第3話「大水晶の星」前編
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あらすじ
ハヤマ・レイト——15歳の少年ヒーローは、古代種族「ネオン人」から託された特殊スーツ「ネオンスーツ」を身に纏い、宇宙を旅する。 10年前、彼の両親は超新星爆発テロで失われた。その悲劇の真犯人である**テロリスト集団「ダークノヴァ」**の追跡こそが、彼の人生の軸。 宇宙連合軍の若き少佐アリナ・ミラストリアルとの出会いがきっかけで、レイトはテロの源流を追うことになる。
本文
宇宙連合第一首都〈ミナステトラ〉は、青と翡翠のレースをまとったような星だった。自転は二十五時間半、公転は三百四十四日。惑星の周囲には幅広の人工環が三重に巡り、雲と川と街と森林をその輪に抱いている。人工重力基盤の上に築かれた環は自動回転し、どの街区にも日と夜を等しく届ける。七つの衛星は軍と富裕層の庭で、四つ目の環はなお建造の最中。
そして地表には、宇宙連合中央政府と最高学府、先端研究機関、第一支部、第一艦隊の本基地――権威と資本と情報が、星の脈動と同じ密度で集まっていた。
第一支部本部、戦術指令塔の円形ホール。床に埋め込まれた投影孔が起動し、三次元立体映像の環状卓に数十の人影が浮かびあがる。制服の襟章は種族ごとに形を異にし、声は広域通訳回線を通して一つに束ねられる。
アリナ・ミラストリアル少佐は、真円の卓の一角に実体として立っていた。濃紺の軍服、銀の少佐章。金糸の髪は高くまとめられ、紅玉色の瞳は冷えた水面のごとく静かだ。
「――報告を開始します」
彼女の背後に、映像が次々と展開される。市場の星モンテグートにおける地下武器取引の現場、押収品の一部、そして白いネオンスーツの少年が混乱を最小で鎮圧した記録。
彼女は簡潔に、しかし要点を外さずに語った。
「スペースヒーロー“ハヤマ・レイト”との接触に成功し、協力関係を取り付けました。彼は自由意志を尊重する姿勢ですが、私の任務には協力的で、必要時の情報共有にも同意しています。また、押収した“謎の兵器部品”については――」
「待て」
年老いたバジリスク種の上級委員が、蛇の横顔を思わせる立体像で割り込む。声は乾いて硬い。
「きみは許可なく協力者を起用した上、正規手続きを経ず独断で作戦を遂行した。たかが無登録の私刑者に、われら軍機の情報を渡す? 論外だ」
別の声が重なる。半透明の髭をたっぷり蓄えた重力圏生まれの将官だ。
「若い。血が熱すぎるのよ、ミラストリアル少佐。きみの家名は立派だが、軍は玩具ではない」
アリナは、ほんの一拍、瞼を伏せてから顔を上げた。
「ご指摘は理解します。ですが、彼の戦闘力と現地での即応性は既存戦力の空白を埋めるものです。今回の市街戦での被害最小化は、彼なくしてあり得ませんでした」
「だとしてもだ。信用できない」
硬質な声。宇宙安全保障会議の副長官だ。声だけで温度を下げる。
「その少年はどこの所属でもない。今日助ける者が、明日こちらの喉元に刃を当てない保証は? 連合国民の生命を脅かす事態になった時、ハヤマ・レイトに関わる一切の責任は君自身が負う羽目になるぞ」
アリナは一歩も引かなかった。
「保証なら、私がします」
「ふん?」
「それから……“彼に関わる一切の責任は私が負う”。――つまり、彼に関する監督責任、作戦上の起用判断、報告経路——これらは私の裁量に委ねられると理解してよろしいですね?」
円卓に、一瞬の静寂が落ちた。
誰かの舌打ちが通信の奥で小さく弾ける。
副長官が、冷笑を含んだ息を吐いた。
「……言質を取ったつもりか? 若いな」
「明確にしておく必要があります」
バジリスクの委員が肩をすくめるように身を揺らした。
「……抜け目ないな、ミラストリアル家の娘らしい。よかろう。ハヤマ・レイトに関する監督責任、作戦上の起用可否、報告義務の窓口――すべて、きみの裁量に委ねる。ただし――」
映像のトーンが一段冷える。
「押収物は第一技術総局の管理下に置く。市場の星で押収した“部品”は、直ちにセクター3の軍事研究所へ移送。少佐、きみの管轄からは外れる」
アリナの眉がわずかに動いた。
「あれは私の部隊が回収した証拠物件です。分析の優先権は――」
「国家の安全保障に関わる。個人の功績より優先される。これは命令だ」
副長官が切り捨てる。
背後の立体映像が、研究所の識別コードと搬入スケジュールを冷然と示した。
「了解しました」
アリナは短く答えた。
声は平らで、揺れていない。だがその指先は見えないところで僅かに力を込めていた。
会議はなお続いた。形式的な質疑、冗長な弁明、政治的な言い回し。やがて散会の合図。
シグナルが落ち、ホールの空気から一斉に熱が引いた。端末の光だけが人の輪郭を削り、足音は磨かれた床で氷のように砕ける。退出の列が緩やかに動き出したとき、背後から低い声がアリナを呼び止めた。
「少佐。きみの父上は第一艦隊の名将だった。……七光りを笠に着るのは、ほどほどにしたまえ」
言葉は棘ではなく、鈍い鉛のように落ちた。
アリナは微笑んだ。上唇だけがわずかに持ち上がる、礼儀のための微笑だ。
「ご忠告、痛み入ります」
アリナは踵を返し、円形ホールを出た。自動扉が閉まる一瞬の隙間に、冷たい会議灯がまぶたの裏まで刺さる。階段を降りるごとに、軍の空調が吐く人工の微風が緊張の塵を剝がしていった。深く一度、息を吐く。胸骨の奥に溜め込んだ熱が、ようやく形を失う。
その背後――減光された数人の将官の立体像だけが宙に残り、記録ランプを落としたまま、擦れた囁きが低く絡み合う。
年老いたバジリスク種の上級委員。瞼のない琥珀色の双眸が細くなり、鱗の喉板がわずかに鳴る。舌先が裂けて空気を味わった。
「……目障りな小娘だ。父親の肩書きさえ無ければ、とっくに更迭しているところだ」
半透明の髭をたっぷり蓄えた“重力圏生まれ”の将官。厚い骨格を誇示する肩章が重たく揺れ、低重力の投影でも歩き癖の重さが滲む。
「市場の星では予定が崩れた。やはり運搬を連中に任せたのは失策だったな」
硝子質の外殻を持つ事務武官。面取りされた結晶の顔面に光が屈折し、指は記録針のように細い。言葉は刃物のように寸分違わず。
「主要パーツは既に我らの手中。計画に遅延はない。――すべて計算の範囲内だ」
漆黒の外骨格に覆われた節足型の提督。顎肢がコツコツと卓を叩き、複眼の奥で赤い素子が瞬く。
「羽虫が数匹、紛れ込んだ程度に過ぎない。“あのお方”に報告する必要もないだろう」
中央に投影された副長官。人型の制服は皺ひとつなく、像でさえ背筋は真っ直ぐだ。視線だけで場を締める。
「すべては真の宇宙の平和のために。大いなる計画には大いなる犠牲が伴う」
周囲では、葉脈のような光を透かす光合成種の評議員が無言で頷き、霜のついた耐圧スーツを着込んだメタン海生まれの観測官が曇ったバイザー越しに短く親指を立てる。低い声と乾いた笑いが薄闇で絡み合い、やがて沈黙に溶けた。
――ミナステトラの空は晴れていた。環の街に連なる湖が、陽光を鏡にしていた。
アリナは帽の庇を指先で整え、無言のまま第一支部の回廊を抜ける。ガラスの壁越しに見える訓練場では、新兵が規範動作を反復している。彼女の視線はそこを過ぎ、士官フロアへ続く専用リフトへと吸い込まれていった。
***
第一支部の士官室兼私室は、無駄がなかった。壁の一面は星域図投影のための純白で、向かいには巨大な強化ガラスの窓。窓外には首都本星の緑地帯と、淡く輝く環の街が重なって見える。
『少佐。お疲れでしょう。お茶をお持ちしますか?』
執事ドローン〈ヴェルド〉が静かに滑ってきた。球体に繊細な腕が二本、声は落ち着いた青年の音色だ。
「コーヒーを。ミリアス星団“豆の星”のストックがまだあったはず」
『もちろん。浅煎り、酸味を立たせますか?』
「中煎りで。今日は苦みをお願い」
『かしこまりました』
香りが、室内を満たしていく。土と果実のあいだの、濃密で落ち着いた匂い。
アリナは椅子に深く腰を下ろし、首を回した。緊張がほどけると、肩甲骨の内側にこわばりが残っているのを自覚する。
壁が瞬いて、宙域図の立体投影が起動した。ミナステトラを中心とした広域図、外縁にモンテグート、そしてさらに外――“ヘラザード”と名の付いた白い印が浮かぶ。
「……『大水晶の星』」
彼女は手元の端末にレイトのプロファイルを呼び出した。戦闘記録、身体データ、推測される性格傾向、相棒ドローン〈ノイジー〉の機能、ベースシップAI〈マザー〉の挙動パターン。
文面は冷たいが、指先は丁寧だった。
読み終えると、彼女はコーヒーに口を付けた。苦味が喉の奥に落ち、体温が少し上がる。
窓辺の小さな台座には、立体記録水晶が置かれている。
指で触れると、三人の像がふわりと立ち上がった。幼いアリナと、軍服の父、柔らかな眼差しの母。
声が重なる。
『アリナ、見てごらん。ほら、あの衛星の陰で艦隊が演習している』
『こら、あなた。怖がらせないの。アリナ、わたしたちの娘はきっと誰より強く、優しくなるわ』
アリナは微笑む。紅玉の瞳に、光が柔らかく揺れた。
遠い。だが、たしかだ。
ヴェルドが端末の通知を指し示した。
「少佐。設定された観測ポッドが、対象のベースシップの跳躍痕を検出。……“ヘラザード”に入域します」
心音が一つ、強く跳ねた。
アリナは個人デバイスの立体通信機を起動する。通信経路はオープン。ベースシップAIとは直結、必要なら戦術衛星群からも増幅する。
画面に白い船内が展開され、彼女は息を整えた。
「――レイト。聞こえる?」
***
ベースシップは、亜空間の静脈を滑っていた。外殻をかすめる光は音を持たず、船体の白は星図の余白に溶ける。計器は規則正しく鼓動し、ワープドライブの共鳴は胎内の子守唄めいて低く続く。航法AIが描く軌跡は流線形の螺旋で、虚空の縫い目をやさしくすり抜けていく。
船内のヒーリングルームは、白磁のような清潔さだった。反重力医療ポッドが光を帯び、温い液体の中でひとりの少年が浮かぶ。
インナーパンツだけを履いて、細い身体を解放して。
「ん……」
ハヤマ・レイトは、肩の力を抜いて目を細めた。
白い髪がふわりと揺れる。サブのエナジーコアが指先の奥で微かに温い。
マザーの声が柔らかい波のように降りる。
『各種検診、問題なし。内蔵エナジーコアも良好。睡眠サイクル、やや不足傾向だけど……適正範囲内ね』
「ふぅ……よかった」
天井近くで〈ノイジー〉が回転しながら茶々を入れる。
『相変わらずヒョロッヒョロだな! 腹筋はうっすら見えるけどよ、もうちょい筋肉つけようぜ? “宇宙の平和”は重いんだぜ?』
「鍛えてるよ、ちゃんと……!」
『甘いもん食いすぎだって、な?』
「……う」
レイトがぷいと顔を背けたとき、ブリッジからマザーの声。
『亜次元基点通過。――ワープ解除、三、二、一。……通常空間へ。惑星接近、外部モニターに出します』
ヒーリングルームの壁が一角だけ透明になり、流麗な白い惑星が姿を見せた。岩盤から突き出て雄大な山脈のようにそそり立つ巨大水晶群、その根を粉にしたかのような白い砂漠。
ラベルが浮かぶ――“大水晶の星“〈ヘラザード〉。
『接近する生命体へ精神干渉を行う特性があるわ。レイト、慎重にね』
「了解」
その時、オープン回線が点灯した。
ホログラムが立ち上がり、濃紺の軍服が現れる。金の髪、紅い瞳。
「――レイト。聞こえる?改めて調査依頼の――」
アリナが、半拍、言葉を失った。
レイトはパンツ一枚のまま、ゆるく浮かんで彼女を見ている。
「……」
ノイジーが耐えきれずに吹いた。
『あっはっはっは! やっべ、少佐! うちのレイト、礼儀知ってるのに今はオフモードで――』
「ち、ちょっと待って!」
レイトは耳まで赤くして、慌ててポッドから飛び出した。液体をはじかせ、タオルで拭き、近くに置いたシャツを引っかける。
アリナは咳払いひとつ。頬の熱を喉に押し戻して、声を整えた。
「……で、できれば、上着だけでも着てくれるかしら?」
「い、今、着た……!」
『少佐、すまねぇな。こいつ、任務以外だとガードゆるいんだ』
「気にしないで。むしろ、健康そうで安心したわ」
アリナは一転して真顔に戻る。
背後に、ヘラザードの観測データと古文献の要約が立ち上がった。
「依頼の再確認をするわ。“ヘラザード”近辺で、テロリスト“ダークノヴァ”のものと思われる船影が複数、断続的に目撃されている。十年前、星系を一夜にして奪った連中よ」
レイトの瞳が、僅かに硬くなる。
「……わかってる」
「惑星に伝わる古文献には、“惑星最奥に全知全能の水晶が眠る”とある。 ”全知全能”が何を指すのか――過去の調査隊は、巨大水晶による精神干渉――連合医療記録では"大水晶幻惑症"と分類されているわ――その症状で複数の隊員が錯乱し、撤退を余儀なくされた。今では伝説扱い。――でも、あなたのネオンスーツなら、スペースエネルギーが精神干渉を減衰できるはず」
「ボクが中に入る」
「ええ。まずは“水晶生命体”と交信して。彼らは連合に加盟しているけど、議会には出席しない。なぜなら惑星規模で“眠りの期間”があるから――そう推測されているわ。彼らの社会を理解し、テロリストの動きと伝説の真偽を探ってほしい」
アリナは続けた。
「付け加えると……ヘラザードは、外部の生命体に厳しい。あなた以外の直接支援は、ほぼ期待できない。ごめんなさい」
『支援回線はオープンに保つわ』
マザーが穏やかに割って入る。
『アリナ少佐と私は常時接続。あなたはノイジーと一緒に現地へ。必要情報の引き出しはこちらで随時行う』
「ありがとう、マザー。――レイト、任せていい?」
少年は、上着の裾を握り直してうなずいた。
「……うん。行ってくる。ボクにしかできないなら」
アリナはふっと和らいだ笑みを浮かべる。
「がんばって」
通信が一旦途絶えた。
レイトは息を吸い、胸に手を当てる。
「――変身」
白い光が爆ぜ、スーツが実体化する。胸のメインコアが鼓動と重なって青紫に脈打つ。
ベースシップは大気圏へ滑り込み、薄い白のヴェールをまとった惑星へ降下を始めた。
***
雲の端を割った瞬間だった。
かすかな囁きが、レイトの内側でほどけた。
(……――――)
「マザー?」
『呼んでないわ』
声は、言葉というより、響きだった。金属の縁を指で弾いた時のような、透明な震えが鼓膜ではなく心臓に伝う。
ヘラザードの水晶群が、互いに会話しているのだ――マザーの資料で読んだ知識が、現実の感覚と重なる。
ベースシップは高度を落とし、巨大水晶の“峡谷”へと進入した。刃のように屹立する柱が、船腹すれすれに流れていく。機体表面をかすめた微振動が、装甲と装甲の継ぎ目でさざめき、船内に微かな鈴の音のような共鳴を生んだ。
『少佐から受領した旧調査データを統合。――第一次調査時に連合の建設ドローンが設置した無人簡易基地を検出。識別コード〈HZ-α-03〉、位置はこの谷の出口付近』
ブリッジの投影に、半透明の航法ラインが描かれる。谷筋は大きくS字にうねり、その先に矩形の熱源反応が小さく灯った。
『記録によれば、水晶知的生命体のコミュニティは当該基地から南東方向。地表距離で二十キロ少々……地形の影響で直進は不可、谷伝いのアプローチが推奨されているわ』
「了解。まずは基地に降りよう。補給と周波数の合わせ込みをしたい」
『進路修正。スラスター微噴射。――着陸シーケンスへ移行』
谷が開ける。白い砂原の縁に、灰色のモジュールが三基連なっていた。ソーラーパネルは半分が砂に呑まれ、通信マストは中途で折れている。外壁には連合規格の注意表記と、建設ドローンの焼き印がまだ読み取れた。
『施設の自動迎信は沈黙。内部環境は極端に劣化していないけれど、電源は長期停止中。外部からの再起動手順を送るわ』
「頼む、マザー。ノイジー、周囲の偵察を」
『了解っと。俺は上空三百でぐるっと一周してくる。変な影があったら即報告だ』
スロットルがわずかに抜かれ、脚部ハードポイントが露出する。白い砂が風もないのにさらさらと流れ、着陸パッドの下で渦を巻いた。
ベースシップは簡易基地に静かに着陸した。
ハッチが開き、レイトとノイジーが降り立つ。基地の内部は薄暗く、止まった計器と砂に埋もれた床が、長い放棄の時間を物語っていた。
すぐに外へ出ると、光の海が広がっていた。天空まで刃のように屹立する巨大水晶群が、無風の空気に沈黙している。その根本は粉砕され、白く細かな砂が砂漠となって広がる。
ネオンスーツの足裏が砂に触れた瞬間、砂は静かに崩れ、細雪のように流れた。
『外部環境、安定。シールド八割で推奨。――レイト、無理はしないで』
「うん」
谷は南東へと緩やかに続いていた。レイトは羅針の矢印を確認し、砂を蹴って進む。白い砂漠のあいだには、黒くゴツゴツとした岩盤の島が点々と盛り上がっている。どれも、水晶が粉状になって堆積した層から突き出た古い背骨のようだ。遠くには、雲を裂くほどの巨大水晶がいくつも聳え、光の筋を絡ませ合っていた。
足もとで、砂に混じる微細な鉱片がきらりと跳ねる。既知の周期を持たない微弱な振動――未知の鉱物だ。さらに、黒い岩の影で、砂の上に露出した結晶芽がゆっくり開閉しているのが見えた。根はない。小さな貝のように、結晶そのものが自律して動いている。
『……動いたな、今。鉱石生命体、ってやつか? いや、鉱石“みたい”な何か、だな。おい、近づきすぎるなよ、齧られたら修理代かかるからな!』
「わかってるよ。けど、すごい……」
見上げれば、薄い膜の翼を持つ生物が群れになって空を横切っていく。膜は水晶質で、透ける羽根が光を割ってプロペラのように回転し、静かな空に螺旋の航跡を描いていた。輪郭は鳥にも昆虫にも似ていない。ここにしかいない形。
やがて岩の窪地が開け、オアシスのように水が溜まっている場所に出た。鏡のような水面の下で、針の束のような体躯を持つ群れが、光の角度に合わせて一斉に屈折を変えた。水晶魚――その名を与えるほかない。鱗の代わりに細い板状結晶が重なり、泳ぐたびに音のない鈴の音が胸に触れる。
『はあ……観光かお前は。任務中だぞ、任務中。』
「……ごめん。でも、きれいなんだ。ボク、こういうの初めて見るから」
『まあ、わかるけどよ。にしても衛星が近いな。ほら、あれ見ろ、二つ並んでんぞ』
空の高みに、いくつかの衛星が見えた。青白い小球が連なり、昼の光の中でも輪郭を保っている。薄い大気の層越しに、惑星の外側の時間がゆっくりと回っているのがわかる。
レイトは、無意識に歩幅を早めた。未知の植物もあった。砂から直接伸びた細い光柱に、薄片のような葉が規則的に差し込み、光を食べている。触れると温かい。熱ではない。体内のスペースエネルギーがかすかに共鳴した。
『レイト、スーツの減衰フィルタ、段階を一段上げる。精神干渉は弱いが、ノイズは増えてる』
「了解、マザー。――進路、そのまま南東」
谷は緩やかに屈曲し、景色は静かに変わっていく。遠景の巨大水晶は、角度が変わるたび別の表情を見せ、砂の上の黒い岩は星図の目印のように途切れず続く。
そのときだった。耳の奥で、ほつれるような囁きがした。
(……レイト)
母の声に、似ていた。
振り向くと、視界の端に父の背中が見えた気がした。軍服ではない。どこにでもいる父親の、広い背中。次の瞬間には、白い砂に溶けて消えていた。
「いま、誰か……」
『おい、行き過ぎるなって。レイト? おい、返事――』
風はないのに、砂がわずかに息をする。水晶の柱列が、目に見えない会話を続ける。減衰しているはずの響きが、言葉になる前の“意味”だけを増やし、胸の奥で波紋のように重なった。
レイトは深呼吸した。大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。ネオンスーツが守ってくれる。――そう思った瞬間、足元の白がひときわ強く光り、世界の輪郭がやわらいだ。
(……まぶしい……これ……ボクの記憶……? いや――誰かの声……?)
その瞬間、頭の内側に“何か”が落ちた。
視界が白く弾け、膝が崩れる。
ノイジーの声が遠くなる。
「……っ、ぐ……!」
『レイト!? おい、返事しろ!』
レイトは喉を鳴らしたが、声にならなかった。
波が押し寄せる。
無数の“声”がいっせいに、彼の心に触れた。高い、低い、温い、冷たい。意味はない――いや、意味はある。だが、言葉という型に入る前の、原形の“意味”が、洪水になって流れ込む。
(――――――――)
耐えきれず、レイトは砂へ倒れ込んだ。
視界が暗くなる。
最後に、白い影が近づくのが見えた。
*
夢を見た。
陽だまりの匂いがする家。
窓の外には樹々が揺れ、淡い雲が伸びる。
父の手は大きく、母の声は――マザーと同じ調子で、やさしかった。
『レイト、こっちへいらっしゃい』
『ほら、君の好きな甘いパンが焼けたよ』
小さな手を、二つの大きな手が包む。
笑い声。
それは、“もしも”の未来。失われなかった時間。失われなかった家族。
レイトは、笑っていた。心の底から。
しかし、笑いながら、胸のどこかが締め付けられてもいた。
だから、気づいた。
(これは……違う)
声が波紋となって消える。
少年は、夢の中で目を閉じ、そして――目を開いた。
*
「……ここは?」
白い洞窟――石英の壁がやわらかく光を返す空間の、ひときわ広い“居間”のような場所だった。耳の奥で、コトコト、と一定のリズムが響いている。視線を落とすと、レイトはネオンスーツのまま、弾力のある小石が敷き詰められたベッドの上に横たえられていた。転がるたびに小石が寄り合って形を変え、背中を受け止める。不思議とあたたかい。
入口は、カラフルな小石を糸で連ねた“のれん”が仕切りになっている。揺れる度に、細かな光が部屋に散った。その向こう、背の高い白い影と――宙に浮いた見慣れた影が並んでいる。
『……だからよ、その泡みてぇなの、味はどうやって決めてんだ? レシピって概念、わかるか? うん?』
ノイジーがぶつぶつ言っていた。仕切りの向こうの白い影は、首をかしげているらしい。
「ノイジー……」
『お、起きたか!』
ビーズのような石ののれんをノイジーが器用にくぐり、こちらを覗き込む。続いて、白い影も仕切りを押し分けて入ってきた。
“少女”だった。正確には、少女の輪郭を持つ水晶の生命。体全体は白っぽい半透明の結晶で、顔の右目にあたる位置だけ、緑の宝石がはめ込まれている。指はないが、掌の先――粒子が磁力で束ねられたような端部で、岩をくり抜いた鍋をしっかり抱えている。鍋の縁からは湯気が立ちのぼり、甘く澄んだ香りがスーツ越しにまで届いた。
『紹介すっぞ。”彼女”はラミコ。水晶の知的生命体のお仲間だ。お前が“大水晶の幻惑症”でぶっ倒れたの、このコミュニティまで運んで介抱してくれたんだぜ』
ラミコは胸元――首に相当する細い節のところに巻いた、金属製のチョーカーを指し示した。そこに埋め込まれた小さな装置が、かすかな共鳴を起こす。
〈……は、はじめまして。わたし、ラミコ。えいご……えいせい……連合のことば、すこしだけ。――エコーデバイス、かりて、はなせる〉
辿々しいが、意思はまっすぐ届く。ラミコは鍋をそっと床に置いた。
〈レイト。とびまわる、のいじぃ、から、なまえ、きいた。これ、“オパールカボチャ”のスープ。つくった。からだ、あたたまる〉
オパールカボチャ――鍋の表面に、半透明の薄片がゆらぎ、虹の筋がほのかに走る。香りは甘いのに、重くない。喉が自然に鳴った。
知らない匂い。けれど、怖くはない――むしろ知りたい、が先に来る。
スーツの分解ユニットは安全域を示す緑。栄養設計上は問題なし。理屈は背中を押すけど、最後に決めるのは舌……いや、神経だ。湯気の“波”はやさしい。心拍が半拍だけ落ち着く。
「……ありがとう、ラミコ。いただきます」
レイトはネオンスーツのインターフェースを胸の内側で軽く叩き、摂取モードへと遷移させた。指先の微細装甲が花弁のように開き、毛細管の束が露出する。
人差し指を鍋の縁へそっと浸すと、透明な液が静かに吸い上げられ、スーツ内の分解ユニットで即座に分子パターンへ展開される。再構成された“味覚信号”が神経にフィードバックされ、さっぱりとした甘みと穀のやさしさが胸郭の内側を温めた。
ネオンスーツの摂取システムが分子構造を神経信号に変換し、味覚や温度感覚として脳へフィードバックする。翻訳された感覚ではあるが、レイトにとってそれは確かな”本物”だった。
喉を通る感覚の代わりに、体幹の深部から体温がじわりと上がり、こわばっていた肩の筋がほどけていく。二口、三口――吸い上げるたびに、頭蓋の裏に残っていた微細なざわめきが薄まり、呼吸が長くなる。
「……おいしい」
レイトは素直に言った。誇張でも礼儀でもない、心からの実感だった。
ラミコの緑の右目が、ぱあっと明るくなった。石の光が、まるで笑ったみたいに広がる。
〈よかった……! わたし、空のもっとうえ――そと、のほん、よんだ。おちたふね、なかに、しるし(記録媒体)、たくさん。ひとの“たべもの”のつくりかた、まね、した。ここには、“まい”(米)ない、“こむぎ”ない。でも、“オパールカボチャ”、ある。にてる、って、かいてあった〉
『味覚は……? お前自身は、味、わかんのか?』
ノイジーが身を乗り出す。ラミコは小さく首を振った。
〈“あじ”は、ない。わたし、“はちょう”(波長)は、わかる。“オパールカボチャ”、やさしい波。“塩石”、からい波。“みず晶”、すずしい波。だから、“ならび”はつくれる。けど、“おいしい”かは、わからない。――こわかった。だから、きいてもいい?〉
視線が、揺れる。答えはもう言ったのに、確かめずにはいられない、そんな風に。
「……うん。すっごく、おいしい」
レイトは笑った。胸の前で軽く拳を握って見せる。スーツ越しでも、その仕草が誠実に伝わるように。
「体も、ぽかぽかしてきた。ありがとう、ラミコ」
緑の宝石が、さらに輝きを増した。洞窟の壁に、きらきらと反射が走る。
『助けてくれて、礼を言うぜ。あんたがいなきゃ、こいつ、砂のクッションで永眠コースだった』
「ノイジー」
『事実だろ?』
レイトは苦笑し、もう一口、指先をスープに浸した。吸い上げるたび、胸の奥のざわめきがほどけていく。さっきまで耳の裏に残っていた“声”の残響も、遠のいていった。
「ラミコ。ボクが倒れたとき、どうしてボクを?」
〈“ねむりの谷”のはずれで、あなた、たおれた。声(意識の波)が、ちいさくなる。――こわかった。だから、はこんだ。ここ、“わたしたちのいえ”――”むら”。“ねむり”に、のみこまれない、ばしょ〉
『“ねむり”ってのは、この星の精神干渉のことか?』
〈うん。わたしたちは、ときどき、ながい“ねむり”。みんな、しずかに、ふかく。――いまは、“めざめ”のとき。でも、“ねむり”の波、まだ、のこってる。――あなた、”彼ら”に、かんげい、された。かんげい、うけたもの、たくさん、”声”、きく〉
ラミコは、鍋の縁をそっと撫でた。指のない掌が、粉砂糖みたいなきらめきを散らす。
〈あなたのスーツ、つよい。波、かるくなる。――いいスーツ。しろい。“やさしい音”がする〉
視界の隅で、ヘッドアップのバイザーが自動的に起動した。バイタルスキャン――心拍、血中酸素、脳波ノイズ、いずれも安定域。
隣に並ぶ化学解析のホログラフには、
《成分:ミネラル主体/微量の有機群類似構造体》
《人間代謝適合:良》
《摂取継続:問題なし》
と淡く表示される。
インジケーターの緑が静かに点滅し、スーツの内部循環が温のカーブを保った。
レイトは鍋の表面に映る緑の光点――ラミコの右目の輝きを見つめた。
「ラミコ。ボクは、ここで――君たちのことを、もっと知りたい。君たちは、この星の”声”を聞いても平気なの?」
ラミコは、右目に嵌め込まれた緑の宝石を小さな掌でとん、と示した。
〈わたしたち、“心眼石(しんがんせき)”ある。ここ、――これ。“こころのかたち、まもる石”。わたしたち、水晶から“はえて”うまれる。そのとき、なかまが、ひとつ、えらんで、はめる。……大水晶の“声”は、おおきい。ながく、つよく、きくと、こころのかたち、くずれる。心眼石、ないまま、ききつづけると……“こ”がきえる。うまれるまえの、ほしぜんたいの“みんなのこころ”――集合のなかに、かえってしまう〉
緑の瞳が、そっと細くなる。
〈でも、あなた、すごい。石、ないのに、すぐには、のまれない。……そのしろい、ひふ?、つよい。あなたの“こころ”も、つよい〉
ラミコは少し間を置いて、首をかしげた。
〈じゃあ、こんどは、わたしが、しつもん。レイト、どこから、きた?〉
「空の、もっと上。星の外から来た旅人だよ。ずっとずっと遠くの星から、ここまで旅してきたんだ」
『そうそう、そしてな! こいつはすげーんだぜ!!』
ノイジーが待ってましたとばかりに前へ躍り出る。
『聞いて驚けよ! 星を喰い尽くす“宇宙バッタ”の大群は女王(クィーン)をぶっ潰して一網打尽! ”乳の星”じゃ乱獲目当てのギャングを沈めた礼に“乳クジラ”から一万年に数滴の秘宝を直々にゲット! 双子星のキノコ族とタケノコ族の泥沼戦争は両陣営に潜ってた過激派の巣を抜いて停戦まで持ってった! ……まあ、ヒーロー様の燃料がスイーツで、朝は二度寝コースってのは宇宙最高機密な!』
「ノイジー……もう、いいってば……」
レイトは頬をかきつつ、ネオンスーツの前腕ノードに軽く触れた。掌の前に、淡い立体映像が次々と咲く。
紫がかった星雲が雲海のようにうねり、氷の指のような衛星林立の惑星が回転し、空飛ぶクラゲに似た群体生物が薄光を放って潮のように流れる。瞬間、画面は切り替わり、砂鉄色の宇宙でボイドギャングの艇が尾を引き、白い光のライン――レイトのビームワイヤーが弧を描いて敵の推進器を縛り上げる。
「これは、ボクが見た景色。ボクが戦った、相手」
洞窟の白い壁に、遠い宇宙の色が映った。ラミコの緑の目が、ぱあっと広がる。
〈……きれい。しらない“波”が、たくさん。――そと、は、ひろい。たのしい。こわい。……もっと、しりたい〉
緑の宝石が、鼓動のように明滅した。のれんの小石が揺れて光を散らし、居間の空気が少しだけ弾む。
レイトは、きらめく緑の瞳を見て小さく笑った。
「外の世界は、楽しいことでいっぱいだよ、ラミコ。初めて見る色、初めて聞く音、初めて出会う“心”。でも同じくらい、危ないこともある。好奇心に牙が生えてる時だって、ある」
レイトは投影を畳み、静かに続けた。
「ボクは調査で来た。“全知全能の水晶”——この星の最奥で眠るとされる伝説の正体を確かめたい」
レイトは一度息を整え、視線をラミコの右目に合わせた。薄い光が彼の頬を撫でる。
「それと……君たちの言う“悪い旅人”、ボクらの言葉では“テロリスト”。彼らがこの星に来ているって情報がある。——何か、知っていることはある?」
ラミコは少しだけ黙った。緑の右目が、洞窟の天井に反射する光を追い、それからゆっくりレイトに戻る。
〈……すこし、むかし。すこし、っていっても、あなたが“うまれる”より、ずっと、ずっと、まえ。わたしたち、“そと”からきた旅人を、むらで、むかえた。おどろきと、よろこび。わたしたち、うたって、光って、もてなした〉
声の粒が、わずかに欠ける。
〈その旅人、“わるい旅人”だった。星の、おく――“宇宙のすべての“きいている”水晶”、……わたしたちは“星守晶(ほしもりしょう)”とよぶ、その水晶の、ねむりを、さまたげた。旅人は、ちかちか光る“赤い破壊者”たちを地のそこに、おいた。のこして、いった。それから……だれも、星守晶に、ちかづけない。星守晶、わたしたちの、よりどころ〉
ラミコは胸のチョーカーをぎゅっと押さえた。
〈“守神(もりがみ)”がいた。おおきな、おおきな、水晶のけもの。おだやかで、やさしい、“星守晶”のまわりを、いつも、まもってた。――いま、“赤い破壊者”に、あやつられてる。ちかづくもの、みんな、きずつける〉
短い沈黙。
〈……はじめに“わるい旅人”を、むらに、いれたの、わたし。だから、ずっと、こころが、いたい〉
ノイジーが低く唸る。
『“赤い破壊者”……おそらく、高機動バトルドローン群だ。地中に”巣"を撒いて、防衛と妨害に使う置き土産。十中八九、テロリストの手口だ』
レイトはラミコの前に片膝をつき、視線を合わせた。
「ラミコ。ボクは“ヒーロー”だ。君たちの星を――必ず、助ける」
緑の瞳が揺れ、かすかに明るくなる。
〈……たすけて、くれる?〉
「もちろん」
レイトがうなずくと、ラミコはのれんの向こうへすっと手を伸ばし、白い結晶を束ねて削った“しなる槍”を持って戻ってきた。石の繊維が鞭のようにしなり、先端だけが鋭く研がれている。
〈わたしも、たたかう。まもる、だけじゃ、たりない。まいにち、すこしずつ、れんしゅう、した〉
「でも、君の身が――」
〈だいじょうぶ。あなたの、ちかく。こころの石(心眼石)の“波”で、あなたの“こころ”を、まもる。……だけど、はなれると、あなた、また、“ねむり”に、ひかれる。それに、ほしのおく、したのした、”声"、つよくなる〉
ラミコは考えるように、右目を細めた。
〈だから、いくみちで、“心眼石”の、ゆりかご、うまれるところ、による。あなたに“あう石”――あなたの“こころのかたち”に、ぴたり、とおさまる石、さがす。みつけたら、あなた、ひとりでも、深い“声”に、たえられる〉
ノイジーが羽音を弾ませる。
『決まりだな! その心眼石とやらをゲットするために……産出地ってことか? そこを経由して“守神”が待ち構えてる”全知全能とやらの星守晶”を目指す! 途中の“赤い破壊者”軍団は俺とレイトでバラして、記念にナットでも貰って帰ろうぜ!』
レイトは笑い、槍を構え直すラミコに言った。
「ラミコ、道中の案内をお願いしたい。 危険だけど……頼める?」
〈うん。レイト、あなたを、みちびく。……そして、あなたを“まもる”。……すこしずつ、ことば、なれてきた。あなたと、はなす、うれしい。だから、もっと、つたえたい〉
白い洞窟の天井で、緑の光が力強く瞬いた。外では、巨大水晶の“声”が遠い潮騒のように続いている――けれど、三つの鼓動はもう、その中で迷わなかった。
*
洞窟の“村”は、静かな光の集落だった。壁面から生えた柱状の水晶に、色とりどりの細石の紐が掛けられ、風もないのに淡い音を立てる。人の背丈ほどの結晶体たちが、レイトとノイジーを遠巻きに見つめ、目に相当する小さな宝珠を好奇で瞬かせた。
ラミコに案内され、三人は雑貨屋めいた空間へ入る。台に並ぶのは“道具”というより“波”。
〈これ、“ハジケ鉄鉱”。〉
ラミコが持ち上げたのは黒灰色の塊だ。表面に指先を触れると、内部で微細な節理がほどけ、ぱちん、と乾いた光が弾けた。
『周波数トリガー式の破砕鉱だな。衝撃でも、特定の“歌”でも起動する。目くらまし兼ミニ爆薬、使えるぜ』とノイジー。
〈こっちは、“肥やし硫黄”。野の水晶生物、これの波、きらい。近づかない〉
淡黄色の粉袋は、たしかにスーツ越しでも“臭い”の代わりにざらついた不快な波を発している。
〈それと……“眠り苔”。〉
掌に載る薄緑の苔状結晶は、触れると心拍を半拍だけ静めた。
『鎮静波を出す応力結晶だ。パニック対策、もしくは幻惑の緩和——いいチョイスだな、ラミコ』
支払いは、玉虫色に揺らめく板状鉱石で行われた。角度によって七色の層が滑る。
〈“ひかり貨”。むらの“かわす”に、つかう〉
レイトは礼を述べ、袋と槍、そして少量のハジケ鉄鉱と肥やし硫黄、眠り苔を受け取った。
村の中央広場へ出た瞬間、音が沈み、空気の位相が一段引き上げられたように感じられた。円環状の床は極薄の光膜で覆われ、踏むたびに鈴にも祈りにも似た微弱な波が放射状に伝わる。その中心——台座と完全に同化した巨晶体が鎮座している。万華に割られた面(ファセット)が呼吸のように明滅し、光は塵ではなく“祈念”として漂った。誰もが自然に声を潜める。ここは“高さ”そのものだ。
ラミコが両膝をつき、深く頭を垂れてレイトとノイジーを示す。
〈ちょうろう。そとからの“たびびと”。レイト、ノイジー。むらを、たすけたい、って〉
返答は、声になる前の“響き”として降りた。すぐに台座脇の共鳴器が言葉へ変える。
〈……”聞いて”おるよ〉
それは優しく枯れた老人の声だった。
乾いてなお豊かな声。ゆっくりと、多面のうち一面がレイトに向き、広場全体の光が半歩、彼へ傾く。
〈汝らがここへ踏み入る前から、波はわしの芯を打っておった。光の子よ〉
ゆっくりと、多面体の一面がレイトに向く。
長老の言は、古い碑文を撫でるように続く。
〈”空より悪しきもの降り立つ時、また空の向こうから悪しきを払う者、現れん”——これはこの村に伝わる古いしるし。汝らが“星守晶”へ向かうことも、もう“聞いた”。〉
レイトは自然に背筋を正し、胸のコアへ手を当てる。
「ボクは、この星を守りたい。あなたたちの声が、消えないように」
その誓いに呼応するように、長老の輝度がひときわ柔らぐ。
〈ならば、進むがよい。道は険しい。“守神”は惑わされ、赤い破壊者は地を喰む。だが——汝には導きの手がある〉
長老の視線がラミコに移る。緑の瞳が力強く瞬いた。
〈どうか、この星を救ってくだされ〉
巨大な晶の頭部が、わずかに、しかし確かに下がる。ラミコも、レイトも、思わず頭を下げた。のれんの陰で見守っていた村の者たちも、ぞろぞろと広場へ出てきて、音のない祈りを重ねる。細石が一斉に微かな鈴を鳴らし、三人の背を送り出した。
谷の出口へ向かう通路は、乳白の明り取りが点々と続く白い回廊だ。背後の村がゆっくりと遠ざかり、巨大水晶の潮騒だけが近くなる。
『進路、良好。さあ、行こうぜ。ワクワクドキドキの始まりだ!』
ノイジーが高度を上げ、先行する。ラミコはしなる槍を握り直し、レイトの隣で足並みを合わせた。
〈まず、“心眼石”の場所へ。あなたの“こころ”に合う石、きっと、ある〉
レイトはうなずき、胸のコアに手を当てる。脈動は落ち着き、青紫の光が静かに息づいた。
背中には村の祈り、前方には星の最奥へ続く白の迷宮。三つの影は重なり、谷の奥——“星守晶”への入口へと歩を進めた。
*
やがて谷が尽き、いくつもの巨大水晶の根が絡み合う縁(ふち)に出た。そこは、星そのものが大きく口を開けているかのような断絶——直径数百メートルの大穴だった。淵も内部も、中規模の結晶が無数の牙のようにギザギザと尖り、光は吸い込まれず、祈りのように縦へ流れ落ちていく。
「ここ……“入り口”」と、ラミコ。
彼女が指したのは穴の中央へ突き出た一本の張り出し——“飛び込み晶”。自然の梁のように空間へせり出し、その先端は風に磨かれて滑らかに輝いている。三人は慎重にそこへ登り、頂で立ち止まった。
覗き込むと、底知れぬ縦穴が星の肺のように続いていた。はるか下から、常にあたたかい風が昇ってくる。壁面は層を成す水晶で埋め尽くされ、ところどころに洞(ほら)が穿たれて無数の小さな虹を孕(はら)む。中腹には淡い緑の鉱脈が帯のように走り、ラミコが囁く。
「“心眼石”の、ゆりかご。もっと、した——いちばん、したに、“星守晶”」
レイトはうなずき、飛び込み晶の上で位置を取る。
「真ん中はボク。右手、ラミコ。左はノイジー」
少年の掌に、冷たい結晶の手と、軽い金属翼の先端が触れた。三つの接点が同時に“音”を結ぶ。
「——行こう」
背中の反重力ジェットパックが低く唸り、三つの影が縦穴へ滑り出す。風は穏やかだが、底は遠い。レイトが推力を段階的に調整し、壁の結晶に触れては跳ねる“晶歩(しょうほ)”のリズムで高度を捨てていく。ラミコは右手を繋いだまま心眼石の波を微細に変調し、胸奥のノイズを撫でるように鎮める。ノイジーは左側面を並走し、前方に走る赤い誘導光——微細な危険波形を即座にマーキングしては迂回の線を引いた。
白い息、緑の脈、青紫のコア。
三つの光が一本の矢になって、星の内側——大水晶の星の地下世界へと、静かに降りていった。