第14話 当局名義の無断使用について
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あらすじ
北欧神話の戦士の館ヴァルハラ。 そこは本来、戦場で勇敢に死んだ戦士たちがオーディンのもとへ集いラグナロクに備えて宴と鍛錬を続ける栄光の広間であった。 しかし近代以降、戦争はあまりにも複雑になった。 剣と盾で倒れた者だけでなく砲兵、戦車兵、航空兵、潜水艦乗り、参謀、軍需官僚、宣伝担当、独裁者、戦争犯罪者まで、次々と「自分も戦士である」と名乗って押し寄せてくる。 その結果ヴァルハラは荘厳な戦士の館であると同時に、死者受入、武勇審査、席次管理、戦争責任調査、異界間移送協議を行う巨大官僚機構と化していた。 これは戦士たちの栄光と酒と反省文が入り混じる、ヴァルハラ版あの世事務処理コメディである。
本文
ヴァルハラ戦死者審査局には、あまり使われない窓口がある。
正式名称は長い。
神話意匠・象徴使用履歴照会係。
職員たちは、略してこう呼ぶ。
意匠係。
普段は暇な部署である。
戦士の館に来る者たちは、たいてい剣や盾や兜については語る。
だが、神話の意匠をどのように使ったかなど、わざわざ申告する者は少ない。
せいぜい、どこかの王が「我が紋章に神鳥を用いた」と誇り、どこかの騎士が「我が家は雷神の加護を受けている」と言い張る程度である。
それらはたいてい、軽い照会で済む。
ところが、その日だけは違った。
意匠係の前に、異様な量の書類が積まれていた。
ルーン。
鷲。
太陽。
車輪。
古代ゲルマン。
祖先遺産。
北方人種。
神話的民族起源。
儀式。
城。
記章。
制服。
そして、どれもこれも、ひどく嫌な形で政治と結びついていた。
ミストは書類の山を見て、思わず言った。
「これは何の案件ですか」
ブリュンヒルデ管理官は、珍しく少しだけ疲れた顔をしていた。
「当局名義の無断使用です」
「当局名義」
「正確には、北欧神話および関連意匠の政治的濫用」
ラーズグリーズが補足した。
「もっと正確には、勝手に借りて汚した案件です」
その言い方はかなり強かった。
だが、ブリュンヒルデは訂正しなかった。
意匠係の机の前には、ヒムラーが座らされていた。
番号のない上映室で名を聞かされ続けているはずの男である。
ただし今日は、別件の照会として一時的にこちらへ回されている。
名札にはこう書かれていた。
ハインリヒ
親衛隊関係
番号のない上映室、第一上映群継続中
神話意匠濫用照会中
ヒムラーは眼鏡の奥から、書類の山を見ていた。
「私は、ゲルマンの精神を復興しようとした」
ラーズグリーズが即座に言った。
「復興という語を用いた簒奪の美化を確認」
ヒムラーは口を閉じた。
ブリュンヒルデは静かに言った。
「あなた方は、北欧神話を信仰したのではありません」
ヒムラーは答えようとした。
「我々は祖先の記憶を」
「利用しました」
短い言葉だった。
それだけで、空気が切れた。
意匠係の担当として、ラードグリーズが出席していた。
異界連絡室の管轄照会担当でもある彼女は、今日は古い綴じ帳を何冊も抱えている。
「北欧方面照会、ゲルマン方面照会、ルーン意匠照会、神名使用履歴照会、ヴァルキューレ名義使用照会。すべて開きます」
ミストは驚いた。
「ヴァルキューレ名義もですか」
ラードグリーズはうなずいた。
「はい。彼らは時折、我々の名前やそれに類する語まで勝手に持ち出しました」
ラーズグリーズの目が細くなる。
「私の名が使われていた場合は、別途請求します」
「請求とは」
「精神的損害です」
ミストは記録板を見た。
神話存在にも精神的損害があるらしい。
そこへ、反省文作成室からゲッベルスが連れてこられた。
両手に三百枚の反省文を抱えている。
まだ二行目を仮受理されたばかりで、顔には疲れが濃い。
名札にはこうある。
ヨーゼフ
宣伝関係
反省文三百枚提出済
二行目仮受理
意匠宣伝使用照会中
ゲッベルスは部屋に入るなり、書類の山を見て顔をしかめた。
「私は宣伝を担当した。神話研究は彼の趣味だ」
ヒムラーが睨む。
「趣味ではない」
スクルドが現れた。
「責任転嫁を文書化します」
ゲッベルスはすぐに言い直した。
「私は、宣伝上利用可能な象徴を扱った」
ラーズグリーズが言った。
「利用可能という語を確認。かなり正直です」
ゲッベルスは不本意そうに黙った。
ブリュンヒルデは二人を見た。
「本日の照会事項は三つです」
ミストは急いで記録する。
「一、北欧神話およびゲルマン的意匠を、人種主義と国家宣伝の材料として用いたこと」
「二、神話的語彙によって、現代の政治暴力を古代の宿命や民族的使命に見せかけたこと」
「三、その結果、北欧神話そのものに後世の汚染を残したこと」
ヒムラーは低く言った。
「汚染とは何だ」
その瞬間、部屋の奥の扉が開いた。
そこに立っていたのは、古いヴァイキングだった。
いつもの斧を持った男ではない。
もっと年老いている。
白い髭。
深い皺。
肩に毛皮。
だが目は鋭い。
彼は名乗らなかった。
ただ、机の上に置かれたルーン意匠の資料を見下ろし、吐き捨てるように言った。
「これは、我らのものではない」
ヒムラーは顔を上げた。
「古代ゲルマンの」
ヴァイキングは斧の柄で床を叩いた。
「黙れ。お前は古代を盾にして、現代の臆病を隠した」
部屋が静まった。
ブリュンヒルデはその老ヴァイキングに軽く会釈した。
「証言者として受理します」
スクルドが記録する。
証言者
古北方戦士代表
意匠濫用被害申告
ゲッベルスが小さく言った。
「神話に被害申告があるのか」
ラーズグリーズが即答した。
「あります」
「抽象的ではないか」
「あなたが抽象を武器にしたので、抽象側から請求が来ました」
ゲッベルスは黙った。
ブリュンヒルデは机の上に一枚の文書を置いた。
神話意匠使用履歴照会票
使用者
使用目的
対象意匠
由来説明
政治的転用の有無
人種主義的文脈の有無
暴力正当化への利用
後世への汚染影響
原典への敬意の有無
ヒムラーは用紙を見て、眉をひそめた。
「原典への敬意?」
ブリュンヒルデは答えた。
「はい」
「我々は、祖先を敬った」
老ヴァイキングが鼻で笑った。
「祖先を敬う者は、祖先を広告塔にしない」
ゲッベルスが反射的に言った。
「広告塔ではない。象徴化だ」
スクルドが赤い印を押した。
差戻
「まだ書いていない」
「口頭発言も対象です」
ゲッベルスは疲れたように椅子へ座った。
「では何と言えばいい」
ラーズグリーズが答える。
「まず、勝手に使いました、と」
「そんな幼稚な」
ブリュンヒルデが言った。
「正確です」
ヒムラーは静かに言った。
「我々は、堕落した近代から古代の純粋性へ戻ろうとした」
ラーズグリーズが記録した。
「純粋性という語を用いた排除思想の美化」
ラードグリーズが綴じ帳をめくる。
「北欧方面から回答。古代社会はあなた方の人種理論の証明書ではありません」
ミストは思わず顔を上げた。
「回答が来ているのですか」
「はい」
「誰から」
ラードグリーズは真顔で答えた。
「多数です」
老ヴァイキングが続けた。
「我らは粗暴だった。奪いもした。殺しもした。誇れることばかりではない」
彼はヒムラーを睨んだ。
「だが、お前たちのように、古い名を借りて工場のように人を消す理屈を作った覚えはない」
ヒムラーは黙った。
ゲッベルスは、わずかに視線をそらした。
ブリュンヒルデは言った。
「神話は免罪符ではありません」
ミストはその一文を記録した。
神話は免罪符ではない。
ブリュンヒルデは続ける。
「古代を語ることは自由です。神話を愛することも、研究することも、物語にすることも、歌うことも、描くことも、それ自体は罪ではありません」
ここで彼女は一度、ミストを見る。
「最近では、艦艇を人として描く文化すら、受付分類に影響しています」
遠くの艦魂審査仮窓口で、ビスマルクが小さく言った。
「またその話か」
フッドが穏やかに答えた。
「影響は事実です」
ブリュンヒルデはヒムラーへ向き直った。
「問題は、何のために使ったかです」
スクルドが読み上げる。
「人を分類するため」
ラードグリーズが続ける。
「優劣を神話的に飾るため」
ラーズグリーズが続ける。
「暴力を宿命に見せるため」
ゴンドゥルが静かに部屋へ入ってきた。
「名を消すため」
その最後の言葉に、ヒムラーの表情が硬くなった。
ゴンドゥルは番号のない上映室の名簿を抱えている。
「神話を使っても、消された名は戻ります」
ヒムラーは眼鏡の奥で彼女を見た。
「また名前か」
ゴンドゥルは答えた。
「はい。また名前です」
ゲッベルスはうつむいた。
その言葉は、反省文の二行目にも刺さっていた。
私は、その言葉で人を死へ向かわせた。
神話も言葉である。
記号も言葉である。
旗も、紋章も、儀式も、制服も、選ばれた古語も、すべて言葉になる。
スクルドはゲッベルスに一枚の追加課題を渡した。
追加反省課題
神話的象徴を宣伝に用いた責任について
最低三十枚
ただし「民族の魂」「歴史の必然」「祖先の声」は禁句
ゲッベルスは紙を見た。
「三十枚……」
スクルドは言った。
「三百枚の後なら軽いでしょう」
「軽くない」
「では、重さを感じながら書いてください」
ヒムラーには別の用紙が出された。
神話意匠濫用申告書
対象意匠
使用組織
使用目的
疑似学術化の有無
人種政策との接続
儀式化の有無
被害影響
訂正不能な後世汚染の可能性
ヒムラーは用紙を見た。
「訂正不能な後世汚染とは」
ラードグリーズが答える。
「本来は古い文化や神話に属する意匠が、あなた方の使用によって、後世において憎悪の記号として見られるようになった影響です」
ヒムラーは黙った。
老ヴァイキングが低く言った。
「我らの古い印を、子孫が恐れて避けるようにした。これを汚したと言わず、何と言う」
ブリュンヒルデは静かに結論を告げた。
「ハインリヒ。あなたは番号のない上映室へ戻ります」
「この件は」
「並行審査です」
「また並行か」
「あなた方の責任は、一列では収まりません」
ヒムラーは何も言わなかった。
ゲッベルスは自分の追加課題を見つめている。
「神話的象徴を宣伝に用いた責任……」
ラーズグリーズが言った。
「書き出しに困っているなら、提案します」
ゲッベルスは疑わしそうに見た。
「何だ」
「私は、古い物語を借りて、新しい憎悪を飾った」
部屋が静かになった。
スクルドはその文を聞き、短く言った。
「仮受理可能です」
ゲッベルスはしばらく黙った。
そして、羽根ペンを取った。
「……書けばよいのだろう」
「はい」
「三十枚で足りるのか」
スクルドは表情を変えずに答えた。
「足りなければ追加します」
ゲッベルスは深くうなだれた。
意匠係の机では、ヒムラーの申告書に赤い印が押された。
照会継続。
番号のない上映室へ再回付。
神話意匠濫用、別件として記録。
老ヴァイキングは立ち上がった。
去り際に、彼はミストへ言った。
「娘よ、書いておけ」
ミストは背筋を伸ばした。
「はい」
「古い名を呼ぶなら、古い名に恥じぬように呼べ」
それだけ言うと、彼は扉の向こうへ消えた。
ミストは記録板に所感を書いた。
神話は、誰かの憎悪を飾るための衣ではない。
古代を語ることは、現代の責任から逃げることではない。
名を借りた者は、その名を汚した責任も負う。
ブリュンヒルデはその記録を読み、しばらく黙った。
そして、判を押した。
承認。
余白には、いつものように一行が添えられた。
「神話意匠・象徴使用履歴照会係、当面増員」
遠くでムッソリーニの声がした。
「ローマの象徴使用についても審査されるのか」
ラードグリーズが答える。
「当然です」
「当然なのか」
「あなたの場合、むしろ主案件です」
ムッソリーニの悲鳴のような抗議が、異界連絡室の廊下に響いた。
その声に、ヘル方面連絡門からブロンディが短く吠えた。
ガルムが低く唸る。
ラーズグリーズが記録した。
「虚偽申告検知補助、一件」
ブリュンヒルデは深く息を吐いた。
戦士の館では、戦死者だけでなく、言葉も、旗も、記号も、神話も審査される。
戦士の館は、今日も事務処理中である。