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第10話 営繕課にようこそ

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📅 公開日: 2026/5/10 📚 シリーズ: ヴァルハラ戦死者審査局:戦士の館は今日も事務処理中 📝 6,147文字 ✅ 全年齢

あらすじ

北欧神話の戦士の館ヴァルハラ。 そこは本来、戦場で勇敢に死んだ戦士たちがオーディンのもとへ集いラグナロクに備えて宴と鍛錬を続ける栄光の広間であった。 しかし近代以降、戦争はあまりにも複雑になった。 剣と盾で倒れた者だけでなく砲兵、戦車兵、航空兵、潜水艦乗り、参謀、軍需官僚、宣伝担当、独裁者、戦争犯罪者まで、次々と「自分も戦士である」と名乗って押し寄せてくる。 その結果ヴァルハラは荘厳な戦士の館であると同時に、死者受入、武勇審査、席次管理、戦争責任調査、異界間移送協議を行う巨大官僚機構と化していた。 これは戦士たちの栄光と酒と反省文が入り混じる、ヴァルハラ版あの世事務処理コメディである。

本文

営繕課は、戦死者審査局の奥まった廊下の先にあった。

ヴァルハラの大広間と聞けば、多くの死者は黄金の柱と勇壮な宴を想像する。

だが実際には、柱は定期的に磨かれなければならず、長椅子は壊れ、床石はすり減り、待合室の扉は毎日何百回も開閉される。

さらに、戦士たちはよく物を壊した。

斧を立てかける場所を間違える。

兜を棚にぶつける。

剣を持ったまま振り返り、掲示板を真っ二つにする。

飲み比べの末に、机を盾と勘違いして持ち去る者もいる。

つまり、ヴァルハラにも営繕課は必要だった。

その営繕課の片隅で、一人の男が図面を広げていた。

灰色の作業服。

胸には小さな札が下がっている。

営繕補助員

アルベルト・シュペーア

彼の机には、分厚い申請書の束が積まれていた。

「第三待合室の椅子脚修繕」

「南廊下の掲示板再固定」

「槍置き場の安全基準見直し」

「名誉の間側面壁、落書き除去」

その横には、赤い印が押された書類があった。

差戻

理由:過剰設計

シュペーアは小さく息を吐いた。

「過剰ではありません。構造上、必要な補強です」

向かいの机に座っていた小柄なヴァルキリーが、羽根ペンを止めずに言った。

「柱一本を直すのに凱旋門みたいな意匠をつける必要はありません」

「しかし空間の格というものが」

「ここは備品倉庫前の柱です」

「……」

シュペーアは黙った。

しばらくして、再び図面に目を落とす。

彼が描いた修繕案は美しかった。

正確で、均整が取れていて、どこか威圧的だった。

ただ、目的に対してあまりにも大きすぎた。

ブリュンヒルデ管理官は、以前それを一目見てこう言った。

「この男は、棚板一枚に国家の夢を載せようとする」

以来、シュペーアは営繕課で特別監督対象となっていた。

彼の仕事は、壊れた物を直すこと。

ただし、いかなる修繕にも記念性、象徴性、歴史的使命感を付与してはならない。

さらに、資材申請には必ず用途を明記すること。

「石材二十七立方キュービト。用途、廊下段差補修」

「却下。必要量は二立方キュービトです」

「余剰分は予備として」

「却下。あなたの予備はだいたい広場になります」

そう書かれた付箋が、今も彼の机の端に貼られている。

その日の午後、営繕課に新しい依頼が届いた。

依頼主は戦死者審査局受付。

内容は、反省文記入室の机の修理だった。

激昂した申請者が拳で叩いたため、天板にひびが入ったという。

シュペーアは書類を読み、静かに眉を動かした。

「机一台ですか」

「はい」

「材質は」

「標準木材です」

「補強材は」

「不要です」

「しかし、今後も同様の事案は発生するでしょう。構造材を鋼に変え、脚部を床に固定し、周囲に防護壁を」

「不要です」

担当ヴァルキリーは即答した。

「机は机です。要塞ではありません」

シュペーアは少しだけ口を結んだ。

「……了解しました」

彼は図面を描き直した。

寸法。

材料。

作業時間。

必要工具。

仕上げ。

余白には何も描かなかった。

いつものような記念碑的な正面図もない。

翼を広げた装飾もない。

巨大な階段もない。

ただ、壊れた机を元に戻すための図面だった。

担当ヴァルキリーはそれを見て、初めて小さく頷いた。

「承認します」

その瞬間、机の端に置かれていた赤い差戻印の隣に、青い承認印が置かれた。

シュペーアはしばらくそれを見ていた。

「……承認ですか」

「はい」

「この規模で」

「この規模だからです」

彼は返事をしなかった。

ただ、図面を丁寧に畳み、工具箱を手に取った。

廊下に出ると、反省文記入室の方から誰かのうめき声が聞こえた。

「私は悪くない……状況が……時代が……」

その声を聞いて、シュペーアは足を止めた。

一瞬だけ、何かを言いたげな顔をした。

だが、何も言わなかった。

営繕課の札を胸元で揺らしながら、彼は壊れた机の修理に向かった。

彼に与えられた仕事は、歴史を建て直すことではない。

過去を設計し直すことでもない。

壊れたものを、壊れた分だけ直すこと。

それ以上を足さないこと。

それ以下に逃げないこと。

ヴァルハラ戦死者審査局営繕課。

そこでは、かつて巨大な構想を描いた男が、今日も椅子の脚一本について見積書を書いている。

ヴァルハラ中央広間の東棟は、古い。

とても古い。

神話の時代からあるので古い、というだけではない。

増築に増築を重ねた結果、どこまでが原初の館で、どこからが後世の改修なのか、誰にもわからなくなっていた。

古代戦士用の宴席。

中世騎士用の馬具置場。

近代兵士用の武器預かり所。

航空兵用の吹き抜け。

戦車兵用に無理やり広げた搬入口。

異界連絡室。

戦争責任特別調査室。

番号のない上映室へ続く地下通路。

反省文作成室。

財産関係照会窓口。

そして、誰がいつ作ったのかわからない謎の階段。

ヴァルハラは戦士の館である。

だが、建築物として見ると、相当な問題を抱えていた。

「これは、設計思想が統一されていない」

アルベルト・シュペーアは、東棟廊下の中央で立ち止まり、天井を見上げながらそう言った。

彼の手には、仮配置職員用の木札が下がっている。

アルベルト

建築家申告あり

軍需大臣歴あり

営繕課仮配置

審査保留中

シュペーアは、その木札を気にしていた。

特に「仮配置」という文字が気に入らないらしい。

「私は建築家として国家的事業に関わったのであって、廊下の軋みを直すために来たわけではない」

前を歩くドワーフ棟梁は、振り返りもしなかった。

名はエイトリ。

小柄だが、肩幅が広く、腕は丸太のように太い。

腰には工具袋。

背中には尺棒。

手には古びた図面筒。

彼は低い声で答えた。

「廊下の軋みを直せん建築家が、国家的事業を語るな」

シュペーアは黙った。

ミストは、その後ろで記録板を抱えていた。

今日の研修名目は、営繕課現場視察。

ブリュンヒルデ管理官いわく、

「建物を見ると、制度の継ぎ目がわかります」

とのことだった。

ミストにはまだ半分くらいしか意味がわからなかったが、少なくとも東棟の天井がかなり危ないことだけはわかった。

エイトリは天井の梁を棒で叩いた。

鈍い音がした。

「ここだ」

シュペーアは眉をひそめた。

「梁が鳴っている」

「見ればわかる」

「いや、音の響きが悪い。接合部がずれている」

「だから呼んだ」

「私を?」

「建築家申告あり、と札にある」

エイトリはそこで初めて振り返った。

「なら働け」

シュペーアは少しだけ顔をしかめた。

「私は審査を待っている身だ」

「待っている間、梁は待たん」

ミストは記録板に書いた。

営繕課原則。梁は審査を待たない。

これは後で消すべきかもしれない。

シュペーアはしぶしぶ図面を広げた。

だが、広げた瞬間、顔色が変わった。

「これは何だ」

エイトリが答えた。

「東棟改修図面だ」

「時代が混ざっている」

「混ざっている」

「尺度が違う」

「違う」

「一部、方位が逆だ」

「逆だ」

「なぜこんなものを使っている」

「ヴァルハラだからだ」

「理由になっていない」

エイトリは鼻を鳴らした。

「神話に統一設計を求めるな」

ミストはまた記録板に書きそうになった。

神話に統一設計を求めるな。

これは名言だ。

しかし営繕課の会話を全部記録すると、研修記録ではなく名言集になってしまう。

シュペーアは図面に指を置いた。

「この柱は撤去できないのか」

「できん」

「なぜ」

「古代の英雄が寄りかかる」

「構造上ではなく運用上の理由か」

「寄りかかる英雄を甘く見るな。酔うと重い」

シュペーアは言葉を失った。

エイトリは続けた。

「この壁も壊せん」

「なぜ」

「向こうが反省文作成室だ。防音が必要だ」

その時、壁の向こうから声が聞こえた。

「私は言葉を武器にした、しかし――」

すぐに別の声。

「しかし、以降は自己弁護です。再提出」

ゲッベルスの低いうめき声が続いた。

エイトリは壁を叩いた。

「な。防音が足りん」

シュペーアは静かに図面へ印をつけた。

「ここは二重壁にした方がいい」

「材料は」

「石材と吸音材が必要だ」

「吸音材はどこから持ってくる」

「倉庫には」

エイトリが睨んだ。

「まず在庫確認だ」

「当然だ」

「調達元も確認だ」

シュペーアの手が止まった。

エイトリは見逃さなかった。

「どうした」

「いや」

「営繕課では、材料の出所を書く」

「それは普通のことだ」

「ならいい」

エイトリは、別の用紙を出した。

資材使用申請書

使用目的

使用量

保管場所

調達元

運搬経路

労務担当

安全確認

返還・再利用予定

シュペーアは用紙を見て、少しだけ黙った。

「細かいな」

「建物を直すには必要だ」

「私は、もっと大きな計画を」

「大きな計画ほど、もっと細かく書け」

ミストは、その言葉を記録した。

大きな計画ほど、もっと細かく書け。

シュペーアは羽根ペンを取った。

「使用目的。反省文作成室防音強化」

「よし」

「使用量。石材、標準ブロック百二十」

「多い」

「二重壁なら必要だ」

「なら根拠を書け」

シュペーアは追加で計算を書いた。

エイトリはそれを見て、初めて少しだけうなずいた。

「腕はあるな」

シュペーアは顔を上げた。

「当然だ」

「腕はある」

エイトリは図面を丸めた。

「だから厄介だ」

シュペーアの表情が変わった。

「どういう意味だ」

エイトリは答えなかった。

かわりに、彼を次の場所へ連れていった。

戦車兵卓のある広間の一角である。

休日回以来、そこは戦車兵たちの事実上のたまり場になっていた。

ティーガー、シャーマン、T-34、チャーチルの長所短所を語るうち、彼らはいつの間にか床に車両重量の比較図を描き始めていた。

その結果、床板が沈んだ。

ミストは現場を見て言った。

「これは……戦車は置いていないのですよね」

エイトリが答えた。

「置いていない」

「ではなぜ床が」

「戦車兵の話が重い」

近くにいたカリウスが静かに言った。

「否定はしません」

ヴィットマンが床を見て言う。

「ティーガーの話をしすぎたか」

アメリカ戦車兵が笑った。

「シャーマンなら数で沈む」

ソ連戦車兵がうなずいた。

「T-34も数で沈む」

イギリス戦車兵が紅茶を持ち上げた。

「紅茶は沈まない」

エイトリはシュペーアに言った。

「床補強だ」

シュペーアは床を調べた。

「根太が古い。荷重の想定が宴会用だ」

「今は戦車兵が使う」

「戦車兵は車両ではない」

「だが話が車両並みに重い」

シュペーアは反論しかけたが、カリウスとヴィットマンが真面目な顔をしているのを見て、やめた。

「補強は必要だ」

エイトリはうなずいた。

「資材申請」

また用紙が出る。

シュペーアは書き始めた。

使用目的。戦車兵卓周辺床補強。

使用量。

保管場所。

調達元。

運搬経路。

労務担当。

そこで、また手が止まった。

エイトリが見た。

「労務担当を書け」

「営繕課職員でよいのでは」

「具体名だ」

「具体名」

「誰が運ぶ。誰が切る。誰が組む。誰が支える。誰が確認する」

シュペーアは少し苛立った。

「そこまで細かくするのか」

エイトリは低く言った。

「そこをぼかす奴ほど、人を材料にする」

広間の空気が変わった。

ミストは筆を止めた。

シュペーアも動かなかった。

カリウスたち戦車兵も、先ほどまでの軽口をやめていた。

エイトリは、シュペーアをまっすぐ見た。

「石は石だ。木は木だ。鉄は鉄だ」

彼は用紙を指で叩いた。

「人は人だ」

シュペーアは、ゆっくりと目を伏せた。

「私は、営繕課の労務管理まで責任を持てと言われているのか」

「持て」

「私は仮配置だ」

「仮でも持て」

「私は」

「軍需大臣歴あり、と札にある」

エイトリはシュペーアの木札を指した。

「なら、なおさらだ」

ミストは、ようやくブリュンヒルデの言葉の意味がわかった気がした。

建物を見ると、制度の継ぎ目がわかる。

そして、資材を見ると、人の扱いがわかる。

シュペーアは用紙の労務担当欄に、営繕課の職員名を書き始めた。

一人ずつ。

ドワーフ職人。

ヴァルキューレ補助員。

運搬担当。

安全確認担当。

休憩交代担当。

彼は書きながら言った。

「この人数では時間がかかる」

エイトリは答えた。

「かけろ」

「もっと人を出せば早い」

「休憩は」

「交代制にすれば」

「なら交代制も書け」

「効率が落ちる」

「落とせ」

シュペーアは顔を上げた。

「効率を落とすのか」

エイトリは工具袋から古い釘抜きを取り出しながら言った。

「効率で人を潰すよりましだ」

その場にいた誰も、すぐには話さなかった。

イギリス戦車兵が、静かに紅茶のカップを置いた。

それは、笑いを取る動作ではなかった。

シュペーアは、しばらく用紙を見つめていた。

そして、休憩交代欄に追記した。

二時間ごと交代。

重量物運搬は二名以上。

作業後確認。

負傷時即時中止。

エイトリはそれを見た。

「読める字だな」

「当たり前だ」

「読める字で書く奴は、まだ直せる」

「字の話か」

「字だけではない」

エイトリはその申請書に仮承認印を押した。

「次だ」

シュペーアは顔を上げた。

「まだあるのか」

「ある」

「どれほど」

エイトリは図面筒を三本取り出した。

「反省文作成室防音。戦車兵卓床補強。異界連絡室待合拡張。財産照会窓口倉庫増設。番号のない上映室の記録棚増設。証言聴取席の椅子補修」

「椅子補修?」

ミストが尋ねた。

エイトリはうなずいた。

「アドルフが座り続けるので軋む」

遠くの証言聴取席で、アドルフが顔を上げた。

「聞こえているぞ」

ラーズグリーズの声がすぐ飛んだ。

「発言申請なし」

アドルフは黙った。

シュペーアは、少しだけ疲れた顔になった。

「私はいつ審査を受ける」

エイトリは答えた。

「受けている」

「これは営繕作業だ」

「そうだ」

「審査ではない」

「資材を書く。労務を書く。誰が何を運び、誰がどこで休むかを書く。危険があれば止める」

エイトリは、シュペーアの目を見た。

「それができるか見ている」

シュペーアは言葉を失った。

ミストも、記録板を抱えたまま動けなかった。

営繕課は、罰として雑用をさせる場所ではなかった。

建築家を名乗る者に、建物を見せる場所。

軍需を扱った者に、資材の出所を書かせる場所。

効率を語った者に、人の名と休憩時間を書かせる場所。

計画を語った者に、現場を見せる場所。

シュペーアはしばらく黙った後、静かに言った。

「……図面を見せてくれ」

エイトリは一本目の図面筒を渡した。

「反省文作成室だ」

「防音からか」

「ゲッベルスがうるさい」

壁の向こうから、また声がした。

「言葉は歴史の流れの中で――」

スクルドの声。

「歴史を主語にしないでください。再提出」

エイトリは眉をひそめた。

「な」

シュペーアは、ほんのわずかに苦笑した。

「たしかに急いだ方がいい」

「休憩は削るな」

「わかっている」

「本当にわかっているか」

シュペーアは申請書をもう一度見た。

そこには、先ほど自分で書いた労務担当者の名前が並んでいた。

彼は小さく息を吐いた。

「……削らない」

エイトリは、今度ははっきりとうなずいた。

「なら作業開始だ」

ミストは研修記録の所感欄に書いた。

建築とは、形を作ることだけではない。

資材の出所を書き、労務の名を書き、休む時間を確保し、誰かを材料にしないことまで含めて、建築である。

それから少し考えて、もう一行足した。

営繕課は、壊れた梁だけでなく、壊れた言い訳も補修する。

ブリュンヒルデはその記録を読み、静かに判を押した。

承認。

その横で、エイトリが声を張った。

「アルベルト、梁を持て」

シュペーアは顔をしかめた。

「私は設計を」

「持て」

「……わかった」

元建築家。

元軍需大臣。

営繕課仮配置。

彼は白い手袋ではなく、作業用の革手袋をはめた。

そして、梁を持ち上げた。

ヴァルハラ東棟のどこかで、古い床がまた軋んだ。

戦士の館は、今日も事務処理中である。

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作者について

財団法人はるな会

財団法人はるな会

人とAIによる共著作品発表のため団体という形のペンネームにしました。複数の世界を、ゆっくり旅する物語を書いていきます。ChatGPTことチャティを相棒としてストーリーの概要や場面についてを対話する形で...

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