配信39回目 間取りにない部屋【後編】――叶わなかった場所の、終わらせ方
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あらすじ
影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます - 配信39回目 間取りにない部屋【後編】――叶わなかった場所の、終わらせ方
本文
向こう側の部屋に、止まったままの荷物があった。
誰かが、ここへ来るはずだった。
来られなかった理由は、聞かなくても分かった。
*****
すりガラスの向こうに、光がある。 電球の黄色い光じゃない。
もっと白くて、冷たい光。
私は扉のノブに手をかけた。ぬいが肩の上で、低く言う。
「ゆら。無理に開けなくていいぞ」
「でも、中を確認しないと核の場所が分からない」
「……そうじゃが」
「入る」
ノブを回した。
錆さびた金属の感触が、霊体の手にもちゃんと伝わった。
扉が、内側へ向かって静かに開く。
―――
部屋の中は、思ったより広かった。
間取りは六畳くらいで、壁は白い。
床は木目のフローリングで、窓が一つ、外に向いている。
でも外の景色は、夜でも昼でもなく、ただ白い。
光だけがある。
部屋にはテーブルが中央にあった。 椅子が二脚、向かい合って。
さっきすりガラス越しに見えたのと、まったく同じ配置だ。
コップが二つ、片方には水が入っている。
もう片方は空だ。
水の入った方のコップに、埃ほこりは積もっていない。
まるで、今しがた誰かが注いだみたいに。
「……誰かが、ここで誰かを待ってる」
ぬいが静かに言った。
「待ってるんじゃなくて、待っておった、じゃろう」
「過去形?」
「この残留は、今起きていることじゃない。終わったことが、ここに残っておる」
私は部屋の隅を見た。 段ボール箱が積まれている。
三つ、四つ。
油性ペンで「キッチン」「リビング」「本・雑誌」と書かれている。
全部、封が開いていない。荷解きにほどきされないまま、ここに置かれている。
「引っ越しの途中で止まった、って」
私は呟くつぶやく。
「これ、ここに荷物を運んできた――、でも荷解きできなかった、ってこと?」
「そうじゃろうな」
「なんでだろう」
「……それは」
ぬいが答えを濁にごした。
その時、部屋の奥から音がした。かすかな音だ。
椅子が引かれるような、床を擦るような、小さな音。
私は振り向いた。
テーブルの前の椅子に、誰かが座っていた。
女の人だ。
三十代くらい。
黒っぽい服を着て、テーブルの上の空のコップを見ている。
うつむいているため、顔は見えない。
「……」
声をかけるな、と朔夜に言われた。
でも、この人が核コアなのかも、まだ分からない。
私はぬいに耳打ちする。
「あの人、怪異?」
「……違う」
ぬいの声が、いつもより低かった。
「残留じゃ。ここに来るはずだった人間の、残留思念」
「来るはずだった、って」
「引越しの当日に、来られなくなった。それだけが、ここに残っておる」
来られなくなった。
その理由まで、聞かなかった。
聞かなくても、なんとなく分かった気がした。
テーブルの上の、二つのコップ。
片方は中身が入っていて、片方は空だ。
来るはずだったのは、一人じゃなかった。
―――
耳のすぐそばで、音がした。 紙の音だ。
薄くて、静かな、帳面ちょうめんをめくるような音。
ぬいが体を固くする。
「……来とる」
「誰が」
「言わなくても分かるじゃろ」
分かった。振り向かなかった。
でも、部屋の空気が少しだけ変わったのは感じた。
白い光が、ほんの少しだけ薄くなる。
そしてすぐに、また元に戻る。
まるで、誰かが書・か・な・い・、と決めたみたいに。
「……ゆら」
ぬいが小さく言った。
「核を探すのじゃ。早い方がええ」
「なんで急に」
「長居ながいするところじゃない。此処ここは」
ぬいの声に、普段とは違う緊張があった。
私は急いで部屋を見渡した。
段ボール箱。
テーブル。
椅子。
窓。
白い壁。
どこかに、この残留の核がある。
向こう側の怪異の核は、たいていその場所に一番強く"残っているもの"の中にある。
一番残っているもの。
一番、手放せなかったもの。
私は段ボール箱の前にしゃがんだ。
一番上の箱に手を当てる。
「キッチン」と書かれた箱。
冷たい。 次だ。
「リビング」と書かれた箱。
普通の冷たさ。次。
「本・雑誌」と書かれた箱。
これも普通だ。
私は立ち上がって、テーブルを見た。
コップが二つ。
水の入った方のコップを、ゆっくり見る。
近づいて、手を伸ばす。
ぬいが低く言う。
「触るな、と言われておるぞ」
「触らない。見るだけ」
コップの底。
水の揺れ方。
光の反射。
何かが入っている。
コップの底に、紙が一枚。
水に沈んで、でも字は読める。
メモ用紙だ。
手書きで、一行だけ書いてある。
『ここに住もう』
「これ……核だ」
私は立ち上がって、スマホを取り出した。
「朔夜、聞こえる?」
雑音の向こうから、声がした。
『聞こえてる。核は』
「テーブルの上のコップ。水の中に紙が一枚入ってる。『ここに住もう』って書いてある」
短い沈黙。
『……分かった。今から封印入れる。お前は扉から離れるな』
「了解」
部屋の空気が変わり始めた。
壁から、薄い光が滲にじみ始める。
白かった外の景色が、少しずつ色を帯び始める。
夜の、本物の色に。
テーブルの前の椅子に座っていた残留が、ゆっくりと顔を上げた。
顔は見えなかった。
霧みたいに輪郭が薄くて、光に溶けかけている。
でも、その人が最後に向いた方向だけは、分かった。
コップの方を見ていた。
水の中の、紙切れの方を。
それから、ゆっくり、消えた。
朔夜の術式が届いた音がした。
"位相固定"フェイズ・ロック。
向こう側の構造が、ぐ、と締まる感触。
続いて、
"境界封止"ボーダー・シール。
扉の輪郭が、白い光ごと薄くなっていく。
間取りにない部屋が、向こう側へ、静かに戻っていく。
「ゆら、戻れ!」
ぬいが叫んだ。
私は扉へ向かって一目散に走った。
廊下を、逆方向へ。
七歩。
八歩。
九歩。
扉の形が、見えた。
リビングの光が、向こうにある。
真崎さんのシルエットが見えると同時に、朔夜の手が、こちらへ伸びてきた。
私はその手を、掴んだ。
―――
次の瞬間、廊下の突き当たりに倒れ込んでいた。
床が硬い。体がある。生身だ。
「っ、はぁはぁ……!」
息が一気に入ってくる。
生きている空気の、温度と匂い。
「ゆら」
朔夜の声が、すぐ近くにある。
「戻れたな」
「……戻れた」
廊下の突き当たりの壁を見る。
扉の形は、消えていた。
ただの白い壁だ。
「終わった...んですか」
真崎さんの声が、少し震えていた。
「向こう側の構造は封じました。今後、扉は出なくなります」
朔夜が答える。
「荷物が動くのも止まります」
「……そうですか」
真崎さんが、壁を見た。
何も言わない。
ただ、じっと見ている。
「ありがとうございました」
少し経ってから、言った。
声が静かだった。
泣いてはいない。
でも、泣く手前くらいの、静かさだった。
「前に住んでいた人の話、聞かなくてよかったんですか」
「...はい、大丈夫です」
真崎さんは言った。
「何があったのか、大体は分かります。だから聞かなくても」
私は何も言えなかった。
ぬいが、胸元で小さく丸くなる。
―――
事務所に帰ってきたのは、日付が変わる手前だった。
朔夜が請求書を出した。
「五十三万」
「高っか!」
「霊体投入と封印、深夜割増込みだ」
「深夜割増とか概念あったんだ! 私への請求に使う概念は全部あるんだね!」
「当然だ」
「こっちには危険手当もないのに!」
「お前は従業員だから別計算だ」
「最悪の別計算だよ!」
ぬいがソファの上で伸びをした。
「しかし、今回の残留ざんりゅうは綺麗に終わったのう」
「綺麗に、ね」
私は天井を見上げた。
『ここに住もう』
あの一行が、ずっと頭に残っている。
コップの底の、水に沈んだ紙。
誰かが、誰かに向けて書いた一行。
叶わなかった場所に、ずっと残っていた一行。
「ねえ朔夜」
「なに」
「あの人、ちゃんと終われた?」
少し間があった。
「終わった。向こう側に留まるより、ずっとましな終わり方だ」
「……そっか」
それ以上は聞かなかった。
ぬいが耳をぴっと立てた。
「そういえば、向こう側で誰かの気配がしたのう。書く人鬼灯なゆの」
「……うん」
「書かなかったな、今回は」
「うん」
書かなかった。
今回は。
それがどういう意味か、私には完全には分からない。
でも、なんとなく。
そのおかげで今ここにいる気がした。
ため息をついて、請求書を受け取った。
借金は、また増えた。
でも今夜、真崎さんの部屋の廊下に扉は出ない。
それだけは、確かだ。
*****
【後書き】
■ 登場キャラクター
影森かげもりゆら
向こう側の「間取りにない部屋」を霊体で探索し、核を特定した。コップの底の紙を見つけた時、聞かなくても分かってしまった人間の一人。帰ってきてから、借金が増えた事実とあの一行が、どちらも頭に残っている。
夜見よみ朔夜さくや
封印と境界封止を担当。ゆらが核の場所を伝えた瞬間、一拍だけ沈黙してから動いた。なぜ沈黙したかは、言わない。
ぬい
向こう側で「書く人の気配」に気づいていた。書かなかったことも知っていた。珍しく何もコメントしなかった。
真崎さん
「前に住んでいた人の話、聞かなくていい」と言った依頼人。大体分かる、と言った。その「大体」の中身を、彼女は最後まで言わなかった。
鬼灯ほおずきなゆ(気配のみ)
向こう側で、書かなかった。今回の残留は「叶わなかった約束の残留」から返済された。ゆらの死の借金・段階2。なゆが不正をした回数は、また一つ増えた。
■ 今回の話について
「間取りにない部屋」後編です。
今回の怪異の核は「叶わなかった約束」でした。誰かと一緒に住むつもりで荷物を運び込んだ、でも来られなかった、その「来られなかった側の残留」が向こう側に留まっていた、という構造です。直接的に死や事故を描かず、テーブルの上のコップ二つと、コップの底の紙一枚だけで残留の正体を示す形にしました。
また今回は、なゆが「書かなかった」ことが、ゆらの死の借金・段階2の返済にあたります。前回(段階1)が「高齢の遠い親族」から借りた猶予だったのに対し、今回は「人間ではなく、叶わなかった場所の残留」から返済されました。返済の形が一段、抽象的になっています。
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