90式は都心を南へ―六本木から品川へ―
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
給油ホースから滴り落ちていくディーゼル燃料。
サヤは目を丸くした。
「……すごい。本当に出てきた」
「ね?文明は消えても、こういうものは意外と残るんだよ」
二人は交代でホースを動かし、携行缶にも燃料を満たしていく。
ごぽ、……ごぽ……
静かな廃墟に、燃料の流れ込む音だけが響く。
サヤはほっと息をつきながら、戦車の影に腰かけた。
「ねえ、シオナ……これ、ずっと続けられるかな。旅も、生きるのも」
シオナは給油口を閉じながら軽く笑う。
「ディーゼル燃料がある限りはね…
…それにサヤがいるなら、私は結構やれるよ」
サヤの頬がわずかに赤くなる。
その後、二人は満タンになった戦車に背中を預けて空を見上げた。
90式は再び二人を乗せて動き出す命を取り戻した。
エンジンが低く唸る。
履帯がゆっくり回り、
90式はガソリンスタンド跡を離れて再び道路へ出た。
首都高3号線の高架を左手に見ながら戦車は都心へ向かって進む。
朝の東京はまだ静かだった。
ビルの谷間を抜ける風が、
路面の砂や落ち葉をさらさらと転がしていく。
やがて視界の先に大きなガラスの塔が現れた。
六本木ヒルズ。
巨大なビル群は、
人のいない街の中で不思議なほど整然と立っている。
シオナは速度を少し落とした。
「ここ六本木だ」
「夜のニュースでよく見たことある」
「夜でも人だらけだったらしいよ」
サヤがハッチから外を見つめる。
ショーウィンドウは割れておらず、
看板もそのまま残っている。
ただ、人だけがいない。
今は風がビルの間を抜ける音だけが響いていた。
戦車はヒルズの脇を静かに通り過ぎ、
麻布十番の方へ向かう道へ曲がった。
古い商店街のアーケードは半分ほど崩れ、
その下に草が生えている。
閉ざされた店のシャッターには色あせた看板がまだ残っていた。
信号は止まったまま横断歩道の白線は少しずつ消えかけていた。
「東京って広いね」
サヤがぽつりと言う。
「うん」
シオナは前を見たまま頷く。
「まだほんの一部だよ」
戦車はさらに南へ進む。
「ここ、お祭りとか有名だったんだって」
「へえ」
サヤは興味深そうに通りを見渡す。
今はカラスが一羽、電線からこちらを眺めているだけだった。
やがて視界の先に赤い鉄塔が見えてきた。
東京タワー。
朝の光を浴びて、
錆びた鉄骨が静かに立っている。
その下を通るように、
戦車は赤羽橋の交差点を抜ける。
芝公園の木々はずいぶん伸びていて、
歩道の一部は完全に森のようになっていた。
公園の奥では鹿が数頭草を食んでいる。
戦車の音に顔を上げるが、
すぐにまた草に視線を戻す。
シオナは少し笑った。
「東京、動物の方が多いかもね」
「人間より平和そう」
サヤも笑う。
「戦車で観光してるみたい」
「世界一静かな観光地だね」
やがて道路は広くなり、
大きな幹線道路に出た。
国道15号線。
かつて多くの車が行き交っていた道だ。
シオナは戦車の向きを南へ向ける。
履帯がアスファルトを踏みしめ、
90式はゆっくりと南進を始めた。
「このまま行くと……」
サヤが道路標識を指差す。
遠くのビル群の向こうに、
巨大な駅舎が見え始める。
品川駅。
ガラス張りの建物はそのまま残り、
線路の上には草が広がっていた。
新幹線のホームに停まったままの車両も、もう動くことはない。
静まり返った都市の中を、
90式だけがゆっくりと進んでいく。
その中には――
二人の旅人が乗っていた。
終わった世界の東京を、
当てもなく進みながら。