進むために止まる
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
翌朝、雪は止んでいた。
ただ、空は暗かった。
雲は低く、海側から重く垂れこめている。青空ではない。晴れたわけでもない。ただ、雪が一度手を休めているだけに見えた。
シオナは和室の窓から外を見ていた。
「止んでる」
サヤは布団の中から顔を出した。
「でも、空が信用できない」
ミズホはすでに地図を開いていた。
「出られなくはない。でも、今日も長く走る前提にはしない方がいいね」
シオナはうなずいた。
「進めるところまで。危なくなったら止まる」
「一昨日と同じ」
「うん。一昨日と同じ」
それはもう、逃げ腰の言葉ではなかった。
朝食を済ませると、三人は防寒具を着込んで外へ出た。
駐車場の90式は、また白くなっていた。昨日のうちに一度落としたはずの雪が、夜のあいだに積もり直している。
サヤは外に出た瞬間、白い息を吐いた。
「今日は風は弱いね」
ミズホは手袋をはめ直す。
「でも足元は凍ってる。滑らないで」
「はいはい」
「はいは一回」
「はい」
シオナは車体の周りを見て回った。
砲口カバー。
ハッチ周り。
外部ラック。
濡れ物箱。
履帯。
視界装置。
排気周り。
昨日読みふけった整備教本の内容が、まだ頭の中に残っていた。何となく見るのではなく、何を見ればいいのかを少しずつ考えながら確認する。
「ハッチ周りから落とす」
シオナが言うと、サヤがブラシを持って頷いた。
「了解であります。じゃなくて、分かった」
ミズホが少し笑った。
「普通でいいよ」
三人は黙々と雪を落とした。
市の職員と、巡回班の一人が様子を見に来た。
彼は空を見上げてから言った。
「今日は午前中なら動けるかもしれません。ただ、海沿いは変わりやすいです。西目方面へ進むなら、途中で止まれる場所を意識してください」
シオナは頭を下げた。
「分かりました。無理はしません」
「道の駅にしめ、その近くの湯っ娘ランドは、退避先として使えると思います。雪が強くなったら、そこへ入ってください」
ミズホはすぐに地図へ印をつけた。
「道の駅にしめ、にしめ湯っ娘ランド」
サヤが言う。
「また温泉系?」
「温泉というより、避難先候補」
「同じくらい大事」
「まあ、そうかも」
点検を終え、三人は90式に乗り込んだ。
シオナは操縦席。
サヤは車長ハッチ側。
ミズホは地図と記録袋を抱えて砲手ハッチ側。
外は暗い。
けれど視界はある。
シオナは低く息を吸った。
「出発する」
90式はゆっくりと動き出した。
はまなすの建物が後ろへ下がる。
昨日一日、三人を守ってくれた灯りの場所。
その先には、また国道7号線が続いている。
にかほから北へ進む道は、最初は静かだった。
雪は路肩に残り、田畑も家々の屋根も白い。
空は重く、太陽は見えない。
それでも道路そのものは通れた。
サヤが短く外を確認する。
「道は開けてる。雪はあるけど、視界は大丈夫。前方、車は少ない」
ミズホが地図を見る。
「このまま北上。西目方面へ」
シオナは速度を上げなかった。
昨日、整備教本を読んだせいか、車体の音がいつもより気になる。
エンジンの響き。履帯の鳴り。雪を踏む感触。何か変わった音がしないか、耳が自然に探っている。
サヤが言った。
「シオナ、今日ちょっと慎重だね」
「昨日、教本読んだから」
「読んだら慎重になるの?」
「読んだら、怖いところが増える」
ミズホがうなずいた。
「いいことだと思う。知らない怖さより、知ってる怖さの方が扱える」
サヤは少し考えてから言った。
「名言っぽい」
「ぽいだけ?」
「かなり名言」
車内に小さな笑いが生まれた。
だが、その穏やかさは長く続かなかった。
西目へ近づく頃、空が急に暗くなった。
海側から灰色の壁のようなものが迫ってくる。
最初は遠くの雪雲に見えた。けれど、数分もしないうちに前方の景色が白くかすみ始めた。
サヤがハッチを少し開け、すぐに閉じた。
「来た。雪、強くなる」
ミズホは地図を押さえた。
「道の駅にしめが近い。そこで止まろう」
シオナはすぐに速度を落とした。
「場所は?」
「この先。国道沿い。にしめ湯っ娘ランドも隣接してる」
サヤが外を短く確認する。
「前方、白くなってきた。道路はまだ見えるけど、長くは無理」
「道の駅に入る」
シオナの声は落ち着いていた。
見えなくなってから探すのではない。
見えているうちに止まる。
神町で教わり、はまなすで体に叩き込まれた判断だった。
やがて道の駅にしめの案内が見えた。
雪はさらに強くなる。
風が横から吹き、視界が白く揺れる。
サヤが言った。
「入口、左。駐車場広い。車は少し。人影なし」
シオナは90式をゆっくり進め、駐車場の端に停めた。
「停止。ここで雪が止むのを待つ」
ミズホはすぐに頷いた。
「賛成。今は進まない」
道の駅にしめは静かだった。
建物は閉まっていたが、完全に荒れている様子はない。
入口付近には雪が吹き込んでいた。駐車場には数台の車が残っているが、人の気配は薄い。
三人は防寒具を整えて外へ出た。
雪が強い。
ほんの短い距離でも、帽子や肩に白く積もる。
サヤは首をすくめた。
「また雪だるまになる」
ミズホが言う。
「長居しない。確認だけ」
道の駅の建物内には、少しの物資が残っていた。
水。
古い保存食。
手袋や簡易カイロ。
紙の地図。
誰かが使った記録ノート。
ミズホはノートを開き、最新に近そうなページを探した。
「にかほ方面、はまなす利用可」
「本荘方面、天候により通行注意」
「西目、雪で視界不良時は湯っ娘ランドへ退避」
「国道7号線、海側からの急変あり」
サヤはそれを見て言った。
「ちゃんと書いてある。つまり、みんなここで止まってるんだ」
シオナは窓の外を見た。
雪は止むどころか強くなっていた。
90式の輪郭がもう白くぼやけ始めている。
「隣の湯っ娘ランドへ移ろう」
ミズホが頷く。
「このまま道の駅で待つより、宿泊できる場所を確認した方がいい」
三人は道の駅で必要最小限のものだけを確認し、メモを残した。
にかほ方面より到着。
雪のため停車。
神町、舟形、庄内、にかほ方面の生存確認あり。
隣接施設で天候回復待ち。
サヤが最後にペンを置いた。
「こういうメモ、だんだん旅の足跡みたいになってきたね」
ミズホは少しだけ考えてから言った。
「誰かが後で読むなら、足跡以上の意味がある」
「そっか」
三人は再び雪の中へ出た。
にしめ湯っ娘ランドは、道の駅から近かった。
近いのに、その距離が長く感じるほど雪が強い。
建物の入口へたどり着く頃には、三人の肩も帽子も白くなっていた。
にしめ湯っ娘ランドの中は、冷えていたが、風はなかった。
それだけでありがたかった。
ロビーには、かつての案内表示が残っている。
宿泊施設として使われていたらしく、客室もある。施設内は完全な通電状態ではないが、窓も壁も無事で、外の吹雪から逃れるには十分だった。
サヤは入口の内側で肩の雪を払った。
「助かった……」
ミズホも手袋を外す。
「まだ泊まるかは決めてない。まず天候待ち」
シオナは外を見た。
駐車場の向こうは白い。
さっき走ってきた国道7号線も、ほとんど見えない。
「夕方まで待って、止まなければここで泊まる」
「うん」
三人は施設内を確認した。
受付には誰もいない。
だが、完全に放棄された感じではなく、避難用に使えるよう最低限整えられている。布団の入った押し入れ。畳の休憩室。使えそうな食堂の一角。水は出るが弱い。電気は場所によってついたり消えたりする。
浴場はある。
湯がすぐ使えるかどうかは分からないが、温泉施設というだけでサヤの表情が少し明るくなった。
「今日も湯の気配」
ミズホが釘を刺す。
「まず天候確認と90式の状態」
「分かってる」
「昨日も聞いた気がする」
「今日はちゃんと分かってる」
シオナは窓から外を見ながら言った。
「90式を一度見に戻る。雪が積もりすぎる前にハッチ周りだけ確認しておきたい」
ミズホはすぐ立ち上がった。
「三人で行こう。短時間で」
サヤも頷いた。
「行って戻る。雪合戦はしない」
「誰も言ってない」
外へ戻ると、雪はさらに強くなっていた。
90式の上には、すでに白い層ができ始めている。
三人は手早くハッチ周り、砲口カバー、外部ラック、濡れ物箱の蓋だけを確認した。全部をきれいにするのではない。必要な場所が凍りつかないよう見るだけ。
シオナは教本で読んだ言葉を思い出しながら作業した。
全部やろうとしない。
今必要なところを優先する。
十分も経たないうちに、ミズホが言った。
「戻る。これ以上は冷える」
シオナは頷いた。
「戻ろう」
三人はまた施設へ逃げ込んだ。
サヤはロビーに入るなり、白くなった袖を払った。
「また雪だるま寸前」
ミズホは濡れた手袋を分ける。
「濡れ物袋」
「はい」
シオナは窓の外を見た。
夕方までに止むだろうか。
そう思ったが、空は暗かった。
午後は、ほとんど待つ時間になった。
三人は客室に入り、荷物を広げすぎないようにまとめた。
すぐに動ける形は保つ。だが、今日泊まる可能性も考えて、寝具と食料は取り出しやすくする。
ミズホは道の駅で見つけた記録と、これまでの経路を照合していた。
「にかほ、道の駅象潟、にしめ。本荘方面までは、細いけど人の手が入ってるみたい」
サヤは畳の上で足を伸ばしながら言った。
「でも天気が全部止める」
「そう。人がいても、道があっても、雪が来たら止まる」
シオナは整備教本をまた開いていた。
「昨日読んでおいてよかった。雪の日の車体確認、少し分かるようになってきた」
サヤが覗き込む。
「また文字だらけ」
「今日は少し読みやすい」
「慣れてきた?」
「必要だから」
その言葉は短かったが、サヤもミズホも何も言わなかった。
夕方になっても、雪は止まなかった。
むしろ、空はさらに暗くなり、風が強くなっている。
道の駅の駐車場も、国道も、白く見えなくなっていた。
ミズホは時計を見た。
「今日はここまでだね」
シオナは窓の外を見て、ゆっくりうなずいた。
「うん。泊まろう」
サヤは軽く息を吐いた。
「また進むために止まる、だね」
「そう」
シオナは答えた。
「進むために止まる」
三人は施設内の使える客室を一つ選び、正式にそこをその夜の宿にした。
布団を出し、濡れたものを分け、外へ出る装備と室内で休む装備を分ける。
夕食は持参した食料と、道の駅に残っていた保存の効く食料を少しだけ使った。使った分は、受付にメモを残す。
雪のため一泊します。
食料を一部使用しました。
90式で北上中。神町、舟形、庄内、にかほ方面の生存確認あり。
サヤはメモを見て言った。
「このメモ、誰かが読むかな」
ミズホは答えた。
「読むかもしれない。読まなくても、残しておく」
シオナは外を見た。
雪の向こうに90式がある。
白く埋もれかけても、そこにある。
明日の朝も、きっと除雪から始まる。
でも今日は、もう進まない。
にしめ湯っ娘ランドの客室で、三人は夕食を取り、濡れた装備を広げて乾かし、布団を敷いた。
外では、また日本海側の雪が吹き荒れていた。
サヤが布団の上に座り、ぽつりと言った。
「温泉施設を渡り歩いてるみたいになってきたね」
ミズホが答える。
「実際、温泉施設は避難先として強いんだと思う」
「湯がある。畳がある。屋根がある」
「あと、無理しない理由ができる」
シオナは小さく笑った。
「それ、大事だね」
動けるかもしれない。
でも、動かない。
その判断をするために、屋根と畳と湯の気配は、十分すぎる理由だった。
三人はその夜、にしめ湯っ娘ランドで足止めを受け入れた。
明日、雪が止めばまた北へ。
止まなければ、また待つ。
旅は進むだけではない。
待つことも、もう旅の一部になっていた。
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