第13話 面会者は犬です
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あらすじ
北欧神話の戦士の館ヴァルハラ。 そこは本来、戦場で勇敢に死んだ戦士たちがオーディンのもとへ集いラグナロクに備えて宴と鍛錬を続ける栄光の広間であった。 しかし近代以降、戦争はあまりにも複雑になった。 剣と盾で倒れた者だけでなく砲兵、戦車兵、航空兵、潜水艦乗り、参謀、軍需官僚、宣伝担当、独裁者、戦争犯罪者まで、次々と「自分も戦士である」と名乗って押し寄せてくる。 その結果ヴァルハラは荘厳な戦士の館であると同時に、死者受入、武勇審査、席次管理、戦争責任調査、異界間移送協議を行う巨大官僚機構と化していた。 これは戦士たちの栄光と酒と反省文が入り混じる、ヴァルハラ版あの世事務処理コメディである。
本文
ヴァルハラ戦死者審査局では、証言聴取にも区切りがある。
終わりではない。
免除でもない。
許しでもない。
ただ、一定の証言群を聞き終えたという事務上の区切りである。
それを一段落と呼ぶ。
一段落という言葉は便利だった。
終わってはいないが、続ける前に机を整理できる。
許されたわけではないが、次の書類を開ける。
泣いても喚いても、結局は綴じ紐を結び直して次の束に移る。
それがヴァルハラ戦死者審査局である。
その日、入口脇の証言聴取席では、アドルフがいつもの椅子に座っていた。
名札には相変わらず、ただこう書かれている。
アドルフ
1914年から1918年の伝令兵
証言聴取中
彼はもう、その札を見ても大声で抗議しなくなっていた。
最初は違った。
総統として扱え。
国家指導者として遇せ。
歴史の審判がどうこう。
民族がどうこう。
運命がどうこう。
それらはすべて、ラーズグリーズによって申請前に砕かれた。
それから彼は聞かされた。
第一次大戦の兵士たちの証言。
彼と同じように泥の中を走った伝令兵の証言。
彼が後年、演説の材料にした戦場の証言。
彼の名のもとに送られた兵士たちの証言。
彼に従った者。
彼と戦った者。
彼によって追われた者。
彼によって殺された者。
彼が「歴史」と呼んだものの内側にいた、一人ずつの声。
その第一群が、ようやく終わろうとしていた。
スクルドが証言束を閉じる。
「第一証言群、聴取完了」
ミストはその言葉を記録した。
第一証言群。
それだけで、まだ先があることがわかる。
アドルフは疲れた顔で言った。
「ようやく終わったのか」
ラーズグリーズが即座に答えた。
「第一群が、です」
彼は目を閉じた。
「わかっている」
「珍しく補足が不要ですね」
「珍しくと言うな」
ミストは記録板を抱えたまま、少しだけ息を吐いた。
このやり取りも、いつの間にか日常になっている。
しかし日常になったからといって、軽くなったわけではない。
ブリュンヒルデ管理官が、証言聴取席へ歩み寄った。
「アドルフ」
彼は顔を上げた。
「第一証言群は完了しました」
「次は何だ」
「次の審査を並行で始めます」
「並行だと」
「はい。証言聴取は継続。あわせて、国家指導責任、戦争責任、迫害政策、命令系統、宣伝利用、軍事判断の各項目を分けて審査します」
アドルフは長く黙った。
「私は、ずっとここに座らされるのか」
ブリュンヒルデは静かに答えた。
「ここだけではありません」
その答えに、彼は一瞬だけ目を開いた。
「席を移されるのか」
「必要に応じて」
「どこへ」
ラーズグリーズが淡々と言った。
「まだ希望を持つ段階ではありません」
アドルフは彼女を睨んだ。
「お前は本当に」
「企図破砕係です」
「知っている」
「覚えていただきありがとうございます」
その時だった。
受付係が、少し困った顔で近づいてきた。
「管理官」
ブリュンヒルデが振り向く。
「何ですか」
「面会申請です」
証言聴取席の空気が変わった。
アドルフの目がわずかに動いた。
「誰だ」
受付係は申請書を見た。
「申請者、ブロンディ」
沈黙。
ミストは最初、その名前が誰なのかわからなかった。
だが、アドルフの顔を見て理解した。
彼の表情から、政治家の硬さが抜けた。
総統を名乗る者でも、被審査者でも、証言聴取中の男でもない。
一瞬だけ、ただ飼い犬の名を聞いた人間の顔になった。
アドルフは小さく言った。
「ブロンディ」
ラーズグリーズが申請書を確認した。
「申請者、ブロンディ。種別、犬。肩書き、なし。責任審査、該当なし。同行者なし。面会目的、飼い主確認」
アドルフはすぐに言った。
「通せ」
ラーズグリーズが顔を上げる。
「命令権限なし」
「では、頼む」
その場が少しだけ静かになった。
ラーズグリーズは、ほんのわずかに眉を動かした。
「依頼として受理します」
ブリュンヒルデは申請書を受け取った。
「面会を許可します。ただし、被審査者アドルフの証言聴取席からの移動は認めません」
「構わん」
「この面会は、ブロンディのためのものです」
アドルフは顔を上げた。
ブリュンヒルデは続けた。
「あなたの弁明、自己憐憫、名誉回復、情状申立には使用できません」
彼はしばらく黙った。
「……わかった」
ラーズグリーズが記録した。
「理解表明。監視継続」
やがて、黄金門の方から小さな足音がした。
戦士の館には似つかわしくない音だった。
甲冑でもない。
軍靴でもない。
蹄でもない。
爪が床を軽く叩く音。
一頭の犬が現れた。
ブロンディだった。
彼女はしばらく周囲を見回した。
ヴァイキングの斧を見ても、騎士の馬具を見ても、戦車兵卓の騒ぎを見ても、特に驚いた様子はない。
ただ、匂いを探していた。
そして証言聴取席を見つけると、まっすぐ走った。
アドルフは立ち上がりかけた。
ラーズグリーズが言う。
「席からの離脱不可」
彼は椅子に戻った。
ブロンディはその膝元まで来て、尻尾を振った。
アドルフは、震える手でその頭に触れた。
何かを言おうとした。
言葉が出なかった。
ミストは記録板を下ろした。
この瞬間だけは、何を書けばいいのかわからなかった。
犬は、政治を知らない。
演説を知らない。
侵略も、法令も、命令系統も、宣伝も、迫害政策も知らない。
知っているのは、声と匂いと手の感触だけだ。
だからこそ、危うい。
この光景は、アドルフを人間らしく見せてしまう。
そして人間らしく見えたからといって、責任は消えない。
ブリュンヒルデはその線を見誤らなかった。
「アドルフ」
彼は犬を撫でたまま顔を上げた。
「ブロンディには罪がありません」
「当たり前だ」
「はい。当たり前です。だからこそ、ブロンディはあなたの責任を背負いません」
彼の手が止まった。
ブロンディは不思議そうに彼を見上げた。
ラーズグリーズが静かに言った。
「面会中の自己投影に注意してください」
アドルフは低く答えた。
「わかっている」
「珍しく」
「言うな」
ミストはようやく記録した。
面会者、犬。責任審査該当なし。被審査者への情状効果なし。
少し冷たすぎる文面だった。
でも、必要だった。
その頃、異界連絡室の待合では、ベニート・ムッソリーニが98番の番号札を握りしめていた。
いや、正確には、もう98番ではなかった。
彼は札を何度も確認していた。
番号は98番のままだが、呼び出し番号が進んでいる。
ラードグリーズが淡々と告げた。
「現在42番です」
ムッソリーニは立ち上がった。
「ようやく半分近くではないか」
「まだ半分ではありません」
「細かい!」
「管轄は細かいものです」
待合席には、相変わらずさまざまな者がいた。
ローマ方面照会待ち。
ギリシャ方面照会待ち。
ケルト方面照会待ち。
自称半神。
自称皇帝。
自称解放者。
実際には単なる地方領主だった者。
その中でムッソリーニは、何度も演説を始めようとしていた。
そのたびに、待合掲示が光る。
演説による列妨害、警告
彼は腕を組み、掲示を睨んだ。
「私はただ、歴史的使命について」
ラードグリーズが答える。
「歴史的使命は番号順にお願いします」
「使命に順番などあるか」
「あります」
「なぜだ」
「皆さんお持ちです」
隣の古代風の甲冑の男が、静かにうなずいた。
「列は守れ」
ムッソリーニは黙った。
彼はその男には、なぜか強く出られなかった。
ラードグリーズは綴じ帳に記録した。
異界連絡室待合進捗
ローマ方面照会、42番まで進行
ベニート、98番
演説警告、累積五
列割込未遂、二
カエサル方面異議申立予告、未処理
ムッソリーニはその最後の項目に気づいた。
「カエサル方面異議申立予告とは何だ」
ラードグリーズは表情を変えずに答えた。
「言葉の通りです」
「誰が異議を」
「カエサル方面です」
「方面とは何だ」
「まだ本人確認中です」
「本人なら本人と言え」
「神話圏をまたぐ歴史的人物は確認に時間がかかります」
ムッソリーニは、98番の札を握り直した。
「ローマは面倒だ」
ラードグリーズは即答した。
「あなたが持ち込んだ案件です」
一方、反省文作成室では、別の意味で歴史的な出来事が起きていた。
ヨーゼフ・ゲッベルスが、三百枚の反省文を提出したのである。
スクルド文書監査官の机の上に、分厚い紙束が積まれている。
表紙には、こう書かれていた。
反省文
言葉を武器にしたことについて
提出者 ヨーゼフ
ミストは、その量を見て目を丸くした。
「本当に三百枚あります」
スクルドは冷静に答えた。
「枚数はあります」
「受理ですか」
「枚数はあります」
「受理ではないのですね」
「これからです」
ゲッベルスは椅子に座り、疲れ切った顔をしていた。
「三百枚だ。要求通り書いた」
スクルドは一枚目をめくった。
「要求は三百枚を書くことではありません」
ゲッベルスの顔が引きつった。
「では何だ」
「反省することです」
ラーズグリーズが扉の近くから言った。
「枚数による誠意演出を確認」
ゲッベルスは苛立ちを隠さずに言った。
「君たちは、どれほど書けば満足する」
スクルドは目を上げた。
「枚数で尋ねないでください」
その言葉は、番号のない上映室のゴンドゥルに似ていた。
ゲッベルスは黙った。
スクルドは読み進めた。
「一枚目。私は、言葉を武器にした」
「そこは以前受理されたはずだ」
「はい。この文は受理済みです」
ゲッベルスは少しだけ表情を緩めた。
スクルドは二行目を読んだ。
「しかし、その時代において言葉は国家の意思を――」
赤い印が押された。
差戻
ゲッベルスは椅子から立ち上がった。
「なぜだ」
「しかし、以降で時代と国家に責任を分散しています」
「全体の文脈を読め」
「読みます。差し戻します」
「早い」
「二行目で戻りました」
ラーズグリーズが言った。
「効率的です」
ゲッベルスは机に手をついた。
「三百枚だぞ」
スクルドは静かに答えた。
「三百枚すべて読む前に、まず二行目を直してください」
「二行目だけでよいのか」
「二行目からです」
彼は深く息を吐いた。
ミストは紙束を見た。
三百枚。
ようやく形になったと思ったら、二行目で差し戻し。
しかし以前とは違う点もあった。
ゲッベルスは怒鳴ったが、紙束を破りはしなかった。
机を叩いたが、出ていこうとはしなかった。
羽根ペンを取った。
スクルドがそれを見て言った。
「進捗として記録します」
「何が進捗だ」
「書き直す意思があります」
「こんなものは屈辱だ」
「屈辱を感じる自我は残っています。次は、傷つけた相手の側へ進めてください」
ゲッベルスは一瞬だけ黙った。
そして二行目を消した。
新しい二行目を書き始める。
私は、その言葉で人を動かした。
スクルドが見る。
「保留」
ゲッベルスは顔を上げた。
「受理ではないのか」
「“動かした”だけでは足りません。どこへ動かしたかを書いてください」
彼はまた黙った。
反省文作成室の壁の向こうでは、営繕課が防音工事を進めていた。
シュペーアが梁を支え、エイトリ棟梁が怒鳴っている。
「休憩を削るなと言っただろう」
「工程が押している」
「押すな。休め」
「だが」
「人を材料にするな」
その声を聞いて、スクルドは少しだけ壁を見た。
「防音がまだ足りませんね」
ゲッベルスは低く言った。
「こちらの方が反省させられている気分だ」
「実際、そうです」
証言聴取席では、ブロンディの面会が続いていた。
アドルフは犬の首筋を撫でていた。
ブロンディはすっかり落ち着き、彼の足元に伏せている。
だが、面会時間には終わりがある。
受付係が小さな鐘を鳴らした。
「面会時間終了です」
アドルフの手が止まる。
「もうか」
ブリュンヒルデが言った。
「はい」
「次はいつ会える」
「未定です」
「なぜ」
「ブロンディ自身の配属が決まります」
アドルフは顔を上げた。
「配属?」
ラーズグリーズが書類を読み上げる。
「犬霊就労斡旋申請。対象、ブロンディ。希望、特になし。適性、忠実、嗅覚良好、虚偽申告者への反応良好。責任審査、該当なし」
ミストは思わず尋ねた。
「犬霊就労斡旋という制度があるのですか」
ブリュンヒルデは少しだけ遠い目をした。
「今、作りました」
「今」
「必要になりました」
ラーズグリーズが補足する。
「前例です」
ブリュンヒルデは小さくため息をついた。
「最近、前例ばかり増えます」
艦魂審査仮窓口。
犬霊就労斡旋。
文化圏照会。
ブリュンヒルデの机は、確実に重くなっている。
「斡旋先は」
アドルフの声には、不安があった。
ブリュンヒルデは答えた。
「ヘル方面門衛部です」
その瞬間、証言聴取席の空気が凍った。
「ヘルだと」
「あなたの行き先ではありません」
ブリュンヒルデは冷静に言った。
「ブロンディの就職先です」
ラーズグリーズが付け加える。
「犬の再就職です」
ミストは記録した。
犬霊就労斡旋。初見。
アドルフは立ち上がりかけ、また座った。
「ブロンディを地獄へやるのか」
「ヘル方面門衛部は、罰の場所とは限りません」
「だが」
「ガルムの配下として、門衛補助見習いに推薦します」
遠く、ヴァルハラの地下通路の方から低い唸り声が響いた。
ミストの背筋が伸びた。
「今のは」
ブリュンヒルデが答える。
「ガルムです」
「犬ですか」
「犬と呼ぶには、少し大きいです」
ラーズグリーズが書類を見ながら言った。
「グニパヘリル連絡門より回答。犬に罪なし。ただし飼い主案件複雑。門衛補助見習いとして受入可」
アドルフは呆然とした。
「犬に罪なし」
「はい」
「飼い主案件複雑」
「はい」
ラーズグリーズは真顔でうなずいた。
「非常に正確な回答です」
ブロンディは、そんなやり取りなど知らない様子で尻尾を振っていた。
ヘル方面連絡門へ続く通路は、黄金門とはまるで違った。
暗い。
冷たい。
だが、不潔ではない。
ただ、境界そのものの匂いがした。
生者と死者。
戦士の館とヘル。
受付と門。
その境目。
奥で、巨大な影が動いた。
ガルム。
黒い毛並み。
血のような赤い瞳。
岩のような爪。
一声吠えれば、並の死者ならその場で自己申告を修正しそうな威圧感がある。
ミストは思わずブリュンヒルデの後ろに隠れかけた。
ブリュンヒルデは落ち着いている。
ラーズグリーズも平然としている。
ブロンディは、少しだけ足を止めた。
ガルムが低く唸る。
ブロンディが一歩近づく。
また一歩。
ガルムが巨大な鼻先を下げた。
ブロンディが匂いを嗅ぐ。
そして尻尾を振った。
ガルムは一声だけ吠えた。
その声で、通路の壁が震えた。
ミストは耳を押さえた。
ラードグリーズがいつの間にか横に立っていた。
「採用とのことです」
ミストは驚いた。
「今のでわかるのですか」
「ヘル方面門衛部の正式回答です」
「すごいですね」
「書類より早いです」
ブリュンヒルデは小さく言った。
「うらやましい」
ガルムはブロンディの前に座った。
巨大な門番と、一頭の犬。
大きさはまるで違う。
だが、犬同士には犬同士の礼儀があるのかもしれない。
ブロンディは、もう一度だけ証言聴取席の方を振り返った。
アドルフは立てなかった。
席からの離脱は認められていない。
彼はただ、遠くからその姿を見ていた。
「ブロンディ」
犬は耳を動かした。
だが戻らなかった。
ブリュンヒルデが静かに言う。
「犬はあなたを裁きません」
アドルフは答えなかった。
「ですが、あなたについて行く義務もありません」
ブロンディはガルムの横へ歩いていった。
ガルムがまた一声吠える。
今度は少しだけ柔らかい音だった。
ラードグリーズが通訳した。
「訓練開始とのことです」
ミストは小さく言った。
「優秀そうですね」
ラーズグリーズがうなずく。
「虚偽申告者への反応が良好です」
その時、異界連絡室待合の方からムッソリーニの声が響いた。
「私はローマの正統なる――」
ヘル方面連絡門から、ブロンディが短く吠えた。
ムッソリーニの声が止まった。
ラードグリーズが記録した。
「虚偽申告検知補助、一件」
ブリュンヒルデは、少しだけ表情を和らげた。
「即戦力ですね」
証言聴取席へ戻ると、アドルフは黙っていた。
机の上には、新しい審査票が置かれている。
第一証言群
聴取完了
次段階
国家指導責任審査
戦争責任特別調査
迫害政策照合
命令系統確認
宣伝利用記録照合
継続証言聴取
彼はその紙を見た。
「まだ続くのか」
ブリュンヒルデは答えた。
「はい」
「犬まで奪うのか」
ラーズグリーズが言った。
「所有表現を確認。ブロンディは財産ではありません」
アドルフは彼女を見た。
何か言い返そうとして、やめた。
「……そうか」
ミストはその沈黙を記録した。
ブロンディの面会によって、彼が救われたわけではない。
罰が軽くなったわけでもない。
だが、ひとつだけ明確になった。
彼の孤独は、彼自身のものである。
犬に背負わせるものではない。
同じ頃、反省文作成室では、ゲッベルスが二行目を書き直していた。
私は、その言葉で人を死へ向かわせた。
スクルドはその文を読み、しばらく黙った。
「保留から仮受理へ」
ゲッベルスは疲れた顔で言った。
「ようやく二行目か」
「はい」
「三百枚ある」
「では、三行目へ」
彼は呻いた。
営繕課では、シュペーアが防音壁の工事計画を修正していた。
「反省文作成室の音漏れを先に止めるべきだ」
エイトリ棟梁が言う。
「休憩は削るな」
「削らない」
「ならよし」
財産関係照会窓口では、ゲーリングが第四号様式に向かっていた。
「返還可能性確認書とは、どこまで書けばいい」
フリストが答える。
「返すべき先がわかるまでです」
「それがわからん場合は」
ゴンドゥルが静かに言った。
「わからないことを、いなかったことにはしません」
艦魂審査仮窓口では、フッドとビスマルクが仮設泊地の使用申請を書いていた。
ビスマルクが眉をひそめる。
「停泊位置まで申請するのか」
フッドが穏やかに答える。
「衝突防止でしょう」
「私は衝突しない」
遠くの天霧の艦魂が、静かに目を逸らした。
異界連絡室では、ムッソリーニが42番から進まない呼び出し表示を睨んでいる。
「なぜ止まった」
ラードグリーズが言った。
「43番の方の神話圏が複雑です」
「どれほど複雑なのだ」
「本人もわかっていません」
「なら飛ばせ」
「飛ばすには申請が必要です」
ムッソリーニは番号札を握りしめた。
「役所とは強敵だ」
近くの古代風の男がうなずいた。
「列は守れ」
そしてヘル方面連絡門では、ブロンディがガルムの足元で訓練を受けていた。
巨大な門番が低く唸る。
ブロンディが短く吠える。
虚偽申告者が通路の手前で足を止める。
ガルムが満足そうに鼻を鳴らす。
ラードグリーズの記録には、こう追記された。
ブロンディ
ヘル方面門衛補助見習い
初日勤務
虚偽申告検知補助、三件
待合演説抑止、一件
適性良好
ミストは、その日最後の研修記録を書いた。
犬は主人の罪を背負わない。
そして、主人の孤独を埋める義務もない。
証言聴取は一段落した。
だが、審査は終わらない。
反省文は三百枚になった。
だが、反省は二行目から始まったばかりである。
待合の番号は進んだ。
だが、ローマはまだ遠い。
ブリュンヒルデはその記録を読み、静かに判を押した。
承認。
そして余白に一行だけ添えた。
「前例管理簿に犬霊就労斡旋を追加」
ミストはその一文を見て、少しだけ笑いそうになった。
戦士の館は、今日も事務処理中である。