で見て、
小さく安心したように息を吐いた。
「……おやすみ」
誰に言うでもなく呟き、
やがて彼女も目を閉じる。
90式戦車の上で、
二人の最初の夜は静かに深まっていった。
そのころ。
渋谷の街では別の生き物たちが動き始めていた。
スクランブル交差点の信号機の下を、
一匹のタヌキが横切る。
鼻を地面につけ匂いを確かめながらゆっくり歩く。
やがて仲間が二匹あとに続いた。
交差点の中央に立ち止まり、
かつて人が何万も行き交った場所を見回す。
もちろん彼らにはそんな記憶はない。
ここはただの広い空き地のようなものだった。
少し離れた路地では、
鹿の群れが静かに歩いていた。
都会に残された植え込みや街路樹は、
いまでは彼らの格好の食事場になっている。
若い鹿が一匹、耳を立てる。
遠くに見える黒い影――
90式戦車。
だがそこから人の匂いがわずかに漂うだけで、
危険な気配は感じない。
鹿は少し首を傾けただけで、
また草を食み始めた。
深夜になると、
フクロウがビルの屋上から音もなく滑空する。
羽音はほとんど聞こえない。
静かな都市の夜は、
すでに人間の世界ではなくなりつつあった。
その間も、
90式の上では二人の女性が眠っている。
シーツに包まり、
戦車の装甲に背中を預けて。
巨大な主砲は夜空を向いたまま動かない。
鋼鉄の車体は、
まるで小さな丘のように街の中に静かに佇んでいた。
やがて東の空がわずかに白み始める。
ビルの隙間から朝の光が差し込みはじめた。
最初に目を覚ましたのは、
近くの電線に止まった一羽のカラスだった。
カー、と低く鳴く。
その声でサヤが少しだけ身じろぎする。
そして、
新しい一日が静かに始まろうとしていた。
東の空がゆっくり明るくなる。
再び鳴いたカラスの声で、サヤが目を覚ました。
「……ん」
シーツの中で体を丸めたまま目をこする。
横を見るとシオナはすでに起きていた。
砲塔の上に座り朝の街を眺めている。
「おはよう」
「おはよ」
サヤは体を起こすと伸びをした。
朝の空気は夜より少し冷たい。
「よく眠れた?」
「うん。戦車の上で寝るの初めてだけど」
サヤは笑う。
「思ったより快適」
シオナも小さく笑った。
「じゃ、そろそろ動こう」
二人はシーツを畳みバッグをまとめる。
砲塔のハッチを開けて中へ入った。
操縦席に座るとシオナがスイッチを入れる。
短い起動音。
わずかに低いエンジンの唸りが車体に伝わる。
長い眠りから目を覚ますように、90式戦車が静かに動き出した。
戦車はゆっくりと神宮通りを南に進みバスターミナルを通り抜ける。
朝の東京は驚くほど静かだった。
信号はすべて止まり、
道路には車も人もいない。
草が伸びたアスファルトを、
90式の履帯がゆっくりと踏みしめていく。
「どこ行くの?」
サヤが聞く。
シオナは前を見たまま肩をすくめた。
「特に決めてない」
「え?」
「とりあえず、首都高の方」
入り組んだ歩道橋の向こうに高架道路の影が見える。
「3号線」
サヤが外を見ながら言う。
「六本木とか、あっちの方だよね」
「うん」
シオナは操縦桿を軽く切る。
「何かあるかもしれないし」
「……なかったら?」
「その時はまた別の方向」
二人は少し笑った。
90式は首都高3号線の高架に沿うように進んでいく。
ビルの谷間を抜ける風が、
朝の冷たい空気を運んでくる。
しばらく走ると、
道路の脇に見慣れた形の建物が見えた。
オレンジ色の屋根。
倒れかけた看板。
「ガソリンスタンドだ」
サヤが言う。
シオナは少し速度を落とした。
「ちょうどいい」
入口のチェーンはすでに錆びて切れている。
90式はそのまま敷地に入った。
「まだ使えるかな」
サヤがハッチから身を乗り出して見る。
シオナは戦車を軽油と書かれた給油口のあるスペースに停める。
「試してみよう」
二人はハッチを開け、車外に出た。
朝の光の中で、
蔦に覆われた屋根から給油ホースが静かにぶら下がっている。
シオナはホースを持ちタンクの給油口に差し込んだ。
カチ、と金属の音。
しばらくして、
かすかに液体の流れる音が聞こえた。
サヤが目を丸くする。
「……出てる」
シオナは少し驚いた顔で頷いた。
「地下タンクにまだ残ってるみたい」
90式の巨大な車体の横で、
給油機が静かに燃料を送り続けている。
終わった世界の東京で、
二人の旅はまだ始まったばかりだった。