国道16号 ―灯りの残る場所―
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
海の上の風とは違い陸の空気は少し重く乾いている。
サヤが袖の匂いをかぐ。
「……潮くさい」
シオナも苦笑する。
「昨日、海風ずっと浴びてたからね」
髪も、服も、
どこかべたつくような感触が残っていた。
90式は国道16号へ入る。
広い道路。
片側複数車線。
かつてはトラックと乗用車で埋まっていたはずの道を、
今は一両の戦車だけが進んでいく。
しばらく走った頃。
サヤが前方を指さした。
「……あれ」
道路脇に大きな看板が立っている。
色あせているが文字は読めた。
「ゆ」
その下に温泉マーク。
シオナが速度を落とす。
「……風呂だ」
サヤの顔がぱっと明るくなる。
「入れるかな」
「見てみよう」
姉ヶ崎から袖ケ浦にかけての火力発電所群は、
終末後もしばらく自動制御で稼働を続けていた。
人が消えたことで需要は激減し千葉港から内房北部にかけての送電系統だけが、
妙に安定したまま残った。
そのおかげで国道16号沿いのいくつかの施設では照明も給湯もまだ生きていた。
建物の入口に近づいたとき、
サヤが小さく声を上げた。
「……灯り」
自動ドアの上。
ぼんやりと、白い蛍光灯が点いている。
完全な廃墟ではない。
シオナも立ち止まる。
「電気……来てる」
静かな違和感だった。
東京ではもう見なかった光だ。
二人は顔を見合わせて、
そのまま中へ入った。
館内は半分だけ生きていた。
受付の照明は点いているが奥の通路は暗い。
自販機は沈黙しているが壁の時計が動いている。
サヤがぽつりと呟く。
「……ここだけ、まだ終わってないみたい」
シオナはゆっくり頷いた。
浴場の扉を開けた瞬間、わずかに湿った空気が流れてきた。
湯気。
サヤが目を見開く。
「……うそ」
浴槽に湯が張られていた。
完全に新しいものではない。
だが冷えきってもいない。
シオナが手を入れる。
「……ぬるい。でも」
サヤが言葉を引き取る。
「入れる」
しばらくして。
二人は無言で体を洗っていた。
シャワーは弱いが出る。
石鹸も、まだ残っていた。
水が流れる音だけが浴場に響く。
サヤが小さく息を吐く。
「……なんか」
シオナは手を止めずに聞く。
「うん」
「やっと、人間に戻った感じする」
シオナは少しだけ笑った。
「わかる」
湯船に入る。
ぬるいが体にしみる。
肩まで沈むと、それだけで全身の力が抜けていく。
しばらく誰も何も言わなかった。
外の世界とは切り離されたような静けさ。
サヤがぽつりと。
「……これ、ずっと入ってたい」
「ダメ」
シオナが即答する。
「のぼせる」
「だよね」
二人は少しだけ笑った。
脱衣所の奥。
コインランドリーの一角だけが、
かろうじて動いていた。
シオナがコイン投入口を叩く。
「……使える」
「電気あるしね」
持っていた衣類を放り込む。
回転がゆっくり始まる。
ゴウン……ゴウン……
その音は戦車とはまったく違う、
穏やかな機械の音だった。
サヤがそれを見つめる。
「こういう音、久しぶり」
「うん」
シオナも同じように感じていた。
コインランドリーを回して風呂を出たあと。
二人は館内を少しだけ歩いた。
奥の方に薄暗い一角がある。
リクライニングチェア。
畳の小上がり。
毛布の入った棚。
サヤが立ち止まる。
「……ここ」
シオナも周囲を見回す。
「休憩スペースだね」
壁には色あせた案内が残っていた。
「24時間営業」
その文字だけが、この場所が普通だった時間を伝えている。
小上がりの隅に畳まれた布団がいくつも残っていた。
サヤが一枚を広げる。
「使っていいよね」
「怒る人いないし」
シオナも布団を一枚取り出す。
埃は少しあるが破れてはいない。
軽く払って床に敷く。
それだけで、どこか生活の形が戻ってくる。
サヤが先に寝転がる。
「……やばい」
「なに」
「ちゃんとした床で寝るの、久しぶりすぎる」
シオナも隣に横になる。
柔らかい。
戦車の装甲とはまったく違う感触。
天井の蛍光灯は半分だけ点いている。
どこかで換気扇が回っている音。
ゴゥ……と小さく。
サヤが目を閉じる。
「……ここ、安心する」
「うん」
シオナも短く答える。
外では風が看板を鳴らしている。
だがここは
壁があり
屋根があり
布団がある
それだけで十分だった。
会話はそれ以上続かなかった。
サヤの呼吸が、ゆっくりと落ち着いていく。
シオナはしばらく天井を見ていた。
電気が点いている。
水も出る。
風呂もあった。
まるで世界が終わっていないみたいだ。
けれど外に出れば何もない。
その境目にいるような場所だった。
シオナもやがて目を閉じる。
その夜、二人は久しぶりに
「誰かのために作られた場所」で眠った。
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