第3話「大水晶の星」後編
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あらすじ
ハヤマ・レイト——15歳の少年ヒーローは、古代種族「ネオン人」から託された特殊スーツ「ネオンスーツ」を身に纏い、宇宙を旅する。 10年前、彼の両親は超新星爆発テロで失われた。その悲劇の真犯人である**テロリスト集団「ダークノヴァ」**の追跡こそが、彼の人生の軸。 宇宙連合軍の若き少佐アリナ・ミラストリアルとの出会いがきっかけで、レイトはテロの源流を追うことになる。
本文
通路を抜けるたび、ザコの歩行型が赤黒い光を点滅させて這い出した。レイトは両手の甲のサブコアをひらき、青紫のエナジーブレードを短く伸ばす。振り抜いた双刃は、散弾の幕ごと空間を“面”で薙ぎ、光の雨を押し曲げながら歩行型の脚部と砲口だけを正確に断って黙らせた。上からは水晶原生の〈ハープスパイダ〉が弦を鳴らして平衡を乱してくるが、ノイジーが撹乱波で音階を外し、ラミコの槍が節の“要”だけをコツ、と鳴らして眠らせた。小さな群れは泡のように散り、足もとには白い粉晶が雪みたいに降る。
横穴は次第に細く、静かになっていく。奥からは——“歌”。先ほどの導きよりもずっと澄んで、胸の橙の輪にそっと指を当てられるみたいな、心穏やかな調べが流れてきた。けれど、その底には、薄い刃のような“気配”も混じる。並々ならぬものが、この先にいる。
肩を並べて歩くラミコが、ふと横顔を向けた。緑の瞳は遠い記憶を映している。
〈このみち、むかし……むらのみんなと、とおった。ちいさかったわたし、こわくて、でも、うたが、てをひいてくれた〉
「村のみんなと?」
〈うん。“星守晶”に、いのりに。——いまは、だれでも、ここまで、こられない。……“あかい破壊者”が、まもりの“道”を、こわしたから〉
ラミコは指先で胸の心眼石を撫で、少し息を吸う。
〈また、だれもが、ここまで、これるように、したい。こわくないみち、うたのとおりに、あるけるみち……。そして、もし、“もりがみ”をあやつってる“赤い破壊者”を、たおせたら——そしたら……〉
言葉がそこで細くほどけた。横穴の先、光が急に増す。三人は足を止め、視界がいっきに“ひらく”のを感じた。
レイトは思わず、バイザー越しに溢れる聖光に瞼を細める。
*
——そこは、“聖域”だった。
白灰の岩盤がところどころ黒く露出し、その岩盤から伸びるように、いくつもの白い水晶体が手を差し伸べるみたいに突き出ている、大まかにドーム型の空間。すべての“手”は、その中央へ——空中にふわりと鎮座する、緩やかな速度で回転する一際大きな紫の水晶へと向けられていた。紫はただの色ではなく、薄い殻に包まれた灯りのように空間へ滲み、静かな聖歌で大地と天井を震わせている。白は祈り、黒は古い記憶、紫は心臓。空気の粒さえ、敬虔に揺れた。
ラミコは、言いかけた続きを失い、口を結ぶ。レイトもまた、胸の橙の輪に触れながら、かすかに呟いた。
「……ここが……“大水晶の星”、ヘラザードの最奥」
ノイジーはいつもの軽口を途中で飲み込み、低く小さく感嘆を漏らす。
『——すげぇ……とうとう来ちまったな……』
深度〈550km〉。
歌は一段と澄み、同時に、背骨の奥で細く鳴る“警鐘”が混ざる。歓迎と、試すような気配。三人は視線を交わし、自然と歩幅をそろえた。
ラミコが聖域中央の大きな紫の水晶を指して、そっと囁く。
〈……あれ、“星守晶”。うちゅうの、すべてを知る。わたしたちの、よりどころ〉
レイトは歩を進めながら、胸の橙の輪に触れた。紫から滲む波は、ただの“声”ではない――旋律だ。美しい。けれど、その底でかすかに糸がきしむ。懐かしさに似た光と、坑(あな)の風みたいな寂しさが、同じ譜面に並んでいた。
(……歌ってる。歓迎の歌。……それなのに、どこか、泣いているみたいだ)
ドーム型の聖域の床は薄い光膜に覆われ、踏むたびに鈴のような反響が円環で返る。三人は三角を保ちつつ、周囲の死角を巡回するように見張り、紫の星守晶へ半径を詰めた。ノイジーは高度を取り、上空をゆっくり旋回しながらセンサーを最大帯域に拡げる。
『スキャン開始——っ、ダメだ。ノイズフロアが跳ね上がる。帯域ぜんぶ“歌”で埋まってる。反射、散乱、内部回折……どのチャンネルも波形が星守晶のハーモニーに上書きされる。要するに、なんにも“見えない”!』
三人は慎重に薄光のドームの中を警戒しながら進む。
聖域の入り口から星守晶まで、行程の半分——三人の影が紫の“灯り”に半ば包まれた、その瞬間だ。
地鳴りが、腹の底へ歯を立てた。ゴゴゴゴ、と岩盤の鼓動が反転して吠え、天井の結晶列が一斉に高周波で鳴き始める。
『上っ! 真上だ、来るぞ!』
聖域のドームの真上、星守晶と三人のほとんど直上から、白灰の岩皮を突き破って“巨大な影”が落ちた。獅子——いや、獅子を模した水晶生命。鬣(たてがみ)は細葉水晶が渦巻くクレストとなり、四肢は柱晶の筋肉で束ねられ、爪は刃面を持つ長晶が扇のように開閉する。白く美しい透明な体幹は、本来ならば氷の鈴を思わせる清澄を纏うはずが——。
(……“歌”が歪んでる。歓迎の譜じゃない——やっぱり、暴走してる……!)
赤黒が滲んでいた。首の付け根、肩口、そして腰甲——三ヶ所に“異物”。黒赤い殻の寄生型バトルドローンが貼り付いており、甲殻から伸びる細い“信号触手”が守神の体内へ潜り込んでいる。触手の根もとは微細な赤を点滅させ、守神の神経脈(光脈)へ寄生的に同期、制御信号を流し込んでいた。
〈……“もりがみ”……!〉
『おいでなすったな……! スキャン!目視置換に切替! アイカメラで計測——って、見ての通り寄生型!首・右肩・腰の三体を確認!制御核は外殻上に半露出! 三つともを落とせば守神を解放できる!』
煮えたぎる憎悪に染まったような守神は低く唸り、星守晶とレイト達の間へ滑り込むように着地した。四肢で白い床晶を抑え、首を低くして遮る姿勢。水晶の牙列が、光を呑み込む刃に変わって覗く。
次の瞬間——胸郭が大きく広がった。空気を、聖域の空気すべてを吸い込むみたいに一挙に吸引し——。
〈グォオオオオオォォオオオ!!!!!〉
大咆哮。
音ではない“音”が、瞬く隙も与えず世界を白くする。聖域の空気がまるごと振られ、結晶の壁は共鳴で波打ちひび割れ、光さえ震えた。軽いノイジーは一拍で吹き飛ばされ、回転しながら姿勢制御を乱して天井すれすれへ。
『ぎぇっ! やべぇぞコレ! ワームの“干渉波”の比じゃねぇ!』
ラミコでさえ膝が沈む。緑の心眼石が必死に波を立てて“盾”を張るが、咆哮は層ごとに潜り込んで神経の根をしびれさせる。彼女の槍先が一瞬だけ床を叩き、音が千切れた。
レイトのこめかみが灼け、視界の端が黒く欠ける。胸の橙の輪がきしんで軋み、膝が床へ落ちた。両手が勝手に頭を抱え、歯の根が合わない。
「——っ、あ……ぁあっ!」
白い聖域の視界が反転する。紫の灯りが遠ざかり、かわりに——赤い光が視界を染めた。
守神の咆哮に混じっていた、星守晶の"記憶の残響"。封じられた太古の破壊の波形が、レイトの心眼石と共鳴し、彼の最も深い傷を抉った。
意識が、過去の記憶へ引きずり込まれる。
*
――空が、燃えていた。
赤。
どこまでも赤く、滲むように裂けて、世界そのものが悲鳴を上げていた。
爆風の中、少年レイトは砂埃と煙の間で泣いていた。耳の奥では建物が倒壊する音と、誰かの叫びがごちゃ混ぜになり、遠くの空では、巨大な閃光がゆっくりと地平を呑み込んでいく。
『お父さんっ! お母さんっ、こわい、こわいよ!』
腕を掴む。掴み返してくれたその手が、震えていた。
白衣の袖口に焦げ跡。頬には血の筋。けれど、瞳だけはまだ澄んでいる。
『レイト……聞くんだ。ポッドのシールドを閉じたら、絶対に開けてはいけない。どんなに音がしても、光が来ても』
『いやだっ! 一緒に行こうよ!』
母の声が震える。『レイト……あなたは、生きて』
その瞬間、背後の実験塔が崩れ、真っ赤な火花が夜空を割いた。
『……お願い、あなたの“心”を、信じて』
父の手が、ポッドのハッチを押し込む。
泣き叫ぶ声はもう届かない。
視界の外で、二人が互いに抱き合う。
ハッチの小窓越し、母の唇が“愛してる”と動いた。
——発射。
重力が弾ける。
遠ざかる。
小さな身体が揺れ、涙の粒が宙に浮いた。
青い星が、赤に染まっていく。
その上に浮かぶ衛星も、街も、人の影も、全部が燃えていった。
炎が宇宙へ吹き上がり、黒い煙が渦を巻く。
その渦の向こう、いくつもの惑星が連鎖的に爆ぜ、宇宙そのものが赤黒く泡立っていく。
『いやだ……お父さん……お母さん……』
声が震える。
けれど音はもう届かない。
やがて、赤の海の向こうで、小さな緑の光が生まれた。
まるで、誰かが“呼んで”いるような光。
『〈——レイト〉』
遠くから、声が聞こえる。
“現実”と“記憶”の境が、音のように割れていく。
光が、近づく。
“あの声”が。
『〈——レイト! だめ、こっち、もどって!〉』
耳の奥で、声が爆ぜた。
記憶が白くちぎれ、熱風が逆流する。
レイトの意識が跳ね起きた瞬間、現実の光が押し寄せた。
*
——守神の咆哮。
それはまだ終わっていなかった。
白い聖域の空気が砕け、圧力の奔流が彼を吹き飛ばそうとする。
だが、その前に――緑の背中。
ラミコだった。
細い身体が、両腕を広げ、心眼石を前にかざして立っていた。
その光が防波堤のように広がり、咆哮の波を押し返す。
「ラミコ……!」
〈——だめ。レイト、まだ、だめ。いま、わたし、まもる〉
彼女の声は震えていた。
緑の波はひび割れ、光が砕ける。
守神の赤黒い目が、咆哮の続きで空気を裂く。
レイトは、震える手に力を込めた。
腕が勝手に動く。胸の橙の輪が強く明滅し、刃が呼吸するように脈打った。
「——もう、誰も……奪わせない!」
立ち上がる。
両腕を交差させ、青紫の刃がほとばしる。
刃と刃をぶつける——金属ではない、音の衝突。
澄んだ“共鳴”が、空気そのものを揺らした。
青紫と橙の波が重なり、反射するように広がる。
レイトが一歩踏み出した瞬間、その共振は咆哮の波形を捉え、逆位相で打ち消した。
空間が、弾けた。
爆音が引き、聖域に再び“歌”が戻る。
赤黒い衝撃波は押し返され、守神の巨体が半歩、後ずさる。
ラミコは息をつき、レイトを見上げた。
〈……ありがとう。いま、わたし、まもられた〉
「ボクこそ……ありがとう。もう、大丈夫」
その背後で、ノイジーの声が戻る。
『——復帰完了! いや、今の見たぞ……お前、波を“跳ね返した”のか!? すげぇな、まじで!』
守神が低く唸り、結晶の森全体が震えた。白く巨きな体を支える四肢が床晶を軋ませ、背と肩に群生する赤黒い殻の寄生ドローンが、心臓の鼓動のように脈動を再開する。赤い光脈が蛇のように走り、聖域の空気が一瞬で緊張の刃に変わった。
レイトは足を滑らせるように前へ出る。掌が光り、青紫のブレードが左右に展開。双刃の共鳴が空気の膜を裂き、床に光の円を描いた。
ラミコとノイジーが左右へ散開し、それぞれ支援位置に入る。光と音、呼吸がひとつの和音になる。
——戦いは、ここからだ。
聖域の歌が再び鳴る。水晶の壁に反射して幾重にも重なる旋律。紫の星守晶が、まるで心臓のように淡く明滅した。
守神が咆哮をあげた。白い巨体がうねり、尾が一閃する。空気そのものを裂く“斬撃波”が一直線に走った。レイトは双刃を交差させ、青紫の弦場を瞬時に張る。波が当たる刹那、弦が共鳴音を立て、衝撃を滑らせて弾き返す。反動を利用して一歩、死角へ滑り込む。
上方では結晶片が雨のように降る。守神の念動が壁の結晶列を操り、雨のように射出してくる。ラミコは槍を振るい、石刃の“面”で反射角を微妙にずらし、ノイジーが撹乱波を放って群れの位相を外す。三者の連携が刹那ごとに重なり、音と光の斬り合いが聖域を満たした。
『首、右肩、腰——寄生核は三つ! まずは右肩が浅い、殻が薄い!』
「了解!」
——その瞬間、床が“沈んだ”。いや、沈んだのは床ではなく、重さの方だ。守神の鬣が逆立ち、白い体表に細かな重力紋が走る。聖域の空気が局所的に凹み、粉晶が一斉に“落ちて”床に貼り付いたかと思えば、次の拍でふわりと舞い上がる。
『重力場、変調! 局所ウェル三つ形成、斥力と引力の反転パルス!』
「ラミコ、足下——!」
〈っ、うん!〉
ラミコは槍を支点にして体を軽くし、ノイジーは推力を逆噴射して“軽くなり過ぎる”瞬間を殺す。レイトは膝を抜き、重さの波が来る拍に合わせて踏み替えた。守神の尾が床晶を叩くたび、空間の“縫い目”がずれ、足場が紙のように折れ曲がって見える。
「ボクらを——落とす気か!」
『いや、違う! 奴、自分の質量流を“撓(たわ)めて”防壁にしてる! 右肩へ近づく角度、真っ直ぐは無理! 渦を跨いで、斜めに!』
守神が胸郭を広げ、喉奥に光を集めた。次弾の“干渉波咆哮”。赤黒い圧が広がる。重力のうねりがその波を“重く”し、音圧は倍加して空気を軋ませた。
レイトは深呼吸し、双刃を前に構える。橙の輪が胸で脈を刻み、波のリズムを整える。
干渉波が放たれる瞬間、レイトの刃が低く唸り、逆位相の和音を重ねる。波と波がぶつかり、白い閃光が空気を焼いた。瞬間、視界が一刹那だけ澄み渡る。
その刹那を掴む。青紫の弦が二条、空間に奔った。空中に描かれる“譜面”のような光。だが守神はさらに空間を“撓め”、レイトの進路に見えない下り坂を作る。体が引かれる。足がもつれる——。
『左二歩先、軽い! そこから跳べ!』
レイトは指示に従い、軽くなった床を踏み切りに変えた。一気に肩口へ跳ぶ。
守神の爪が扇のように開き、風を裂いて薙ぎ払う。火花ではなく、光粉が散る。レイトは刃を返し、爪の根(こん)を撫でるように軌道をわずかにずらす。そのまま、装甲の“継ぎ”に滑り込み、刃を構え直した。
〈あぶない——ハジケ、使う!〉
ラミコが床を叩く。緑の波と共に、“ハジケ鉄鉱”の粉がぱん、と弾けた。鉄の匂いが爆ぜ、微細磁場が一瞬で守神のバランスを狂わせる。巨体が半歩よろめむ——重力場がほどけ、肩の防壁が薄くなる。その瞬間、ノイジーが頭上から電撃パルスを叩きつけた。
『肩核、露出角+12! 今だ、刺せ!』
(……目を瞑れ。歌だけを聴け。赤黒い“不協和”だけを視ろ——守神の体は斬らない。寄生だけを、斬る)
レイトは瞼を閉じた。世界が音へ変わる。
紫の聖歌、緑の鼓動、橙のぬくもり——それらが美しい和音を形づくり、その譜面の上で、右肩の寄生核だけが泥のように濁って吠えている。
「——そこだ」
双刃が震え、共鳴が“選ぶ”。
刃文が濁った波形だけを吸い寄せ、白い水晶を避けるように滑る。
斜め上から下へ——すれ違う一閃。
赤黒い殻が、音もなく裂けた。寄生核が甲高い信号を放ち、触手が痙攣して外れる。
守神の光脈が右半身だけ純白に戻り、巨体がぐらりと揺れる。
〈——やった、ひとつ、きえた!〉
『一核破壊確認! 制御干渉ダウン!』
勝機の光が差したのも束の間、残る二核が怒りに反応した。
首と腰の寄生核が脈打ち、干渉波が幾重にも重なる。聖域全体の空気が悲鳴を上げ、床晶が蜘蛛の巣のように割れた。
直後、空間の“重さ”が変わった。
見えない膜のような力が膝を押し潰し、粉晶が一斉に沈む。守神の鬣が逆立ち、白い体表を走る光脈が重力線のようにねじれてゆく。
床の粉晶がふわりと舞い上がったと思えば、次の瞬間には地へ叩きつけられる。上下の感覚が、狂う。
『重力場、変調中! 床の引力が逆相になってる! 踏み込むな、持っていかれる!』
ノイジーの警告が走る。レイトは膝を沈め、スーツの補正フィールドを最大に上げて姿勢を保つ。
ラミコは槍を地に突き、体を支えながら目を細めた。
〈……“もりがみ”が、うねってる……! この星の、根の“ちから”まで、あやつってる……!〉
レイトは歯を食いしばりながら呟く。
「……重力を……! やっぱり“守神”自体が、星の核とつながってる……!」
床晶のひび割れが、逆に“浮き上がる”。
重力が上下を反転させ、破片が白い雨のように上方へ落ちていく。
聖域の天井と床の境界が揺らぎ、彼らの身体がわずかに宙へ浮いた。
『補正限界! 質量流の位相、七秒周期で反転! 足場、常に“動いてる”と思え!』
(守神……まだ苦しいよな。もう少し——必ず、全部剥がす)
胸の橙が脈を上げ、歌が導きを描く。
レイトは浮遊する足場の上でバランスを取り、刃先をわずかに下げ、再び不協和へと身を構えた。
守神の咆哮が再び轟いた。聖域の白い空気が波打ち、赤黒い光が全身を脈打つ。
二つの寄生核が狂ったように明滅し、触手が体内を這い、巨体の輪郭が歪む。
それに合わせ、重力場も狂った。
レイトたちの足元から放射状に“重力の谷”が走り、粉晶が流砂のように飲み込まれていく。
三人は一瞬も息を乱さず、呼吸を合わせた。波、刃、信号——それぞれの“音”が一つに溶ける。
尾の斬撃波が飛んだ。
レイトは双刃を交差し、青紫の弦場を最大まで展開。
だがその刹那、空間が歪む。弦場の外周を重力がねじり、衝撃波が倍加して襲いかかった。
膜状の装甲表示が一瞬で黄色に落ちる。
『装甲ダメージ17%——いや、19……! 重力増幅で圧が倍になってる!』
ノイジーの警告がノイズに混じる。
天井からは結晶の破片が降り注ぐ——いや、“上から落ちてくる”はずのそれが、突然途中で速度を反転し、左右に飛び散った。
守神が場の重力ベクトルを操っている。
ノイジーが撹乱波でその位相をずらし、ラミコが槍面で破片を滑らせて逸らす。
しかし一片が頬をかすめ、緑の頬に米粒ほどの欠け目を作った。
〈だいじょうぶ……行ける〉
震えた声、それでも決して折れない。ラミコの槍先が再び光を放った。
レイトは首核へ接近を試みる。
だが、守神の前肢が刃の嵐となって襲いかかる。斬撃のひとつひとつが、空間の重力歪曲で弧を描き、軌道を予測させない。
「くっ——重力で刃を曲げてる!? これじゃ読めない……!」
閃光。金属と水晶の悲鳴。
脇腹をかすめた一撃がスーツを削り、火花が散った。
HUDに赤い警告が流れる。スペースエネルギー残量は滑るように減少し、曲線がじわじわと沈んでいく。
『胸コア出力、低下傾向。長引くと不利だ!』
「なら、畳む!」
レイトが叫ぶ。
ノイジーはすぐさま応じ、翼をたたんで急旋回。
守神の顔面前で閃光フラッシュを展開。白い閃光が聖域全体を照らす。
その瞬間、守神の周囲に渦が生まれた。閃光の粒が吸い寄せられ、空間がわずかに捻れる。
『重力井戸、発生! 閃光が吸い込まれる前に離脱しろ!』
半拍だけ巨体の動きが止まる。その刹那にラミコが波を重ねた。
緑の光が守神の神経の拍を“半拍ずらす”。
巨腕が空を掴み、尾が床晶を削る。白い粉塵が花弁のように舞った。
重力の揺らぎが解け、一瞬だけ足元が軽くなる。
レイトは床を蹴る。右足の衝撃が粉晶を弾き飛ばし、二条の弦が光を走る。
それはまるで、青紫の糸で首を“縫い留める”ようだった。
ノイジーが上空から光標を落とす。
『固定、三、二——いまだ!』
ノイジーが垂直に急降下、“ノイズ・ハンマー”の衝撃波が首関節を叩く。
守神の巨首がほんの一瞬、静止した——重力の波が一拍、止まった。
(守る晶は斬らない。濁った“核”だけを、選べ)
レイトは呼吸を合わせ、身体を薄く沈める。
青紫の刃が澄み、共鳴が一点に収束する。
右肩のときと同じ、“選別”の感覚が胸を貫いた。
刃が走る。斜角の一撃が、首の殻を斜めに撫で切る。
赤黒い殻が裂け、内部の寄生核が悲鳴を上げる。
火花のような信号触手が弾け、赤い粒子が空中で散った。
音もなく、巨体の一部が白へ戻る。
〈——ふたつ、はがした!〉
『二核目ダウン! 残り、腰だけ!』
わずかに安堵が走る。
だが、次の瞬間、聖域そのものが呻いた。
守神が吠え、全身の孔という孔から赤黒い波を噴き出す。
重力が反転し、粉晶が天井に“落ちた”。
床も壁も、歌さえも敵になった。
白い風が、牙を剥いた。
HUDが一気に雪崩れ、ノイズが視界を覆う。
ノイジーのアイカメラに亀裂が走り、『うおっ、レンズにヒビ——視界30%ロスト!』
ラミコは槍を地に突き、緑の膜を三人の周囲に展開した。
しかし波の圧力は強く、膜が紙のように撓む。頬の欠けから微細な光砂がこぼれ、ラミコの肩が震えた。
足もとがふっと“軽く”なり、次の瞬間には鉛のように沈む。守神の腰核から放たれる歪曲が、半径数十メートルの重力を脈打つように反転させている。床の粉晶が空へ落ち、天井の破片が地面へ降る——上下の意味が、笑うように入れ替わった。
『重力勾配、時間微分がデカすぎる! 局所Gが−0.8から+3.1まで振れてる! 踏み出す瞬間を間違えるな!』
〈……“うねり”が、つよい……!〉
「——負けない!」
レイトは足を踏み開く。胸の橙が鼓動を合わせる。
恐怖と焦燥を“歌”へ転化し、双刃を胸の鼓動に同期させた。
青紫の刃が唸る。音ではなく、意志の響き。
逆位相。重なりあう波を一層ずつ剥ぎ取り、圧の中に薄明を作り出す。
波と波が激突し、白い光が裂けた。呼吸が戻る。
だが守神は間髪を容れず、鬣の根元で微小な“重力渦”を三つ——目に見えない竜巻のような井戸を点火する。空間の布が指先でつままれ、三人の身体がそれぞれ別方向へ引き裂かれる感覚だけが先に届く。
『ミニ井戸、前方十一時・一時・六時! 触れるな、慣性が千切れる!』
〈こっち、つかまって——!〉
ラミコの緑の帯がレイトの腰を引き寄せ、ノイジーは逆噴射で渦縁を滑る。レイトは弦を一拍だけ強く鳴らし、渦の縁に“譜面”の橋を架けて跳び越えた。
——ドンッ。
天井の梁が悲鳴をあげ、崩落した。
重力渦の吸い込みで破片が持ち上がり、次の拍で投石機の弾のように叩きつけられる。ベクトルが折れ曲がるたび、破片は軌道を変え、狙い澄ましたように三人の死角を刺してくる。
『上! 崩落!』
ノイジーが警告を叫ぶ。ラミコが緑の帯で落下軌道を“撫で”、レイトは青紫の弦で三人の足場を強引にずらした。
巨柱が肩先をかすめて砕け、粉晶の衝撃が波のように腹を打つ。
「くっ……重さの“向き”まで弄ってる……!」
静寂。
だが守神はまだ立っていた。腰の核が赤黒く脈打ち、最後の触手が体内奥深く潜り込む。
レイトの胸で警告灯が黄色から赤に落ち、スペースエネルギーが限界域で点滅。
『出力、残りわずか——レイト、時間がねえ!』
〈でも、ここで、たおす。……わたし、立てる〉
守神はさらに場の密度を歪め、三人の間に“壁”のような重層の屈折を立ち上げた。距離は近いのに、踏み出した一歩が永遠に届かない——空間そのものが伸び縮みして、敵までの“拍”を奪っていく。
『レンジが伸ばされてる! 距離錯覚じゃない、メトリックの改変だ!』
「だったら——曲げられた“床”ごと、滑る!」
レイトは二条の弦を低く張り、歪んだ勾配に沿って“スキー”のように体を滑走させる。逆位相の歌を足の裏で刻み、曲げられた空間をこちらの“坂道”に変えると、一息に間合いが詰まった。
「ここで終わらせる。——最後の一つを、剥がす!」
青紫、緑、そして金属の光。
三つの呼吸が再び一つの“歌”に重なった。
守神の尾が閃光のように振り抜かれた。空間が歪む。
レイトが視線を向けるより早く、ラミコの身体が宙に舞っていた。
羽根のように軽く、衝撃音が遅れて響く。
緑の槍が手から離れ、壁晶に叩きつけられた。
衝撃波が洞全体に反響し、粉光が雪のように舞う。
ラミコの心眼石が、ひび割れた。
「ラミコっ!!」
その悲鳴をかき消すように、守神の巨腕が薙ぎ払われる。
レイトは咄嗟に両腕を交差し、ブレードの刃面で受け止めた。
金属音ではなく、水晶がこすれる高い“きぃん”という悲鳴が、空気を裂く。
青紫の刃と、守神の爪。力の均衡は一瞬で崩れた。体格差、質量差——押し負ける。
守神の白い前肢に押し潰されそうになりながら、レイトの足が床にめり込んだ。
(くそっ……押し返せない……!)
守神のもう一方の腕が、横から叩きつけられる。
瞬間、ノイジーが降下し、レイトと守神の間に体当たりを仕掛けた。
『バリア展開! おい、下がれ!』
透明な波が爆ぜ、咆哮が跳ね返る。だが衝撃でノイジーの外装が焦げ、片翼が欠けた。
「ノイジー! 無理するな!」
『あほ、言ってる暇があるか! ——来るぞ!』
守神の喉奥に、光が凝縮していく。
高濃度エネルギー波——白い輝きが球状に膨らみ、まるで聖域全体を焼き尽くすような熱が走った。
レイトは反射的に腕を突き出し、サブコアを開放。
青紫の光束が口内に突き刺さり、白の閃光とぶつかり合う。
咆哮が爆ぜ、二つの光が中間でせめぎ合い、互いに溶け合って消えた。
熱と衝撃が遅れて爆風となって押し寄せ、レイトとノイジーの身体を弾き飛ばす。
『……げほっ! 生きてるか、レイト!?』
「っ……まだ、だ……!」
彼は反射的に膝をつきながら、刃を構え直した。
しかし守神は怯まない。
半ば狂気のような赤黒い輝きを放ち、牙を剥く。
その牙が振り下ろされた——速度が、見えない。
ノイジーが前に飛び出すが間に合わない。
食らえば——終わる。
その間に、緑の光が割り込んだ。
〈レイト、だめっ——!!〉
ラミコだった。
割れた心眼石がかすかに光を宿し、彼女は立っていた。
身体の半分はひび割れ、水晶の欠片がこぼれ落ちる。
それでも彼女は、笑っていた。
次の瞬間、守神の牙が彼女を貫いた。
空気が、止まった。
刃と牙の交差の音が遅れて響く。
ラミコの身体に深い亀裂が走り、胴と腕の継ぎ目が砕け始める。
彼女の緑の心眼石にひび割れが広がり、細かな破片が粉となって宙へ舞った。
〈……レイト……"もりがみ"を……たすけて〉
か細い声が、歌のように空気を震わせる。
ラミコの身体から光の破片がこぼれ落ち、聖域の床へ静かに散っていく。
レイトの眼が見開かれ、胸の橙が、強烈な光を放つ。
涙も、痛みも、何もかもが焼き尽くされるほどの熱。
「……絶対に……終わらせる!」
青紫の刃が光を裂く。
ノイジーが翼を広げ、最後の航跡を描いた。
『行け、レイト! お前の番だ!』
聖域の“歌”が一瞬だけ緊張を解き、代わりに心臓の鼓動が世界のテンポになる。粉光が雪のように舞い、崩れた柱晶の欠片がゆっくりと反転しながら落ちていく——時間が伸びた。
守神はなお重力の紋を走らせ、腰核の周囲に薄い“鞍”を形成する。近づくものすべての落下線を腰へ曲げる、見えない引力の鞍(サドル)。踏み込みは吸い寄せられ、跳躍は斜めに滑る。
『腰周り、サドルポテンシャル! 落下線が曲げられる! 進路は右から斜めに、二段跳びで!』
「——任せろ」
レイトは地を蹴る。
足裏で粉晶がはじけ、青紫の火線が床にふた筋、疾走の譜線を描いた。胸の橙が烈しく明滅し、肺に焼けた空気を吸い込むたびに視界の縁が鋭利になる。
「——道は、ボクが貫く。ここで終わりだ!」
肩に残った衝撃の痛みを無理やり押し込み、彼は前傾のまま体を細くする。右手の刃は“刺す音”へ、左手は“断つ音”へ——二音一拍、呼吸と同じ速さで鳴らす。
ラミコが命で開けた“道”を駆け、跳ぶ。
緑の残光がまだ空間に残っている。ノイジーの焦げた翼から落ちる火花の点々すら、今は自分の軌道を示す灯台のようだ。
『レイト、風は前! 渦流ひとつ、左回り!』
「任せろ!」
空間の渦を踏み段に、身体を半身へ回す。守神の尾が遅れた稲妻のように横を裂き、頬を掠めた冷たい痛みが、むしろ集中を研ぎ澄ます。
守神の巨体が再び咆哮をあげるより早く、刃が“核”を選んだ。
双刃の縁が、紫の歌に重ねた“逆位相”の囁きを放ち、白い躯の奥に潜む赤黒の濁りだけを浮かび上がらせる。腰甲の影、律動の乱れ——そこだ。
(濁りは一つだけ。これが……最後の、和音!)
青紫の軌跡が走る。
跳躍の頂で、時間がさらに引き延ばされる。粉光の一粒一粒が星座に変わり、刃の振り抜き角がその星座に線を引いていく。右手の刃が“導入”、左手が“主題”。二つの旋律が交差して一点に集束した瞬間——。
刃先が腰甲の奥、赤黒く脈打つ寄生核を貫く。
触れたところで世界の色が反転した。音が真空へ吸い込まれ、かわりに核だけが耳障りな金切りの信号を撒き散らす。
「砕けろ——っ!」
肘から先でわずかに捻り、貫いた刃を“留めずに”通す。厚みを感じさせない一閃。刃文の共鳴が濁りを捕まえ、逃さない。
核が悲鳴を上げ、触手が一斉に弾け飛ぶ。
赤黒いコードがちぎれたムカデのように痙攣し、体内へ侵入していた信号の針が雪崩れるように抜けていく。
『命中確認! 信号断! そのまま——抜け!』
レイトは床に着く寸前、足首で弦の“段差”を蹴って姿勢を反転。衝撃を逃しつつ、刃を下からすくい上げて“後悔”の余地を与えない二撃目を添える。寄生殻の背で残ったリブを断ち、核の残響を消す。
赤黒の光が弾け、白が戻る。
守神の光脈が澄み、さっきまで泥を流していた川が一気に清水へ変わるように、全身の拍が整っていく。
守神の体が一瞬透き通り、波のような吐息を漏らした。
重い、深い、痛みの抜ける息。聖域の歌が共鳴し、紫の星守晶が「よくやった」とでも言うようにほんの一度だけ強く脈打つ。
巨大な体躯が膝を折り、そのまま——静かに崩れ落ちる。
白い粉光の雲が柔らかく立ち、風が鳴く。落下の衝撃は鋭利ではなく、長い緊張の終わりに敷かれた毛布みたいに、ただ静かだった。
残響の中、レイトはその場に膝をついた。
握り続けた柄から力が抜け、両腕が振るえる。耳の奥で鼓動と歌が重なり、遅れて全身の痛みが戻ってくる。
ブレードが光を失い、胸の橙が小さく脈を刻む。
刃は任務を終え、静かに沈んでいく。まだ消えない橙の鼓動が、「立て」と言いながらも「休め」とも言っていた。
息が続かない。
肺が砂で満たされたみたいに重い。喉の奥に焦げた鉄の味が滲む。
「——はぁ、はぁ、はぁ……!」
言葉は空気に溶け、粉光の粒を震わせただけだった。
ノイジーが傍に降り立ち、焦げた機体のまま叫ぶ。
『ラミコ! おい、ラミコ! 返事しろ!!』
その呼びかけを聞いた瞬間、レイトの身体は勝手に動いていた。ふらつく足で立ち上がり、粉塵を掻き分けて走る。膝をついたまま滑り、手を床につき、緑の破片が舞う場所へ——ラミコのもとへ駆け寄る。
床に横たわる、半ば透き通った緑の身体——。
彼女の砕け散った心眼石が、かすかに光を点滅させていた。
「ラミコ……!」
その名を呼ぶ声が、震えた。
聖域の“歌”が再び流れ始める。
穏やかで、静かな、祈りの旋律だった。
ラミコは割れた胸元を押さえながら、微かな声で笑った。粉になりかけた緑の心眼石が、きらり、と一度だけ光る。
〈……レイト。……“もりがみ”……たすけてくれて。……“星”……まもって、くれて。……ありが、とう〉
「喋らなくていい、お願いだ。無理に言わないで——」レイトは膝をつき、震える手で彼女の肩を支える。喉の奥が焼けるみたいに熱い。「ボクが、必ず……!」
『クソッ……! 修復プロトコル、再生治療のシミュレーション開始——走らせる! 組成解析、結晶配列、神経光脈の再結線……ダメだ、収束しねぇ! 別案、局所換装、代替核の移植……失敗! 失敗、失敗! 俺のアルゴリズムがポンコツすぎんだろ!』
ノイジーは自分の外殻を拳で叩き、ログ画面に罵声を浴びせるみたいに叫んだ。
『なんでだよ……なんで“戻せない”!』
レイトは答えられない。ただ、砕けたラミコの上で、拳を握るしかなかった。粉晶が指に食い込み、痛みさえ遠い。
ヘルメットの内側が、静かに曇った。
レイトの視界の端で、水滴が丸く育つ。振り払おうとした指が止まり、結局、涙は頬を沿ってパッドに吸われた。
(泣くな——泣くな。でも……!)
彼はラミコの手を探し、そっと絡める。冷たい。けれど、確かに“握り返す”弱さがある。その弱さが、胸を裂く。
〈……ね、レイト〉
掠れた声が、歌の隙間を縫って届く。
〈わたし……たのしかった。あなたと、ノイジーと。……はじめて、こんなに、たのしい、ぼうけん、を……感じられた〉
レイトは首を振る。「まだ終わらない。楽しいのは、これからだ」
〈うん……だからね。……ほんとは、もっと、いきたかった〉
ラミコはまぶたを伏せ、割れた睫の影が揺れた。
〈もっと、旅したい。谷の外、白い砂、黒い海、……空の橋。……いろんな星の、いろんな“歌”。あなたと、いっしょに〉
「行こう。行こうよ、ラミコ」
レイトは強く頷き、彼女の手を両手で包む。
「一緒に旅に出よう。冒険しよう。知らない星を、全部見て回ろう。君が怖くないように、ずっと隣で歌を聴く。約束する」
ラミコの唇が、かすかに弧を描いた。
けれど、緑の光は薄紙のように褪せ、点滅の間隔が長くなる。波形の尾が伸び、音が遠い。彼女の声も、意思も、針の先みたいに細くなっていく。
〈……よかった。……きけた……その……やくそく〉
「聞いて。ラミコ、聞いてくれ」
レイトは言葉に熱を込める。
「ボクは君を置いていかない。君の“手”を離さない。だから——戻ってきて。もう一度、ボクらと一緒に。……お願いだ」
返事の代わりに、握られた指先が微かに震えた。
彼女の胸の亀裂から、光砂が一粒こぼれる。小さな流星のように落ち、それきり消えた。
(だめだ、間に合わない——!)
焦りが喉を裂く。
レイトはラミコの上体をそっと抱き寄せる。半身の彼女を、壊さないように、でも離さないように。腕に力が入るたび、聖域の歌がわずかに強くなった気がした。
〈……あったかい〉
耳元で、ほんの糸の太さの声。
〈レイトの……“心”。……やさしい……〉
「ここにいる。ずっと、いる」
ヘルメットの内側で、もう一粒、涙が弾けた。
誰にも見せたことのない、弱い声が漏れる。
「ラミコ……戻ってきて。頼む」
緑の光は、萎む灯のように揺れ、いよいよ細く——。
——その時。
倒れ伏した守神の傍ら、宙に浮かぶ星守晶が、やわらかい燈りをひとつ、ふわりと孕ませた。祈りの歌に、もうひとつ細い旋律が重なる。呼ぶ、声。
(……呼ばれてる)
胸の橙の輪が、内側から"こっちだ"と指をそっと押すみたいに熱を帯びる。同時に、星守晶の奥底から何かが動く気配——紫の光脈が根元へ向かって流れ、岩盤の深部から何かを"押し上げる"ように脈動する。
レイトは慎重にラミコの体を横たわらせると、すぐに立ち上がった。迷わない。星守晶へ走る。
紫の灯りが近づくにつれ、根元の岩盤がゆっくりと開いていく。まるで花弁が開くように、白い結晶の層が左右へ分かれ、その奥に眠っていた"何か"が姿を現した。
虹色に、きらめいた。
掌大の"心眼石"。七つの光が極薄い層で重なり、角度ごとにまったく違う色と波を見せる。星守晶が、自らの"核"の一部を分け与えようとしている。
(……わかる。君は——"繋ぐ"石だ)
レイトは短く息をのみ、根元の岩盤に指を潜らせる。刃ではない。“ほどく”。微細な継ぎ目の波に刃先のような意識を添えて、岩盤の抱え込みをゆっくり解(ほど)く。ぱきん、と微かな音。虹の心眼石は痛がる素振りもなく、彼の掌にすっと収まった。
『おいレイト、何を——』
「説明はあと! 急ぐ!」
踵を返す。砂晶を跳ね、粉塵を割り、レイトは再びラミコのもとへ滑り込む。ノイジーのカメラが「?」を描くように瞬くのが視界の端で揺れたが、構っている時間はない。
「ラミコ——少しだけ、触れるよ」
彼はラミコの顔に片手を添え、もう片方の手で、砕け散って空白になった“眼の座”へそっと虹の石を運ぶ。かつて緑の心眼石が嵌まっていた窪み。そこに——。
虹色が、落ちた。
瞬間、聖域の空気がやわらかく巻き、周囲に散っていた緑の破片が、風に呼ばれた砂のようにふわりと舞い上がった。粉晶の花吹雪。緑の光粒は虹の石へ吸い寄せられ、軌跡を描いてラミコの身体へ戻っていく。
『な、なんだこの収束挙動……! 位相が勝手に合ってく……!』
亀裂の入った身体の断面が、夜の水面みたいに揺らいだ。光の糸が内側から縫い、白濁していた結晶が透明を取り戻していく。真っ二つに裂けた胴も、切り離されていた腕も、継ぎ目が“縫合”じゃなく“再生”の形で連なり、欠けていた輪郭がそっと閉じた。軋む音も、軋ませる痛みもない。ただ、歌に合わせて“形”が帰る。
虹の心眼石の奥で七色が静かに重なり、中心に淡い緑が芽吹いた。緑は外へ。ラミコの全身の光脈をたどって、やさしく灯っていく。
〈——っ、ぁ……〉
「ラミコ! どう、痛くない? 大丈夫?」
ラミコの指がわずかに動き、彼女は目を閉じたまま、レイトの手を探して握った。掌ごしに伝わる波は、弱いけれど、確かに“生きている”温度だ。
『生命波形、復帰! 神経光脈の再結線完了! 器官配列の再配置、安定域へ——っしゃあ! やった、やったぞ! 俺のポンコツAIでも理解できるくらい“完璧な再生成”だ!』
ノイジーは空中でぐるぐる回り、さっきまでの罵倒ログを自分でぐしゃっと消した。
『さっきの暴言は全部撤回! 星守晶様&そのお友だち、マジ感謝!』
ラミコの虹の眼が、ゆっくりと開いた。七色の層のいちばん手前で、懐かしい緑が微笑む。ひとつ、瞬き。
〈……レイト。……ただいま〉
胸の奥がほどける。レイトは目頭を指で押さえ、笑って、そして首を振る。「おかえり。ほんとに——よかった」
そのときだ。ラミコが、そっとレイトの手を取った。
〈……見せたい。わたしの、記憶。……あなたに、知ってほしい。……わたしの、あやまち〉
虹の石の深部から、極細の粒子がぽろ、ぽろと零れるように溢れた。光は空気に解けず、握られた手を伝って、まっすぐレイトの胸——橙の輪へ吸い込まれていく。
(これは……)
触れた瞬間、視界がほどけ、世界が音になった。橙と緑が重なり、虹の微粒が糸のように結び目を作る。——ラミコの"波"が、優しく扉を叩く。
見える。彼女の、むかし。
*
——映像は、歌のように連なって、音と色を変えながら流れていった。
白い谷、赤い夜、黒い空——どれもラミコの心の中の“記憶”だ。
——白の記憶。
谷の外れ、光の差す入口。
その日、ラミコは群れから少し離れていた。外の風に触れたくて。
緑の心眼石がまだ幼く光る胸に、風は冷たく、気持ちよかった。
そこに、ひとりの“旅人”が立っていた。
長い黒いローブ、顔の上半分を覆う仮面。
けれど声はやわらかく、どこか懐かしい響きを持っていた。
〈……あなた、ひとり?〉
『……ああ。星の声に導かれてきた』
旅人の声に、ラミコは迷わず頷いた。
孤独そうだったその人に、ラミコは谷の村を見せた。
村人たちは驚きながらも、外の人を歓迎した。歌を歌い、光を分け与えた。
だが——それが、はじまりだった。
旅人は夜ごと聖域を訪ねた。
『星の核を見たい』と言って、禁じられた地下の扉に触れた。
止めようとしたラミコの声は届かず、翌朝には、地下が“赤く”染まっていた。
——赤の記憶。
破壊者が目を覚ました日。
聖域の奥から湧き上がるように、赤黒い光が村を襲った。
守神が暴走し、結晶の森は焼け、歌が悲鳴に変わった。
仲間たちが倒れ、光が消えていく中で、ラミコはただ、負傷者を抱えた。
小さな手で、砕けた水晶の身体を支え、泣きながら歌った。
けれど、救えた者は、少なかった。
遠くの空では、黒いローブの旅人の船が、ゆっくりと上昇していた。
火と煙の向こうで、彼は振り返りもしなかった。
燃え落ちる谷を見下ろすラミコの目に、船の残光が刺さる。
〈まって……どうして……〉
声は届かず、光は点になって消えた。
——黒の記憶。
災厄のあと、村は沈黙した。
残った者たちは、ラミコを責めた。
〈あの旅人を呼んだのは、お前だ〉
〈お前が扉を開けさせた〉
言葉は刃。
ラミコはうなずくしかできなかった。
罪の音が胸の中に積もり、心眼石の緑が少しずつくすんでいった。
それでも、外の世界への憧れは、消えなかった。
村に留まりながらも、ラミコは人のいない時間に谷を歩いた。
風の音を聴き、砂の上に残る星の欠片を拾った。
“外の世界”を感じたくて。
誰にも見つからないように、いつも村の外縁を巡回していた。
——そしてある日。
砂晶の渓谷で、白い影が倒れていた。
青紫のコアが光る純白のスーツ、バイザー越しに見えるまだ幼い顔。
それが、少年——レイトだった。
ラミコはそのとき、迷わなかった。
手を伸ばし、心眼石を光らせ、彼を抱き起こした。
〈だいじょうぶ。……いま、まもる〉
その声は震えていたけれど、確かに“誰かを助ける”と信じた瞬間だった。
*
——映像はそこまでで途切れる。
光が散り、現在の聖域へと戻る。
ラミコの胸の虹の心眼石が静かに脈を打ち、七色の層が穏やかに揺れた。
レイトの橙の輪も呼応し、互いの“歌”が重なる。
(ラミコ……君は、ずっと、誰かを信じてたんだな)
レイトの喉が鳴る。視界に戻った聖域は静かで、紫の星守晶は変わらず澄んでいた。虹の心眼石は彼女の胸で穏やかに脈を刻み、その緑はレイトの橙と呼応して、同じ“テンポ”を打つ。
〈レイト〉
ラミコは、彼の手をそのまま握りしめた。
〈ありがと。……あなたが"手"を、はなさなかったから……わたし、かえってこれた。……それに、星守晶が、わたしの"かけら"を、あつめてくれた〉
砕けていたはずの身体をそっと抱きしめるように胸に片手を当て、ラミコは自分の中を流れる光の具合をたしかめる。虹色の心眼石が、奥からふわりとぬくもりを返してきた。
呼吸を整え、ゆっくりと体の感覚を確かめる。指先、腕、脚——光脈が全身に再び通り始め、力が戻ってくる。彼女は一度まぶたを伏せてから、もういちどまっすぐレイトを見上げた。
〈さっき……あなたの橙(だいだい)と、星守晶のむらさきが、“うた”でつながって……ぜんぶ、もどった。……だから——もう、だいじょうぶ〉
レイトは強くうなずく。
「うん。——戻ってきてくれて、ありがとう。ラミコ」
ノイジーが空中で翼をぱたつかせ、大きく円を描いた。
『すげぇ!本物の奇跡ってやつだ! 〈医療の星〉でもこんな技、お目に掛かれねぇぞ!』
祈りの旋律は、三人の脈と重なって、少しだけ明るくなった。
やがて、ラミコは静かに上体を起こした。胸の虹の心眼石が、七色の層をゆっくり横切る緑の光を宿して、ほのかに脈を打つ。まだ足取りは完全ではないが、立つことはできる。
その眼差しは、はっきりと前を——宙に浮かぶ紫の星守晶へ向いていた。
〈……よんでる。……“こっち”って。……“うた”が、わたしを〉
「無理はしないで。……でも、行こう。ボクが支える」
レイトはラミコの肩にそっと腕を回し、体重の半分を自分の方へ預けさせる。反対側ではノイジーが低空で寄り添い、機体を傾けてラミコの肘をやさしく支えた。
『病み上がりは段差も敵だ。歩幅、半分で行こうな』
〈ふふ……ありがと〉
三人はゆっくりと歩を進める。粉光が靴先でほどけ、聖域の床は鈴のようにかすかに鳴いた。近づくほどに、星守晶の歌は低く、深く、胸骨の内側を撫でるように響く。
紫の灯が、彼らの歩みに合わせてやわらいだ。
ゆっくり、ゆっくりと降下する。まるで“会いに来る”ように——星守晶は三人の目の前、手の届く高さで静止した。
レイトとラミコは、自然と互いの目を見た。ノイジーもレイトの肩に寄り添っている。
問いと、覚悟と、ただ“隣にいる”という合図。ラミコはレイトの手を握り直し、もう片方の手を、そっと星守晶へ伸ばす。
指先が触れた瞬間——音がひらき、世界がほどけた。
光が、歌になって降る。
紫の重唱に、遥かな昔日の旋律が幾重にも重なり、映像は色よりも先に“和音”として胸に届く。
*
——星々が、戦場だった。
視界いっぱいの空域を、黒い艦列が埋めた。
幾万の旗艦の群れ、核の光を飲み込むような弧状の兵装。空間は裂け、座標が泣く。名もなき超古代の連合と、彼らが呼ぶ“終わりの道具”が対峙する。
——“超古代兵器”。
兵器は、歌を持たない。
ただ“式”だけがある。
トリガーが引かれる。数式が星の芯へ流れ込む。恒星の核反応は音程を失い、瞬く間に異常な和音に歪む。光の皮膚が剥がれ、時間の壁が紙のように裂け、——星が、ひと息で“消える”。
ひとつ。
また、ひとつ。
夜空の穴が増えるみたいに、恒星は点であり続けることをやめた。惑星は路頭に迷い、衛星は親を失う。海は空へ千切れ、空は空間へ崩れ落ちる。
悲鳴は遅れてやってくる。音速はここでは遅すぎる。
——戦争は終わる。
勝者はいない。ただ、残った者たちがいた。
白い聖域。今とよく似た、しかし壁面に刻まれた紋様がもう少し古風で、床の鳴りが低い。
超古代の民が輪になって立つ。彼らは細長い結晶の四肢を持ち、額に小さな心眼石を宿す。彼らは兵器の“記憶”を、設計式を、起動歌を、そして敗北の理由を——すべてを星守晶に“封じる”。
紫の灯が深く沈み、幾千万の譜面が折り畳まれて内部へ格納される。
輪の外縁に、小さな影がいた。
ケモノ型の水晶生命。掌ほどの、幼い“角”と丸い瞳。
——幼体の守神。
星守晶のそばで丸くなり、眠るように、祈るように、灯に頬を寄せていた。
時が流れる。
壁の紋様は磨耗し、新しい層がその上に育つ。白い聖域には、時々、異なるかたちの旅人たちが訪ねてくる。柱晶に触れ、自分たちの歌を確かめ、星守晶の前で涙を落として帰っていく。
見守る“中くらい”の守神——先ほど崩れた巨獣よりはずっと小さく、まだ青年の体躯。星守晶の左右を歩き、幼い訪問者には鼻先で挨拶をする。
訪問者の列に、小さな緑が混じる。
幼いラミコ。
胸の心眼石はまだ薄く、瞳は世界の色を初めて見る子どものように大きい。彼女は震える手で星守晶の光をすくい、歌に合わせて小さく唇を動かした。守神が寄り添い、彼女の背をやさしく鼻で押す。
——世界は、優しかった。
さらに時が流れる。
空気が、不穏を含む。
黒い仮面。長いローブ。
ラミコの記憶にもあった、あの“旅人”が聖域へ踏み入る。
後ろには、赤黒い侵蝕を受けはじめた守神が随行していた。瞳は曇り、光脈に小さな濁りが混じる。
彼は迷いなく星守晶に手を伸ばした。
紫の灯が揺れ、歌が一瞬だけ“問い”の和音に変わる。
だが手は止まらない。仮面の内からは何も聞こえない。
——触れた。
封印された譜面が“吸い出される”。
“超古代兵器”の記憶、記録、設計式、起動歌。
紫の内部を流れていた光の譜が、黒い袖の中へ糸のように収束していく。
守神がうめき、尾が床晶を引っ掻く。赤黒い殻が肩に芽吹く。
星守晶は、悲しい和音をひとつ漏らした。
少し時をおいて——世界は、輪を閉じずに同じ場所へ戻ってくる。
青い星。澄んだ海。大気の縁は薄紫ににじみ、夜明けは世界の端から金色に滲む。送電の光が街を走り、観測塔が天頂を見上げ、人々がそれぞれの一日を始める。
それは、宇宙に無数にある星々の一つ——のはずだった。
“復活した超古代兵器”は、その日、その星を選んだ。
恒星の芯に、誰かが盗み出した数式が流し込まれる。
核反応の“歌”が、わずかなゆがみから一気に壊れる。赤い膨張。時間の皮が裏返り、光の皮膚が剥がれ落ちる。昼と夜の境目は意味を失い、空の青は赤い爆風に上書きされる。
惑星の影は塵になり、衛星は軌道を失い、都市も海も森も、ひとつの“式”の下で等しく焼かれていく。
遥か昔の戦争と、よく似た光景。
違うのは、そこにもう“軍隊”も“陣営”も存在しないこと。あるのはただ、記録を盗み出した者と、引き金を引いた者と、その結果だけだ。
星守晶は、そのすべてを“見て”いた。
ヘラザードの聖域から、直接でも間接でもない、多層の観測の“譜面”越しに。超古代兵器の封印記録を抱えていたがゆえに、その式がどこで解凍され、どう書き換えられ、どの星の芯へ向かって流れていったのか——道筋ごと刻みつけられてしまった。
止める力はない。ただ、見届け、覚えることしかできない。
ひとつ、またひとつ。
光が消えるたび、星守晶の内側で、古い譜面が重ねられていく。
——“同じことを、二度と繰り返させないために”。
幾億の命に向けられた、終わりのないレクイエム。
誰の勝ちでもない、失われたものへの祈り。
紫の灯は涙のように脈打ち、聖域の壁はそのたびわずかに震えた。
*
——視界が閉じる。
レイトは息を吸った。胸の橙が熱く、痛い。
「……十年前の——」
喉の奥で言葉が砕けた。
「……超新星爆発テロ……!」
口に出した瞬間、重さが実体になって落ちてくる。星守晶が見せた“過去”の奥底で、誰かが封から盗み出した式と歌が連鎖し、最初のトリガーが引かれ、数式が星の芯へ染み込み、世界が白く弾ける——あの図式。発信地は、ここだ。〈大水晶の星〉ヘラザードの聖域だ。
隣で、ラミコが小さく息を呑む音がした。虹の心眼石がふるえ、彼女の膝が床に折れる。粉光がその肩に降った。
〈……わ、たし……わたしが……〉
言葉は針の先ほどに細い。
〈あの……“旅人”を……むらに、いれた。……しんじた。……だから、聖域の奥——星守晶の“封(ふう)”を……ぬすまれて……そのせいで……たくさんの、ほし….たくさんの、ひとたちを……〉
ラミコは額を床につけるように俯き、両手を胸に寄せて震えた。
〈ごめんなさい……ごめんなさい……わたし、ずっと……ずっと、いわせて。……あの時とめられたのに、こわくて、ことばが、とどかなかった。……わたしのせいで——〉
「……違う」
レイトは即座に言った。自分でも驚くほど、声ははっきりしていた。
「君のせいじゃない。悪いのは“旅人”で、盗み出した“テロリスト”だ。……君が信じたことまで、罪にはならない。絶対に」
彼は膝をつき、ラミコの肩に手を置く。橙の熱は痛かったが、その熱をそのまま掌に流して、震えへ重ねた。
「それに——知れた。源流も、手口も、盗まれたデータの種類も。『知らないまま』でいるより、何万倍もいい。ここで掴めてよかった。必ず辿る。必ず止める」
『……解析ログ、受信中……よし、全部もらった!』
ノイジーが素早く高度を落とし、三人に寄り添う位置でホバリングする。レンズの傷に反射した星守晶の紫が、端末群のインジケータに斑点のように宿った。
『星守晶から流入した記憶の“譜面”を、電子情報の層に写譜(トレース)する。構造化、タグ付け、ハッシュ——完了。いまマザーへアップリンク。——送信!』
短い沈黙。すぐに、ノイジーの側面に小さく「✓」が並ぶ。
『マザーが受領。解析ノード起動。……よし、マザー経由でアリナ少佐にも暗号パイプでブロードキャスト開始——転送! 伝達レイヤ、安定。レスポンス待機に移行……』
「待たなくていい」
レイトは立ち上がり、ラミコの腕を取ってそっと引き起こした。
「ここで止まってる時間は、きっと向こうじゃ何千倍にもなる。返信はあとで受け取れる。いまは、出よう」
ラミコの体重が一瞬だけ彼に預けられる。虹の心眼石の光が弱く脈を打つ。病み上がりの足取りはおぼつかないが、その眼差しはもう、前を向いている。
〈……うん。いける。……いこう〉
『了解! 退路誘導ルート、俺が出す! 低負荷の気流マッピング、段差四箇所、崩落危険域を青タグでマーキング!』
レイトはラミコの肩を支え、ノイジーは低空で外縁警戒。三人は聖域の縁へ向かって歩き出した。星守晶の歌は背を押すように柔らかく、出入口の水晶列はわずかに身を引いて道を開ける。
(……父さん、母さん……ボクは行く。源流を断つ。必ず)
ラミコが一度だけ振り返り、星守晶に小さく頭を下げた。紫の灯が、ほんの一拍、明るく応えた。
三人は白い回廊を抜ける。足裏で粉晶が鳴り、天井の糸水晶が風鈴のように和(やわ)らかく触れ合う。振り返れば、聖域は礼拝堂のように静かで、歌だけがあとを引いた。
出口の手前、ノイジーの通信板に小さなポップが灯る。
『マザーより短文返信:〈受領・全解析へ移行。アリナ少佐へも伝達完了。帰投後、共同作戦会議〉……おーい、レイト、目の前! 段差!』
「わかってる。——ラミコ、ここ、ゆっくり」
〈うん……ありがとう〉
光の回廊を抜ける。外の空気は冷たく、星の風が頬を撫でた。
*
……三人が去ったあと。
誰もいない聖域で、星守晶が淡く息をするように光った。紫の灯は深い底まで満ち、祈りの和音が一段、低く澄む。
横たわっていた“守神”が、ゆっくりと瞼を開けた。
白い光脈は濁りを失い、呼吸は穏やかに整っている。巨体は膝を折った姿勢のまま、星守晶の前に頭(こうべ)を垂れた。長い尾が床晶をそっと撫で、鈴のような音がひとつ鳴る。
守神は立ち上がり、天井の結晶列を仰いだ。遠い昔日に刻まれた紋(もん)が、紫の反射でかすかに蘇る。彼は静かに廻(めぐ)り、聖域の縁に散らばった粉光を集めるように一歩一歩を踏みしめ、最後に星守晶へ鼻先を寄せた。
紫が、やわらかく応える。
——守るべき“歌”は戻った。ここは、また“よりどころ”になる。
***
白い回廊を抜け、薄明の地上へ戻ると、谷は朝の色で澄んでいた。聖域の出入口から村へ連なる白砂の道を三人が歩くうちに、遠見台の鐘晶が鳴り、足音が波紋のように集落へ広がっていく。
白い砂晶の坂を下りていくと、谷の入口——村へ続く細い道の手前に、もう輪が出来ていた。
背の高い柱晶の身体、丸い礫のような小柄な身体、まだ心眼石が小さく明滅する子ども達。さまざまなかたちの水晶生命たちが道を埋め、レイトたちを待っていた。胸や額の心眼石が一斉にぱぁっと明るくなり、驚きと安堵の波が色になって弾ける。
〈ラミコ……!〉
〈かえってきた……かえってきた……!〉
エコーデバイスを付けている大人たちの声は、ぎこちないながらも言葉になってレイトの耳に届いた。付けていない者たち、特に子ども達の声は、言葉というよりも“歌”に近い。高く短いフレーズが、次々とラミコへ向けて重ねられる。
小さな水晶の子が、ラミコの腰あたりに駆け寄って、遠慮がちに足に触れた。
ラミコの虹の眼が柔らかく細まり、レイトの腕を借りながら膝を折って視線を合わせる。
〈ただいま〉
短い一言に、子どもの心眼石がぱちぱち瞬いた。意味はきっと全部は伝わらない。けれど、歌のような返事がいっせいに返ってくる。
〈らみこ、ひかってる〉
〈め、いろ、かわった〉
〈きれい、きれい……〉
別の大人の水晶が、レイトの肩をそっと叩いた。硬いはずなのに、まるで人の手のような、力を込めすぎない触れ方だった。
〈ヒトのこ……おまえも、ぶじ。……よかった〉
「はい。……ただいま戻りました」
レイトが軽く頭を下げると、周囲の心眼石がまた一段明るくなる。言葉はなくとも、“伝わった”という手応えが胸の橙を温めた。
村の中心へ続く道が自然と開く。両側に立った村人たちが、すれ違いざまにラミコとレイトの頭や肩、ノイジーの外殻にそっと触れた。祝福のさざ波が肌で感じられるようだった。
やがて、開けた広場に出る。
村人たちが「長老広場」と呼ぶ場所。中央には、台座と一体化した大きな水晶の存在が静かに鎮座していた。全身が樹の幹のように太く、その上部に嵌まった巨大な心眼石がゆっくりと脈打っている——長老だ。
長老の心眼石が、三人の姿を映して淡く光る。
それだけで、広場のざわめきが自然と静まっていった。
〈……よく、かえった〉
言葉は低く、谷全体の響きと一緒に広がった。エコーデバイスがラグを挟みつつ翻訳を乗せる。
『よくぞ……戻ってきてくれた』
レイトはラミコと視線を交わし、彼女が一歩、前に進むのをそっと支えた。
虹の心眼石が長老の光を受けて、七色にきらめく。
〈……長老。……はなします〉
ラミコの声はまだ少し掠れている。けれど、その一音一音が、広場の端まで届くように澄んでいた。
〈したの“みち”で、“赤い破壊者”の、歩くもの、飛ぶもの、——ぜんぶ、たおした。……“もりがみ”は、巣食うものに、あやつられてた。でも、レイトとノイジーといっしょに、三の“心臓”を、はがして……“もりがみ”を、もとの歌にもどした〉
村人たちの心眼石が、報告の節ごとに色を変える。驚き、不安、そして少しずつ安堵へ。
〈……でも、わたし……まもりきれなくて……いちど、“いのち”が、きえかけた〉
広場の空気が、そこで固くなった。
子ども達の小さな身体がぴくりと震え、近くの大人がそっと肩に手を置く。
ラミコは胸に両手を当てた。虹の心眼石が、歩んできた出来事をなぞるように淡く明滅する。
〈そのとき……レイトが、“星守晶”から……あたらしい石を、つれてきてくれた。わたしの砕けた“かけら”を、ぜんぶ、あつめてくれる石。……それで、わたしは、かえってこれた〉
虹色の瞳が、照れくさそうに笑う。
広場のあちこちで、息を呑む気配が連鎖した。エコーデバイスを持たない村人たちからは、一斉に高い短い歌声が上がる。驚きと喜びが混じった、色とりどりの小節。
〈にじのめ……〉
〈かえってきた……かえってきた……〉
〈“まもるこ”が、ふたりになった〉
長老の心眼石が、静かにラミコからレイトへ移った。
その光は、少しの間、少年の胸元——橙のメインコアに視線を留める。そこには、星守晶から授かった心眼石が溶け込むように宿っている。
〈……ハヤマ・レイト〉
レイトは前に出て、自然と背筋を伸ばした。
「はい」
〈この星を、まもってくれた。……“もりがみ”を、たすけてくれた。そして……わたしたちの仲間、ラミコのいのちを、もういちど——つないでくれた〉
長老の声は、言葉以上に“波”で伝わってくる。
胸の奥、橙の輪がそれに共鳴して、かすかに震えた。
〈……深く、感謝する〉
長老が、ゆっくりと頭を垂れた。
巨体が台座ごとしなるように傾ぎ、その額の心眼石がレイトたちへ向かって低く位置を変える。
その動きに合わせて——広場中の村人たちも、一斉にかがんだ。
背の高い者は膝を折り、子ども達はぺたりと座り込んで、頭を下げる。
緑や青や透明の心眼石が、ラミコとレイト、ノイジーを囲む輪の内側で、きらきらと光の花を咲かせた。
〈〈〈……ありが、とう……〉〉〉
言葉にならない“ありがとう”が、歌のように重なる。
やがて長老が、ゆっくりと喉を鳴らした。
低く、深い音——いや、“歌”の始まりだった。
言語でも旋律でもあり、祈りでもある、古いフレーズ。
広場の白い床晶が、その振動に合わせて淡く発光する。
長老の歌に、村人たちがひとり、またひとりと声を重ねていった。高い声、低い声、少し外れた声。そのどれもが、やがて一つの和音に溶ける。
広場全体が、ゆっくりと光り始めた。
心眼石からこぼれた光粒が宙を漂い、淡い霧のようになって三人を包む。
レイトはそっと瞼を閉じた。胸のメインコアと融合した心眼石が熱を帯び、星守晶の記憶を透かしたときとはまるで違う、穏やかな波が骨の内側を撫でていく。
(……あたたかい)
痛みや怒りも、決意も、そのままそこにある。
けれど、それらが“尖った刃”ではなく、“芯”として胸に収まっていくような感覚だった。濁りが、少しずつ澄んでいく。
この星の人々が、ラミコが、守神が、星守晶が——それぞれの“歌”で、自分を包んでくれている。
隣で、ラミコも小さく口ずさんでいた。
虹の心眼石から、小さな緑の旋律が漏れる。それが広場の大きな歌と重なり、微かな和音の揺らぎになって、レイトの耳にも届く。
〈〜……らら……〜〉
ノイジーも、なぜか歌に合わせて上下にふわふわと揺れた。
外殻のあちこちに入った傷が光を反射して、まるでリズムに合わせて瞬く照明のようだ。
『……なんだこれ、ログに変換できねぇ種類のデータなんだけど……悪くねぇな』
歌が、ゆっくりと終わりに向かっていく。
最後の一節が長老の喉から放たれ、余韻が白い岩壁に吸い込まれるように消えると、広場は静寂に包まれた。
光も少し収まり、床晶にはまだ柔らかな輝きが残っている。
レイトは、ゆっくりと瞼を開けた。
「……ありがとうございました」
心からの言葉が、自然と口から零れた。
「この星に来られて、あなたたちと出会えて——ボクの方こそ、感謝しています」
言ってから、レイトは自分の胸に手を当てた。ネオンスーツの装甲越しに、メインコアとひとつになった心眼石のぬくもりが、ゆっくりと脈を打っている。
「……それから」
少し迷って、けれど隠すものでもないと決めて、続けた。
「ボクはここで、“あたらしい目”をもらいました。“揺りかご”で見つけた、暖かい石です。これのおかげで——星守晶の戦いで、ボクははじめて、“目で見ない”戦い方ができた」
村人たちの心眼石が、一斉にちいさく瞬いた。レイトは両手を広げて見せる。
「守神の身体を斬らずに、寄生していた“濁った核”だけを斬れたのも……この石が、“どこが痛んでいるか”教えてくれたからです。乱暴に力を振り回すんじゃなくて、ちゃんと“心の眼”で選んで、そこだけを断つ。——ボクにとっても、まったく新しい戦い方でした」
そう言うと、彼は少しだけ照れくさそうに笑い、長老に向き直った。
「……もしよかったら、一瞬だけ……」
右腕を、ゆっくりと前へ差し出す。胸の橙がひとつ鼓動を刻み、腕のサブコアがそれに応じて明滅した。
——キィン、と、耳ではなく胸の奥で鳴るような細い共鳴音。
レイトの手首から先に、青紫の光がすっと走った。次の瞬間、右腕の外側に一枚の刃が“現れる”。金属ではなく、透明な結晶と光のあいだにあるような質感。青から紫へ、紫から青へ——スペースエネルギーの流れがグラデーションになって揺れ続け、刃文は水面のさざ波のように細かい音を立てていた。
それは、ワーム亜種とバトルドローン、そして守神と渡り合った“双刃”の、片側だけを展開したかたちだった。けれど広場の空気の中で見るそれは、さっきの戦闘の時よりもずっと静かで、どこか“祈り”に近い光を放っている。
村人たちが、一斉に息を呑んだ。胸や額の心眼石がぱっと明るくなり、いくつかの子どもは思わずレイトの周りをくるりと回って、その刃をいろんな角度から覗き込んでいる。
〈……ひかりの、つるぎ〉
〈うたってる……〉
ささやきのような歌声が、あちこちから漏れた。
長老はしばらく何も言わず、ただじっとレイトの右腕を見つめていた。巨大な心眼石に青紫の光が映り込み、その奥でなにかを測るようにゆっくりと波が動いている。
やがて、その光がふわりと強くなった。
〈……それは〉
長老の低い声が、広場全体に降りる。
〈我らの谷の外れに、天(そら)をさす“霊刃晶”がある。……高く、高く、雲のさらに上までのびて、星をつらぬくような白い峰。——いま、おまえの右の腕にひらいた、その刃は……あの“山”に、よく似ている〉
レイトは思わず、自分の刃を見下ろした。尖りきった暴力の形ではなく、遥かな空へ向かってただまっすぐ伸びる、一本の光の峰——たしかに、そんなふうにも見える。
長老は続けた。
〈むかし、星守晶に仕える古い民は、心眼石から生まれた“形あるうた”を、つるぎ、とよんだ。……心の力が“かたち”になったもの。いま、おまえがふるうその刃も、ただの武器ではない。……怒りや、痛みだけでなく、“まもりたい”と願う心がつくった剣だ〉
長老の心眼石が、ゆっくりと明滅する。
〈……その名を、ここで授けよう。心の眼から生まれ、心の眼でつかう剣——“心眼剣”と〉
広場に、ざわめきが広がった。
〈しんがん……けん〉
〈こころの、つるぎ〉
〈白い旅人の、しんがんけん……〉
子ども達が、覚えたての言葉を大事そうに転がす。音のひとつひとつに、羨望と少しの憧れと、まだ正体のわからない敬意が混じっていた。
ラミコは、レイトのすぐ横でその刃を見上げていた。虹の心眼石に、青と紫のグラデーションが綺麗に映り込んでいる。
〈……きれい〉
思わず漏れた声は、とても小さかったけれど、はっきりとレイトの耳に届いた。ラミコの虹の瞳の中で、心眼剣が二本、三本と重なって揺れる。
レイトは少しだけ赤くなって、苦笑した。
「……そんな立派な名前をつけてもらえるほど、ボク自身が立派かどうかはわからないけど」
それでも、と言って右腕を軽く振る。
「この名前は、ちゃんと胸に刻んでおきます。——“心眼剣”。ボクの“心”を、まっすぐに保つための剣として」
言葉と同時に、胸の橙がひとつ強く脈を打つ。刃の根元まで、そのリズムが伝わった。
レイトは、ゆっくりと心の中で“音量”を絞るように意識を沈めた。刃を形作っていた青紫のグラデーションがほぐれはじめ、峰の輪郭が霞んでいく。光の粒が刃の縁から零れ、空気に溶けるように消えていった。
最後に残った細い輪郭線が、静かに霧散する。
その瞬間——広場のあちこちから、小さな拍手に似た水晶の触れ合う音が起きた。水晶同士が指先で“コツン”と触れ合う、祝福のリズム。心眼剣が消えても、その名前と“うた”だけは、しっかりとこの場所に刻まれていた。
長老の心眼石が、優しく明滅した。
〈……ハヤマ・レイト。……これから、きびしい“みち”を、あるくのであろう。……だが、きょうの歌は、いつでもここにある。おまえの胸の石から、いつでも、きこえる〉
言葉が終わると、長老はわずかに声色を変えた。
次の瞬間——レイトの耳ではなく、胸の奥で、別の響きが鳴る。
〈……このさきの“記憶”——星守晶から見聞きしたもの。超古代兵器のこと。……それらは、この村の者たちの上には、おろさなくてよい〉
テレパシーのような声は、レイトにだけ届いていた。
周囲の村人たちは静かに佇んでいるが、その内容を知らないのは、波の質でわかった。
〈わたしたちは、“いま”を生きるので、せいいっぱい。……むかしの“戦(いくさ)”のかげまで、背負わせるひつようは、ない。……おまえと、星守晶と、そして……そらの“仲間”たちが、覚えていてくれれば、それでよい〉
レイトは、長老の心眼石をまっすぐ見た。
言葉にせず、小さく頷き、深く頭を下げる。
(……任せてください。ボクが——ボクたちが、覚えて、止めます)
長老の光が、わずかに明るくなる。
そして今度は、広場全体に届く声で、話題を切り替えた。
〈……さあ〉
長老の歌うような声が、空気を揺らす。
〈星は、災いから、すくわれた。……“守神”も、めをさました。……きょうは——祝おう〉
ほんの一拍の静寂のあと、広場が一気に沸いた。
〈うたう!〉
〈ひかりをともそう!〉
〈白砂の“宴(うたげ)”だ!〉
子ども達が跳ね、背の高い水晶たちが周囲の柱晶に腕を伸ばして、光る実のような結晶灯をもいでいく。白い広場の上に、柔らかな照明がいくつもぶら下がり始めた。
誰かがリズムを刻み、別の誰かが器のような水晶に甘い泉水を注ぐ。
ラミコの隣でノイジーが嬉しそうに浮き沈みし、レイトはふっと息を吐いた。
胸の橙は、まだ熱い。けれど、その熱はもう、焦げつくような怒りではない。
星の祝福の歌と混じり合い、静かに、前へ進むための灯になっていた。
***
宴がひと段落するころには、三つの太陽もすっかり地平の向こうへ沈み、谷の上空には紫とオレンジと翠が溶け合った夜の色が広がっていた。白い岩壁がその色を淡く映し返し、〈大水晶の星〉ヘラザードの夜空は、巨大なオーロラがゆっくり呼吸しているみたいに揺らめいている。
長老広場のざわめきは和らいでいたが、賑やかだった“戦場”の名残はそこかしこに残っていた。地下の大海から採れるという岩ガニや岩エビの殻——鉱石みたいに硬く透き通った殻が山になり、白い床晶の上をきらきらと埋めている。
広場の端では、ノイジーが白い床晶の上にぽすんと転がっていた。さっきまで「水晶族ってのはどこまで変わってやがるんだ」と感心半分、悪態半分でしゃべり続け、味も匂いも分からないくせに縁起物だからと岩ガニに“かぶりつく”真似までしていたドローンだ。〈石麦〉から作ったストーンビールだけは本当に燃料として取り込み、「燃焼効率がうなぎのぼりだぜ」と得意げに演算結果を見せびらかしていたのに、その本人(本機?)は今や酒壺のラベルを外殻にぺたりと貼り付けたまま、全身スリープモード。胸のインジケータだけが規則正しく点滅し、「もう起きる気はない」と無言で主張していた。
その周りには、ストーンビールを飲みすぎた水晶の大人たちが、ごろごろと寝転んでいる。心眼石の光は柔らかく曇り、ときどきラミコの昔のいたずらをもう怒っていないことや、明日の沢の水が甘いといいという、小さな願いごとみたいな寝言をこぼしては、また静かな呼吸に戻っていく。
広場の中央では、白い床晶の上に組まれた篝火がぱちぱちと音を立てていた。といっても実際は低温の光粒を吹き上げる燃焼晶で、熱はほとんどない。それでも揺らめきはちゃんと“火”のぬくもりを連想させ、周囲の水晶の身体や心眼石を内側から照らしている。
レイトは、その篝火から少し離れた広場の隅に腰を下ろしていた。
ネオンスーツのヘルメットは、スーツの機能で収納して消してある。白いスーツの襟ぐりからは、十五歳の少年らしい素顔と、寝不足気味の目元がのぞいていた。少し足を開いた三角座りの姿勢で、両腕を膝に乗せ、肩の力を抜いて夜空を見上げている。
(……きれいだな)
胸の橙の輪は、先ほどまでの戦いと儀式の名残で、まだほんのりと熱を帯びている。それでもその熱は、怒りや絶望の焼け跡ではなく、心のどこかをそっと照らす灯のように落ち着いていた。
そのとき、レイトは腕の手の甲にそっと触れた。
サブコアが微かに震え、通信インターフェースが外部からの暗号通信を受信した合図だ。
『……こちらアリナ。レイト、聞こえる?』
レイトは夜風を吸い込み、胸の前で一度だけ両手を軽く握ってから開いた
「こちらレイト。うん、聞こえるよ」
返ってきた声は、聞き慣れた低く澄んだものだった。いつもの冷静さの奥に、かすかに疲れと安堵の混ざったニュアンスが乗っている。
『そう。星の奥から、とんでもないものを送ってきてくれたヒーローさんに、早めにお礼を言っておこうと思ってね』
「とんでもないもの……」
レイトは思わず、胸のあたり——メインコアと一体化した心眼石に軽く触れた。星守晶から流れ込んだ“記憶”。超古代兵器の設計式。星が消える光景。
『マザー経由で、ノイジーが〈ヘラザード・クリスタル〉から抽出してくれたデータ一式を受け取ったわ。解析班が初期スキャンを完了して、宇宙連合軍のデータベースとの照合を開始した——その第一報が、たった今届いたところよ』
アリナは一度だけ息を吐き、言葉を選ぶように少し間を置いた。
『初期解析の段階だけれど——やはり、10年前に使用された"星系破壊兵器"の原型になった可能性が極めて高い。超古代兵器の設計図の基礎部分が、観測されたダークノヴァの兵器と複数の特徴で一致している』
レイトの喉が、ごくりと鳴る。
三つの太陽の残光が消えた空に、自分の鼓動だけが大きく聞こえる。
「……やっぱり」
短く、呟くように言った。
「ボクたちの見たものは、ただの“悪夢”じゃなかった」
『ええ。悪夢であってほしかったけれど、残念ながら現実よ』
アリナの声には、いつもの冷静な硬さの奥に、怒りの線が一本通っていた。
『でも、これで星系破壊兵器の“源流”にアクセスできた。今後の追跡にとって、決定的な手掛かりになる。ヘラザードで得られた情報はすべて、すでに安全保障会議と共同調査チームに回したわ。引き続き、こちらでも調査を続ける。——正直に言うと、またあなたに〈調査依頼〉を出すことになると思う』
レイトは夜空から視線を落とし、篝火の光に照らされた自分の手を見つめた。
「……構わない。ボクも、知りたいから」
『真実を?』
「うん。あの全てを呑み込む光が、どこから来て、誰が、どうやって手に入れたのか。……知るのが怖いけど、知らないままのほうが、もっと怖い」
言いながら、自分でも少し驚くくらい、声は落ち着いていた。
その少年の声に、アリナはふと、モニターに表示された声紋の揺らぎへ視線を留めていた。任務報告では決して現れない、ごく細い震え。10年前――星系破壊事件の記録映像を初めて再生した夜、自分の声にも差していた影と同じ質の揺らぎが、そこにあった。
レイトとあの事件を結ぶ一本の線が、頭の中に細く描かれかける。単なる正義感では説明できない何か。声の選び方や、沈黙の置き方の奥に、私的な傷跡の気配がひそんでいる気がして――軍人としての理性が、すぐそれを時期尚早の仮説として脇へ押しやった。
だが、その違和感だけは、胸の底に小さな刺のように残り続けた。
『……そうね』
アリナは静かに同意した。
『怖いわよ。真実っていうのは、大抵ろくでもない。でも——見なきゃいけないときがある。あなたに全部を背負わせるつもりはないけれど、あなたが“見たい”と思うなら、私はその背中を支える側に立つわ』
「……ありがとう、少佐」
ほんの少しだけ、胸の橙が軽くなる。
『とりあえず今日は、休みなさい。ヘラザードでの戦闘と、聖域での精神干渉。どちらも身体と心に負荷がかかっているはずよ。詳細なブリーフィングと追加の依頼は、帰投後に。マザー経由で予定を送るわ』
「了解。……こっちは、三つの太陽が全部沈んで、いい夜風だよ」
レイトがそう答えると、通信の向こうで、アリナがふっと微笑んだ気配がした。
『そう。……少しくらい、“普通の星の夜”を味わっておきなさい。——おやすみ、レイト』
「おやすみなさい、アリナ少佐」
通信が切れると、夜空の音が戻ってきた。
遠くで、谷を渡る風が小さく鳴る。篝火の光粒が、静かに跳ねる。
「…………」
レイトはしばらく、ぼんやりとその光を見つめていた。胸の中でなにかがゆっくりとかき混ぜられ、混ざり合って、少しずつ形を変えていく感覚がある。
ふと、隣の床晶がかすかに鳴った。
軽い足音。座るときの、ちいさな音。
〈……となり、いい?〉
虹色の瞳。ラミコが、両手で抱えた透明な器を胸にかかえ、レイトの隣にちょこんと腰を下ろした。器の中では、村の外れの泉からすくってきたという水晶水が、星空を映してきらきら揺れている。
「もちろん。……宴、楽しかった?」
レイトが尋ねると、ラミコはこくりと頷いた。虹の心眼石が、篝火の光を受けて柔らかく光る。
〈うん。……すごく、たのしかった〉
ラミコは器を両手で抱えたまま、広場のほうを振り返る。
酔って転がる大人たち。ストーンビールの樽のそばで、まだ元気に駆け回る子どもたち。その後を、さっきまでスリープモードに入る前のノイジーが、わけの分からない踊りで追いかけ回していた光景が、まだ目に残っているらしい。
〈……ノイジー、たいへんだった〉
「だろうね」
レイトは思わず吹き出した。
〈ちいさい子たち、みんな、ノイジーのうえにのぼって、“そら、とんでー!”って。ノイジー、よっぱらってるのに、“おう! すぺしゃる? ゆーらんひこー? つあーだぜー!”って、ふらふら……。……長老に、あとでおこられる〉
「でも、みんな笑ってたよ」
レイトは、子どもたちの弾んだ声を思い出す。はしゃぐ歌声。きゃあきゃあという音の束。
「君も、楽しそうだった」
〈……うん。……あんなに、みんな、たのしそうなの……ひさしぶり、見た。……“赤い破壊者”、きてから、ずっと、村には“おそれ”の歌が多かったから〉
ラミコは器の水晶水をひとくち、口元に運ぶ。味は、たぶんほとんど分からない。でも、彼女は満足そうに目を細めた。
〈……それに〉
ラミコは器を抱えたまま、ふっと思い出したようにレイトの肩を小さくつついた。
〈レイト、ちいさい子たちに……“そらのはなし”、いっぱい聞かれてた〉
「えっ、見てたの?」
〈うん。ずっと〉
虹色の瞳が、いたずらじゃなく、どこか誇らしげに揺れる。
〈“ベースシップって、なにいろ?”とか、“そら、とおくにいくと、さむい?”とか、“ほしは、ぜんぶ、うたうの?”とか……みんな、レイトのまわりに、ぎゅうってあつまって……〉
「……ああ。たしかに、すごかった」
レイトは苦笑しつつも、胸のあたりをそっと押さえた。
「“宇宙ターミナルは迷子にならないの?”とか、“星のあいだは落ちないの?”とか、“宇宙の夜は暗い?”とか……質問が止まらなかったよ。ボクも、あんなに一度に聞かれたのは初めてだ」
そのときの光景が、二人のあいだに静かによみがえる。
小さな水晶の子どもたちが、背丈ほどの心眼石をきらきら光らせながら、レイトの足元にわーっと群がって、目を輝かせていたこと。
レイトはひとつ答えるたびに、また別の質問の手が伸びてきて、まるで星空の下で囲まれた即席の授業のようだったこと。
〈……レイト、こまってた〉
「うん。正直、かなり。でも……」
レイトは空を見上げ、ほんの少しだけ笑った。
「——うれしかったよ。誰かが“宇宙を知りたい”って思ってくれるのって、なんだか……ね」
〈……うん〉
ラミコも、器を抱えたまま静かに頷いた。
その虹の瞳には、宇宙の話を聞いた子どもたちと同じ、柔らかな憧れの色が灯っていた。
夜空が、ゆっくりと揺らめいている。
紫とオレンジと翠が溶けたグラデーションの中を、一筋の光がすっと横切った。
「あ」
レイトが思わず指さすより早く、ラミコの虹の瞳がその光を捉えていた。七色の層の奥で、きれいな緑がきらりと揺れる。
〈……ながれぼし〉
光は、谷の縁から少し離れた空を、ためらうことなく斜めに走っていった。星の欠片が夜を裂き、短い尾を残して消える。
ラミコは、それを見上げたまま、小さく息を吸う。
〈……ね、レイト〉
「うん?」
〈わたし……いつか、“そら”に、いってみたい〉
ラミコは、虹の心眼石に手を当てながら、ゆっくりと続けた。
〈きょう、たたかって……“もりがみ”の歌、きいて……星守晶の“記憶”も、すこし、わたしのなかに入ってきて……。……もっと、しりたくなった。……この星の、ヘラザードの、外にある、星たち、“まだ見たことのない景色”。……あなたと、いっしょに、見てみたい〉
レイトは、黙って聞いていた。
篝火の光が、ラミコの横顔を照らしている。砕けかけた身体が繋ぎ直され、虹の眼が新しい世界を映そうとしている、その姿を。
〈……わたし、“そと”がこわい。村と、谷と、星のことしか、知らなかった。……でも、あなたとノイジーといっしょに歩いた道、こわかったけど……たのしかった。……だから、もっと、しりたい〉
「……うん」
レイトは、頷いた。
けれど同時に、ラミコの虹の眼の奥に、別の色が浮かんでいるのも見える。
〈でもね〉
ラミコは、そっと視線を落とした。
〈やっぱり、わたしは、この村が、好き。……この谷が、好き。この星が、好き。……“赤い破壊者”がきても、こわいことがあっても……それでも、ここでうまれて、ここで歌をきいて、みんなとくらしてきたこと、ぜんぶ、すき〉
彼女は、指で広場のほうを指し示した。酔って転がる大人たち、子ども達の笑い声、遠くでまだかすかに続いている祝歌。
〈だから……いつか、もし、“そら”にいくときがきても……わたし、きっと、ここに、かえりたくなる〉
そこで、ラミコは横を向いた。虹の瞳が、まっすぐにレイトを見つめる。
〈……レイト。また、この星に、きてくれる?〉
問いかけは、とても小さな声だった。
けれど、その一言に、ラミコの全部が詰まっているのが分かる。
レイトは、ほとんど迷わずに答えていた。
「もちろん。……約束するよ」
夜空の揺らめきと篝火の光の両方を受けながら、彼ははっきりと言葉にした。
「君がここにいる限り。……ボクは何度でも、この星に来る」
ラミコの虹の心眼石が、ぱっと眩しく輝いた。
胸の中心から広がる光が、七色の層を通って外へ滲み出てくる。その光は、喜びと、少しの寂しさの、両方を含んだ色だった。
〈……ありがとう〉
ラミコは、胸のところで両手をぎゅっと握りしめたあと、なにかを思い出したように「あ」と小さく声を上げた。
〈レイト。……わたし、わすれてた〉
そう言うと、彼女はそっと立ち上がった。広場の端に置かれていた、小さな白い箱を取りに行く。箱も水晶でできていて、内側からほのかに緑の光が漏れていた。
戻ってくると、ラミコはレイトの前で箱を大事そうに開けた。
中には——小さなネックレスが入っていた。
細い透明な線でつながれた、米粒ほどの緑の欠片がいくつも連なって、胸元でひとつの小さな宝石のように形を作っている。
「これ……」
〈“前のわたし”〉
ラミコは、静かに言った。
〈“もりがみ”とのたたかいで、くだけた、わたしの緑の心眼石。その“かけら”を、あつめて……村の“石細工(いしざいく)”が、つないでくれた。……これは、もう、“昔のわたし”だから。……“今のわたし”は、ここ〉
彼女は、胸の虹の心眼石にそっと指を当てた。七色の層の奥で、柔らかな緑が灯る。
〈だから、この、くびかざり……レイトに、もらってほしい〉
「ボクに……?」
思わず聞き返すと、ラミコはこくりと頷いた。
〈レイトの“心”が、わたしを、もどしてくれた。……いつか、あなたが、とてもとおい星で、ひとりになって、こわくなったとき……それを見て、“ここに帰れる場所がある”って、思い出してほしい。……いつでも、わたしと、レイト……つながってるから〉
箱を持つ手が、少しだけ震えていた。
レイトは、そっと笑った。
「……そんなの、忘れようがないよ」
そう言いながら、彼は箱からネックレスを取り出した。緑の欠片たちは、光を受けるたびにほんの少しずつ色を変え、まるで小さな星の群れが鎖の上に並んでいるみたいだった。
「でも、もらう。——ありがとう」
レイトは素直に頭を下げ、その場でネックレスを首にかけた。
細い線がネオンスーツの襟元に沿い、緑の宝石のような心眼石の束が、ちょうど胸のメインコアの上に乗る位置で落ち着く。
その瞬間——。
「……あったかい」
思わず、言葉が漏れた。
ネオンスーツの胸の奥で橙の輪が静かに脈打ち、その上から重なった緑の光が、やわらかく共鳴する。心臓の鼓動とメインコアのリズム、その両方に、ヘラザードの歌がすっと溶け込んでくるような感覚。
「本当に……ありがとう。大切にするよ。……これが、この首飾りが……君と僕との、繋がりだ」
ラミコは、レイトの横顔を見つめた。
虹の瞳に映るレイトは、どこか遠くを見ているようで、でも、ちゃんとここにいる。
〈……うん〉
ラミコの返事は、少しだけ寂しそうで、でもそれ以上に、嬉しそうでもあった。
どれくらい、そうして座っていただろう。
篝火の光は少しずつ弱まり、広場に転がる大人たちの寝息は、ますます揃って深くなっていく。子ども達のほとんども、もう親のそばで丸くなって眠っていた。
レイトは、やがて静かに立ち上がった。
「……そろそろ、行くよ」
ラミコが顔を上げる。
〈いま、いくの?〉
「うん。酔っぱらいのみんなが起きて大騒ぎになる前に、ね。……それに、あんまり盛大に見送られるのは、好きじゃないんだ」
苦笑しながら、レイトは広場の真ん中に転がっているノイジーのところへ歩いていった。地面にぺたんと貼り付いて寝ているノイジーの外殻を、軽く足で小突く。
「ノイジー、起きろ。帰るぞ」
『……むり……あと、よんじゅっぷん……』
もごもごとした声が返ってくる。レイトは肩をすくめ、容赦なく片腕でノイジーの本体を抱え上げた。スリープモードのせいで、機体はおとなしくぶら下がっている。
「強制回収。文句は、ベースシップで聞くから」
広場の端に戻ると、ラミコがそこに立っていた。
村の入口へ続く白い道の手前で、彼女は両手を胸の前で組み、レイトを見つめている。虹の心眼石が、篝火に代わる夜の星明かりを受けて、かすかに揺れた。
レイトは、軽く手を振った。
「また来るよ、ラミコ」
〈うん〉
ラミコも、笑顔で手を振り返す。
〈まってる。……また、いっしょに、うたを、きいて〉
「——うん。約束だ」
短く言って、レイトは踵を返した。
白砂の道を蹴ると、ネオンスーツのホバー機能が起動する。足裏のサブコアが淡く光り、彼は宙にふわりと浮かび上がった。
片腕にノイジーを抱え、もう片方の手で軽くバランスを取りながら、レイトは谷の縁へ向かって加速する。白い岩肌が後ろへ流れ、村の灯りがゆっくりと小さくなっていく。
その背中を——ラミコは、いつまでも見送っていた。
谷の風が、虹の心眼石を撫でる。
やがて、夜空の高みに、一閃の光が走った。マザーが操るベースシップのエンジン光が、大気をかすめて昇っていく。
〈……いってらっしゃい。レイト〉
ラミコは、小さな声で呟き、両手を大きく振った。
光はだんだんと星から離れていき、やがてひとつの瞬く点になって、夜空のどこかへ溶けていった。
同じ頃——。
大水晶の星のはるかな頂から、白い巨体が姿を現した。
谷を見下ろす巨大な水晶の峰の上。さきほどまで聖域で眠っていた“守神”が、四肢で岩をしっかりと踏みしめ、星空を仰ぐ。
その喉奥に、光が集まる。
守神は、ゆっくりと口を開いた。
〈——グォオオオオオォォオオオ!!!!!〉
大咆哮。
恐怖の波ではなく、感謝と見送りの歌。
その声は谷じゅうに響き渡り、白い岩壁を伝って、空へと昇っていく。
遠ざかるベースシップの航跡に、守神の歌が追いつくことはない。
それでも——その響きは、きっと届いている。
大水晶の星ヘラザードの夜空に、ひとつの光が尾を引いて消えた。
残された谷には、まだ祝宴の名残りと、星の歌と、そして新しく結ばれた約束の気配が、静かに漂い続けていた。